Đang tải thông tin quảng bá...
この恋が永遠になるまで
第九十九回目の「ライオン財団の会長の婚約者と子供を作る計画」に失敗したあと、花井亜月(はない あづき)は親友に電話をかけた。 「風子、...
Chương (1)
第1章
第九十九回目の「ライオン財団の会長の婚約者と子供を作る計画」に失敗したあと、花井亜月(はない あづき)は親友に電話をかけた。
「風子、私、海外に行くね」
ほとんど一瞬で、電話の向こうから椅子が床に倒れる音が響き、清水風子(しみず ふうこ)の弾んだ声が届く。「亜月、やっと決心したのね!前から言ってたじゃない、野呂なんてダメだって。あの人、見た目からして頼りないもの」
亜月は涙で赤くなった目のまま笑みを作った。「うん、もうはっきりした」
「落ち込まないで、こっちに来たら、肩幅広くて腰が細くて脚が長い白人の男を探してあげる。みんな遺伝子の質がいいから、絶対に綺麗な子が生まれるわよ」
亜月は小さくうなずく。「うん、婚姻届を取り戻したら」
電話を切ったあと、亜月は布団に潜り込み、重たい思いを抱えたまま眠りに落ちた。
真夜中、誰かが布団をめくり、その熱い体が腕一本分の距離に腰を下ろす。
ほどなくして、衣擦れの音と低く荒い男の息遣いが耳に届いた。
体の半分が痺れたように強張るが、彼女はゆっくりと顔を向ける。
第1話
第九十九回目の「ライオン財団の会長の婚約者と子供を作る計画」に失敗したあと、花井亜月(はない あづき)は親友に電話をかけた。
「風子、私、海外に行くね」
ほとんど一瞬で、電話の向こうから椅子が床に倒れる音が響き、清水風子(しみず ふうこ)の弾んだ声が届く。「亜月、やっと決心したのね!前から言ってたじゃない、野呂なんてダメだって。あの人、見た目からして頼りないもの」
亜月は涙で赤くなった目のまま笑みを作った。「うん、もうはっきりした」
「落ち込まないで、こっちに来たら、肩幅広くて腰が細くて脚が長い白人の男を探してあげる。みんな遺伝子の質がいいから、絶対に綺麗な子が生まれるわよ」
亜月は小さくうなずく。「うん、婚姻届を取り戻したら」
電話を切ったあと、亜月は布団に潜り込み、重たい思いを抱えたまま眠りに落ちた。
真夜中、誰かが布団をめくり、その熱い体が腕一本分の距離に腰を下ろす。
ほどなくして、衣擦れの音と低く荒い男の息遣いが耳に届いた。
体の半分が痺れたように強張るが、彼女はゆっくりと顔を向ける。
窓から差し込む白い月光の下で、野呂成哉(のろ せいや)の袖がまくれ、鍛えられた腕が露わになっていた。
片手には絹のレースのナイトドレス、もう一方の手は布団の下で激しく動いている。
低い唸り声のあと、緊張に固まった体が弛緩した。
浴室へと向かった彼を見届けて亜月はようやく、血がにじむほど噛み締めていた唇を解放する。
浴室の扉は半開きで、成哉が白いドレスを大事そうに揉み洗いし、そっと鼻先に近づけ、うっとりとした表情でつぶやくのが見える。「美雪……美雪」
野呂美雪(のろ みゆき)は彼の義妹だ。
三十分ほどして戻ってきた彼は、また腕一本分離れた場所に横たわる。
最初から最後まで、彼は一度も彼女に触れない。だが亜月はもう眠れず、目を開いたまま過去を思い返す。
二十歳のとき、両親が海難事故で亡くなり、彼女には一生使い切れない財産が残された。孤独の中で、血のつながる子供を欲しいと思った。
初めて成哉に出会ったのは、彼が港で荷物を運んで帰ってきた日。広い背中、無駄のない腰、汗が髪先から肩を伝い腹筋の筋に流れ落ちる。
その一瞬で、亜月の血は全身で沸騰した。
