偽婚に復讐し、御曹司と結婚する

Đang tải thông tin quảng bá...

偽婚に復讐し、御曹司と結婚する

GoodNovel Hoàn thành

綾瀬清華(あやせ きよか)は高遠宗司(たかとお そうじ)と結婚して三年。 結婚三周年記念を計画している最中、清華は自分が持っていた婚姻届...

Chương (1)

第1章

綾瀬清華(あやせ きよか)は高遠宗司(たかとお そうじ)と結婚して三年。 結婚三周年記念を計画している最中、清華は自分が持っていた婚姻届受理証明書が偽物だったことを発見した…… 本物の「高遠夫人」は、なんと自分の一番の親友、白石若菜(しらいし わかな)だった! 三年間、宗司と若菜、そして高遠家全員が、自分を愚か者のように騙し続けてきたのだ。 原因は、自分が交通事故で子宮を傷つけ、子供が産めない体になったから。 だが、そもそも自分が重傷を負ったのは、宗司を助けたからなのに! 「俺は清華を愛してる。ただ、子供が欲しいだけなんだ!」 「私、二人の関係を壊したくないの。ただ、二人の仲間に加わりたいだけ!」 二人のふざけた言葉に対して、清華は言った。 「頭、イカれてるんじゃないの!」 …… 彼らがそれを「面白い」と思うなら、自分もとことん彼らに付き合って「遊んで」あげることにする。 自分のプロジェクトを奪う?いいだろう。即座にエリートの名門御曹司と結婚し、プロジェクトの発注側になってみせる。 自分に結婚式を挙げさせない?エリート名門家は結納金二兆円を提示し、街中を揺るがす盛大な結婚式を挙げる。 子供を産めないから自分を軽蔑する?双子を産み、彼らが嫉妬に狂う様を笑って見届ける。 …… エリートの名門御曹司、如月司(きさらぎ つかさ)の結婚のニュースは瞬く間に広まったが、人々は揃って新妻である清華に同情した。 社交界では、司に「忘れられない初恋」がいることは有名だったからだ。 その女性はすでに人妻だが、彼は未だに彼女を想い続けていると。 噂によれば、その女性が結婚した日、彼は悲しみのあまり自殺騒ぎまで起こしたという。 さらに、彼がその女性が主演した映画を繰り返し観て、はばからず泣いていた姿も目撃されていた。 清華が子供を産み、そろそろ司とその「忘れられない初恋」のために、自らこの婚姻から退場すべきかと思っていた矢先、司は彼女を抱きしめて「冤罪だ」と叫んだ。 「誰だ、俺のデマを流したのは!清華、俺を信じてくれ!」 第1話 「綾瀬様、この婚姻届受理証明書は、偽物でございます」 綾瀬清華(あやせ きよか)は、フロント係が差し出した婚姻届受理証明書を突き返されるのを見た。態度は依然として恭しいものの、その顔にはすでに嘲笑の色が浮かんでいる。 彼女は可笑しそうにそれを受け取る。「どうして私が偽の証明書であなたたちを騙す必要があるっていうの?」 「さあ。当レストランが打ち出しました結婚記念日の割引プランがお目当てだったのでしょうか」フロント係はそう言って唇を歪めた。 清華は言葉を失う。 割引プランなんて、自分は全く知らなかった。 自分と高遠宗司(たかとお そうじ)の結婚三周年記念にこのレストランを選んだのは、ここのガーデンレストランが気に入っていたからというだけだ。 「根拠もなく私の婚姻届を偽物だなんて言わないで。あなたを訴えることもできるのよ」清華は少し態度を硬化させた。 しかしフロント係はその言葉を聞いて、まるで冗談でも聞いたかのように、呆れたように首を横に振った。 フロント係のその態度に、清華は眉をひそめる。「どうしてそんなに確信を持てるの?」 フロント係は俯いてキーボードを数回叩き、それからモニターの画面を清華に向けた。 「先ほど、あなた様のご主人の情報を入力しましたところ、システムにご主人の情報がすでに登録されておりました」 「だから?」 「彼も、当レストランの結婚記念日プランをご予約されています」 その言葉を聞いて、清華は少し驚喜した。