赤ん坊の心が読める猫に転生した件

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赤ん坊の心が読める猫に転生した件

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私は冥界で300年、せっせと働き続けた。徳を積み、「人間への転生チケット」を手に入れたと思った、その矢先―― 酒に酔った閻魔様が盛大にやら...

Chương (1)

第1章

私は冥界で300年、せっせと働き続けた。徳を積み、「人間への転生チケット」を手に入れたと思った、その矢先―― 酒に酔った閻魔様が盛大にやらかした。 転生先を間違えられた結果、私はまさかの畜生道送り。 気づけば、財閥一家でぬくぬく暮らす、まるまる太った茶トラ猫になっていた。名前は茶々丸(ちゃちゃまる)。 さすがに閻魔様も後ろめたかったのか、お詫びとして百年分の寿命を上乗せし、さらに「赤ちゃんの心の声が聞こえる能力」までサービスしてくれた。 ここまで来たら文句を言っても仕方ない。 猫なら猫で、全力で満喫してやろうじゃないか。 そんなわけで私は、米沢家の一人娘・米沢美月(よねざわ みづき)と一緒に育ち、気づけば十数年が経った。 毎日ご飯は出てくるし、昼寝はし放題。完全に勝ち組猫ライフである。 今では美月は私の「終身スポンサー」。そして彼女もまた、私を家族同然に可愛がってくれていた。 ――そして今日。 美月が無事に女の子を出産し、私はVIP分娩室の前で、海外から取り寄せた高級フリーズドライのおやつを夢中でかじっていた、その時だった。 頭の中に、赤ちゃんのふにゃふにゃした声が飛び込んでくる。 (やだぁ……連れて行かないで…… パパが私を隠し子と入れ替えようとしてるの……! 施設なんて嫌!ママと一緒にいたいよぉ……!) 私は思わず咀嚼を止めた。 すると間髪入れず、もう一人の赤ちゃんの声が響く。 (フン、私が本物のお嬢様になったら、あの女も、あのデブ猫も真っ先に毒殺してやるんだから!) その瞬間、私はぴたりと食べるのをやめた。全身の毛が一気に逆立つ。 (にゃんだと?私が目をかけて育ててきた美月お嬢様に手を出そうなんて、百年早いよ!トラの尾を踏んだらどうなるのか、今日こそ思い知らせてやる!) 私は後ろ足に力を込めると、放たれた矢の勢いで分娩室へ突っ込んだ。 第1話 私は冥界で300年、せっせと働き続けた。徳を積み、「人間への転生チケット」を手に入れたと思った、その矢先―― 酒に酔った閻魔様が盛大にやらかした。 転生先を間違えられた結果、私はまさかの畜生道送り。 気づけば、財閥一家でぬくぬく暮らす、まるまる太った茶トラ猫になっていた。名前は茶々丸(ちゃちゃまる)。 さすがに閻魔様も後ろめたかったのか、お詫びとして百年分の寿命を上乗せし、さらに「赤ちゃんの心の声が聞こえる能力」までサービスしてくれた。 ここまで来たら文句を言っても仕方ない。 猫なら猫で、全力で満喫してやろうじゃないか。 そんなわけで私は、米沢家の一人娘・米沢美月(よねざわ みづき)と一緒に育ち、気づけば十数年が経った。 毎日ご飯は出てくるし、昼寝はし放題。完全に勝ち組猫ライフである。 今では美月は私の「終身スポンサー」。そして彼女もまた、私を家族同然に可愛がってくれていた。 ――そして今日。 美月が無事に女の子を出産し、私はVIP分娩室の前で、海外から取り寄せた高級フリーズドライのおやつを夢中でかじっていた、その時だった。 頭の中に、赤ちゃんのふにゃふにゃした声が飛び込んでくる。 (やだぁ……連れて行かないで…… パパが私を隠し子と入れ替えようとしてるの……! 施設なんて嫌!ママと一緒にいたいよぉ……!) 私は思わず咀嚼を止めた。 すると間髪入れず、もう一人の赤ちゃんの声が響く。 (フン、私が本物のお嬢様になったら、あの女も、あのデブ猫も真っ先に毒殺してやるんだから!) その瞬間、私はぴたりと食べるのをやめた。全身の毛が一気に逆立つ。 (にゃんだと?私が目をかけて育ててきた美月お嬢様に手を出そうなんて、百年早いよ!トラの尾を踏んだらどうなるのか、今日こそ思い知らせてやる!) 私は後ろ足に力を込めると、放たれた矢の勢いで分娩室へ突っ込んだ。 ――ドンッ! VIP分娩室のドアが勢いよく開き放たれる。 床へ軽やかに着地すると、私は喉の奥で低くゴロゴロと唸りながら、部屋中をぐるりと見回した。 病床にもたれているのは、私が12年間ずっと見守り続けてきた米沢家の令嬢――美月。 出産を終えたばかりで顔色は青白く、苦しそうに浅い息を繰り返している。 その傍らには、入り婿の夫・米沢陽介(よねざわ ようすけ)。 腕の中に、生まれたばかりの女の子を大事そうに抱き、目を潤ませながら優しく微笑んでいる。 「美月、本当にお疲れさま。 ほら見て。この子、目元が君にそっくりだ」 今にも溶けてしまいそうな甘い声だ。 その横には、美月の親友・杉浦風花(すぎうら ふうか)が立っている。 美月とは8年来の付き合いで、家族同然の仲だ。 風花はハンカチで美月の汗を拭いながら、嬉しそうに微笑んだ。 「美月、本当におめでとう。この子、こんなに可愛いんだもの。将来は絶対、とびきりの美人になるわ」 美月は愛しむような優しい眼差しで赤ん坊を見つめた。 震える手をそっと伸ばし、その小さな頬に触れようとした――その時だった。 (触らないで、このバカ女!私が大きくなったら、あんたをやっつけて、その数千億の株、ぜんぶママに持っていってやるんだから!) まただ。 あの胸くそ悪い赤ちゃんの声が、頭の中へ響き渡る。 ブワッ―― 全身の毛が一斉に逆立ち、尻尾もぴんと一直線に立った。 このクソガキ……! 陽介の腕の中では天使みたいな顔をしてるくせに、中身は毒ヘビそのものじゃないか! その時、不意に別の声が聞こえた。 (……誰か……助けて……暗いよ、寒いよ……背中に何か刺さってる……痛い……) か細く、今にも消えてしまいそうな声。 私は勢いよく振り返る。 声は部屋の隅から聞こえていた。 そこには医療廃棄物を積んだステンレス製のワゴンが置かれている。 一番下の棚には、パンパンに膨らんだ黒いビニール袋が押し込まれていた。 間違いない。声はあそこからだ。 あの袋の中にいるのは―― 私が10ヶ月もの間、美月のお腹に毎日ゴロゴロ喉を鳴らして聞かせ、ずっと見守ってきた本当の米沢家の子だ! ギギギッ―― 私は床を爪で思い切り引っかき、耳障りな音を響かせた。 (陽介のにゃろう、いい度胸してるじゃないか! 米沢家で食わせてもらいながら、その家の娘をすり替えようなんて! 今日こそ猫パンチの恐ろしさを教えてやる!) 私はベッドをひらりと飛び越え、そのまま黒いビニール袋へ飛びかかった。 ビリッ! 鋭い爪が、何重も重ねられた袋の外側を一気に切り裂く。 「きゃあっ!猫が暴れた!」 付き添いの使用人、森川敦子(もりかわ あつこ)が悲鳴を上げ、慌てて後ずさる。 陽介も顔色を変え、腕の中の赤ん坊を抱えたまま反射的に距離を取った。 「美月!茶々丸が急に暴れ出したぞ!普段はあんなに大人しいのに! 誰か、早く外へ!