十年分の裏切りと愛の終わり

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十年分の裏切りと愛の終わり

GoodNovel Hoàn thành

家が火事になった時、川上景太(かわかみ けいた)はドアを開けさえすれば私を助け出せたはずだったのに、地下室に閉じ込められた私を無視し、...

Chương (1)

第1章

家が火事になった時、川上景太(かわかみ けいた)はドアを開けさえすれば私を助け出せたはずだったのに、地下室に閉じ込められた私を無視し、まっすぐに二階へと駆け上がっていった。 「悦子は体が弱いから、先に彼女を助け出にいく!」 彼が私を見捨てるのは、これで三度目だった。 一度目は私たちの結婚式だった。彼は清水悦子(しみず えつこ)からの電話に出ると、あっさりと立ち去ってしまった。 二度目は私が交通事故で流産した時だった。彼は失恋した悦子に付き添うため、一日中姿を消してしまった。 私が救出された後、景太は救急隊員たちに怒鳴り散らしていた。 「お前ら、人間の言葉が分からないのか?!悦子の顔が擦りむけたんだ。彼女を先に病院へ運べ!」 けれど、あの女の顔には、ほとんど傷一つ見当たらなかった。 私は冷静に焼けただれて変形した指輪を外し、景太の顔に向かって投げ出した。 第1話 家が火事になった時、川上景太(かわかみ けいた)はドアを開けさえすれば私を助け出せたはずだったのに、地下室に閉じ込められた私を無視し、まっすぐに二階へと駆け上がっていった。 「悦子は体が弱いから、先に彼女を助け出にいく!」 彼が私を見捨てるのは、これで三度目だった。 一度目は私たちの結婚式だった。彼は清水悦子(しみず えつこ)からの電話に出ると、あっさりと立ち去ってしまった。 二度目は私が交通事故で流産した時だった。彼は失恋した悦子に付き添うため、一日中姿を消してしまった。 私が救出された後、景太は救急隊員たちに怒鳴り散らしていた。 「お前ら、人間の言葉が分からないのか?!悦子の顔が擦りむけたんだ。彼女を先に病院へ運べ!」 けれど、あの女の顔には、ほとんど傷一つ見当たらなかった。 私は冷静に焼けただれて変形した指輪を外し、景太の顔に向かって投げ出した。 「私たち、離婚しょう」 景太はちらりと私を見上げ、眉をひそめて言った。 「お前、いつまで騒ぐつもりだ?悦子が怯えているんだぞ。どうしてもこんな時に俺の気を引こうとするのか」 そう言い終わると、彼はほとんど傷が見当たらない悦子の顔を、念入りに見ていた。 妻である私は、全身に火傷を負い、皮膚はただれていたというのに、結局、「いつまで騒ぐつもりだ」の一言しか貰えなかった。 彼にとって、私の恐怖も絶望も、ただの注目を集めるための手段でしかなかったのだ。 悦子は彼の腕の中で、猫なで声で私に謝り始めた。 「ごめんなさい、詩織(しおり)さん、私が不器用ですから、台所で火事を起こしてしまうなんて。そうでなければ、詩織さんが怪我することもなかったのに…… 景太くん、詩織さんを先に救急車に乗せてあげて。私なら大丈夫だから」 彼女は景太を突き飛ばすふりをしたものの、ぐにゃりと彼の腕の中に倒れ込んだ。 景太はいとおしむように彼女を抱きしめた。 「お前のせいなわけがないだろう?お前は体が弱いし、こんなに煙を吸ったんだ。すぐに検査を受けないといけない。あいつは体が丈夫だから、次の車を待たせればいい」 そう言うと、彼は私の方を振り向いたが、その目には、微塵たりとも憐れみはなかった。 「お前が怪我をしたのは、お前の不注意だ。悦子のせいじゃない」 これが贔屓でなくてなんだというのだろう?悦子はどんな過ちを犯しても許されるのに、私がかつて悦子を少し押しのけただけで、彼は私を地下室に閉じ込め、一日中反省させた。 「ただの陶器人形だけで、壊れたなら壊れたで仕方がない。悦子をいじめる必要があったのか」 彼はすっかり忘れていたようだ。その陶器人形は、彼が私にプロポーズした時に手ずから作った贈り物だった。