希望を胸に、過去にはもう戻らない

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希望を胸に、過去にはもう戻らない

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久我祐真(くが ゆうま)を本物のお嬢様に奪われたあの日、私は自分が妊娠していることに気づいた。 八か月のあいだ、彼は宝生瑠奈(ほうしょ...

Chương (1)

第1章

久我祐真(くが ゆうま)を本物のお嬢様に奪われたあの日、私は自分が妊娠していることに気づいた。 八か月のあいだ、彼は宝生瑠奈(ほうしょう るな)のために盛大な結婚式を準備し、私は難産の末に大量出血しながら和希(かずき)を産んだ。 その後、ニュース速報が流れた―― 【久我家の御曹司・祐真が深夜に危険運転。宝生瑠奈は重傷、そして彼自身は生涯にわたって生殖機能を失った!】 私は彼に和希を奪われるのが怖くて、びくびくしながら五年間身を隠していた。 そして祐真の母の還暦の祝いの日、私は臨時でウェイターとして駆り出されることになってしまった。休憩室にいた和希がうっかり外へ飛び出してしまい、そのまま正面から祐真の母にぶつかった。 会場は一瞬にして、しんと静まり返った。 その顔は、まるで幼いころの祐真をそのまま写し取ったようだった! 祐真は人混みをかき分けて駆け寄り、かすれた声で叫ぶ。 「坊や、君は誰の子なんだ?」 和希は驚いてしまい、今にも泣き出しそうな声で訴えた。 「ママ……ママが見つからないの」 「ママの名前は神崎凛花(かんざき りんか)だよ」 第1話 久我祐真(くが ゆうま)を本物のお嬢様に奪われたあの日、私は自分が妊娠していることに気づいた。 八か月のあいだ、彼は宝生瑠奈(ほうしょう るな)のために盛大な結婚式を準備し、私は難産の末に大量出血しながら和希(かずき)を産んだ。 その後、ニュース速報が流れた―― 【久我家の御曹司・祐真が深夜に危険運転。宝生瑠奈は重傷、そして彼自身は生涯にわたって生殖機能を失った!】 私は彼に和希を奪われるのが怖くて、びくびくしながら五年間身を隠していた。 そして祐真の母の還暦の祝いの日、私は臨時でウェイターとして駆り出されることになってしまった…… …… コンコンコン。 チームリーダーの鈴木が私の机を軽く叩いた。 「神崎、ホテルのほうが人手不足なの。今夜だけウェイターの応援に行ってきて。給料は三倍よ」 私は少しためらった。 祐真の母の六十歳の誕生日。こういう場なら、昔の知り合いに鉢合わせするかもしれない。それに夜、和希を家にひとり置いていくのも、どうしても心配だった。 「鈴木さん、夜は子どもについていないと……」 鈴木の口調はいら立っていた。 「ご両親のところに預けるなり、近所に頼むなり、どうしようもなければ休憩室にでも置いておけばいいでしょ。その程度のことも段取りできないの?」 隣の席のほうから、鼻で笑う声がした。 佐藤結衣(さとう ゆい)だ。普段からいちばん人の噂話が好きな女だ。 「あら、三倍の給料ですよ?私なら喜んで行くのに! 鈴木さん、これって神崎に気を遣ってあげてるんですよね?だって彼女、シングルマザーですもん。どこの誰の子かも分からない子ども抱えて、お金のかかることも多いでしょうし」 結衣の言い方はひどかったけれど、事実ではあった。 寒くなってきたし、和希はどんどん大きくなる。あの子に少しでもいい服を買ってあげたかった。 どうせホテルの外回りの手伝いだ。会場の中には入らない。 私はうなずいて引き受けた。 「ありがとうございます、行きます」 「よし、今すぐ着替えてきて。夕方六時、ホテルの裏口集合。遅れないでよ!」 立ち上がって更衣室へ向かう途中、結衣のデスクの前を通りかかった。 彼女はわざと聞こえるような声で言った。 「何気取ってんのよ。デキ婚どころか未婚で妊娠しておいて、何を清純ぶってるんだか。