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誓いの果てに待つのは、虚しき別れだった
結婚して五十年。オリヴィア・シェフィールドは、レナード・アームストロングに自分のすべてを捧げた。 任務で彼が負傷し、身体に障害が残った...
Chương (1)
第1章
結婚して五十年。オリヴィア・シェフィールドは、レナード・アームストロングに自分のすべてを捧げた。
任務で彼が負傷し、身体に障害が残ったとき、彼女は研究者としての輝かしいキャリアを捨て、毎日そばで彼の脚を揉み続けた。
「子どもはいらない」と彼が言えば、十度も子を堕ろした末、永遠に母となる資格を失っても、彼女はただ黙って受け入れた。
誰もが言った。レナードがオリヴィアほどの女性を妻にできたのは、前世からの幸運だと。
だが、彼が天寿を全うするその日まで、オリヴィアは知らなかった。
彼にとって自分は幸運などではなく、彼が本当に愛する妻・セシリアとその息子・サイモンと共に生きるための「お荷物」でしかなかったという真実を。
第1話
アードリア帝国にて。
「ありえないわ……私はレナードの妻よ?なぜ、夫の軍人遺族恩給を申請できないのですか?」
帝国軍籍管理局で、白髪のオリヴィア・アームストロングがレナード・アームストロングの遺骨を抱き、理解できないといった様子で職員に問い詰めている。
「オリヴィア様、軍人遺族恩給の受給権は直系の親族でなければ手続きできません。こちらのデータベースによりますと、貴女様は未登録となっておりますが」
オリヴィアは震える手で老眼鏡をかけ、職員のコンピューター画面を食い入るように見つめる。
職員は嘘を言っていない。彼女がレナードと共に過ごした五十年、婚姻状況は驚くべきことに未婚のままなのだ。
その衝撃的な事実から立ち直る前に、職員はさらに言葉を続ける。
「レナード様は五十年前、セシリア・アームストロング様という方と結婚されており、お二人の間にはサイモン・アームストロング様というお子様もいらっしゃいます」
「セシリア様は既にお亡くなりですが、サイモン様に依頼されれば、遺族恩給の受給は可能かと存じます」
セシリアとサイモン。その名を聞いた瞬間、オリヴィアは激しい耳鳴りに襲われる。
あの二人は、レナードの兄の未亡人と、その甥ではなかったか?それがどうして彼の妻と子になるというのか?
ならば、自分はいったい何?
これまでの年月、彼の世話をし、病気のセシリアの世話までしてきた自分は、いったい何だったというの?
家政婦か?
オリヴィアは呆然自失のまま、帝国軍籍管理局を後にした。
その道中、サイモンからの電話が鳴った。
「叔母さん、叔父さんは遺産をすべて俺に残したんだ。気にしないでくれるよね?
なにしろ、俺がアームストロング家の唯一の血筋だからな。まあ、叔父さんの遺言で、あんたにはアームストロング家の墓に入れてやるってさ。死んだら、彼と一緒に入れるよ。
長年、叔父さんと母さんの世話をしてくれたことには、感謝してる」
オリヴィアは思わず笑い声を漏らす。
五十年の献身が、死後に同じ墓に入る権利に変わっただけ。
レナードは死の間際まで、この「息子」のことばかり考えていた。仕事も年金もない彼女が、この先どう生きていくのか、少しも考えなかったというのか?
オリヴィアの心にあったレナードへの最後の情も、ついに消え失せる。
代わりに宿るのは、五十年間も騙され続けたことへの憎しみだけ。
幾度となく撫でてきた手の中の骨壺を、今すぐ叩き割ってやりたい衝動に駆られる……
しかし、神様はどこまで意地悪なのだろうか。彼女に晴らす機会さえ与えず、制御を失ったトラックが猛スピードで突っ込んでくる。
ドンという轟音と共に、オリヴィアの視界は目に焼き付くような赤に染まった。
周囲には人だかりができ、彼女を指差してひそひそと話しているのが感じられる。
「ああ、このお婆さん、知ってるよ。旦那さんに先立たれて、子供もいない。これも運命なのかねぇ!」
「そうだな。身寄りもいないんだし、旦那さんの後を追うのも幸せかもしれん。来世でまた結ばれるさ」
いや、いやだ!
オリヴィアの魂が、狂ったように首を振る。
もし本当に来世があるのなら、絶対にレナードとは二度と関わりを持つものか!
……
「オリヴィア、考えは決まったかね?
本当に夫の世話をするために、せっかく掴んだ材料科学研究院の仕事を、君自身の未来を諦めるというのか?
君は我が研究院で期待されている人材だぞ。それに、研究院にセントラル総合学院研修の枠があるのは知っているだろう。七日後には出発だ。
こんな機会は滅多にない。君を推薦しようと決めていたんだ。もう一度、よく考えてみてくれ!」
目の前で心を痛める材料科学研究院のブランソン院長を見つめ、オリヴィアはしばらくの間、呆然としている。
レナードが事故に遭い、自分が仕事を辞めたのは、帝国歴977年の出来事ではなかったか?
これは……まさか、生き返ったというの?
第2話
オリヴィアは即座に決断し、ブランソン院長の手を握る。
「院長、おっしゃる通りです。私は自分の未来を諦めるべきではありません!