「彼も予約を?」 フロント係は、まるで馬鹿を見るような目で清華を見た。「高遠様は確かにご予約されています。ですが、あなた様とは関係ございません」 「どういう意味?」 「つまり、高遠様の奥様は別の方。あなた様ではない、ということでございます」 清華は呆れるやら可笑しいやらで、もう一度確認しようと身を乗り出した。だがその時、彼女は「高遠夫人」の欄に表示されている名前を見てしまう。 白石若菜(しらいし わかな)。 自分の一番の親友、白石若菜。 こ、これは一体どういうことだ? 「それに、高遠様と奥様はただいま屋上のガーデンにいらっしゃいます。結婚三周年をお祝いしている最中でございます……」 フロント係が言い終わる前に、清華はすでに階上へと駆け出していた。 自分の夫と、一番の親友が、結婚三周年を祝っている? きっと何かの間違いだ。絶対に! だが屋上へ駆け上がり、抱き合う二人を一目見て、彼女はぴたりと足を止めた。 長身の男はスーツに蝶ネクタイ姿で、落ち着きがあり格好いい。女は赤いイブニングドレスを纏い、可憐で愛らしい。二人は情熱的に見つめ合っている。 背後には大きなスクリーンがあり、音楽が流れ出すと、そこに数文字が浮かび上がった。 『メモリー・オルゴール』。 続いて写真が再生され始めた。最初の一枚は盗撮のアングルだ。若菜がスマホを掲げ、恥ずかしそうな顔で遠くにいる宗司と同じフレームに収まっている。 その後、二人は知り合い、一緒に撮った写真では少しぎこちない。 さらにその後、一緒にディナーをする機会があり、二人ともとても楽しそうだ。 宗司の車の中の写真もある。 若菜は、清華がずっと自分だけのものだと思っていた助手席に座っている。 それから二人は一緒に出張し、旅行に行き、さらには若菜の実家にまで帰省している。 宗司の妻として、そして若菜の一番の親友として、清華はこれらのことを何一つ知らなかった。 二人は夕日の中でキスし、ベッドの上で見つめ合って微笑み、さらには事後の写真まであった。若菜が陶然とした表情で宗司の腕の中に横たわり、二人とも何も身に着けていない…… そして最後の一枚。宗司が若菜の指にダイヤモンドの指輪をはめている。 その映像と共に、男もテーブルの上の大きな薔薇の花束を手に取り、女の前で片膝をついた。 「若菜、今夜のお前、すごく綺麗だ!」 女は薔薇の花束を受け取ると、立ち上がった男の胸に飛び込み、仰け反って彼の顎にキスした。 宗司は優しく若菜の頭を撫で、その目は愛しさに満ちている。 清華はじっとその二人を見つめる。もしかしたら、ただ似ている他人だけかもしれない。そうではないかもしれない。だが…… 自分の目は節穴ではない! 遠くない場所にいる二人は、まさしく宗司と若菜だ。一人は自分が心から愛する夫、もう一人は自分が最も信頼する親友! 清華は無理やり自分を冷静させ、それから廊下に出て電話をかけた。 ほどなくして、相手から電話が折り返しかかってきた。 「綾瀬さん、調べた結果、高遠さんは確かに三年前の六月六日に結婚している」 六月六日? でも、自分と宗司が籍を入れたのは六月十六日だ。 「じゃあ、配偶者の欄は?」 「白石若菜」 清華は喉が締め付けられるようだった。「あ、あなた、見間違えじゃないの?」 「見間違いわけがない」 清華の心は無残に引き裂かれ、砕け散った。 つまり、夫は自分の夫ではなく、自分の「一番の」親友の夫だった…… 突然、ヴァイオリンの音が響き、清華は鈍い動きで外に視線を向けた。 星空、花々、そしてヴァイオリンの生演奏。宗司が若菜の手を取り、ロマンチックな音楽に合わせて、二人は優雅に踊り始める。 大きなスクリーンには、また別の写真が映し出された。クルーザーの上で撮ったものだ。 この写真、清華も持っている。ただし、それは彼ら三人の写真だったが、彼女の部分は切り取られていた。 はっ、しかも、その旅行を計画したのは自分自身だ…… なんてことだ! 