初恋を式に招いた婚約者

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初恋を式に招いた婚約者

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恋人の神谷奏也(かみや そうや)のもう一つの家を見つけたとき、中から激しい口論の声が聞こえてきた。 「結婚なんてさせたくないなら、七日...

Chương (1)

第1章

恋人の神谷奏也(かみや そうや)のもう一つの家を見つけたとき、中から激しい口論の声が聞こえてきた。 「結婚なんてさせたくないなら、七日後の結婚式に乗り込んで、俺を奪いに来いよ」 扉の向こうで奏也と向き合っていたのは、彼の初恋――早見美弥(はやみ みや)だ。 「奏也、あなた……自分が何を言っているのか分かってるの?」 「どうした、怖いのか?美弥、お前が本当に来るなら、俺はその場でお前を選んで、そのままお前と結婚するよ!」 美弥はしばらく黙り込み、やがて唇を噛みしめてうなずく。 「いいわ。式の日に、桐谷安奈(きりたに あんな)の手から、あなたをこの手で取り戻してみせる!」 次の瞬間、二人は抑えきれない想いに突き動かされ、抱き合って唇を重ねた。 その光景を見た私は、胸が締めつけられて息ができなくなった。 私たちは五年間も付き合ってきた、傾きかけた彼の会社を、私は必死で立て直した。そのうえ、自分の持てるものはすべて彼に差し出してきた。 それなのに彼は、初恋の女とこっそりもう一つの家まで構え、挙げ句の果てには、その女に私たちの結婚式を公然とぶち壊させようとしている。 拳を握りしめ、私は心の中で決意した── 七日後、彼らが式に押しかける前に、私は結婚式から逃げ出す。 第1話 恋人の神谷奏也(かみや そうや)のもう一つの家を見つけたとき、中から激しい口論の声が聞こえてきた。 「結婚なんてさせたくないなら、七日後の結婚式に乗り込んで、俺を奪いに来いよ」 扉の向こうで奏也と向き合っていたのは、彼の初恋――早見美弥(はやみ みや)だ。 「奏也、あなた……自分が何を言っているのか分かってるの?」 「どうした、怖いのか?美弥、お前が本当に来るなら、俺はその場でお前を選んで、そのままお前と結婚するよ!」 美弥はしばらく黙り込み、やがて唇を噛みしめてうなずく。 「いいわ。式の日に、桐谷安奈(きりたに あんな)の手から、あなたをこの手で取り戻してみせる!」 次の瞬間、二人は抑えきれない想いに突き動かされ、抱き合って唇を重ねた。 その光景を見た私は、胸が締めつけられて息ができなくなった。 私たちは五年間も付き合ってきた、傾きかけた彼の会社を、私は必死で立て直した。そのうえ、自分の持てるものはすべて彼に差し出してきた。 それなのに彼は、初恋の女とこっそりもう一つの家まで構え、挙げ句の果てには、その女に私たちの結婚式を公然とぶち壊させようとしている。 拳を握りしめ、私は心の中で決意した── 七日後、彼らが式に押しかける前に、私は結婚式から逃げ出す。 …… 「桐谷社長、本当に結婚式当日に、あのお二人の写真や動画を公開なさるご予定でよろしいでしょうか?」 秘書は何度も確認してくる。私は小さく間を置き、そしてきっぱりと答える。 「間違いないわ。 それと、ビザの手配もお願い。式の日には海外に行くから。この件は絶対に口外しないで」 部屋の中では、あの二人がまだ名残惜しそうに抱き合っている。もうこれ以上見ていられなくて、私は疲れた体を引きずるように背を向けた。 その夜、奏也が家に帰ってきたのは深夜になってからだ。 彼は足音を立てないようにベッドに上がり、私の背中からそっと腕を回すと、あごを私の肩に預けて小さくつぶやく。 「安奈、まだ起きてるんだろ?前は遅くまで俺のこと待ってくれてたのに、どうして今日は待ってくれなかったんだ?」 そう言う彼の体から、女物の香水の匂いがふっと漂ってきて、私は思わず吐き気がこみ上げた。 彼の手首をつかんで押しのけ、私は感情を押し殺した声で言う。 「眠いの。