この辞表は、提出しなかったことにしてください!」
ブランソン院長は安堵のため息をつき、彼女の肩をそっと叩く。
「分かってくれて良かった。
オリヴィア、君はうちの娘とさほど歳も変わらない。だから、でしゃばったことを言うようだが……どんな時も、男のためにキャリアを捨てるのは賢明な選択ではないのだよ」
オリヴィアは頷くが、心には苦い思いが広がっている。
前の人生では、この真理を悟るために一生を費やしてしまった。
だが幸いにも、この人生では二度と、アームストロング家の無情な者たちのために自分の愛と献身を無駄にしたりはしない。
テーブルのリストに目を落とし、オリヴィアは見覚えのある名前に気づく。
ブランソン院長はそれを見て、彼女に微笑みかける。
「ベックフォード家の若者は今や大物だ。帝国中央研究院からの有能学者だよ。君の先輩だったと記憶しているが、合っているかな?セントラルへ行けば、互いに助け合えるだろう。
そうだ、今から彼に連絡を取っておこう。出発の日、君たちは専用列車で一緒に行くといい」
オリヴィアは、学生時代から常に温和で優雅だった彼のことを思い出し、胸に微かな期待が膨らむ。
ユリアン・ベックフォード。確かに、ずいぶんと会っていない。
研究院から家に帰る途中、オリヴィアがドアを開けようとしたその時、中からセシリアの絹のように柔らかな声が聞こえてくる。
「レナード、昔、私とサイモンの世話をするために、私と籍を入れて、オリヴィアには偽の軍属家族登録証を渡してくれたわね。今度はあなたが怪我をして、私が仕事で世話もできないからって、わざと不安定な振りをしてオリヴィアを呼び戻そうとするなんて。
私のためにこんなにも尽くしてくれるなんて、本当に、どう感謝したらいいか分からないわ」
男の冷涼で低い声が響く。だが、その言葉は刃のようにオリヴィアの心を突き刺す。
「礼など要るものか、セシリア。俺たちは元々、幼馴染として育った仲だ。お前があの時、俺たち兄弟の中から兄貴を選んだからといって、俺たちの間の情が消えたわけじゃない。
兄貴が逝った今、お前たち母子を世話するのは当然のことだ。アームストロング家の財産も、いずれはサイモンに残す。
オリヴィアについては……知っての通り、オリヴィアを愛している。だから、申し訳ないとは思っている。だが、彼女は満ち足りることを知る女だ。そんな見せかけの名など気にしない。百年後、俺の隣に葬ってやれば、それが償いになる」
セシリアの声が再び響く。
「でも、そんなことをして、オリヴィアに知られたらあなたから離れてしまうのではなくて?」
レナードは軽く笑い、自信に満ちた口調で言う。
「ありえないさ。昔からあっけらかんとしていて、細かいことは気にしない。俺たちが言わなければ、オリヴィアが知るはずもない。それに、万が一知られたとしても、あれほど俺を愛している彼女が、俺から離れられるわけがないだろう。
俺のそばにいる時間をお前に、俺の愛をオリヴィアに。それで公平ではないか?」
ドアノブを握るオリヴィアの指が、きつく握りしめられる。
レナードはあまりに恥知らずで、自信過剰だ。
愛ゆえにすべての屈辱に耐えるとでも思っているのか。
残念ながら、ここにいるのはもう、彼を骨の髄まで愛していた前の人生のオリヴィアではない。
涙を拭い、オリヴィアはドアを開けて中に入る。
部屋の中の会話が、ぴたりと止む。
剣のような眉を持つ軍服の男が、車椅子に座っている。彼の唇は微かに赤みを帯びていた。
二人が直前まで何をしていたかなど、問うまでもない。
レナードの目に一瞬の動揺が走るが、すぐにそれを隠し、ここ数日と同じ苛立った表情を作る。
「こんなに遅く帰ってくるとは。飢え死にさせるつもりか?」
事故に遭って以来、彼の性格はどこか気まぐれで不安定になり、かつての優しさは影を潜めていた。
もし先ほどのセシリアとの会話を聞いていなければ、オリヴィアは、それも彼の演技だとは知る由もなかっただろう。
彼女に同情させ、仕事を辞めさせて、この家で文句も言わずに働く家政婦にするための演技なのだ!