赤ちゃんにケガでもさせたら大変だ!」 風花もすかさず美月の前へ立ちはだかる。 「美月、猫は雑菌だらけよ!外で変なものでも食べて興奮しちゃったんじゃない? 警備員!早くこの猫をつまみ出して!」 2人の警備員が部屋へ飛び込み、私の首根っこを掴もうと手を伸ばす。 私はひらりと身をひねると、お返しとばかりに鋭い猫パンチを叩き込んだ。 「ぐっ!」 警備員が顔をしかめる。 私は黒いビニール袋の上へ飛び乗り、喉の奥から低いうなり声を響かせた。 この袋に触ったら、次は本気で噛みついてやる! (ねこさん……助けに来てくれたの……?苦しい……もう息ができないよ……) 袋の中から聞こえる声は、どんどん弱々しくなっていく。 まずい。時間がない。 私は夢中で袋を引っかき、結び目を噛み切ろうと必死にもがいた。 「あの子を傷つけないで!」 美月の声が部屋に響く。 ふらつく身体を無理やり起こし、皆の向こうにいる私をまっすぐ見つめる。 「茶々丸は、12年間ずっと私と一緒にいたの。理由もないのに暴れたりする子じゃないわ」 そう言って、視線をゆっくり黒いビニール袋へ向ける。 「茶々丸があの袋を開けようとしてる……」 爪で裂かれた黒いビニール袋を見据え、美月は静かに問いかける。 「……あの中に、何が入っているの?」 第2話 「美月、そんなこと気にしなくてもいいんじゃないか?茶々丸は何かに驚いただけだろう」 陽介はすぐに美月の注意を逸らそうとした。 腕の中の赤ん坊を看護師へ預けると、足早に美月の前へ立ち、その視界をさりげなく遮る。 「君は出産を終えたばかりなんだ。身体も弱ってる。こんなことで気を張っちゃ駄目だ。 森川さんにそこのゴミを片づけてもらうよ。それと茶々丸も診てもらおう」 どこまでも思いやりに満ちた口調。 美月に向ける視線もすごく優しかった。 風花もすぐに頷く。 「そうよ、美月。分娩室は血の匂いがするし、あなたにも赤ちゃんにも良くないわ。その袋は私が片づけるよ。茶々丸もあれを見て興奮してるだけかもしれない」 そう言って、風花が黒いビニール袋へ手を伸ばした。 その瞬間、私の怒りゲージが一気に振り切れた。 (待て待て!親友のふりをしてるだけのあなたが、しゃしゃり出てくるんじゃない!美月に寄生して、ご飯も全部おこぼれで生きてきたくせに、今度は美月の娘まで奪う気か? その子に指一本でも触れてみろ。今すぐその化けの皮、ひっぺがしてやる!) 私は床を蹴ると、バネのように身体が宙へ跳ね上がる。 風花の指先が袋へ触れる、その寸前―― 私は一直線に飛び込み、首元めがけて鋭い猫パンチを繰り出した。 「きゃあっ!」 風花の悲鳴が響く。 鋭い爪が首に巻かれたシルクのスカーフを真っ二つに裂いた。 ひらり、と布が床へ舞い落ちる。 その下から現れたのは、天然石のペンダントがぶら下がるネックレスだった。 美月の瞳が大きく見開かれた。 そのペンダントは透き通るような翠色をしていて、最高級の翡翠で作られたものだ。 そして縁には、小さなヒビが一つ。 そのペンダントを、美月は知っている。 3年前、海外で4億で競り落とし、陽介の30歳の誕生日に贈った、世界に一つだけのプレゼント。 それを受け取った直後、陽介が誤ってぶつけ、小さな傷をつけてしまった。 ひどく落ち込む彼に、美月は笑って言ったのだ。 欠けた分だけ厄落としになる、と。 あの時のプレゼントがどうして今、風花の首に掛かっているのだろうか? 部屋が水を打ったように静まり返る。 美月の呼吸が目に見えて乱れ始めた。彼女は風花の胸元から、一瞬たりとも目を離せない。 「……風花」 冷たい声だった。 