生活に困っている兄妹だと知ると、彼女は金で彼を囲った。
関係を結んでからは、あらゆる手で彼を誘惑した。
夏、超ミニのスカートで弁当を差し入れすれば、彼は視線を逸らし「港の弁当の角煮と変わらない」と言った。
夜、オーダーメイドの寝間着で肩に腕を回し求めても、反応はなかった。
お茶に薬を混ぜても、彼は頬を赤らめ「効かない」と告げるだけだった。
彼女はずっと、生活の重荷のせいで欲を失っているのだと信じていた。
だが数か月前、眠りから目覚めて見てしまったあの衝撃の光景で悟る。彼の情欲も衝動も、すべては自分にはなく、義妹の美雪に向けられていたのだと。
あの夜、彼女の世界は崩れ落ちた。
朝日が差し込み、隣で眠っていた成哉が起きて服を整える。
亜月は思わず声をかける。「成哉、私……」
ネクタイを締める手が止まり、冷ややかな視線が向けられた。「朝に試したばかりだろ」
亜月は呆然とし、しばらくしてようやく彼の意味を理解する。
彼の目には、自分はただ欲望に飢えた女としか映っていないのか。
その言葉は嵐のように、血だらけの心を引き裂いた。
亜月は乾いた笑みを浮かべ、彼のあとを追って出る。ちょうど美雪が起きてきたところだ。
彼女は眠そうに兄の腰に抱きつく。「お兄ちゃん、私の新しいナイトドレス見なかった?すごくお気に入りだったのに」
その言葉に、亜月の視線も成哉へ向かう。彼がどう答えるのか見届けたかった。大切に隠しているそのドレス、誰にも触れさせないはずだから。
「見てないよ。新しいのを買ってあげる」妹の甘えに、成哉の体は硬直し、喉仏が何度も動いた。
彼は欲情している。ただの抱擁ひとつで。
抑え込んだ情欲に満ちた眼差しは、亜月の最後の砦を打ち砕く。
彼女はうつむき、笑みを浮かべて二人の横を通り抜け、扉を開けて外に出た。
「出かけるのか」背後から成哉の声が届く。
亜月は振り返らない。「ええ」
そして二度と戻らない。
第2話
役所で、職員の不思議そうな視線を受けながら、亜月は婚姻届を取り下げた。
考えてみれば滑稽な話だ。あのとき彼が会長になったばかりで、悪い影響を与えたくなくて提出を先延ばしにしていた。まさかそれが、自分に逃げ道を残すことになるなんて。
自転車で帰宅すると、扉の隙間から言い争う声が聞こえてくる。
美雪が泣き声で訴えていた。「お兄ちゃん、前はこんなんじゃなかったよね。抱きしめてくれたし、手だってつないでくれたのに。どうして今はダメなの……」
向かいの成哉はその抱擁を拒む。「もうすぐ結婚する。これはよくない」
ドン。
美雪は目を真っ赤にして、卓上の灰皿を掴み成哉の額へ叩きつけた。
「じゃあ結婚なんてやめればいいでしょ!もう会長なんだから!私たちには彼女の施しなんて必要ない」
額に大きな裂傷を負いながらも、成哉の表情は穏やかだった。深くため息をつき、怒りに震える義妹を抱きしめ、背中を優しく撫でる。
「もう少し待って。俺を信じろ」
涙を洩らす義妹の頭に、彼は抑制のきいた理性的なキスを落とした。
すべてを目撃した亜月は、全身で凍りついた。口を押さえてその場に膝をつき、頭の中で彼の言葉がこだまする。
待て?何を?すべてが片付いたら、自分を捨てるということなのか。
考えるのも怖かった。
もうすぐ海外へ出る、これ以上この兄妹の戯れの道具になるつもりはない。
夕方、成哉は急な仕事で出かけ、美雪は部屋に鍵をかけてこもった。
亜月はこの機会に、自分の持ち物をすべてまとめる。
五年の歳月が、26インチの段ボールひとつ。
ゴミ置き場に捨てると、乾いた音がひとつ響くだけだ。
眠る前、亜月はいつものようにベッド脇のミルクを飲み、やがて意識が沈む。