子どもの父親が誰かも分からないくせに、昔、男に孕まされた挙げ句、捨てられたんじゃないの?どこの馬の骨とも知れない子でしょ」 くすっ、と。 斜め向かいの同僚が口元を押さえて笑い、そばの若いインターンも俯いて忍び笑いをしていた。 それを聞いて、目の奥が熱くなった私はたまらず言い返した。 「佐藤、あなたも母親でしょう。口が悪すぎる」 結衣は勢いよく立ち上がり、腕を組んで言い返してきた。 「私の口が悪いって?」 「じゃあ、あんたは何も後ろ暗いことがないっていうの?男に媚びて、父親が誰かも怪しい子どもまで腹に抱えてるくせに、どの口で清い女みたいな顔してるのよ。 私があんたなら、こんなところで取り繕ってないで、さっさと帰って少しは見られる格好にでもするわね。まあ、安っぽい女には変わりないけど。運がよければ、どこかの見る目のない男が引っかかって、その子ごと面倒見てくれるかもしれないじゃない?」 腹が立って、目の縁が熱くなった。 さらに何か言い返そうとしたそのとき、鈴木がやってきて間に入った。 「もういいわよ佐藤、そのへんにしなさい。 神崎、あなたも早く子どもを迎えに行って。仕事に遅れないようにして」 私は顔を上げて、その熱を必死に押し戻した。 出ていくときも、結衣は隣の人たちと笑いながら話していて、言葉の端々に私を見下す視線を投げてきた。 私は背を向け、乱暴に目元をぬぐった。 神崎凛花(かんざき りんか)、泣いちゃだめ。 和希のためなら、どんなことだって耐えられる。 和希を迎えに行ったあと、やはりあの子をひとり家に置いておくのが心配で、私は思い切ってホテルの従業員休憩室に連れていくことにした。 絵本を用意して、お菓子と水も置いておく。 「和希、いい子にしててね。ママは外でお仕事してるから。ここで遊んでて、外に出ちゃだめよ。いい?」 和希はもともと聞き分けのいい子だ。 うなずいて私に聞いた。 「じゃあ、ママはいつ戻ってくるの?」 「すぐよ」 私は彼のおでこにキスをして、なだめるように言った。 「この絵本を読み終わるころには、ママが戻ってくるからね。いい?絶対に勝手に走り回っちゃだめよ?」 和希は力いっぱい頷いて、小指を差し出した。 「うん、ゆびきり!」 私は彼と指切りをして、約束のしるしを交わしてから、ようやく安心して宴会場へ向かった。 結衣とほかのウェイターたちも来ていて、会場内の入口の前に集まり、スマホを見ながら化粧直しをして、きゃっきゃとはしゃいでいた。 「はあ、久我家の御曹司って本当に惜しいよね。顔はいいし、お金もあるのに、あんな事に遭うなんて……」 「聞いた話じゃ、この宝生家のお嬢様って後から迎えられた娘なんでしょ。ちょっとヤンキー気質の女らしいよ。スピード出して刺激を求めるのが好きでさ。自分で勝手に身を滅ぼすだけならまだしも、男まで巻き込んで、このありさま。結局、自分の男を完全に不能にしちゃったんだから!」 「私に言わせれば、久我家も災難だよ。疫病神みたいな嫁を迎えたせいで、跡継ぎの話もあの女の代で終わりだもん」 …… そのとき、怒りを押し殺したような、甲高い女の声が背後から響いた。 「誰のことを疫病神って言ってるの!」 瑠奈が結衣たちをきっと睨みつけた。 彼女たちは顔色を変え、みんなうつむいて何も言えなくなった。 瑠奈の視線がさっと動き、少し離れたところにいた私をとらえた。 驚いたように声を上げる。 「神崎凛花?」 第2話 私は心の中で、どうしようもなく深いため息をついた。 こっそりその場を離れようと思っていたのに、やっぱり見つかってしまった。 無理に平静を装って歩み寄る。 「宝生お嬢様」 瑠奈は自分から二歩ほど私に近づき、私の安っぽいウェイターの制服姿を上から下まで眺めた。 得意げで、それでいて白々しい笑みを浮かべていた。 「やっぱりあなただったのね?今はウェイターなんてしてるの?それも外回り?大変でしょう?」 そう言いながら、瑠奈は私を会場の中へ引っ張っていこうとした。その口ぶりは、本当に私のことを気遣っているかのように妙に親しげだった。 