怒りが清華を飲み込もうとしていた。彼女は拳を固く握りしめ、大股で前に進み出る。 あの二人を問い詰めなければ。なぜ自分にこんな仕打ちをしたのか、二人に言わせなければならない! その時、若菜が突然バッグから何かを取り出し、宗司の目の前でひらひらと振った。 宗司はぱっと目を見開き、慌ててそれを受け取ってまじまじと見つめ、そして狂喜の色を浮かべた。 清華は足を止めた。若菜の手にあるのは妊娠検査薬だ。彼女も何度か使ったことがあるが、いつも失望に終わっていた。 「俺、父親になるぞ!父親になるんだ!」 いつもは落ち着いている宗司が興奮して大声で叫び、この吉報を全世界に知らせたいとでもいうようだ。 そして清華は、自分が騙される理由が分かってしまった気がした…… 二時間後、清華は車で宗司たちの後を追い、高遠家まで来ていた。 若菜が車から降りるとすぐ、宗司の母、高遠慶子(たかとお けいこ)が家から出迎えてきた。 「若菜、私のかわいいお嫁さん。さっき宗司からあなたが妊娠したって電話があったのよ。まあ、なんておめでたいこと!あの時、私が宗司に綾瀬清華との結婚を反対したのはね、彼女が交通事故に遭って、子宮に傷を負い、子供が産めない体だったからなのよ!」 若菜は慶子の手を握る。「私、辛くなんてありませんよ」 「いい子だわ。お義母さん、あなたのそういう物分かりのいいところ、一番好きよ」 いつもは自分に冷たい言葉ばかり浴びせていた義母が、今は満面の愛情で若菜の手を握り、「いいお嫁さん」と呼びながら、彼女を高遠家へと招き入れているのを、清華はただ見つめていた。 やはり、自分が妊娠しにくい体だから、高遠家は自分を疎んだのだ。 だが、自分が重傷を負ったのは、他でもない宗司を助けたからなのに! 高遠家は恩知らずという汚名を着るのを嫌がり、自分に偽の婚姻届受理証明書を渡した…… 三年間、彼らは自分を馬鹿扱いして、騙し続けてきたのだ! その時、清華のスマホが鳴った。相手は、彼女が狂人だと思っていた人物からだった。 清華は力強く深呼吸をした。 「あなたは、私と宗司の結婚が偽物だって、とっくに知っていたのですか?」 金森家(かなもりけ)は雲上市(くもかみし)で最も名高い名門一族であり、彼女に電話をかけてきたのは、その金森家のトップ、金森の当主だった。 以前、天城(あまぎ)グループとの提携があったため、彼女は幸運にもこの金森の当主と一度会ったことがあった。 思いがけず、当主が彼女に会ったのは提携のためではなく、自分の息子と結婚してほしいという話のためだった。 「綾瀬さん、お前が俺の息子に嫁いでくれて、さらに金森家に孫を産んでくれさえすれば、金森家の全財産は将来、すべてお前のものだ!」 初めてその話を聞いた時、彼女は本気で当主が耄碌したのだと思った。 夫のいる身である自分が、どうして彼の息子に嫁ぐというのか。馬鹿げているにもほどがある。 だが今思えば、恐らく当主はこの提案をする前に自分のことを調査し、自分が騙されていることを知っていたのだろう。 「綾瀬さん、この真実がお前を傷つけたのなら申し訳ない。だが、悪意ある欺瞞と残酷な真実、その二択なら、お前は必ず後者を選ぶと俺は思った」 「私を調査したなら知っているはずです。私は交通事故で、妊娠しにくい体ですって」 「俺は一人の名医を知っている。彼女は以前お前を診察し、お前を妊娠させる自信があると言った。俺は彼女を信じている」 清華は当主の言う名医が誰なのか、いつ自分を診察したのか、全く心当たりがなかった。だが、この一件を経て、自分は当主の能力を微塵も疑わなかった。 清華はもう一度、高遠家を見た。そこは煌々と明かりが灯り、かつては彼女が自分の家だと思っていた場所だ。 だが今は…… 「いいでしょう。あなたの息子さんと結婚することを承知しました」 「素晴らしい!」 「ですが、盛大な結婚式が必要です。それも、至急でお願いします!」 