その時、陶器人形は私たちの愛を象徴し、私たちは一生涯、愛し合うのだ、と彼は言った。 だが今、陶器人形は砕け散った以上、私たちの愛も、もはや破滅すべき時なのだろう。 私はいつものようにヒステリックに反論することなく、すっかり心が冷めきった様子で救急車へと向かった。景太は私がこれほど冷静なのが気に障ったのか、無意識に一歩前へ踏み出した。 「詩織さん!行かないで、私が償いますから!」悦子は突然私の前に跪いた。 「全部私のせいです。今すぐ土下座しますから、景太くんを責めないで」 景太は見ていられず、彼女を立たせようと手を伸ばした。 私はその拙い芝居を見て、思わず笑い出してしまった。そして、傍らにあった燃え盛る木切れを掴むと、彼女の顔めがけて突き出した。 「償うって言うなら、誠意を見せてもらおうよ。さあ、一緒に大怪我しよう!」 悦子は悲鳴を上げながら、後ずさった。 「お前、気が狂ったのか!」 景太は怒鳴りつけ、すぐさま脚を振り上げ、私を容赦なく蹴りつけた。 私は体ごと蹴り飛ばされ、ただれていた皮膚がざらついた地面に擦れて、凄惨な血の跡を地面に描いた。私は痛くて声も出なかった。 悦子は「あっ!血だ!」と叫びながら、そのまま気を失った。 景太は私を顧みず、彼女を抱きかかえて救急車へと駆け寄った。 彼はちらりと私を振り返り、その目にはかすかな罪悪感のようなものが浮かんだが、すぐに顔を背け、救急隊員たちに怒鳴り始めた。 「彼女には胃がんの持病がある!すぐに病院へ!俺は市立病院の外科部長、川上景太だ。まず彼女を運べ、何かあれば俺が責任を取る!」 私は地面にへたり込み、意識が次第に薄れていく中で、彼があの女を抱きかかえ、救急車に乗り込むのをぼんやりと見つめていた。 第2話 かつて景太の悦子への贔屓目に、私は深く傷ついていたけれど、今はもはや見慣れてしまって、ただ麻痺して何も感じなくなってしまった。 彼が患者である悦子を家に連れてきた時、私は反対した。 その夜、彼は私の前に跪き、必死に懇願した。 昔の自分にそっくりだから、何とか助けてやりたい、と。 私はほろりとしちゃって、そのまま好きにさせた。 景太は幼い頃、母親に家出され、父親はギャンブル狂いだった。その父親は酔っぱらうとベルトで景太を殴りつけ、犬のケージさえに閉じ込めた。 もし私がこっそり食べ物を届け、傷の手当てをしてやらなければ、彼は今日まで生きていなかったかもしれない。 だからこそ、同じように不遇な悦子に出会った時、彼はどうしようもなく同情心を抱いてしまったのだろう。 だけど、私はもう本当に疲れてしまった。 三人が共有する恋なんて、あまりにも窮屈すぎる。 彼は何度も私を見捨てて、まるで自分にとって最も大切な人間が誰なのかと、教えてくれているようだった。 体の痛みが私を思い出から現実へと引き戻した。 服と皮膚がべったりとくっつき、医者は少しずつ剥がしていくしかない。 剥がされるたびに、それは拷問のような激痛だった。私は声を上げないよう枕を噛みしめ、冷や汗が吹き出す。 景太が診察室に入ってきた時、元々冷ややかだった彼の顔は、私の広範囲にわたる火傷を見て、凍りついた。 「たとえお前が大怪我を負ったとしても、悦子に手を出していい理由にはならないだろう。どうしてそこまで悪辣になれるんだ?」 私は大きく息を吸い込み、嘲るように笑った。 「あら、そう?私はあの時もっと悪辣でなかったことを後悔しているよ。あの時はよくもあんたなんか助けたり、家に連れ帰ったりしたものだわ」 汗で湿った前髪をかき上げると、額に残る古い傷跡は、まるで醜いムカデのように横たわっていた。 「この傷がどうやってできたか、まだ覚えている?」 景太ははっと言葉を失った。 高校三年生の時、景太は父親にひどく殴られ、危うく殺されかけた。 私は彼を庇うため、投げつけられた酒瓶を受け止めた。頭部を殴打され、全身数カ所の骨折。あと少しで手術台で命を落とすところだった。 あの時、彼は私の病床で誓った。