「そのペンダント……どこから手に入れたの?」 風花の顔からサッと血の気が引いた。反射的に胸元を押さえる。 「こ、これは、その……通販で買った模倣品で…… 美月、誤解しないで。陽介さんが持ってるものと似てるのはわかってるけど、本当に可愛いから買っただけなの」 額から汗を流したのは、風花だけではなかった。 陽介の額にも冷や汗が滲む。 彼は慌てて風花を自分の後ろへ引き寄せ、その姿を隠すように立ちはだかった。 「美月!まさか……俺を疑ってるのか?」 傷ついたような表情で叫ぶ。 「俺は米沢家の婿になって3年間、君のためだけに生きてきた!どんなことでも君を最優先にして、一度だって逆らったことはない! それなのに、猫が暴れたくらいで……しかも似たようなアクセサリー一つで俺を疑うのか?」 陽介の目は赤く潤み、声まで震えている。 演技とは思えないほどの振る舞いだった。 「それに、杉浦さんは君の一番の親友じゃないか!今日だって誰より君を支えてくれていたのに、そんな疑いを向けるなんて……出産で疲れすぎて、少し混乱してるんじゃないのか?」 美月の唇が小さく震える。 陽介は今まで、完璧な夫だった。優しくて、誠実で、非の打ち所がない。 だからこそ、美月の心は揺らぎ始める。 その瞬間、私はまた赤ちゃんの声が聞こえた。 (パパ、すごーい!うまくあのバカ女を丸め込めた! 早くあのゴミ袋を捨てちゃえ!あの子が死ねば、米沢家のお嬢様は私になるんだから!) その言葉に私の堪忍袋が切れた。 陽介も風花も、美月をどこまでバカにすれば気が済むのだろうか。 私は再び黒いビニール袋へ飛びつくと、袋の端を思い切り噛み、力任せに引きずった。 (美月!騙されないで!袋!この袋を見て!) ガリガリガリ―― ビニール袋が床を擦る音が響く。 そして、裂け目から、小さな泣き声が漏れた。 「う……あ……」 かすれるほど弱々しい声。 それでも、静まり返った部屋では十分すぎるほどはっきり聞こえた。 美月の身体がビクリと震える。 信じられないものを見るように、ゆっくりと黒いビニール袋へ視線を向けた。 ――あの袋の中から、物音がした。 第3話 陽介の顔色が、一瞬で変わった。目の奥を冷たい殺気がよぎる。 「森川さん!何をぼさっとしてる!そのゴミを今すぐ処分しろ!邪魔なんだよ!」 「は、はいっ!」 敦子は肩を震わせながらワゴンのハンドルを掴み、逃げるように部屋を出ようとする。 「待ちなさい!」 美月が勢いよく布団を跳ねのけた。出産直後の身体からは、まだ血が滲んでいる。それでも構わず、一歩踏み出した。 「待ってって言ってるでしょう!」 その一喝に、敦子はびくりと肩を震わせる。ワゴンは部屋の入口で止まった。 「美月!」陽介は慌てて駆け寄り、彼女の肩を強く抱き寄せる。 「何をしてるんだ!君は出産したばかりなんだぞ!無理をしたら体に障る!」 そう言いながら美月を押さえ込み、横目で警備員へ合図を送る。 「茶々丸は攻撃的になっている、早く捕獲ネットを持ってこい!確保したらすぐ動物病院へ連れて、鎮静剤を打ってもらうんだ!」 2人の警備員が廊下から大きな捕獲ネットを持って駆け込んできた。左右からじりじりと距離を詰めてくる。 私は身を低くし、牙を剥いた。 (これ以上近づいたら、顔中、傷だらけにしてやる!) バサッ!! 特製のナイロンネットが一気に私へ覆いかぶさる。 網が身体に絡みつき、首元で一気に締め上げられた。ロープが毛をかき分け、皮膚へ食い込む。 その時、私は網の隙間から見てしまった。 敦子が美月に背を向けたまま、黒いビニール袋へ素早く手を突っ込む。 