「もちろんだとも。俺たち金森家が嫁を迎えるんだ。当然、街全体に知らせるほど盛大にやるさ!」 結婚式には準備の時間が必要なため、日取りは一ヶ月後と決まった。 第2話 この一ヶ月、高遠家の連中を相手にする。 清華はスマホを仕舞い、高遠家へと大股で向かった。 呼び鈴を鳴らすと、ほどなくして家政婦の恵美(えみ)がドアを開けに来た。戻ってきたのが清華だと知り、恵美は驚きを隠せない。 「清華さん、あ、あなたは……ご出張ではなかったのですか?なぜ急にお戻りに?」 清華は彼女を無視し、恵美の横をすり抜けて中へ入った。 「奥様、奥様!清華さんがお戻りになりました!」恵美は彼女を引き止められず、慌てて奥へと大声で叫んだ。 清華が階段の入り口まで来たところで、慶子が鶏の薬膳スープの碗を手に、慌ててキッチンから出てきて彼女を遮った。 「あ、あなた、どうして……」 「宗司は二階ですよね?」 「い、いいえ、あの子は家にいないわ……」 「探しに行きます」 慶子が何か言うのを全く聞かず、清華はまっすぐ二階へと向かった。 「清華さん、清華さん、二階へ行かないで」慶子が後ろから慌てて彼女を追う。 清華は早足で階段を上り、二人の寝室へと突き進んだ。同じ部屋にいるところを押さえられた二人が、どう言い訳するのか見ものだ。 ドアを押し開けて入ると、真正面に宗司がいた。彼はちょうどウォークインクローゼットから出てきたところだった。 清華が入ってくるのを見て、その目には明らかに動揺が走り、同時に無意識に一歩下がり、何かを隠そうとした。 「清華、お前……」 「どうしで私が急に出張から帰ってきたと聞きたい?」清華は宗司の前に進み出て、眉を吊り上げる。「どうして私に会うと、みんな開口一番にそれを聞くの?私は帰ってきたら駄目だった?」 宗司は唇をきゅっと結ぶ。「お前、前もって俺に電話一本くれるべきだった」 清華はふっと笑う。「あなたを驚かせようと思って」 「……」 「どうやら、驚きはあったみたいだけど、全然嬉しくないのね」 宗司は息を吐いた。「そんなわけないだろ。会いたかった」 そう言って、宗司は彼女を抱きしめようと一歩前に出た。 清華はさっと身をかわし、同時にウォークインクローゼットへと向かった。 「清華!」 宗司は声が裏返るほど慌てて、彼女を掴もうとする。 だが清華はすでに入っていた。人影は見えなかったが、クローゼットの扉に挟まったドレスの裾が目に入った。 若菜はクローゼットの中に隠れている! ふん。自分を騙すためなら、本当に何でもする。 残念なことに、この綾瀬清華は三年間も盲目だったけれど、今はようやく見切った。 彼女は大股でそのクローゼットに向かい、力強く扉の取っ手を握った。 「清華!」宗司は慌てて清華の手を掴んだ。「お、俺、若菜から聞いたぞ。お前、俺たちの結婚記念日の準備をしてるんだって?」 その言葉を聞いて、清華は振り返った。 この夫婦、本当に何でも話し合っている。 一人の人間真心を踏みにじり、手玉に取って騙し続けるのは、さぞ得意だったことだろう。 だが今、宗司は狼狽している。 彼は清華がクローゼットの取っ手を握る手に視線を固定し、呼吸は速くなり、額にはうっすらと脂汗が滲んでいた。 彼は清華に知られることを恐れている。高遠家もそれを恐れている。 清華はわざと取っ手を握りしめ、今にも扉を開けんとする素振りを見せた。案の定、宗司はさらに慌てふためく。 なるほど。騙されている相手の反応を弄ぶのは、こんなにも面白いものだったのか。 清華は取っ手を掴んでいた手を放し、怒ったふりをして言った。「秘密だったのに。どうして彼女、あなたに言っちゃったの!」 「うっかり口を滑らせたんだ。でも、俺、あんまり青雲レストランは好きじゃない」 彼が好むわけがない。また青雲レストランに行けば、自分たちの婚姻受理証明書が偽物だとバレてしまうのだから! 「じゃあ別のレストランに変えるわ。