「ほら、行きましょう。中の仕事を回してあげる。そっちのほうが楽だし。ひょっとしたら、お父さんとお母さんにも会えるかもしれないわよ?」 瑠奈は私を引いて二歩ほど進んだところで、そばに立っていた結衣たちのことを思い出したらしい。 たちまち顔つきが変わった。 「あなたたち、クビよ。さっさと消えなさい!薄汚い連中!」 結衣たちは腰が抜けたようになり、あやうくその場にひざまずきそうになっていた。許しを乞う言葉すら間に合わない。 瑠奈を恨むこともできず、ただ私の背中を憎々しげに睨みつけるしかなかった。 やはり、瑠奈は予想どおりの女だった。 会場に入るなり、今思い出したような顔をして言った。 「凛花さん、ごめんなさい、私ったら忘れてたわ。中は今、人手が足りてるの。残ってるのはトイレとゴミ箱の掃除くらいで。あなたなら……ねえ?」 瑠奈がわざと私に恥をかかせようとしていることくらい、分かっていた。 でも正直に言えば、この程度の嫌がらせは、この数年ひとりで耐えてきたことに比べれば大したことではなかった。 「分かりました。すぐ行きます」 私はあっさり引き受け、掃除道具を受け取った。 会場の隅にあるゴミ箱を片づけていたとき、宴会場の主役である祐真の母がゆっくりと姿を現した。 列席者たちが取り入るように取り囲むより早く、祐真の母の容赦ない叱責が響いた。 「こんな有様で、どうやって長生きするのさ!よく見てみな、自分がどんな女を嫁にしたのか!久我家を潰す気かい!」 私は顔を上げてそちらを見た。 別れてから五年。時の流れは祐真にだけやけに優しかったらしい。相変わらず、人の目を奪うほど整った顔立ちをしていた。 ただ、その眉間にはどんよりとした翳りが落ちていた。 やはり子どもが作れなくなったことは、彼にとって相当な打撃だったのだろう。 祐真は黙ったまま何も言わず、瑠奈は恐る恐る愛想笑いを浮かべるしかなかった。 「お義母さま、そんなに怒らないでください。お体に障りますから……」 「お義母さまと呼ばないで!」 祐真の母が鋭く遮った。 「そんなふうに呼ばれる筋合いはないわ!あんたが飽きもせず危険運転なんかしたがったせいで、祐真があんな目に遭ったんでしょう! うちが何をしたっていうの!何の落ち度もない息子が、あんたのせいで……あんたのせいで、跡継ぎひとり残せなくなったのよ!」 そう言うと、祐真の母は矛先を、そばで黙っていた瑠奈の父と母へ向けた。 「それに、あなたたちもよ!何が本物のお嬢様よ。こんなのを引き取ってきて、今度はうちの息子まで台無しにして、これで満足?」 瑠奈の父と母の、おどおどした謝罪の声がかすかに聞こえてきた。 けれど祐真の母は言えば言うほど感情が高ぶり、積もり積もった恨みをとうとう爆発させた。 「そもそも、あなたたちのところにいた神崎凛花って子、私はずっといい子だと思ってたのよ!物静かで、きちんとしていて。なのに祐真ったらどうかしてたのよ、こんな疫病神みたいな女をどうしても嫁にすると言い張って!本当に後悔してるわ!」 瑠奈の顔色はさらに悪くなった。 とりわけ祐真の母が私のことを口にした瞬間、顔に浮かんだ憎しみと屈辱は、もう隠しきれないほどだった。 けれど、ひとたび周囲に目を巡らせると、すぐさま口を開いた。 「お義母さま、すごい偶然ですね。今ちょうど凛花さんの話をなさってたでしょう?今日、ここで本当に凛花さんに会ったんですよ!」 言い終わるより早く、瑠奈はそのまま私のほうへ歩いてきた。 反応する間もなく、私は彼女に腕をつかまれ、宴会場の中央まで引きずり出された。 こうこうと明るい照明の下、私の粗末な制服も、手にした半分濡れた雑巾も、何ひとつ隠しようがなかった。 久しぶりに、私ははっきりとした屈辱を覚えた。けれど、それでもどうにか挨拶をするしかなかった。 「おばさま、こんばんは。 宝生社長、宝生夫人、こんばんは」 祐真の母は私を見つめ、複雑な表情を浮かべた。さっきまで私を褒めていた言葉がまだ口元に残っているようなのに、今となっては気まずさしかないようだった。 