この先、二度と私を傷つけないと。 その誓いはまだ心に残っている。なのに、この三ヶ月間、悦子のせいで、私はすでに満身創痍だ。 景太は憐憫の情に駆られたのか、私の病床に跪いた。 「俺はお前を見捨てたりしない。もし回復できないなら、俺の皮膚を移植してやる」 彼は目を潤ませ、懇願するような口調で言った。 「だけど悦子の命はあと一ヶ月しか残されていないんだ。彼女は末期の胃がんなんだ……どうか、もう少しだけ我慢してくれないか。彼女がいなくなった後で、俺が今まで以上にお前に尽くすから、それでいいだろ?」 彼が床に跪いているのを見て、私はただただ心が冷え切るのを感じた。 あの時、私は彼の父親に殺されそうになったというのに、彼は父親に跪いて暴力をやめるよう懇願することすらしてくれなかった。 彼は自分が気概のある人間で、決して誰にも頭を下げて頼んだりしないと言っていた。 それなのに今、彼は悦子のために、何度も私に跪く。 「あんた、本当に嫌悪感を覚える……もういいから、出ていって!」 景太はまだ私に懇願しようとしたが、その時、病室の外から悦子の激しい咳払いが聞こえてきた。 景太は飛び上がるように、まっすぐに診察室の扉へ駆け出していった。 私は冷たい笑みを浮かべ、目を閉じた。 涙が傷口の上を滑り落ちるのを、ただ任せていた。 これが彼のために流す最後の涙だろう。 彼はきっと忘れている。先月、私が流産した時に、離婚届を提出したことを。 残された手続きが終わるまで、あと六日。六日後には、私たちは完全に赤の他人になる。 私は病院に三日間、寝たきりだった。 夫である景太は、一度も顔を見せなかった。彼がわざと私を避けているのは分かっていたし、私は問い合わせる気も、騒ぎ立てる気もなかった。 だが、まさか彼が私を完全に忘れ去り、治療費まで払わないとは思いもしなかった。 看護師に支払いを催促され、私は困惑した。 火事の日、私は何も持ち出せなかったからだ。 仕方なく、私は外科部へ彼を探しに行った。 しかし、彼の部署の人から、ここ二日間は休みを取っていて、家で奥さんの世話をしていると告げられた。 研修医たちが集まって小声で噂話をしている。その口調は羨望に満ちていた。 「川上先生って、本当に最高の夫だよな。奥さんの足に三センチの火傷があるだけなのに、専門家を何人も呼んで診察させてるんだぜ」 「それに海外から最高級の軟膏を取り寄せたとかで、一缶で数十万円もするらしいぞ」 「奥さんは胃がんらしいけど、川上先生みたいな情の深い男と巡り合えたなんて、人生捨てたもんじゃないよな」 第3話 私は医局の前に立ち、皮肉に満ちた気持ちになった。 その「奥さん」っていう人は私ではなく、悦子だった。 今までの十年間、景太は無名で貧乏な学生から、東都で最も若い外科部長へと羽ばたってきた。 彼の博士課程の学費を賄うため、私は両親に頼み込んで、貯めていた嫁入りの持参金を全て彼に渡した。 狭いアパート暮らしも、質素な食事も、連日の過酷な夜勤も、すべて私が彼に寄り添って乗り越えてきた。 それどころか、わざわざ馴染みのない東都への引っ越しにまで付いていき、専業主婦になったのだ。 私は十年をかけて、彼に「人を愛する」ということを教え込んできた。 なのに彼はその愛を全く無償のようで、別の女に注ぎ込んでしまったのだ。 受付カウンターで、私は親友の小林佳子(こばやし よしこ)に電話をかけ、彼女に病院へ送金してもらい、やっと治療費を決済した。 病院の門を一歩出ると、刺すような日差しの眩しさに思わず目が痛んだ。 心も体も疲れ切ったまま、私はタクシーに乗り、自宅へ向かった。荷物をまとめて、故郷の浜市にある実家へ戻ろうと思っていた。 しかし家の玄関にたどり着いた時、家政婦の山田によって足止めされた。 「申し訳ありませんが、旦那さんがおっしゃってまして……奥さんが許可なしに家に入るのはお断りするようにと」 私は怒りに笑いがこみ上げた。 「ここは私の家。自分の家に戻るのに、誰かの許可が必要だというの?」 山田は困った顔で答えてくれた。 