でも、これはサプライズなんだから、もう探りを入れないでね」 「わかった」宗司はほっと息をついた。 「そうだ、私のあのブラウンのコート、どこかしら。今回の出張に持っていったつもりだったのに、スーツケースに入ってないの。家に忘れていったのかしら」 清華はそう言いながら、またクローゼットを開けようとする。 「どのコートだ?」宗司は再びビクッとし、慌てて彼女を引き留めた。 「お義母さんが私に買ってくれたコートよ。すごく気に入ってるの。絶対になくしたくない」 「クローゼットにはない。たぶん、俺のオフィスにある」 「そう?」 「ああ。俺、見たんだ」 宗司が清華をウォークインクローゼットから連れ出したところで、ちょうど慶子が慌てて部屋に入ってきた。 「あ、あなた……」 「母さん、清華が母さんに買ってもらったブラウンのコートを探してるんだ。どこかで見たか?」 慶子は数回瞬きをして、ようやく状況を理解した。「ああ、服を探してるのね。あのコートかしら?」 「お義母さん、見ましたか?」清華は平然とした顔で尋ねた。 「い、いいや、見てないわ。たかが服一枚じゃないの。お義母さんがまた買ってあげるから」 清華は微笑む。「お義母さん、私に本当に良くしてくださいますね」 慶子の表情が少しこわばり、一瞬、言葉に詰まった。 「これ、お義母さんが私のために作ってくださったスープですよね?ありがとうございます!」 清華は笑顔で歩み寄り、慶子の手からそのスープの碗をひったくった。 「こ、これは……」 「私のために作ってくださったのではないのですか?」 慶子は何度か口を開閉させたが、最後は乾いた様子でこくりと頷くことしかできなかった。 清華は彼らの目の前でそれを飲み干し、時折、慶子の腕を褒めたたえた。「お義母さんの作るスープ、本当に美味しいです」 スープを飲み干した後も、清華は立ち去らず、疲れたと言い放ち、宗司を部屋から追い出して、そのままベッドに横になった。 彼女はクローゼットを見つめる。今頃、若菜は狭いクローゼットの中で丸くなり、手足も伸ばせず息苦しい思いをしていることだろう。さぞ苦しいに違いない。 そう考えると、清華は思わずふっと笑い声を漏らした。 やはり、とても面白い。 この一ヶ月、彼らとじっくり遊んでやるつもりだ。 夜、宗司の父、高遠敏(たかとお さとし)が帰宅し、清華は階下で高遠家の人々と一緒に食事をとった。 天城グループは敏の世代から築き上げた会社だ。長年、会社全体のために身を粉にして働き、六十歳にもならないうちに、髪はすでに真っ白になっていた。 清華は敏を常に尊敬していた。彼は抜け目のないビジネスマンであると同時に、公明正大で寛大な目上の人だと思っていた。 だが、彼も明らかに宗司と若菜のことを知っていた。 「金森グループのあのショッピングモールのプロジェクトは、どう進んでいる?」敏はそう言って、清華に視線を向けた。 彼女が今回の出張に行ったのは、まさにそのプロジェクトをまとめるためであり、天城グループにとって極めて重要な提携だった。 そして、このプロジェクトを通じて、彼女は金森の当主と接触し、その後の一連の出来事に繋がったのだ。 「ほぼまとまりました。あとは提携の詳細を詰めて、契約書にサインするだけです」清華は淡々と答えた。 その言葉を聞いて、敏は満足そうに頷いた。 だが、何かを思い出したように、彼は少し黙り込んでから言った。「このプロジェクトは、お前の功績が大きい。会社からお前にはボーナスを支給しよう。明日、会社で引き継ぎをしてくれ。このプロジェクトは他の人間に担当させる。お前には別の仕事を用意している」 清華は眉をひそめた。 自分が半年以上かけて準備してきたプロジェクトを、成果を刈り取るという段階になって、他の人間に引き渡せというのか? 「引き継ぎ相手は誰ですか?」彼女は尋ねた。 「若菜だ。彼女もこのプロジェクトのために尽力してくれたし、お前の親友でもある。お前に異存はあるまい?」 