オリヴィアの顔色が優れないことに気づいたのか、傍らのセシリアがすかさず善人ぶって口を挟む。
「まあ、レナード。オリヴィアはもう、仕事を辞めてあなたの世話をするつもりなのでしょう?きっと、帰り道で何か用事があったのよ」
先ほどまで氷山のように冷徹だったレナードの表情が、途端に和らぐ。
「大丈夫だ。少し窘めただけ、あまりに目に余るからな。
お前は胃が弱いし、サイモンもまだ小さい。オリヴィアが帰るまで空腹のまま、待たせるわけにはいかないだろう?」
セシリアは咎めるように彼の車椅子を軽く叩く。
「そんなに大げさなことでは……きゃっ!」
彼女が悲鳴を上げると、レナードは車椅子から立ち上がりかねない勢いで慌てる。
「セシリア、どうしたんだ?」
「たいしたことじゃないの。木のささくれが刺さっただけよ」
だがレナードは安心せず、セシリアの手を取って部屋へ向かおうとする。
「女の手は最も大切なものだ。たいしたことないわけがないだろう?上で薬を塗ろう!」
二人はまるで誰もいないかのように振る舞い、その雰囲気はどこまでも親密だ。
オリヴィアの、もう波立つことはないと思っていた心が、それでもチクリと痛む。
女の手が大切だと言う。だが、自分がかつて、洗濯でできた霜焼けが痛いからと、軍用特製軟膏が欲しいと何度も言った。
レナードはそれを買ったが、結局セシリアに渡してしまった。
「セシリアの仕事は特別だ。お前よりこれが必要だろう」と、返事した。
その時のオリヴィアには、なぜ学校教師であるセシリアが、ラボで精密試験を行う自分よりも軍用特製軟膏を必要とするのか、どうしても理解できなかった。結局、未亡人である義姉への彼の配慮なのだと結論づけるしかなかった。
今なら分かる。
女の手が大切なのではない。セシリアの手が大切だった。
ただ、オリヴィアを気にかけず、セシリアを気にかけた。それだけのことだ。
幸い、あと七日もすれば、彼女は専用列車に乗り、帝国と連邦を分かつ中立地帯、その中心都市セントラルへと発つ。この汚らわしく、乱れたアームストロング家の関係から遠く離れ、二度と会うこともないだろう。
第3話
オリヴィアは黙って夕食の支度を終える。
彼女の料理の腕は良い。料理の匂いを嗅ぎつけたサイモンが、部屋から駆け出してくる。オリヴィアが熱い海鮮スープを運んでくるのを見て、その小さな顔に悪意に満ちた笑みを浮かべた。
男の子は足を伸ばし、オリヴィアを転ばせる。そして、彼女の身体に海鮮スープがこぼれ、その熱さに思わず苦痛の声を上げた。
だがその声は、次の瞬間、サイモンの泣き声にかき消される。
「叔母さん!僕が嫌いなのは知ってるけど、わざと熱いスープをかけるなんてひどいよ!
うわーん、ママ、痛いよ!」
泣き声を聞きつけたセシリアとレナードが、急いで駆け寄ってくる。
セシリアはサイモンを胸に抱きしめ、目に涙を溜める。
「オリヴィア、仕事を辞めることで私に不満があるなら、私にぶつけてちょうだい。サイモンをいじめるのはやめて!」
オリヴィアが弁明しようとしたその時、レナードに激しく突き飛ばされる。
彼女はよろめき、腰をそばの棚に打ち付け、痛みで身を起こすこともままならない。
レナードはこちらの苦痛に目もくれず、嫌悪感を露わに言い放つ。
「オリヴィア、サイモンはまだ子供だぞ。それに、兄貴のたった一人の息子なんだ!なんて悪辣な女だ!」
オリヴィアは顔を上げ、サイモンの腕にある、爪の先ほどの赤みと、自分の腕一面にできた水ぶくれを見比べ、ただ皮肉に思う。
ほんの小さな傷で、よくもこれほど大げさな非難ができるものだ。
だが、そのほんの小さな傷を、レナードはひどく心配し、病院へ行くと言って大騒ぎを始める。
去り際に、レナードの腕に抱かれたサイモンが、オリヴィアに向かってあっかんべーをした。
オリヴィアは彼の表情を見て、ふと、サイモンが高熱を出した時のことを思い出す。
セシリアはどこかへ出かけており、レナードは軍で任務中。彼女が仕事から帰ると、サイモンは熱で朦朧としていた。
最終の路面電車はもうなく、病院へ向かう車も見つからない。オリヴィアはよろけながらサイモンを背負って走り、病院で二日間、彼の点滴に付き添った。
本当に、サイモンを自分の子供のように可愛がっていた。
前の人生で自分の子供を持たなかったオリヴィアは、その分、全力でサイモンを支えた。
両親が遺した財産も、自分では使わずに、サイモンのために車を買い、家を買った。
その結果が、これだ。
死ぬ間際の、あの自慢げな電話。そして、目の前の子供の悪意に満ちた挑発。オリヴィアは心の底から、自分のしたことが無価値だったと感じる。
真心が報われることなどないと、オリヴィアは悟る。サイモンはまだ幼いというのに、その魂はねじ曲がってしまっている。あんな愚かな祈りを、二度と捧げはしない。
彼女は部屋に戻り、自分で傷の手当てをする。
腕の水ぶくれは恐ろしいほど大きい。オリヴィアは歯を食いしばり、火で炙った針でそれを突き破り、薬の粉を振りかけるが、それでも激しい痛みが走る。
気を紛らわせるため、オリヴィアは荷造りを始める。
しばらくして、彼女がまとめることができたのは、小さな荷物一つだけ。
考えてみれば笑えてくる。レナードと共に過ごした年月で、オリヴィアが持っているのは、数着の服と数足の靴だけなのだ。
数少ない装飾品は、亡くなった両親の形見だけだ。
アームストロング家の暮らし向きは悪くない。両親も退役の帝国軍人であり、レナード自身もかつては軍事情報総局の大尉を務め、月の手当は数千帝国マルクにもなった。
だが、計算してみると、彼女はこれまでレナードから一銭も受け取ったことがない。それどころか、自分の給料で家計を支え、自分のために金を使うことさえ惜しんできた。
一方で、学校教師として月の給料が数百帝国マルクのセシリアは、金のネックレスも金のペンダントも、一つも欠かさず身につけている。
改めてレナードの偏愛を思い知り、オリヴィアは心に細い棘が突き刺さるような痛みを感じる。
彼女は荷造りを続け、ついに引き出しの奥から、かつて大切にしまっていた二人の婚姻を証明できる軍属家族登録証を見つけ出す。
レナードがその登録証を持ち帰った日、その顔が罪悪感に満ちていたのを、彼女はまだ覚えている。
「兄貴が亡くなって間もない。俺たちの結婚式を盛大に挙げることはできない。すまない、オリヴィア」
「これからは、お前がこのアームストロング家の女主人だ。必ず、お前を大切にする」
今思えば、彼が本当に申し訳なく思っていたのは、式を挙げられないことだったのだろうか?