もう寝よう」 明日は出国の手続きもしなければならないし、七日後の結婚式に向けて、彼へのサプライズも用意しなければならない。 けれど、私の声を聞いたとたん、奏也はぱっとベッドから起き上がって、ぐるりと回り込んで私の前にしゃがみこんだ。そして、ひとつのブローチを私のパジャマの襟もとにそっと留めた。 「これ、出張先で買ったプレゼント。気に入った?」 付き合って五年、奏也は出張のたびに必ず私に何かを買って帰ってきた。今回も例外ではない。 でも、私はひと目で分かった。このブローチは、二日前の展示会で彼がコレクターからダイヤのネックレスを買ったとき、付いてきたおまけだ。 そして今日、彼と美弥が暮らしている家を見つけたとき、そのネックレスが、美弥の首元でいやというほど輝いているのを、この目で見た。 私の顔にほとんど喜びの色が浮かばなかったせいか、奏也はどこか興ざめしたように眉をひそめた。 「まあいいや。やっぱり疲れてるんだな。今日はもう休もう」 彼は小さくため息をつき、私の隣に横になって、すぐに眠り込んだ。 だけど私は胸がざわついて、どうしても眠れなかった。 ちょうどそのとき、ベッドサイドのテーブルに置いていたスマホがふっと光った。 画面をスワイプして開くと、案の定、見慣れたアカウントからまたメッセージが届いていた。 メッセージの中には、アイコン部分だけ切り取られたチャット履歴のスクリーンショット。文字はいつも通り、ねっとりした甘い言葉ばかり。 考えるまでもない。あれは美弥がわざと送ってくる、彼女と奏也のやり取りだ。 もう一か月も続いている。 私は軽く目を伏せ、美弥のアイコンをタップし、彼女のタイムラインに入った。 最新の投稿は二時間前のものだった。 【今日はベイビーと一緒に、もう一匹のベイビーをお迎えしました!】 添えられた写真には、一匹の猫が写っている。 奏也はずっと猫が大好きで、アイコンも猫にしているくらいだ。 けれど私は猫アレルギーがひどく、家では一度も飼えなかった。 まさか彼が、美弥と一緒に、猫を引き取るなんて思いもしなかった。 美弥のその投稿は、まるで言外にこう告げているようだ。奏也が夢見ている「二人と一匹の温かな家」を、叶えてあげられるのは彼女だけだと。 それでも私には、どうして彼が浮気したのかは分からない。 五年前、奏也は美弥に騙され、全財産を持ち逃げされ、グループは破綻寸前まで追い込まれた。 家族や取引先から追い詰められ、彼が絶望のあまり命を絶とうとした。その時、川に身を投げようとした彼を、命がけで引き上げたのは私だった。 その後、私は神谷グループに資金を注ぎ込み、彼と共に沈みかけた会社を立て直した。いまやその会社は、この街で誰もが名を知るトップ企業となっている。 彼もまた、私のことを心の底から愛しているかのように振る舞っていた。 私の何気ない「これが好き」という一言のために、彼はヨーロッパ中を探し回り、そのたった一つしかない限定バッグを見つけてきた。 私が飲み会で無理にお酒を飲まされたときには、彼が迷いもなくテーブルをひっくり返し、その場で数十億円規模の契約書を破り捨てたこともある。 数えきれないほどの修羅場をくぐってきた冷静な実業家である彼が、そのプライドを捨てて自ら私にプロポーズした。しかも、その場では緊張のあまり手が震えていた。 そのプロポーズが成功したあと、汐見市中の名家たちはこぞって、一か月後に開かれる「世紀の結婚式」の話題で持ちきりになった。 けれど、美弥が帰国してから、すべてが変わってしまった。 今では奏也は、彼女に結婚式を壊させるような考えまで抱くようになっている。 私は胸元のブローチを指でなぞり、そっと目を閉じた。 いいわ。七日後の結婚式の日、私は奏也の世界から完全に消える。 第2話 翌朝早く、奏也はきちんと身支度を整え、リビングで私を待っていた。 「安奈、この前秘書が言ってたんだけど、俺のタキシード、もう仕上がったらしい。一緒に見に行かない?」 その言葉を聞いても、私の心の中には何の波も立たない。私はただ、ゆっくりとまぶたを持ち上げ、長い沈黙のあとで淡々と答える。 「いいよ」 私の返事を聞くなり、奏也はすぐに立ち上がり、私の腕を取ってそのまま車へと歩き出した。 