清華は心の中で冷笑った。 やはり、本物の婚姻受理証明書を持つ者だけが家族というわけだ。 こんな重要なプロジェクトを自分の手元に握られているのは、彼らにとって当然、安心できないのだろう。 だが、彼らは知らない。もうすぐ、金森グループのすべてが、自分のものになるということを。 このプロジェクトを成功させるのもさせないのも、自分で決めることだ! 第3話 「異存、ございますわ」清華は眉を吊り上げて笑った。 敏は顔をしかめた。まさか清華がこれほど直接的に彼に逆らうとは思ってもみなかったのだ。 「清華、父さんがああ言ってるんだから、何か考えがあるんだ。父さんの言う通りにしろよ」宗司が小声で清華に言った。 「どのようお考えでしょうか?」 宗司は一瞬固まった。 これまでの清華は彼の言うことをよく聞き、こんな風に聞き返してくることなどなかった。 「お前、疲れてるんじゃないか?やはり会社で明日また話すんじゃ……」 「ええ、確かにとても疲れている。相手方と駆け引きして、提携の話をまとめて、その上あなたを驚かせるために急いで帰ってきたもの」 「それなら……」 「ですが、やはりお義父さんのお考えを伺いたく存じますわ」 清華は依然として笑みを浮かべ、口調も柔らかいままだったが、一歩も引く気はなかった。 「ふん!」敏が鼻を鳴らした。 清華は彼に向き直る。「お義父さん。私はこのプロジェクトのために半年以上を費やし、一ヶ月の大半を外での出張に充て、深夜まで残業したり、時には会社に泊まり込んだりするのも日常茶飯事でした。 今、プロジェクトがようやく形になろうというこの時に、担当から外されるというのなら、私にも納得できる理由をお聞かせいただく権利くらいはあるはずですわよね?」 「お前は……お前は、もっと長期的な視野を持たんか!」 「どういう長期的な視野でございましょう?」 「お前は俺たち高遠家の嫁だ。高遠家の家業は、遅かれ早かれお前と宗司のものになる。一つのプロジェクトが何だというんだ。俺がこうしているのは、お前のために人望を集めさせようとしているからじゃないか」 清華は思わず吹き出してしまった。 堂々たる天城グループのトップが嘘をつく時、顔色も変えず、平然としているとは。 「よく笑っていられますこと!」慶子はずっと怒りをこらえていたが、この時ついに我慢の限界に達した。「あなたがうちの嫁だから、お義父さんがこんなに優しく相談しているの、身の程わきまえなさい!外すと言ったら即刻外すだけ。あなたに辞職する度胸でもあるっていうの?」 「母さん!」宗司が彼の母を低く叱りつけた。 「私はもうこいつには我慢し続けてきたのよ!」慶子がテーブルを叩いた。「どこの世界に、一日中家を空けて、年長者の世話もせず、夫の面倒も見ない嫁がいるっていうの!高遠家が、こんな嫁をもらって何の役に立つっていうのよ!」 「私、お役に立っておりませんでしたか?」清華はチッと舌打ちをする。「去年一年間で、私は会社のために二つのプロジェクトを契約し、純利益で20億円は稼ぎましたわよね?」 「あなたがいなかったら会社がプロジェクトを契約できないとでも、倒産するとでも思ってるの?」慶子が清華の鼻先に指を突きつける。「それだって、お義父さんと宗司が裏で手を回してやったから契約できたようなものじゃない!しまいには多額のボーナスまでせしめて!あなたはもう十分いい思いをしたんだから、これ以上、恩知らずな真似はよしなさい!」 「もういい!」敏が怒鳴った。「家族同士で、どうしてこんなに他人行儀な言い争いをしなければならんのだ!」 「父さん、母さん、怒らないでくれ。俺、後で清華を説得するから……」 「説得なんかしなくていいんです!」清華は宗司の言葉を遮った。「私、同意します!」 宗司はその言葉を聞いて、ほっと息をついた。そして笑顔で清華の肩を抱く。「清華、お前が一番物分かりがいいって、俺はわかってたぞ」 清華は宗司の腕を振りほどき、鼻で笑った。