ただ短い二言は、どちらも偽りだった。
自分の一生を騙し、あまりに惨めな思いをさせた。
オリヴィアは涙をこらえ、紙くず同然の偽の軍属家族登録証を、粉々に引き裂いた。
第4話
レナードが母子を連れて病院から戻った時、オリヴィアはすでに床に就いていた。
だが、腕の傷がひどく痛み、眠りは浅い。
レナードがドアを開けた途端、彼女は目を覚ます。
男が車椅子で近づいてくる音を聞き、オリヴィアの心は乱れる。
今の彼女には、レナードへの嫌悪感がある。
彼と同じベッドで眠ることを考えると、吐き気さえ催すほどだ。
幸い、レナードは途中で足を止めた。
ドアの外から、セシリアが彼を呼ぶか細い声が聞こえたからだ。
「レナード、サイモンが悪夢を見ているみたい」
その一言で、レナードはためらうことなく踵を返す。
部屋は再び静寂に包まれるが、しばらくして、隣室から奇妙な音が聞こえ始める。
聞きたくないのに、夜の静けさの中で、オリヴィアの耳は嫌でもその音を拾ってしまう。女の途切れ途切れの甘い声と、男の荒い息遣い。
「レナード、もっと静かにして。オリヴィアに気づかれてしまうわ!」
「なら、お前が声を抑えればいいだろう、義姉さん。オリヴィアが隣にいる方が、お前も興奮するのではないか?」
「いやだわ、こんな時に義姉さんなんて呼ばないで、あなた」
「ほう?では『我が妻』と呼んでほしい?お前は本当にタチが悪い女だな」
「あら、そう言ったのはあなたでしょう?オリヴィアはベッドの中じゃ死んだ魚みたいで、つまらないって。どうなの、こういう私は嫌いかしら?」
「嫌いなわけがないだろう。俺のセシリアが一番好きだぞ」
二人の露骨な会話が、絶えずオリヴィアの耳に流れ込んでくる。
壁一枚隔てた自分が、まさか二人の戯れの道具にされているとは。しかも、話の内容からして、これが初めてではないようだ。
オリヴィアは、セシリアのことはただの世話だと言い張っていたレナードの言葉を思い出し、ただ滑稽に思う。
兄の未亡人の世話、それもベッドの上までするとは。本当に、兄の亡霊が夜中に枕元に立つのが怖くないのだろうか!
一体、幾夜、彼らはサイモンを口実に情事を重ねてきたのか。オリヴィアは突然、胃がひっくり返るような感覚に襲われ、トイレに駆け込んで吐いた。
その音を聞きつけ、レナードがすぐにセシリアの部屋から出てくる。
その目にはまだ情欲の残り火が揺らめいているが、口調は心配そうだ。
「オリヴィア、大丈夫か?
夜、何も食べなかったから、空腹で胃が痛むのか?」
彼は近づき、オリヴィアの背中を優しく叩く。
まるで、先ほどサイモンのために彼女を突き飛ばし、隣室でセシリアと体を重ねていたのが、彼ではないかのように。
レナードはいつもこうだ。
平手打ちをした後には、甘い言葉を囁く。
オリヴィアを何度も傷つけながら、それでも自分は愛されているのだと錯覚させる。
だが今の彼女には、ただ吐き気がこみ上げるだけだ。胆汁まで吐き出してしまいそうだ。
胃は空っぽになり、下腹部にもどこか痛みが走り始める。
オリヴィアは立ち上がり、レナードから距離を取ろうとするが、身を起こした途端、目の前が真っ暗になる。
意識を失う直前、彼女の名を叫ぶレナードの焦った声だけが聞こえた。
「オリヴィア、しっかりしろ!」
第5話
再び目覚めた時、オリヴィアは病院にいた。
消毒液の匂いが鼻をつく。目を開ける前に、わざとらしく声を潜めたセシリアの声が聞こえてきた。
「レナード、サイモンは彼女が妊娠したと知って何度も泣いたけれど、それでもあなた自身の子供なのだから、私たちのことばかり考えなくてもいいのよ」
その、相手を立てるようでいて自分に有利な状況を作る言い回しは、セシリアの得意とするところだ。
レナードの口調は、きっぱりとしていた。
「いや、この子供は産ませるわけにはいかない。
オリヴィアは、子供に障害があると嘘をついて堕胎させるつもりだ。サイモンは不安を感じやすい子だ。あの子を悲しませることはできない」