「ずっと言ってたじゃん。俺のタキシード姿を見たいって。それに今日がデザイナーの汐見市での最後の日なんだ。もしサイズが合わなかったら、今ならまだ直せる。 安奈、あと一週間もしないで、俺はお前と結婚するんだぞ。やっとここまで来たな、俺たち」 彼はひとりでそう言っては、ときどき感慨深そうに息をこぼす。 私はただ窓の外を静かに見つめ、笑顔すら作れなかった。 だって、奏也が本当に一生を共にしたいと願っている相手は、最初から私じゃない。美弥だ。 道の途中で、一つの電話がかかってきた。奏也は気だるげにスピーカーをオンにし、「なんだ?」と短く返す。 受話口から、焦った秘書の声が響く。 「神谷社長、すぐに会社へお戻りください。早見様がトラブルに巻き込まれました」 奏也の顔色が一変し、ハンドルを乱暴に切って車線を変えると、アクセルを踏み込み、猛スピードで会社へ突っ走っていく。 私は遠心力で体ごとに前に投げ出され、シートベルトに引き戻されて、背中をシートに強く打ちつけた。 それでも奏也は顔をこわばらせたまま前を見据え、私には一瞥もくれなかった。 本来なら三十分はかかる道のりを、奏也は十分もかからずに走りきった。 彼は車を止めると同時にエンジンを切り、勢いよく降りて、そのまま会社のビルへ向かって歩き出す。 エレベーターに乗り込んで、ようやくこちらを振り返った彼は、私の顔色の悪さに気づいた。 「安奈、あの……会社で急ぎの用があるんだ。悪いけど、俺のオフィスで待っててくれる?」 私は青ざめた顔のままで首を横に振った。何か言うより先に、エレベーターの扉が開いた。 奏也は無言で、大股で会議室へと向かっていった。 扉を押し開けると、美弥が怒りに震え、拳をぎゅっと握りしめたまま、一人で複数人の役員たちと対峙しているのが目に入る。 そのうちの一人が、彼女の企画書を机に叩きつけるようにして吐き捨てる。 「はっ、海外帰りのエリート様ね?何年もいてひとつの実績も出せやしない。神谷社長に取り入って地位を得ただけの飾り女が、偉そうに俺たちに命令できる立場だと思ってるのか?」 ほかの役員たちの間に、嘲るような笑いが広がる。 「もういい!」 奏也が思わず怒鳴り声を上げ、場の空気を断ち切った。 彼はすぐに美弥のもとへ駆け寄り、彼女を自分の背後にかばうように立ち、役員たちを鋭くにらみつけた。 「美弥は俺が採用したんだ。文句があるなら俺に言え。新人ひとりを寄ってたかって責め立てて、恥ずかしくないのか!」 そして、声の調子を落として彼は続ける。 「それに、実績がないって?今うちが出願中のあの特許、あれは全部、美弥が責任者として進めてる案件だ」 その言葉に、会議室の空気が一瞬にしてざわめいた。役員たちは顔を見合わせ、小声で囁き合う。誰もが、美弥がそんな成果を上げていたとは思ってもみなかったのだ。 私の胸はきゅっと掴まれるように締めつけられた。 一方で、美弥自身もまた驚いた表情で、目を潤ませながら奏也を見上げる。 「奏也、あなた……」 奏也は彼女に安心させるようなまなざしを向けた。 「大丈夫だ。俺がいる限り、誰にもお前を見下させたりしない」 私は信じられない思いで扉の前に立ち、目を見開いた。 その特許は、私が何日も徹夜して仕上げた極秘案件だ。どうして、それがこんなにもあっさりと美弥の実績になってしまったの? けれど、私が声を上げるより先に、奏也が素早くこちらへ歩み寄り、私の腕をつかんで会議室の外へと引き出した。 「安奈、悪い。でも、さっきのは見ただろ。ああでも言わないと、彼女は会社で立場が持たないんだ」 私はかすれた声で口を開く。 「本当に、あれでいいと思ってるの?」 「これは一時しのぎだ。これから先、ちゃんと埋め合わせるから」 私は痛みを飲み込み、淡々と答える。 「いらない」 いらない。だって、もう私と彼にこれから先なんてないのだから。 第3話 会社を出ると、奏也は空模様を一度見上げて、今からでもタキシードを見に行こうと提案した。 けれど、私にはもうその気はない。 そのとき、突然の怒鳴り声が私たちの耳を打った。 真昼の街中に、刃物を握った男が飛び出してきて、刃先を私に突きつけた。 