夢の中で、誰かに服を引き裂かれる感覚、体は異様な熱に包まれている。
成哉だと思い込み、亜月は眠気のまま胸元をはだけ、熱を逃がそうとしながら目を開ける。
視界に飛び込んできたのは、顔中にあばたのある男だ。「亜月、起きたのか?」
「きゃあ!」一瞬で亜月は目が覚める。「あなた誰!どうして私の家に」
中村浩(なかむら ひろし)は黄ばんだ歯を剥き出しにし、壁際まで追い詰められた亜月へじりじりと迫る。「子供が欲しいんだろ?俺の家は十代続く男系一族だ。必ず望みを叶えてやる」
媚薬の効果は容赦なく、亜月は視界が霞んでいく。浩の手はすでに彼女の胸元に伸び、下着を剥がそうとしていた。
亜月は歯を食いしばり、枕元のハサミを掴むと、自らの腕に深く突き立てた。
血が勢いよく噴き出し、彼女は叫ぶ。「もう一度触ったら、一緒に死ぬ!」
夜明け前の警察署、薄いショールを羽織っただけの亜月は、手に持った携帯でようやく繋がった番号に声を絞り出す。
「成哉、私、警察署にいるの」
しばしの沈黙。
「今日は用事がある。自分で解決しろ」
電話は即座に切れ、続ける隙すら与えられなかった。
向かいの警官が険しい顔の亜月を見やり、視線を美雪へ移す。
「話してくれ。どうして中村浩を雇った?」
美雪は俯いたまま、一言も口を開かない。
机を叩いた警官が最後通告を突きつける。
「事が大きくなれば三日の拘留になるぞ。学生の身で前科がつくのが怖くないのか」
元々、美雪が大学に進学できたのも、亜月が学費を工面してくれたおかげだった。
言葉を聞いた美雪の顔に、ようやく表情が浮かぶ。
「お兄ちゃんに電話させて!」
成哉の額には汗がにじみ、オーバーの襟はめちゃくちゃにめくれ上がっていた。明らかに慌てて駆けつけてきた。
電話を切ってからわずか十分後のことだ。
「美雪、どうした」
彼を見た美雪は救いを得たように背に隠れ、泣き出しそうな顔を作る。
「亜月さんは子供が欲しいんでしょ。だったら誰の子でもいいじゃない。中村家は代々男しか生まれないって聞いたの。だから亜月さんが男の子を産めるように、私なりに考えたのに、恩を仇で返されたの」
黙って聞いていた成哉の視線が、亜月の胸元の爪痕に止まる。「二人とも外で待て」
冷たい風が吹く外で、美雪は腕を組み、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「亜月さん、お兄ちゃんは絶対に私を守るよ」
亜月は応じなかった。
三十分後、成哉が部屋を出てきて彼女のもとへ歩み寄る。
情けなくも、心の奥で再び灯った小さな希望に縋り、亜月は彼の瞳をまっすぐ見つめる。
「この件はもう持ち出すな。中村浩は刑務所に入る。美雪のことも責めるな」
思いもしなかった答えに、亜月の唇が震える。
「成哉、主犯はあなたの妹よ!」
彼の声はわずかな苛立ちを含んでいる。
「だが今こうして無事に立っているだろ」
その一言で亜月の力は完全に抜け、両腕が垂れ下がった。
何かを言おうとした瞬間、冷たい雨が降り出す。
「美雪、帰るぞ」
傘を広げ、彼は片腕で妹の肩を抱き寄せ、二人は雨の中へ歩いていく。
誰一人、傘のないもう一人の存在を思い出すことはなかった。
雨は激しさを増し、顔を濡らす滴が、涙か雨かさえ分からなくなっていく。
第3話
思った通り、大雨のあと亜月は高熱を出した。
家で療養している間、成哉はこれまでの冷淡さを一変させ、自らスープを煮たり薬を煎じたりしていた。
昔の亜月なら、きっと胸がいっぱいになって泣いていただろう。だが今の彼女の胸に広がるのは、底知れぬ寒々しさだ。