彼はセシリアをなだめると、こちらに振り向き、オリヴィアと視線が合った。
レナードの顔に、一瞬の動揺がよぎる。
「オリヴィア……目が覚めたのか?いつからだ、なぜ声をかけない?」
オリヴィアが口を開く。声は少し掠れていた。
「たった今よ」
「では、医者の話は聞こえたか?」
レナードの探るような問いに、オリヴィアは皮肉に唇の端を吊り上げる。
「聞こえなかったわ。先ほどは、あなた一人しかいなかったのではないの?」
彼女の言葉を聞き、レナードは安堵のため息をつき、ためらいがちに口を開く。
「オリヴィア、お前は妊娠している。もう二ヶ月だ。
だが、医者によると、子供の発育があまり良くないらしい。堕胎した方がいいとのことだが、同意してくれるか?」
レナードの心は、罪悪感で少し痛む。
オリヴィアが、自分たちの子供をどれほど待ち望んでいたか、彼は知っていたからだ。
だが、サイモンのためには、こうするしかなかった。
オリヴィアが子供を惜しむだろうと予想し、彼はすでに偽造した検査結果を用意していた。
だが、それを取り出す前に、ベッドの上のオリヴィアが低い声で「ええ」と応じた。
レナードは自分の耳を疑う。
「何と言った?」
オリヴィアは静かに繰り返す。
「ええ、と言ったの。その子を堕ろしましょう」
こんな愛のない家に生まれ落ちるなど、この子にとっては不幸でしかない。
レナードは、サイモンの財産を奪う子供を産んでほしくない。そして彼女もまた、自分の子供に、父親の愛を誰かと奪い合わせるような真似はさせたくない。
その愛は本来、すべて自分の子供のものであるべきなのだから。
それが叶わないのなら、最初からいない方がいい。
レナードは、あまりにあっさりと決断したオリヴィアを見て、胸が詰まるような思いがする。
なぜかは分からないが、彼女の何かが変わってしまったような気がする。
だが、具体的に何が変わったのかは分からず、自分の考えすぎだと自らを慰めるしかない。
これほど従順な彼女に対し、喜ぶべきことではないか。
オリヴィアは中絶手術を受ける。
生まれ変わってからは、初めての痛み。けれど、前世から数えれば、これが十一回目の別れ。
体の中から温かいものが流れ出すのを感じた時、オリヴィアはやはり、こらえきれずに目を赤くした。
そばのレナードが彼女の手を握り、慰める。
「悲しむな、オリヴィア。俺たちにはまた子供ができる」
だが、それがただの嘘であることは、二人とも分かっていた。
もう、二度と。
オリヴィアは応じず、レナードも何を言えばいいか分からない。
二人の間の空気は、どこか気まずい。
だが、考えてみれば、これほど静かな時間は久しぶりだった。
セシリアとサイモンがこの家に住み始めてから、オリヴィアはまるで別人のように、些細なことにこだわり、理不尽なことばかり言うようになった。
今、青白い顔のオリヴィアを見ていると、レナードの心は珍しく和んでいた。
何かを言おうとした。「これからはお前を大切にする、考えすぎるな」と伝えようとしたその時、病室のドアが開けられる。
セシリアがバスケットを手に、笑みを浮かべて入ってきた。
「オリヴィアは大変だったわね。将校クラブで食事を買ってきたの。しっかり栄養を摂ってね」
編み込みのバスケットが開けられると、中には油の浮いた牛肉の煮込み、豚すね肉の香草焼き、そしてエビまで入っている。
オリヴィアは一目見ただけで、胃がむかむかするのを感じた。
だがレナードはほっとした様子で、ためらうことなくそれを受け取り、オリヴィアの前に置く。
「セシリア、これを準備するのが大変だっただろう。オリヴィアが以前あれほど騒いだのに、まだこいつのことを気にかけてくれるとは。本当に、感謝する」
そう言うと、彼はオリヴィアに目配せをする。
オリヴィアは、それを見て見ぬふりをする。
レナードの意図は分かっている。「セシリアがこうして歩み寄っているのだから、お前もこの機に彼女に謝罪しろ」ということだろう。
だが、なぜ?
自分は何も間違っていない。汚らわしいことをしたのは、彼であり、彼らなのだ!