「お前が神谷奏也の囲ってる女だな? お前のせいで俺の家はめちゃくちゃになったんだ。今日こそ、お前をこの手で殺してやる!」 叫ぶように言い放つと、男は刃を振り上げて、私めがけて突っ込んでくる。 「だめっ!」 息をのむ間もなく、奏也が咄嗟に私の前へ立ち、自分の体でその刃を受け止めた。 刃先が肉に沈み込む生々しい音がして、鮮やかな血しぶきが飛び散った。 奏也は傷口を押さえ、苦痛に顔を歪めながら、その場に崩れ落ちる。 男はその光景に怯んだのか、刃物を投げ捨てて一目散に逃げ去った。 私は息を詰め、震える手で地面に倒れた奏也を支える。 傷口からは血が止めどなくあふれ出ているが、奏也は痛みを感じていないかのように、ただ私をまっすぐに見つめる。 「安奈、お前が無事なら、それでいい……」 止めどなく溢れ出る血を両手で押さえながら、私は頭の中が真っ白になった。 奏也は、美弥をあんなにも愛しているはず。彼女に「式を壊しに来い」とまで言った人が、どうして今、私をかばって命を懸けるの? 私って、彼の中でいったい何なんだろう? 三時間が経ち、手術室のドアが開いた。 医師が疲れた様子で出てきて、ゆっくりと手袋とマスクを外す。 「傷は深かったものの、刃が少しそれていたおかげで、命に別状はありません。ただし、かなりの出血でした。しばらくは安静が必要です」 その言葉を聞くと、知らせを受けて駆けつけてきた秘書が安堵の息をつき、私に向かって言う。 「桐谷様、神谷社長はあなたをお守りするために本当に命を懸けられました。あの方は、心の底から桐谷様を大切に想っておられるのだと思います」 私は苦笑いを浮かべ、首を振る。胸の奥がざらつくようで、自分でも何の感情なのか分からない。 かつて、私は信じていた。奏也は命を懸けて私を愛している、と。けれど今、その愛はとっくに美弥へと移ってしまったのだ。 麻酔から目を覚ました奏也は、すぐに私に会いたいと騒ぎ出した。 看護師たちの制止も聞かず、点滴の針を引き抜くと、ふらつきながらベッドを飛び出していく。 そして、ちょうどおかゆを手に病室へ戻ってきた私と、勢いよくぶつかった。 彼は私を強く抱き寄せ、その声はかすかに震え、深い不安が隠しきれなかった。 「安奈、お前が無事で、本当に良かった。あの刃が向かってきた瞬間、俺、自分がお前を失うんじゃないかって、怖くてたまらなかった」 私は彼の手をそっと外し、落ち着いた声で言う。 「お医者さんが言ってたわ。しばらくは安静にして、無理に動かないで」 私の顔を見た奏也は、ようやく安心したのか、大人しくベッドへ戻り、看護師に点滴をつけ直してもらった。 それから、私の肩にもたれ、優しく身を寄せながら、私の手をぎゅっと握りしめた。 「安奈、俺はさっき、すごく怖い夢を見たんだ。お前が俺をいらないって言って、どこかへ行ってしまう夢。あまりにも現実みたいで、目が覚めた瞬間、真っ先にお前を探した。 でも、夢でよかった。安奈、お前はずっと俺のそばにいてくれるよな?」 私は眉を寄せ、視線をそらして話題を変えようとする。だが、奏也は執拗に問いかけてくる。 「安奈、どうして黙ってるんだ?なあ、そうだろ?」 ちょうどそのとき、秘書が書類の束を抱えて現れた。 「社長、あの犯人の身元と動機が判明しました。こちら、ご確認ください」 その言葉を聞いた奏也は体を起こした。その瞳に一瞬、鋭さが閃く。彼は黙ったまま資料を受け取り、食い入るように目を走らせる。 資料に何が書かれているのか、私には分からない。ただ、奏也の顔色がみるみるうちに変わっていくのが見えた。彼の呼吸が荒くなり、声もわずかに震えている。 「急げ、警備を全員集めろ!」 そう言い捨てると、奏也はまた点滴を引き抜き、私に一瞥もくれずに、慌ただしく病室を飛び出していった。 第4話 奏也が床に投げ捨てた書類を見下ろしながら、私は眉をひそめた。身をかがめてそれを拾い上げる。 そして、その中にあった一つの名前を目にした瞬間、すべてがつながった。 道理で、さっき奏也はあんなにも取り乱していたわけだ。 また、美弥のことだった。 あの襲撃の本当の標的は、私ではなく、美弥だった。 