「旦那さんが最近奥さんが情緒不安定で、悦子さんを傷つける恐れがあると心配していらっしゃるんです。 私どももただの雇われ人。どうかご無理をなさらなく……」 私は顔を引き締め、無理やり玄関へと踏み込もうとした瞬間―― 頭上から氷のような冷たい水がぶちまけられ、びしょ濡れになった。 まだ気温が低く、私は寒さで全身の震えが止まらなかった。背中の塞がっていない傷口に冷たい水がしみて、痛みと痒さで居ても立ってもいられなかった。 二階のバルコニーで悦子が空っぽの水桶を手に、勝ち誇ったように笑っていた。 「あら、詩織さん、ごめんなさい! 詩織さんが下にいたなんて知らなかったんです。花に水をやろうと思ってました。わざとやったんじゃないです……」 二階のバルコニーにあるのは、ただ一鉢のサボテンだけ。水をやるのに水桶が必要だとは、誰が信じるだろうか。 今までは景太の顔を立ててずっと我慢してきたけれど、これ以上は一秒たりとも耐えられない。 「あんた、目が見えなくなったの? まさか、他人の夫を奪ったせいで、報いを受けてるんじゃない?」 「詩織、そこまで攻撃的にする必要があるのか」 景太が大股で玄関から出てきた。 惨めな格好の私には見向きもせず、むしろ悦子の方を心配そうに見上げた。 「悦子はわざとじゃない。そんな言い方やめろ」 私は顔についた冷たい水を拭いながら、体中の傷がひりひりと痛むのを感じた。 「わざとじゃないって?ふざけないで。彼女は明らかに私を狙って水をぶっかけてきたじゃない?これがわざとじゃないなんて、ありえないわ! それなら、私が彼女を殺したって『わざとじゃない』で済むの?」 彼は一瞬言葉に詰まり、すぐに眉をひそめて言った。 「お前、本当に理屈が通らないな。 悦子は病人なんだ。もう少し大目に見てやれないのか」 「私が何度も何度もひどい目に合わされた時、あなたは見て見ぬふりをしたわよね。それなのに、今私が少し言葉を返しただけで、私を怒鳴りつけるっていうの?」 私はもう彼と口論する気はなかった。ただ家に入り、着替えをして、荷物をまとめたかった。 だが、景太はそのまま玄関の前に立ち、私を通そうとしなかった。 「火事の件で、お前がひどい目に遭ったのはわかってる。何か不満があって当然だ。でも今のお前は感情的すぎるのが問題だ。これ以上悦子に近づかせられない。 来週は悦子の誕生日だ。恐らく彼女の最後の誕生日になる。だから、何一つ後悔を残してほしくないんだ」 私は寒さで全身が震え、頭がふわふわとめまいを覚えてた。 「どいてよ。何で私は自分の家に帰らせないんだ?」 景太もさすがに自分が理屈で負けていると感じたのか、声を少し柔らかくした。 「じゃあ、ホテルに泊まってくれ。部屋はもう手配してある。 まずはそこで数日、落ち着いてくれ。悦子の誕生日が終わったら、すぐ迎えに行くから」 そういいながら、彼はポケットからルームキーカードを取り出し、私に差し出した。 私はそれを受け取らなかった。 「私はただ、身分証明書と服を取りたいだけよ。取ったらすぐに立ち去るから。この家はもうあんたたちのものだ。二度とここには戻らない。 これからあんたが何をしようが、私にはもう何の関係もない」 第4話 景太は表情が曇り、私を睨みつけた。 「お前、結局どこまでやりたいんだ? ただ火事の時に悦子を先に助けたというだけで、俺たちが築いてきた十年の歳月が、そんなに価値のないものになったっていうのか。 いま生き生きしているんじゃないか。もっと寛大になれよ」 彼の答えを聞いて、私は思わず失笑してしまった。それと同時に、体中の傷口が鈍く疼きだした。 「つまり、火事の時、私は地下倉庫で死んでいればよかったってこと?」 もし消防隊がタイムリーに駆けつけていなければ、私はその場で息を引き取っていたかもしれない。 景太の顔に、一瞬だけ申し訳なさそうな表情を浮かべた。 けれど、その表情も、悦子が口を挟んだ瞬間に跡形もなく霧散してしまった。 「景太くん、胃が痛いよ」 景太はスマホを取り出し、警備員に電話をかけ、私を追い出せと指示した。 