オリヴィアが口を開かないでいると、セシリアがその流れに乗る。
「ええ、あそこで長いこと並んでいたから、足が攣ってしまったわ」
彼女はそう言いながら、何気ない様子でワンピースの裾をまくり上げる。
レナードの視線が、セシリアのワンピースの下から覗く、滑らかなふくらはぎに注がれ、その眼差しが暗く翳る。
「オリヴィア、先に食べていてくれ。セシリアを理学療法士のところへ連れて行って、足を診てもらう。彼女がこうなったのは、お前のために無理をしたせいなのだから」
オリヴィアは彼を見つめる。
前の人生と今の人生を合わせれば、五十余年も共に過ごした彼女には、今のレナードの状態がよく分かる。
妻が流産して病院にいるというのに、この男は情欲をかき立てられている——セシリアに対して。
第6話
だが、オリヴィアはただ静かに口を開くだけだ。
「ええ、行ってきてちょうだい」
その後の二日間も、同じことの繰り返し。
セシリアが食事を届けに来ては、どこかが痛いと言い、レナードが彼女を連れて「治療」に出かけていく。
持ってくるものを、オリヴィアが全く食べられないでいることなど、彼は少しも気にかけていない。
病院に三日間入院し、オリヴィアはすっかり痩せこけてしまった。
看護師でさえ、彼女に同情的な視線を向けるほどだ。
だがオリヴィアはただ淡く微笑むだけで、少しも心を痛めてはいない。
おそらく、感覚が麻痺してしまったのだろう。今では、たとえレナードとセシリアが睦み合うのを目の当たりにしても、心はもはや微動だにしない。
しかし、彼女がここまで譲歩し、あと少しでここを去れると思っていたにもかかわらず、まだ自分を目の敵にする者がいるとは、思いもよらなかった。
病院から戻ると、まとめておいたはずの荷物が、誰かに荒らされた形跡がある。
オリヴィアは嫌な予感を覚え、中を確かめると、一番奥に隠しておいたエメラルドのペンダントがなくなっていることに気づく。
彼女の母と父は、深く愛し合っていた。父は若くして帝国のために命を捧げ、母は一人で半生を過ごした。
このエメラルドのペンダントは、父が母に贈った愛の証であり、母にとって唯一の形見だ。
母は臨終の際、そのペンダントをレナードに渡し、彼の手で娘にかけさせ、一生オリヴィアを大切にすると約束させた。
レナードはその場で誓った。
「もし私がオリヴィアをないがしろにするようなことがあれば、すべての者に見放され、家が滅びるだろう!」
オリヴィアは慌てて彼の口を塞いだ。
その時は、本当にレナードを信じていた。
彼が最初からずっと自分を騙していたと知って初めて、彼女はこのペンダントを外した。
だが今、そのペンダントはどこへ?
オリヴィアは慌てて探し回り、家の中をひっくり返す勢いで探した。
そして、庭で仲間たちと遊んでいたサイモンの姿が目に入る。彼がその手に無造作にぶら下げているのは、まさしく自分のエメラルドのペンダントだ!
オリヴィアの心臓が、跳ね上がる。
「サイモン、そのペンダントを返しなさい!」
しかしサイモンは振り返り、彼女に向かってあっかんべーをする。
「このペンダント、ママは持ってないもん。なんであんたにあげなきゃいけないんだ!
壊してやる!あんたなんかにかけさせてやるもんか!」
男の子はペンダントを地面に投げつける。
パリンという音と共に、ペンダントはいくつかの破片に砕け散る。サイモンはそれでも気が済まず、その破片を足で踏みつけた。
「壊れたペンダントだ、ほら、返してやるよ。自分で拾えよな!」
オリヴィアの頭の中で、理性の糸がぷつりと切れた。
彼女は駆け寄り、サイモンの得意げな顔に、平手打ちを食らわせる。
サイモンは地面に倒れ、すぐに大声で泣き出した。
「悪い女が僕をいじめる!パパに言って、あんたを追い出してもらうんだから!」
「オリヴィア、またサイモンをいじめているのか!」
ペンダントの破片を拾い上げたオリヴィアは、激昂したレナードに平手で殴られ、地面に倒される。
鋭い破片が彼女の掌に突き刺さり、鮮血が溢れ出す。
レナードはそれに目もくれず、車椅子でサイモンのもとへ行き、彼を腕に抱いて優しく慰める。
「サイモン、叔母さんが悪かったな。彼女に謝らせよう」
オリヴィアはもちろん、承知しない。
「先に私のペンダントを壊したのはサイモンよ。あのペンダントが母の……」
レナードは苛立たしげにその言葉を遮る。
「お前の母親はもう死んだだろう!ただの壊れたペンダントじゃないか。また買えば済むことだ!」
オリヴィアは二、三歩後ずさり、その体は崩れ落ちそうだ。
レナードも自分の言葉が重すぎたと気づき、目に一瞬の罪悪感がよぎる。
だが、そのわずかな罪悪感も、セシリアの涙を見た瞬間に消え失せる。
「レナード、私とサイモンは、やはりここを出て行った方がいいのかもしれないわ。私一人でも、サイモンの世話はできるはず。あなたたちの仲を邪魔するわけにはいかないもの」
健気に耐えながらも、自分たちのことを考えてくれるセシリアと、頑ななオリヴィアを見比べ、レナードの心はすぐに傾く。
彼は失望に満ちた顔で言う。
「オリヴィア、もう一度だけ聞く。本当にサイモンに謝らないのか?」
「間違っていないわ。なぜ謝らなければならないの?」
「そうか、分かった。今のお前は、ますます理不尽になっていくな。ならば、俺を恨むなよ!」
レナードは怒りで笑い、すぐさま軍事情報総局の部下に連絡を取る。
「オリヴィアが西の方と内通して、国家機密を売り渡している疑いがある。連行して、厳しく尋問しろ!」
彼が証拠として突きつけたのは、なんと、ブランソン院長が手配してくれたセントラル総合学院の指導教授から送られてきた、学術用語で書かれた手紙だ!