彼がしているのはただ美雪の罪を償っているだけで、決して自分を思いやっているのではない。
もし本当に大事に思うなら、ただ形式的に手のひらを叩くだけで済ませたりはしない。夜中に美雪を案じて眠れなくなり、わざわざ彼女の部屋に行って薬を塗ってやることもないはずだ。
その日、熱が下がった亜月は昼食のために階下へ降りていった。
食卓の主座に腰掛けた美雪の腕には、ひときわ目を引く緑色の光。
それは母がこの世を去る前に亜月へ残してくれた翡翠の腕輪だ。ずっと屋根裏に大切にしまっておいたはずなのに、どうして美雪の腕にはめられているのか。
亜月は彼女の前に歩み寄り、腕輪を指さして鋭く問いかける。
「それ、どこで手に入れたの」
美雪は少しも動じることなく、むしろ得意げに腕を掲げて見せる。
「お兄ちゃんが屋根裏から探してくれたの。今夜のパーティードレスにぴったりでしょ」
亜月は無駄な言葉を重ねる気にならず、腕輪を返すよう求めた。だが美雪は首を振った。
「どうせお兄ちゃんと結婚するでしょ。だったらあなたの物は私の物でもあるわ。どうして使っちゃいけないの」
ぱしん、と音が響いた。
険しい顔で腕輪を取ろうとした亜月は、不意に美雪の平手打ちを受け、視界が一瞬白む。
もみ合ううちに腕輪は床へ落ち、甲高い音とともに砕け散った。
飛び散った欠片が亜月の脛を裂き、真っ赤な血が滲み出る。
そのとき、成哉が扉を押し開けて入ってきた。
「お兄ちゃん、指が切れちゃったの」
美雪はほんの擦り傷の指を見せつける。
ためらうことなく、成哉は彼女の指先を口に含み、丁寧に傷を舐めた。
亜月はその姿を見て、彼の瞳が徐々に熱を帯び、呼吸が荒くなっていくのを感じる。
だが決定的な瞬間、彼は立ち上がり、無表情のまま浴室へ向かった。
最後まで亜月に視線をよこすこともなく、ただ一言だけを残す。
「たかが腕輪だ。だが美雪が怪我をしたら、絶対に許さない」
彼女の傷など気にも留めなかった。
亜月はうつむき、自嘲めいた笑みを浮かべる。ひとりで救急箱を持ち出し、消毒し、薬を塗り、包帯を巻いた。耳の奥には、階下での口論がかすかに届く。
どうやら美雪がパーティーに行こうとし、成哉が止めたらしい。最後は美雪が勢いよくドアを叩きつけ、出て行った。
ドンドンドン。
「足、大丈夫か。町の病院へ連れて行こう」
夜、成哉が部屋へ入ってきた。瞳に宿るのは作り物ではない心配の色。
彼はいつもこうやって、近づいたり突き放したりする。飴と鞭を巧みに操る釣り人のように、糸を張ったり緩めたりして、亜月の心を絶えず揺さぶる。
「いらないわ」
彼女の拒絶を無視し、彼は綿棒を手に取り、そっと傷口の周りに触れた。
亜月が痛みに息を呑むと、彼はふっと笑みを浮かべる。
「まるで子どもみたいだな」
彼女の膝の上にころんと置かれたのは、透き通ったフルーツキャンディ。南区の名店のものだ。何時間も並ばなければ買えない代物。
亜月は指先でつまむと、砂糖衣が腹に張り付いた。言葉を発しようとしたが、階下で玄関の開く音が響いた。
第4話
成哉は一瞬の迷いもなく立ち上がり、手にしていた綿棒を床へ投げ捨てて外へ出た。
「なんだその格好は。もう二度とパーティーなんか行くな」
亜月が出ていくと、ちょうど美雪が拳で成哉の胸を叩いているところだ。
「あなたに関係ないでしょ。私はお酒を飲むし、パーティーにも行くわ。他の男と恋愛して、子どもを産んで、その人にもお兄ちゃんって呼ばせる」
成哉は彼女を力強く抱き締め、首筋の血管が浮き上がる。
腕の中の美雪は、さらに彼を苛立たせる言葉を投げつけ続けた。限界まで追い詰められたように、彼は突然身をかがめて唇を塞ぎ、熱に浮かされたように囁く。