「何をしている?!ここは私の家よ!」 私は必死に抵抗したが、背中の傷は激しいもがきの中で再び裂け、大量の血が上着を染め上げた。 警備員は私の話を聞き入れず、力ずくで私を外へと引きずり出した。 足取りもおぼつかないまま、私はこの「家」を後にした。 景太はそれを見ていられなくなって、ようやく足を踏み出そうとした。 だがその時、二階にいた悦子が突然、激しく咳き込み始めた。 「景太くん、私、風邪引いちゃったかも。診てくれていい?」 景太は上げかけた足をピタリと止め、あっさりと向きを変えて、家の中へと戻っていった。 私はその家に最後の一瞥をくれた。もう二度と、ここを「家」と呼ぶことはないだろう。 そして、よろけながら、住宅街を離れていた。 …… 景太は悦子の誕生日パーティーの招待状を同僚たちに配っていたが、明らかにどこか上の空といった様子だった 同僚たちが笑顔でからかってきた。 「川上先生は奥さんの誕生日のためにこんな豪華なパーティーを開くなんて、さすがに理想の旦那様ですね」 周りの看護師たちもそれに便乗して笑い声を上げた。 景太は手の動きを一瞬止めて、彼らの勘違いをその場で訂正した。 「悦子は俺の妻じゃなく、妹のような存在だ」 空気が一瞬にして凍りついた。 その場にいた全員が顔を見合わせ、困惑の色を隠せなかった。 前回の火事の際、景太はなりふり構わず悦子を病院に担ぎ込んだ。その後、「妻が入院することになった。皆、よろしく頼む」と周囲の同僚たちに向かってこう言い放った。 そのため、誰もがVIP病棟に入院し、川上部長がつきっきりで世話を焼いていたあの若い娘こそが、彼の奥さんなのだと思い込んでいたのだ。 「まさか、全身火傷を負って入院費すら払えなかったあの女性が、本当の奥さんなの?」 「嘘でしょ。川上先生の奥さんがあんなにひどい怪我をしていたのに、誰一人付き添っていなかったなんて……」 数人の看護師が小声で囁き合った。 景太は鋭く振り返り、眉をきつく寄せた。 「入院費が払えなかったと?誰の話だ?」 「山下詩織という患者さんですよ。運ばれてきた時は全身血まみれで、付き添いの家族も一人もいませんでした。 退院する前、彼女は足を引きずりながら訪ねてきましたよ。あの時部長はちょうど休暇を取って、自宅で悦子さんに付き添っていましたからね」 景太はその言葉を聞いて愕然とした。 ――火事の後、悦子がショックのあまり彼がそばを離れるだけで怯えて震えていたため、彼は悦子のことばかりにかかりきりになり、詩織がまだ入院中であることを完全に失念していたのだ。 慌てて携帯を取り出し、詩織に電話をかけたが、聞こえてくるのは無機質なガイダンスのみ。 思い通りにいかないこの感覚に、彼は言いようのない焦燥感を覚えた。 景太は胸のざわつきを無理やり抑え込み、深呼吸をしながら自分に言い聞かせた。 妻はいつも寛大で、誰よりも自分を深く愛してくれている。 自分が頭を下げて謝りさえすれば、きっと今回も許してくれるはずだ。 悦子の最後の誕生日を祝い終えたら、すぐにでも迎えに行き、機嫌を取ればいい。 …… 悦子の誕生日パーティーは、この上なく贅沢を極めたものとなった。 景太は主賓の席に座っていたが、その表情はどこか上の空だった。 そんな折、一人のウェイターが小包を手に会場へ入ってきた。 「川上様。こちらは詩織様から悦子様宛に届いた誕生日プレゼントです」 その一言に、景太の瞳にパッと光が戻った。 やはり、妻はまだ自分との絆を断ち切れていないのだ。これはきっと彼女なりの歩み寄りだろう。 そう確信し、彼を苛んでいた不安はようやく消え去った。 席にいた人々も、これに同調して囃し立てた。 「奥さんは本当にお心が広いですね。ご自身が体調を崩されて来られないとしても、わざわざプレゼントを贈ってくださるんですね」 「一体、どんなプレゼントでしょう?」 景太は誇らしげに笑みを浮かべ、リボンを解いた。 しかし、彼がゆっくりと蓋を開けたその瞬間、その笑顔は凍りついた。