瑠奈の父と母もまた、まさかこんな形で私と再会するとは思ってもいなかったのか、呆然としていた。 短い静寂のあと、誰かが最初にごく小さく鼻で笑った。 それをきっかけに、見物していた招待客たちの間から、ひそひそと嘲る声が広がっていった。 「うわ……本当にあの子?昔、祐真さんのあとをついて回ってたあの?」 「へえ、この制服ってホテルでいちばん下っ端の清掃係でしょ?手にしてる雑巾、汚ったない。宝生お嬢様がこの子を『凛花さん』なんて呼ぶの?持ち上げすぎじゃない?私ならとっくに警備に追い出させてるわ。ここに立ってるだけで縁起が悪い」 「昔、別れるときに大金もらったって聞いたけど、なんでこんな落ちぶれてるの?若い男でも囲って使い果たしたんじゃない?」 …… その屈辱のざわめきが、もうすぐ私を飲み込もうとしたそのとき―― 「静かにしろ」 まさか祐真が自分から私をかばうとは思わなかった。 彼はほとんど表情を変えず、重い視線でその場をひとわたり見渡した。それだけで、会場はたちまち水を打ったように静まり返る。 それから改めて私に目を向けると、その口調はむしろ穏やかだった。 まるで、私を哀れんでいるみたいに。 「凛花、どうしてこんなところで清掃なんかしてるんだ?別れるとき、俺はかなりの金を渡したはずだろう」 お金? 私は顔を上げ、戸惑いながら彼を見た。 この数年、私は彼から一銭も受け取っていない。 和希を産んだときだって、手元には家賃すら払えないほどしかなかった。産後の休養もろくに取れないまま、すぐ日雇いの仕事に出たのだ。 私は唇を開き、思わずかすれた声で問い返した。 「……何の、お金?」 そのひと言はとても小さかった。 けれど、それはまるで落雷のように場の空気を打った。 祐真の瞳孔が一気に縮み、驚きの色を隠しきれないまま広がった。 その視線が、はっと隣の瑠奈へ向く。 「瑠奈、金はどうした?」 第3話 瑠奈はしどろもどろになるばかりで、まともな言い訳ひとつ口にできなかった。 助けを求めるように、ただ瑠奈の母へ視線を向けるしかなかった。 すると瑠奈の母はすぐに一歩前へ出てきて、私の腕をつかもうと手を伸ばしたけれど、私はさりげなく身を引いてそれを避けた。 彼女の手は空中で気まずそうに一瞬止まり、それからたしなめるような口調で言った。 「もう、凛花ったら! あのときあなたはあまりにも慌てて出ていったでしょう。あのお金なら、ずっと預かっておいたのよ。ただ渡す機会がなかっただけ。ほら、こんなことになっちゃって、全部誤解よ、誤解!」 瑠奈の父も横で手をこすり合わせながら、何度も頷いて同調した。 「そうだそうだ、ちゃんと覚えてたとも!」 こんな穴だらけの言い訳、白々しいにもほどがあった。 祐真の顔は完全に冷えきり、どんよりと沈んだ目で瑠奈をじっと睨みつけた。 「60億だ。一円たりとも欠けることなく、明日の正午までに凛花の口座へ振り込め。さもなければ、お前はもう俺の妻ではいられない」 瑠奈は、祐真がここまで容赦ないとは思っていなかったのだろう。 しかも、これだけ大勢の前でここまで追い詰められるなんて。 彼女は私を毒々しい目でひと睨みしたあと、どうにか笑みを作って応じた。 「祐真、私の手落ちだったわ。安心して、明日には必ず片づけるから」 私はため息をついた。もう本当に、彼らの世界にはこれ以上巻き込まれたくなかった。 今の私が望むのは、和希と穏やかに暮らしていくことだけだ。 「お金は結構です。今の私なら、自分で生きていけます。まだ向こうに仕事が残っているので、失礼します」 そう言って、私は誰の反応も見ず、そのまままっすぐ隅のほうへ戻っていった。 宴会場には再びざわめきが戻り、私もまた黙々と仕事を続けた。雑巾とバケツを手に、仕上げるべき個室はあとひとつ。それが終われば、和希を連れて帰れる。 そのとき、不意に遠くから騒がしい声が上がった。 続いて、瑠奈の悲鳴が響く。 「そんなはずない!