「宝物……俺の宝物……」
階段口に立つ亜月には、二人の荒い呼吸さえ鮮明に聞こえてくる。
その呼び名を、彼女は以前にも耳にしたことがある。打ち上げの夜、彼が自ら唇を奪いながら繰り返していたのも同じ言葉だった。
かつては宝物のように抱えていた記憶。だが今となっては、他人の代わりでしかなく、欲望を満たすための道具に過ぎなかったのだと気づかされる。
亜月は目を伏せ、手にしていたフルーツキャンディを口に放り込んだ。甘さはすぐに苦みに変わり、彼女はそのままゴミ箱へ吐き捨てる。
どれほどの時間が過ぎたのか。
二人が唇を離したとき、美雪はすでに酔いつぶれていた。
成哉は彼女を抱き上げ、そのまま二階へ。
亜月は部屋の扉の影に身を隠し、二人が同じ部屋に入っていくのを見送った。夜が明けても出てくることはなかった。
翌日は小雨がしとしと降っている。
成哉は亜月の部屋から出てきたとき、冷たい表情を崩さない。二人は例年どおり山へ墓参りに向かったが、今年は亜月の軽口もなく、気まずい空気が漂った。
「先に降りて。俺は少し両親に話がある」
墓前、半分の顔を闇に沈めた成哉の表情は亜月からは見えなかった。
彼女は下山せず、木の陰に身を潜め耳を澄ます。
どさりと音を立て、成哉は墓碑の前に跪いた。
「父さん、母さん、すまない。俺は美雪にしてはならないことをした。
だが安心してくれ、もう二度と一線は越さない。これからは兄として、陰で一生彼女を守る」
そのとき、傘を差した美雪の声が近づいてきた。
「お兄ちゃん、迎えに来たわ」
だが成哉はいつものように親しげに接することはなく、亜月を間に立たせて美雪との視線を避ける。
半ばまで歩いたところで、美雪は立ち止まり、涙をぽろぽろとこぼした。
「亜月さんを両親に紹介したら、もう私は要らないの?明日には私を追い出して一人で生きろってこと?」
成哉は困惑した表情で彼女を見やる。
「美雪、何を言って……危ない!」
轟音とともに雷が走り、道端の桃の木を真っ二つに裂いた。
折れた大枝が落下し、亜月と美雪は巻き込まれて山道から転がり落ち、崖の端に辛うじてぶら下がる。
成哉は迷わず飛び込み、両手で二人の手首をつかんだ。
指の間から血が滲み落ち、足場の岩は不気味な音を立てて割れていく。
美雪が悲鳴を上げた。
「お兄ちゃん、手を離して!一緒に落ちちゃう」
成哉の瞳孔が激しく収縮する。三人分の重みが岩を崩そうとしていた。
そのとき、亜月の指がふいに緩み、囁きが彼の耳に届く。目に飛び込むのは、亜月の崩れ落ちそうな顔だ。
「成哉、あなたはもう誰を救うか決めてるんでしょ。なぜ今さら偽善を装うの」
「黙れ!」
ほんの一瞬、気が緩んだだけだ。成哉は動揺を必死で押し殺し、亜月の「やっぱりね」という表情を一瞥すると、美雪を力任せに安全な場所へと引きずり込んだ。
飛び散る礫の中、彼は亜月が枯れ枝に飛び移るのを見た。その腐りかけた枝は、折れそうな音を立てる。
彼女の身体は宙吊り状態で、虚空にぶら下がっている。
成哉の顔色が変わり、助けようと踏み出したその瞬間、美雪が後ろから彼の腰に抱きついた。
「行っちゃだめ!もう崩れてるのよ。助けられるはずないわ」
「美雪、放せ!」
二人がもつれる姿を見ながらも、亜月の心は不思議なほど穏やかだ。
「成哉、私を助けなくていい。次の人生はもうあなたに会いたくない。愛してくれる人を見つけ、その人と子どもを産んで、一生を共にするわ」
ばきん、と枝の中央が裂ける音が響いた。
崖へ落ちていく一瞬、亜月の視界に飛び込んできたのは、自分へと手を伸ばす人影だ。
第5話