そして――柔らかな何かを抱え上げると、ワゴンの一番下にある隠し収納へ滑り込ませた。 美月は陽介を突き飛ばし、よろめきながら黒いビニール袋へ駆け寄った。 震える手で袋を大きく裂く。 だが、中にあるのは血の付いたガーゼや包帯だけ。 赤ちゃんの姿など、どこにもない。 美月は呆然と立ち尽くす。 その横で、陽介は誰にも気づかれないよう小さく息を吐いた。張り詰めていた表情は一瞬だけ緩み、すぐに痛ましげな顔へ戻る。 彼は優しく美月の肩を抱いた。 「ほら、美月。中に入っているのは医療廃棄物だけだ。君は出産で疲れ切っているんだ。ホルモンバランスも乱れているし……少し混乱してしまったかもしれない」 美月は床に散らばる血まみれのガーゼを見つめたまま、焦点の定まらない瞳を揺らした。 ……本当に自分の勘違いだったのだろうか。 その時、看護師に抱かれた赤ん坊が、嬉しそうに笑った。 (あははっ!ほんっとチョロい!あの子がワゴンの中で死んでしまえば、この家のお嬢様は私になるんだ!) その言葉に、私は強い怒りに駆られた。 (美月!諦めちゃ駄目!赤ちゃんはそのワゴンの下!早く見つけ出してあげないと、死んでしまうよ!) 私は必死に網の中でもがく。身体中をぶつけ、皮膚が切れて血が流れても構わない。 けれど私の叫びは、美月には届かない。 陽介は暴れ続ける私を冷たく一瞥し、静かに言い放つ。 「美月、茶々丸は完全に錯乱しているんだ、すぐ動物病院へ搬送した方がいい」 そして今度は看護師へ向き直る。 「すみません、妻に鎮静剤を。少し眠れば落ち着くでしょう」 看護師は震える手で注射器を受け取り、美月へ近づく。 美月は抵抗しなかった。魂が抜けたように、その場へ立ち尽くしている。 針先が腕へ触れようとした――その瞬間。 「……陽介。お前は何をしてるんだ?」 部屋の入り口には、一人の男が立っていた。長身で、全身から張りつめた威圧感を放っている。 彼は米沢家の長男、そして米沢グループを率いる若き総帥――米沢靖彦(よねざわ やすひこ)だ。 靖彦は病室をひと目見渡す。その視線が、血だらけのまま捕獲ネットに閉じ込められた私に止まった。 眉間に深い皺が刻まれる。 大股で歩み寄ると、警備員が持っていた捕獲ネットをひっくり返した。 「誰の許可を得て茶々丸に手を出した?」 陽介の顔から血の気が引く。 「お、お義兄さん……違うんです!茶々丸が急に暴れ出して――」 「黙れ」 靖彦は陽介を一瞥すらしなかった。そのまま美月の前まで歩み寄り、自分のジャケットを脱いでそっと彼女の肩へ掛ける。 そして私を見つめると、静かに、しかしはっきりと言った。 「茶々丸が理由もなく暴れることはない。俺は、茶々丸を信じる」 第4話 病室を包む空気は、今にも張り裂けそうなほど重かった。 陽介は引きつった笑みを浮かべ、取り繕うように口を開く。 「お義兄さん、誤解です。茶々丸はさっき、美月と赤ちゃんに飛びかかりそうになったんですよ。 美月も出産直後で気が動転していて……ワゴンの中に別の赤ちゃんがいるなんて言い出して」 その必死の弁明に、靖彦は一言も返さなかった。 静かにしゃがみ込むと、縄で擦れて血が滲んだ私の頭をそっと撫でる。 その手の温もりに、私は思い切り袖へ噛みついた。そして必死にワゴンの方へ顔を向ける。 (靖彦!ワゴンだよ!下の隠し収納を探させて!あの子がまだ中にいるんだ!早く助けないと!) もちろん、人間に猫の言葉は伝わらない。 でも――靖彦は違う。言葉は分からなくても、私のことを信じてくれている。 靖彦はゆっくり立ち上がる。鋭い視線がステンレス製のワゴンへ向けられた。 