第7話
オリヴィアの全身が氷水に浸されたかのように、頭のてっぺんから爪先まで冷え切っている。
時代は以前とは違い、中立地帯のセントラルとの関係は随分緩和になっている。
だが、大陸西側の連邦との繋がりを疑われれば、厳しい尋問を免れることはできない。
レナード自身も軍事情報総局で尋問を受ける者たちを見てきたし、その悲惨な様を彼女に語って聞かせたことさえあった。
だが今、サイモンとセシリアの肩を持つために、自らの手で自分をその場所へ送ろうとしている。
オリヴィアは兵士に連行されていく。去り際に、レナードが彼女に近づき、数言囁いた。
「留学の手紙などを偽造して気を引こうなどという小細工で、お前ごときのためにセシリアとサイモンを追い出すとでも思ったか?これで少しは懲りるだろう。くだらん悪知恵は働かせるな!」
もし彼が少しでも顔を下げて見ていたなら、その酷薄な言葉を放った時、オリヴィアの中にあった彼への最後の期待が、完全に消え去ったことに気づいただろう。
しかし、彼は見なかった。
幾度となく彼女を見捨ててきた。今更、一度増えたところで気にも留めない。
オリヴィアは抵抗しようとも思わず、また、抵抗する力もない。
彼女は真っ暗な尋問室に閉じ込められる。陰鬱で冷たい空気に、鳥肌が次々と立つ。
尋問するのは、まさしくレナードの部下・フレッド軍曹である。
男は侮蔑の眼差しを向け、手に持った鞭を、容赦なくオリヴィアめがけて振り下ろす!
パシッ!
パシッ!
塩水に浸された鞭が、一打、また一打と、彼女の体に深い血の痕を刻んでいく。
オリヴィアはこらえきれずに悲鳴を上げ、冷たい声で問い詰める。
「これが正規の尋問だとでも言うのですか?これは単なる暴力に過ぎない!」
彼女の悲鳴と詰問は、フレッドの憐憫の情を少しも呼び起こさず、むしろ、さらに強く鞭打たせるだけだ。
「アームストロング大尉は清廉潔白なお方だ。帝国のために、その身を永遠に車椅子に捧げられた!それなのに貴様は西側と内通するとは、大尉の恥さらしめが!
大尉からは、貴様に灸を据えてやれと特別のご命令を受けている。何かあっても、責任は大尉が取ってくださるそうだ。オリヴィア・シェフィールド、素直に白状することだな。この手紙には、一体何が書かれている?」
それほどまでに、愛しているというのか?
レナードは、セシリアとサイモンをそれほどまでに愛し、彼らのために、自分にこのような苦しみを与えるというのか?
オリヴィアは痛みで意識が朦朧としながらも、口を開こうとする。だが、男は再び冷笑を浮かべた。
「まあいい。どうせ貴様は言い逃れをするだろう。まずは打て。こいつを連れて行け、徹底的に打て!」
彼が手を振ると、すぐに二人の男が現れ、オリヴィアを引きずっていく。
四日間。この悪夢は、丸四日間も続いた。
体に何百発の鞭を受けたか分からず、指は何度も万力で締め上げられ、青紫色に変色している。
オリヴィアが意識を失うたびに、塩水の桶が頭から浴びせられ、無理やり意識を引き戻される。
彼女の体には、もはや無事な場所などどこにもない。皮膚のあらゆる部分が、死ぬほどに痛む。
オリヴィアは、自分は本当にここで死ぬのかもしれないとさえ、思い始めていた。
その時、尋問室のドアが開けられ、セシリアが車椅子のレナードを押して現れる。
レナードは、縛り付けられた彼女を見下ろし、その目に一瞬の憐れみを浮かべた。
「オリヴィア、四日経った。過ちを認める気になったか?
セシリアは心が広い。お前が以前、あの母子を邪険に扱ったことも、もう水に流すと言っている。きちんと謝罪さえすれば、家へ連れて帰ってやる」
オリヴィアの心はとうに死んでいた。だが、この言葉を聞いて、思わず嘲笑が漏れる。
「ええ、そうね。ごめんなさい。
セシリアとサイモンに不満を抱くべきではなかったわ。あなたが彼女たちに献身するのを邪魔するべきでもなかった。そもそも、私がアームストロング家に現れて、あなたたち家族三人の邪魔をすべきではなかったのよ。これで、満足?」
レナードは向こうの真っ赤な目を見て、心に突然、動揺が走る。
「オリヴィア、そういう意味ではない!