意識を取り戻したとき、亜月は病院の病室に横たわっている。
傍らでは成哉が両手を分厚いギプスで固められたまま、小さな椅子に身を縮め、目を閉じて休んでいる。
彼女ははっきりと覚えている。崖から落ちかけたとき、彼が手を掴み、両腕が脱臼し皮膚が裂けてもなお、決して離そうとはしなかったことを。
胸の奥がまた柔らかくなり、思わず彼の口元に伸びた新しい無精髭に触れようとした瞬間、成哉が目を開いた。
「成哉、私……」
彼の瞳には一瞬、光がきらめいた。けれど次に口にした言葉は、氷のように冷たかった。
「目が覚めたか。看護師さん、入ってきて採血を」
言葉の意味を理解するより早く、数人の看護師が押し入ってきて、彼女の身体を押さえつける。親指ほどもある太い針が血管に突き刺さった。
「下山のとき、美雪が岩に頭を打って、いま手術で輸血が必要なんだ」
激痛に涙がにじみ、亜月は全身が止めどなく震える。
「成哉!あんた最低よ!私の気持ちを聞いたの?これは犯罪よ!私はあなたたち兄妹の恩人であって、敵じゃない」
彼女の叫びも涙も、誰ひとりとして顧みなかった。視線はすべて機械のモニターに釘付けだ。
奪われていくのは血液ではなく、命そのもの。
視界が揺らぎ始めたとき、看護師の声が耳に届いた。
「血圧が低すぎます!これ以上は危険です!」
だが成哉の声は絶対の命令だ。
「あと500ミリリットルだ。美雪の数値がまだ安定していない」
彼はさらに近づき、彼女の青ざめた顔と噛みしめた唇を目にして、ようやくわずかな痛惜の色を浮かべる。
「大丈夫か?もう少しだけ耐えてくれ。必ず償うから」
彼女は目を閉じ、小さな声で言った。
「出て行って」
その採血の代償は大きく、亜月の身体が回復するまで半年を要した。
その間、何度も電話をかけてきたのは風子だ。事情を知った彼女は怒りに震えた。
「その兄妹のクズども、いま何してるの?」
いま何をしているか。亜月の視線は窓の外の庭へ。
美雪がフランコに腰掛け、その背後には、成哉は宝物を守るように彼女を見守る。
入院中、亜月の病室に彼が顔を出すことは滅多になかった。それでも隣の病室からは、毎日のように楽しげな笑い声が聞こえてきた。
答えない彼女に、電話口の風子はさらに声を荒げる。
「もし海外に来るようなことがあったら、絶対ただじゃおかないから!」
亜月は笑みを浮かべ、風子をなだめる。
「風子、三日後の船にもう予約したわ」
「よかった。待ってる」
退院の日、亜月と美雪は同じ日に病院を出た。
成哉は二人それぞれに花束を用意していた。
「さあ、帰ろう」
亜月は視線を伏せ、差し出された手を避けると、そのバラをゴミ箱に投げ入れた。
「これは兄の気持ちなんだから、いくら嫌いでも目の前で捨てることはないでしょ!」
美雪が怒りに満ちた瞳で睨みつける。
亜月は黙って袖をめくった。小さな腕には無数の水ぶくれ。
「花粉にひどいアレルギーがあるの。成哉、私をまた救急に運ばせたいの?」
二人は言葉を失った。とくに成哉は、罪悪感を隠せなかった。
彼女はそれ以上何も言わず、病院をあとにした。
深夜、亜月の部屋の扉を叩く音に目を覚ますと、そこに立っていたのは成哉だ。
「何しに来たの」
「すまない。美雪を助けるためとはいえ、同意もなく血を抜いた。あのときは我を忘れていた。だから今、償わせてほしい」
半年遅れの謝罪は、ネズミよりも汚らわしい。
「いらない。帰って」
追い出そうとしたその時、成哉は亜月の手首を掴み、ベッドに押し倒した。
彼女の後頭部が枕にぶつかり、視界が揺れた。
次の瞬間、熱い体温が彼女に寄り添う。
灼ける吐息が首筋にかかり、彼の呟きが聞こえる。
「亜月、子どもで償わせてくれ」