「調べろ」 その一言で、病室へ4人の黒服の護衛が駆け込んでくる。 敦子はその場へ尻もちをつき、顔面蒼白のまま震え始めた。 護衛たちは迷いなくワゴンへ飛びつき、中身を次々と床へぶちまける。 1段目。 2段目。 3段目。 血の付いたガーゼ。使用済みの注射器。空になった薬瓶。 出てくるのは医療廃棄物ばかりで、赤ちゃんの姿など、どこにもない。 引き出しも一つ残らず開けられ、隅々まで調べられる。 しかし―― 「社長。異常はありませんでした」 護衛が頭を下げて報告する。 靖彦は黙ったままワゴンを見つめる。 床へ散乱した医療廃棄物。そして、なおも必死にもがき続ける私。 隠し収納はもっと下にある。 敦子が赤ちゃんをそこへ押し込むところを見ていなければ、誰だって見落としてしまうだろう。 陽介はようやく余裕を取り戻したように、小さく息をつく。 「お義兄さん。これで分かっていただけましたか?」 どこか傷ついたような顔を作りながら続ける。 「俺は入り婿とはいえ、一人の人間です。猫が暴れたからというだけで、ここまで疑われるなんて……さすがに人としての尊厳を踏みにじられた気分ですよ」 風花も目元を押さえ、涙ぐみながら口を開いた。 「そうですよ、米沢さん。陽介さんの美月への想いを、あなたもよくご存じのはずです。なのに、このような大騒ぎになってしまって……陽介さんを傷つけたばかりか、米沢家の信用まで落ちてしまいますよ」 靖彦は何も言わなかった。美月の青白い顔を見つめると、その瞳に浮かぶのは、妹を案じる兄の苦しみだった。 「……美月」 小さく息を吐き、静かに肩を抱き寄せる。 「もしかしたら、本当に疲れすぎているのかもしれない。 茶々丸ももう歳だからな。どこか具合が悪い可能性もある。一番いい病院で診てもらおう。だから今は、自分の身体を休めることだけ考えなさい」 その言葉に、美月は力なく頷いた。もう抵抗する気力も残っていない。 陽介に支えられながら、ゆっくりとベッドへ戻る。 「ごめんなさい……陽介。私……少し、おかしくなってたかもしれない……」 陽介は優しく布団を掛け直し、穏やかに微笑んだ。 「気にしなくていいよ。少し眠れば、きっと落ち着くから」 看護師に抱かれた赤ん坊が、心の中で楽しそうに笑う。 (あははっ!米沢家の人たちって、本当にバカばっかり!これで数千億の財産は全部私のもの!) 一方―― ワゴンの隠し収納から聞こえる赤ん坊の声は、消え入りそうだった。 (ねこさん……私……お星さまになっちゃうの……? 暗いよ……眠いよ……ママ……バイバイ……) 冗談じゃない! 私が12年も守ってきた大切な家族を、こんな腐った連中に傷つけられてたまるか! まして、生まれたばかりのあの子が――一度もお母さんに抱かれることなく、このまま命を落とすなんて。 そんな結末、絶対に認めない。 (全員まとめて、そこをどけ!) 怒りが全身を駆け巡り、視界が真っ赤に染まった。 私は低く唸り、後ろ足へ力を込めた瞬間、筋肉が限界まで膨れ上がった。 ビシィッ!! 特製の捕獲ネットが、悲鳴を上げて裂ける。 誰もが息を呑む中、私は一直線にワゴンへ飛びついた。 狙うのは――底。隠し収納がある場所だ。 ドォンッ!! 全体重を乗せた体当たりで鋼板が歪む。 骨が軋む音と、金属がぶつかる音が同時に響いた。 ワゴンは勢いよく宙へ跳ね上がり、そのまま床へ叩きつけられる。 ガシャァン!! 凄まじい衝撃で、底に隠されていた引き出しが音を立てて崩れ落ちた。 そして次の瞬間―― 小さな赤ん坊が、全身を紫色に変え、固く目を閉じたまま、美月のベッドの前へ転がり落ちた。