セシリアとは何もない。ただ、亡き兄に、必ず母子をしっかり世話すると約束しただけだ。お前も知っているだろう?なぜ、少しも理解しようとしないんだ?」
セシリアも、それに乗じて火に油を注ぐ。
「やはりオリヴィアは、私たちの関係を誤解していたのね。レナード、これからは私とサイモンは、もう二人の前に現れない方がいいのかもしれないわ」
レナードは考える間もなく拒絶する。
「駄目だ!それは二度目だぞ、セシリア。二度とそんなことは言わないでほしい。お前とサイモンがいなくなったら、俺は兄貴にどう顔向けすればいい?」
レナードは、失望に満ちた眼差しでオリヴィアを見る。
「オリヴィア、あまりに物分かりが悪すぎる。ここで、しっかり反省するんだな!」
彼は車椅子を返し、怒りに任せて去っていく。
セシリアは、すぐには彼を追わなかった。
オリヴィアの前に歩み寄り、無造作にその顎を持ち上げる。
「見たかしら。私が少し知恵を働かせれば、レナードはあなたの言うことなど、何も聞きはしないのよ」
彼女はそう言うと、自分のお腹を撫で、挑発的で得意げな表情を浮かべる。
「まだ知らないでしょうけど、オリヴィア。私、レナードの子供を身ごもったのよ」
第8話
オリヴィアははっと顔を上げ、喉から絞り出すように一言問う。
「……何か月?」
セシリアは微笑む。
「三ヶ月よ」
三ヶ月。彼女が守れなかった子供よりも、一ヶ月大きい。
オリヴィアは思い出す。あの頃、レナードは任務中だと言っていたはずだ。
どうやら、彼はセシリアを自分のそばに呼び寄せ、それはそれは「手厚く」世話をしていたらしい。
自分とセシリアは何もない、よくもまあ、恥ずかしげもなく言えたものだ。彼女の疑り深さを責められるものか。
オリヴィアは、再び吐き気を催す。
だが、こみ上げるものを必死にこらえ、セシリアの前で弱みを見せまいとする。
セシリアが彼女を見逃すはずもない。
手を叩くと、ごろつき風の男たちが数人、現れる。
「あの有名な天才研究者オリヴィア・シェフィールドよ。みんな知ってるでしょ。今や、西側の連邦と内通した罪人だけどね。
あんたたちにくれてやるわ。ただし、殺しはしないでちょうだい」
フレッド軍曹は、さすがにやりすぎだと感じたのか、少し躊躇する。
だが、セシリアの一言が、彼の足を止めさせた。
彼女は笑って言う。
「これもレナードの意思よ。彼女の性根を叩き直して、二度と帝国を裏切る気など起こさせないためにね」
オリヴィアは怒りに声を張り上げる。
「違う!私はやっていない!もともと、あなたたちの捏造じゃない!レナードを呼んできて!彼と直接対決してやる!」
「強がっても無駄よ、オリヴィア。レナードは助けたりしないわ。彼はもう、私とサイモンを連れてシエル諸島へ遊びに行くと約束してくれたもの。あなたは、ここで存分に楽しむことね」
セシリアは悪意に満ちた口調で言い放ち、尋問室のドアを乱暴に閉めた。
ごろつき風の男たちが、じりじりと近づいてくる。彼らの体から放たれる不快な匂いが、鼻をつく。
ざらついた手が、彼女の太腿、腕、そしてさらに秘められた場所に伸びてくる。
オリヴィアは目を閉じ、その目尻から絶望の涙が流れ落ちる。
後悔している。心の底から。
なぜ、あの時レナードの嘘に惑わされてしまったのか。なぜ、あのような男と一緒になってしまったのか。
生き返った後、もっと早く、あのめちゃくちゃなアームストロング家から離れるべきだった。そうすれば、こんな結末を迎えることもなかったのに。
オリヴィアは、自らの舌を噛む。
こんな屈辱を受けるくらいなら、死んだ方がましだ!
口の中に血の味が広がる。だが、次の瞬間、尋問室のドアが蹴破られる。
ブランソン院長が慌てて駆け込み、オリヴィアの悲惨な姿を見て、その目を赤くした。
「オリヴィアは我が材料科学研究院の研究者だ!証拠もなしに、なぜ私刑などという蛮行が許される!」
尋問担当の男は、むっとした表情で言い返す。
「アームストロング大尉自ら、彼女はスパイだとおっしゃり、証拠の外国語の手紙まで提出されたのだ。間違いなどあるものか!」
ブランソン院長は怒りで笑い出しそうになる。上から下りた文書を、男の体に叩きつけた。
「それは国費留学の指導教授からの手紙だ!まさか、内容の確認もせず尋問しているとでも言うのか!
これは尋問などではない、ただの私刑だ!レナード大尉の私情に付き合い、こんな無法な真似を……!この越権行為、必ず然るべき筋に報告する。覚悟しておきたまえ!」
ブランソン院長は息も絶え絶えのオリヴィアを連れて、その場を去る。もはや、誰も二人を止めようとはしなかった。
オリヴィアはか細い息で、しかし、ひときわ強い意志を込めて言う。
「院長、お願いです。今すぐ、私を送り出してください」
「しかし、その傷は……荷物もどうするのだ?」
オリヴィアは自分の無様な姿を一瞥し、力なく笑う。
「大丈夫です。今はただ、ここを離れたいのです。一刻も早く」
傷は手当てすればいい。物はまた買える。
母の形見はもう壊されてしまった。この場所に、もはや未練など何一つ思いつかない。
ブランソン院長は彼女の意志に折れ、自ら専用列車まで送っていく。
去り際に、血の気のない青白い顔のオリヴィアを見て、心中で嘆く。
自分が手ずから育て上げたこの若き研究者は、レナードと一緒になったこのわずか数年で、鮮やかな薔薇から枯れた花へと変わり果ててしまった。
「オリヴィア、離婚の手続きは、手伝おうか?」
オリヴィアは首を横に振る。そして、ブランソン院長の歯がゆそうな視線の中で、ゆっくりと口を開いた。
「最初から、結婚などしていません。離婚の必要もないのです。
私とレナードの間には、もう、何の関係もありません」
その短い言葉には、前世と今生、五十余年にもわたる辛さと苦しみが込められていた。
彼女はブランソン院長に手を振って別れを告げ、ずっと懐に抱いていたエメラルドのペンダントの破片を、故郷の土に埋める。
これより先、道は遥か。
レナード・アームストロング、あなたとは二度と会うことはない。