囁きとともに、細かな口づけが降り注ぐ。
そのとき亜月は彼の体の変化をはっきりと感じ取った。これまでにない様子だった。
興奮を誘う行為のはずなのに、かえって吐き気が込み上げる。
彼女は勢いよく突き飛ばし、ベッド脇に身をかがめて嘔き込んだ。
その様子を見た成哉の顔は氷のように冷え、長い沈黙のあと低く告げる。
「したくないなら、三日後に、婚約式をやり直そう」
彼女が答えないのを了承と受け取り、部屋を出ていった。
残された亜月は、背筋に焼けつくような視線を感じた。
顔を上げると、扉の隙間から毒を含んだ瞳がじっと彼女を射抜いている。
美雪だ。
第6話
婚約披露宴の前日、入国管理局から亜月に電話がかかってきた。提出した書類に少し問題があるという。
少しのミスも許されないと思った彼女は、慌てて足を運び、その場で手続きを済ませる。
すべてが終わったころには、もう深夜になっていた。
人影のない街を、亜月はゆっくり歩く。
その時、不意に背後から自分のものではない足音が響いた。
異変を感じた瞬間には、後ろの人影がすでに髪を乱暴に掴み、彼女を路地の奥へと引きずっていく。
必死に抵抗する亜月に返ってきたのは、容赦のない平手打ちだ。
「おとなしくしろ」
一人の女路が地の奥に立つ。その手元にかすかな光が走る。それは鋭い刃物だ。
淡い月明かりの下、亜月はその顔をはっきりと目にする。
「美雪!何をする気!」
美雪はしゃがみこみ、亜月と同じ目線に顔を近づける。
「あなたがお兄ちゃんにどんな魔法をかけたのか知らないけど、今の彼はあなただけに夢中で、子供を産ませようと必死。挙げ句に婚約披露宴までやろうとしてる。私には止められない。だけどね、ヒロインの顔さえ台無しにしてしまえば、披露宴なんて続けられないでしょ?」
冷たい刃が亜月の頬に押し当てられ、少し力を込められただけで血の珠がにじむ。
刃先がじりじりと刺さっていき、事態が取り返しのつかないところまで進もうとしたとき、亜月は思わず叫んだ。
「待って!成哉が本当に好きなのは、ずっとあなたなのよ!」
カシャンと音を立てて刃物が地面に落ちる。
美雪は信じられないというように亜月の襟を掴み上げる。
「今なんて言ったの?」
「成哉が好きなのは、ずっとあなただけ。私と何年一緒にいても、私に欲情したことなんて一度もなかった。一度も関係を持ってない。しかも、私は三度もこの目で見たの。彼があなたの寝間着を抱いて、自分を慰めているところを」
美雪の手が力を失い、表情にさまざまな感情が浮かんでは消えた。驚き、喜び、恥じらい、後悔。
亜月はその顔を見つめ、胸の奥に苦い思いを覚える。成哉が一生口にしないであろう真実を、軽々と口にしてしまった。
しかし安堵する間もなく、美雪は再び刃を拾い上げ、今度は亜月の喉元へ突きつけた。
「それでも結婚するのはあなただけ。あなただけが死ねば、お兄ちゃんは自由になれる」
その顔に浮かぶ表情は、偽りではなかった。本気で命を奪おうとしている。
背中の衣服はすでに冷や汗で濡れきっている。亜月は震える手でバッグから婚姻届を取り出した。
「もし私が言ったらどう?婚姻届、まだ提出してないって」
ビリビリと音を立て、二枚の婚姻届が彼女の手の中で粉々に引き裂かれていく。
彼女は美雪のやや呆然とした顔を見つめる。
「これで安心したでしょ?それに婚約披露宴だって、私の代わりに出ればいいじゃない。誰も気づきはしない」
美雪は長いこと彼女を凝視し、やがて思いも寄らぬ覚悟に感心したように笑みを浮かべた。
「花井、わかってるじゃない。さあ、行くわよ」