美弥は、奏也の名を笠に着て好き放題に金を巻き上げ、何人も食い物にしてきた。 犯人の男は、その中のひとりだ。 彼が神谷グループのビルの前にたどり着いたとき、たまたま私が奏也のそばにいたから、私を美弥と勘違いして襲いかかったのだ。 そして、奏也があんなにも取り乱していたのは、犯人が「人違いだった」と気づき、今度こそ美弥を狙いに行くことを恐れていたからだ。 じゃあ、私は? あの男が再び私を襲うかもしれない。それでも奏也は、少しも気にしていないのだろう。 それとも、私なんて、彼の中では最初から美弥に敵わない存在なのだろうか…… 結婚式の前日になってようやく、奏也は疲れきった様子で家に戻ってきた。 ただ、彼ひとりではなかった。彼のあとに続いて入ってきたのは、美弥だった。 「安奈、美弥が今ちょっと厄介なことに巻き込まれててさ、しばらくの間、うちに住まわせようと思うんだ」 顔を上げると、美弥がこちらに挑むような笑みを浮かべている。私は眉をひそめ、わざと問いかける。 「奏也、本気なの?結婚式を明日に控えているのに、自分の初恋をこの家に住まわせるって?」 美弥の口元から、さっきまでの余裕が一瞬で消えた。だが、ほんの一拍おいて、彼女はみるみる申し訳なさそうな顔に変わり、慌てたように私へ頭を下げる。 「本当にすみません、桐谷さん。私が身のほど知らずでした。新婚前夜にお邪魔だなんて、ありえないですよね。 奏也、私のことは放っておいて。たとえ公園のベンチで寝ることになっても、ここにはいられないわ」 そう言い残すと、美弥は拳を固く握りしめ、くるりと背を向けて部屋を飛び出した。 奏也の表情が、そこで一変する。私を鋭くにらみつけ、冷えきった声で言い放つ。 「安奈、俺と美弥のことはもうとっくに終わってる。なのにお前は、どうしてそんなに性根がねじ曲がってるのか?彼女を追い出さないと気が済まないのか?」 そう言うなり、奏也は車のキーを乱暴に掴み取ると、彼女のあとを追って玄関を飛び出した。 奏也の決然とした背中を見送りながら、私は気づいた――もう胸は痛まない。私の心はもう凍ってしまったのだ。 小さく息を吐き、私は部屋に戻って黙々と荷物をまとめ始める。 五年分の思い出を詰め込んだ品々を、三つの大きな箱に分けるのに三時間もかかった。 それから、私は迷いもためらいもなく、そのすべてを焼いた。 そのあと私は、夜通しでこれまで美弥から匿名アカウント経由で送りつけられてきたメッセージとSNSの投稿を整理し、ひとつのUSBメモリに保存した。 すべてを終えるころには、空が薄く明るんでいる。 私は必要なものだけを手に取り、ひとりで式場へ向かった。 式場は花で埋め尽くされ、どこもかしこも幸せの色に染まっている。 奏也は、この日の幸せを形に残そうとして、数多くのメディアを呼び寄せていた。 私はステージの上に立ち、白いタキシードに身を包んだ奏也が、期待に満ちた笑顔でこちらへ歩み寄ってくるのを見つめていた。 彼は本当に、見栄えのいい男だ。けれど、もう私の心が揺れることはない。 式が始まる直前、私はマイクを取り、傍らの司会者にUSBメモリを渡した。 「奏也、式の前に、あなたに贈りたいものがあるの」 奏也はふっと口元をゆるめる。 「サプライズってやつか?」 私は薄く微笑んだだけで、言葉を返さなかった。ただ、司会者がUSBメモリをパソコンに差し込み、映像の準備を進めるのを静かに見つめている。 大型スクリーンに映像が流れ始める。 次の瞬間、奏也の表情が凍りついた。 そこに映し出されたのは、私と彼の思い出ではなかった。 それは――彼と美弥のチャット履歴、そして、二人の親密な写真だ。 奏也の全身が固まり、顔から血の気がみるみる引いていく。 報道陣が一斉にざわめき、シャッター音が狂ったように鳴り響く。誰もがスクープの匂いを嗅ぎ取り、彼を取り囲んで質問を浴びせる。 それでも奏也は答えず、ただ必死に私の姿を探している。そして、ようやく、ざわめく人波の向こうに私を見つけ、視線がそこに縫いとめられる。 私は人だかりの向こうで、騒ぎに巻き込まれた奏也をじっと見つめた。 そして、驚くほど落ち着いた声で告げる。 「奏也、もう別れよう」