さっきまでちゃんと手首につけてたのよ!あのダイヤのブレスレット、10億もするのに!どうしてなくなってるのよ!」 胸の奥が、理由もなくすっと冷えた。 嫌な予感が押し寄せてくる。 次の瞬間、瑠奈がなおも言い募る声が聞こえた。 「さっき……さっき私にいちばん近かったのって、凛花さんだった気がするの。外から一緒に入ってくる前までは、確かに手首についてたのよ。もしかして……」 瑠奈が言い終わる前に、ボディガードが乱暴に私の個室の扉を開け、私を取り押さえて外へ引きずり出した。 「私はやってない! ずっと仕事をしてただけよ。自分のものじゃない物には何ひとつ触ってない! 何するの、放して!」 私は激しく抵抗した。 けれど力の差は歴然で、なすすべもなく引きずられていくしかなかった。 瑠奈は早足でこちらへ寄ってきて、わざとらしく謝る。 「凛花さん、ごめんなさい、ごめんなさい!でも、あのブレスレットは本当に高価なの。なくしたなんて済まされないのよ。ただ確認したいだけ。あなたが持っていないって分かれば、すぐにこの人たちを下がらせるわ。ちゃんと謝るから!」 そう言いながら、瑠奈の動きにはまるで迷いがなかった。まっすぐ私の右のポケットへ手を入れる。 その場にいた全員が見守る中で、ブレスレットが取り出された! 宴会場は一瞬でどよめきに包まれ、軽蔑と嫌悪の視線が四方から私へ突き刺さった。 瑠奈は信じられないものでも見たかのような顔を作り、 よろけるように一歩後ずさって、ダイヤのブレスレットを手にしたまま、胸を痛めるような目で私を見つめた。 「凛花さん、どうしてこんなことを……お金が必要なら、私に言ってくれればよかったのに。どうして……どうして盗んだりしたの?」 そのとき、警察と会場の警備員が駆けつけてきた。 動かぬ証拠があり、大勢の目がそれを見ていた。 私は恐怖にかられて周囲を見回し、青ざめたまま必死に弁明した。 「違う!本当に私じゃない、このブレスレットがどうして私のポケットに入ってたのか、私にも分からないの!」 そう言いながら、私はただすがるように祐真の袖をつかんだ。 きっと、あまりにも心細かったのだ。 怖くてたまらなくて、彼に助けを求めるしかなかった。 「祐真、私たち、少なくとも幼いころから一緒に育ってきたでしょう。あなたなら私のこと、分かってるはずよ! 私は本当に、物を盗むような人間じゃない!祐真、お願い、助けて! 私はやってない!罠にはめられたの!」 涙が大粒になって、ぽろぽろとこぼれ落ちた。 祐真は、泣き腫らした私の目を見つめ、複雑な色をその瞳に宿した。 手を上げて、目尻からあふれた涙を拭い、そして冷ややかに言った。 「凛花、分かっているだろう。俺が信じるのは、証拠だけだ」 第4話 祐真は、私を信じなかった。 先頭にいた警察官も、もうためらわずに一歩前へ出ると、厳しい口調で私に告げた。 「そちらの女性、あなたには高額貴重品の窃盗事件に関与した疑いがあります。これから署へ同行していただき、事情をうかがいます」 カチャン、と音がした。 冷たい手錠が、私の両手にはめられる。 私は祐真を見た。 けれど、何ひとつ言葉にならなかった。 昔の傷がまた開いたように、胸の奥に鈍い痛みが走った。それは立っていることさえ難しくなるほどだった。 私たちは幼いころからずっと一緒に育ってきた。 祐真は、ずっと私を守ると言っていたのに。 どうして。 どうしてあなたは、何度も何度も私を傷つけるの。 警察に連れて行かれるとき、瑠奈はさらに一歩近づいてきて、私にしか聞こえない声で身をかがめ、勝ち誇るように囁いた。 「ゲスな女が、私に勝てると思ったの?」 私はそのまま警察車両に押し込まれ、連行された。 従業員休憩室では、結衣たちが顔をこわばらせたまま、自分の私物をまとめていた。 「全部あの神崎のせいよ。絶対わざとだわ。宝生お嬢様が来たのを見ても、私たちに知らせもしないなんて!」 インターンも調子を合わせた。 「ほんとですよ!泥棒扱いで連れて行かれて当然です!