二人の背中が遠ざかっていくのを見送り、亜月はついに力尽きて、その場に崩れ落ちた。
第7話
婚約披露宴の日、新郎である成哉は早くに家を出ていった。その頃、亜月は婚約指輪を外し、美雪の指にはめてやる。
自分には少しきつかった指輪も、美雪の指にはぴったりだ。
船が出る時間が迫り、亜月はスーツケースを押して出ようとする。だが扉は外から施錠されていて、どれだけ叩いても誰も来ない。
そのとき、扉の下の隙間から鼻をつくガソリンの匂いが部屋中に広がり、床一面を覆っていく。
美雪の冷ややかな声が響いた。
「亜月さん、ごめんなさい。たとえ全部を打ち明けてくれたとしても安心なんてできない。あなたが生きている限り、お兄ちゃんは決して私のものにはならない」
「あなた、まさか……」
嫌な予感に胸が締め付けられる。次の瞬間、甲高い笑い声が耳を裂いた。
「だからね、私の幸せのために。おとなしく死んでちょうだい!」
投げ込まれた燃えるマッチが床に落ちた途端、轟音とともに炎が爆発的に燃え広がり、ガソリンを伝って一気に部屋を飲み込む。
濃い煙が肺を突き、亜月は咳き込む。
逃げ道はすべて塞がれ、残されたのは窓だけだ。
窓を押し開けると、そこは五階の高さ。手を掛けられるものなど何もない。
そのとき、町のスピーカーから野呂会長の婚約披露宴のニュースが大音量で流れ出す。
宴会場の控室、成哉が花嫁のベールをめくる。
「どうして君が……亜月はどこだ!」
そこに座っていたのは、求めていた相手ではなかった。
美雪が彼の手をぎゅっと握る。
「お兄ちゃん、私を花嫁にしてよ」
だが成哉は初めてその手を振り払った。
「俺たちは兄妹だ、人として踏み越えてはならない一線だ。美雪、正気か!」
美雪の手には未開封の毒薬。その瓶を口元へと持ち上げる。
「もし拒むなら、ここで死ぬわよ!」
睨み合うふたり。やがて成哉は深く息を吐き、最後には自分の欲望に屈するように彼女を抱きしめた。
義妹とこうして結ばれる日が来るとは思わなかった。ほんの一時間でもいい、それを喜びとした。
「もう二度とこんな無茶はするな。亜月は家にいるのか?」
美雪は自分の掌を強く握り込み、かすかな笑みを浮かべる。
「亜月さんなら、家でぐっすり眠ってるわ」
ちょうど婚約式の始まる一分前、成哉の部下が駆け込んできた。
「会長!別荘が火事です。中から女性の叫び声が聞こえたと近所の人が……」
声は小さく、成哉にははっきり届かなかった。だが美雪の耳には「火事」、「別荘」という言葉が鮮明に届いた。
彼女はすぐさま声を張り上げる。
「お兄ちゃん、この人空気読めてないわね!もうすぐ婚約式だっていうのに、何を報告してるのよ」
成哉の胸には得体の知れぬ不安がよぎった。だがそれを婚約の緊張だと思い込み、苛立たしげに眉をひそめて手を振る。
「仕事のことか?わかった、戻れ」
「ですが……」
荘厳な音楽が流れ出し、最後の声はかき消された。ふたりは腕を組み、ゆっくりと会場へ歩みを進めていく。
ベール越しに美雪を見やりながら、成哉の胸に亜月の姿がふと浮かぶ。心に複雑な感情が芽生える。
式が終わったら、すぐに結婚書類を上へ提出しよう。亜月を安心させたい。美雪のことは、これまで通り大事にすればいい。
だが彼は知らない。彼の心を占めるその人は今、五階の窓からシーツを結び垂らし、必死に命を繋いでいることを。
手は擦れて肉が裂け、骨がのぞき、全身は炎に焼かれ黒く焦げていた。痛みで体中が震える。
亜月は一瞬たりとも気を抜けず、シーツを必死に握りしめている。
鼻に錆の匂いが広がり、煙が視界を黒く覆う。そのとき、不吉な破断音が鳴り響き、亜月の瞳が大きく見開かれた。
「いや……」