できれば十年でも八年でもぶち込まれてくれればいいのに。そしたら、もう二度と偉そうにできませんよね!」 結衣は職を失った怒りで、何も言わなかった。 顔を険しくしたままリュックのファスナーを引き上げ、歯をぎりぎりと鳴らしていた。 そのとき、帰ろうとした彼女の視界の端に、部屋の隅にいる小さな影が映った。 和希だった。 あの子はちゃんと約束を守って、勝手にどこかへ行ったりせず、古い絵本を静かにめくっていた。 結衣の視線が和希に落ちる。 その瞬間、悪意に満ちた考えが彼女の頭をつかんだ。 彼女はリュックを放り出し、顔に作り笑いを浮かべて和希のほうへ歩いていった。 「和希、絵本を見てるの?いい子ねえ」 和希は少しおびえていたが、それでも礼儀正しく声をかけた。 「こんばんは、おばさん」 結衣はそれに応じ、親しげなふりをして和希の髪を撫でた。 「はい、こんばんは。ねえ和希、おばさんがひとつ教えてあげる。あなたのママね、さっき制服を着た警察に連れて行かれたの。悪いことをしたから捕まったって言われてたわ」 「えっ?」 和希の手から絵本がぱたんと床に落ちた。 彼はあわてて言い返した。声にはもう泣きそうな響きが混じっていた。 「ママは悪いことなんてしない!」 「おばさんもそう思うわ。だから和希が助けに行ってあげなきゃ!」 結衣は手を伸ばし、宴会場のメインホールのほうを指さした。 「和希、泣かないで。いい?ここを出たら、いちばん明るくて、いちばんにぎやかなところへ走るの。中に入ったら……そうね、すごくきれいな格好をしてて、いちばん偉そうなおばあさんを探すのよ! その人を見つけたら、ママを助けてってお願いするの。警察のおじさんに、ママを放してあげてって頼むのよ! 覚えておいて。その人だけが、ママを助けられるんだから!」 和希はまだ幼くて、結衣の言葉に込められた悪意なんて見抜けるはずもなかった。 彼は泣きながら叫んだ。 「ありがとう、おばさん!」 和希は床に落ちた絵本を拾う暇もなく、そのまま宴会場へ向かって走っていった。 結衣は入口に立ち、和希の背中を見送りながら、ねじれた痛快そうな笑みを浮かべた。 周りの数人が集まってきて、不安そうに、それでも興奮を隠せない様子で尋ねた。 「結衣さん、こんなことして……大丈夫なんですか?」 「大丈夫に決まってるでしょ。せいぜい久我家の人間を少しイラつかせて、神崎が牢屋でさらに苦しむだけよ。もしあのガキがいなくなったって、私たちには関係ないわ」 そう言い捨てると、結衣は数人を連れて得意げに去っていった。 和希はとても怖かった。 それでもママのために、本能のまま宴会場のメインホールへ駆け込んだ。 ひと目で分かった。 中央のいちばん目立つ場所で、大勢に囲まれている年配の女性がいた。 きらきらした服を着ていて、周りの人たちは誰もがその人にうやうやしく接している。 あの人だ! 和希は考える暇もなかった。ママを助けたい、その気持ちが何よりも勝っていた。彼は全身の力を振りしぼり、立ちふさがる人たちをかき分け、無我夢中で駆け寄っていった。 「おばあちゃん、お願い!警察のおじさんにママを放してって言って!」 泣き叫びながら、和希はそのまま祐真の母にぶつかった。 不意を突かれた祐真の母はよろめき、危うく倒れそうになったが、そばの者がとっさに支えてくれた。 見下ろした祐真の母は、怒鳴りつけようとしていた言葉を途中で呑み込む。 「あらまあ、この子、どこの……」 この顔――! 会場は一瞬で静まり返った。 目元も、鼻筋も、まるで彼女の息子である祐真の幼いころとそっくりそのままだった。 そのときちょうど、祐真もあわてて駆けつけてきた。 和希の顔を見た彼は、信じられないものを見るような目をして、その子を抱き上げ、興奮した声で尋ねた。 「坊や、君は誰の子なんだ?」 和希はこんな騒ぎにすっかり怯えてしまい、泣き声まじりに叫んだ。 「おじさん、お願い、ママを助けて!警察に連れて行かれたの! ママが……ママが見つからないの。 ママの名前は神崎凛花だよ」