「私は一番物分かりがいい。だから、一番騙しやすいのよね」 宗司は眉をひそめた。「清華、お前、どういう意味だ?」 「あなたが私を騙したって言ってるの」 「俺がいつ?」 清華はわざと唇を突き出し、怒ったふりをした。「昔、籍を入れた時、あなた何て言った?私に盛大な結婚式を挙げてくれるって言ったわ。でも、私たち、もう結婚して三年も経つのに、あなたはまだあの時の約束を果たしてくれてない!」 「お、お前、結婚式がしたいのか?」 「無茶な要求じゃないでしょう?」 「当たり前でしょう!」慶子がまた口を挟んだ。「あなたたちはもうとっくに結婚してるのよ!しかも三年も経ってるのに、今更、結婚式だなんて!まったくの無駄遣いだわ!」 「結婚式を挙げなかったら、外の人はどうやって私が高遠家の嫁で、宗司の妻だって知るって言います?万が一、誰かがなりすましたりしたら、私、泣き寝入りするしかないではありませんか」 「あ、あなた、何を馬鹿なこと言ってるの!」 「とにかく、プロジェクトから降りる条件ですわ。結婚式を挙げます。それも、この雲上市の誰もが知るような盛大な式をね。さもなければ、お話になりません!」 「あなた、本当にいい加減にしなさいよ。こっちが……」 清華は慶子が言い終わるのを待たず、食器をテーブルに放り投げた。 ガチャン、という音と共に、高遠家の三人の顔が青ざめた。 以前の自分が彼らにいい顔をしすぎたから、彼らはこんな風に自分を騙し、侮辱する勇気を持てたのだ! 「あ、あなた……」 「食欲がありません。先に二階に戻らせていただきますわ!」 そう言って、清華は立ち上がり、二階へと向かった。 以前のように、たとえお腹がいっぱいでも一番最後に席を立ち、恵美の食器片付けを手伝い、一家のためにフルーツを切り、眠いのを我慢して彼らの雑談に付き合う……なんてことは、もうしない。 二階へ来ると、恵美がちょうど合鍵を持って、彼女と宗司の寝室のドアを開けようとしているところだった。 清華は口の端を吊り上げ、彼女の方へ歩み寄った。 「恵美さん、何をしようとなさってるの?」 恵美は飛び上がるほど驚き、慌てて顔を上げると、同時に手に持った鍵を背中に隠した。 「わ、私は、お部屋のお掃除をしようと思っただけです。ですが、このドアがどうしたことか、鍵がかかっておりまして」 「私がかけたの」 「えっ?」 清華はポケットから鍵を取り出し、恵美の目の前でドアを開けてみせた。 「そこのリビングでお待ちください。すぐに掃除を終えますから」 恵美はそう言って中に入ろうとしたが、清華が一足先に中に入り、そのまま戸口を塞いだ。 「私、疲れたから早く寝たいの。お掃除は必要ないわ」 そう言い放つと、恵美が何か言う前に、清華はピシャリとドアを閉めた。 彼女は振り返る。窓の外から差し込むわずかな光を頼りに、慌てふためいた人影がウォークインクローゼットに飛び込むのが見えた。 本当に面白い。 本物の婚姻届受理証明書を持つ者だけが堂々たるものだと?現にここに、本物を持っているはずなのに、ネズミのように隠れなければならない人間がいるじゃないか。 彼女はわざと電気をつけず、ウォークインクローゼットを出たり入ったりした。あの「ネズミ」は、クローゼットの中でできるだけ体を縮こまらせて隠れ、物音一つ立てまいと必死になっていることだろう。 シャワーを浴びる時でさえ、清華はわざとドアを開け放しておいた。 彼女がバスルームから出てくると、クローゼットの扉がわずかに開いているのが見えた。恐らく、中の空気が淀んで、「ネズミ」も息継ぎが必要になったのだろう。 彼女はナイトウェアに着替えてベッドに横になり、じっとそのクローゼットを見つめた。 清華と若菜は高校で出会った。最初はクラスメイトで、それから友人になり、関係はどんどん深まっていった。同じ大学に受かり、そして一番の親友になった。 二人は何でも話し、助け合い、大学時代を共に過ごした。 その後、清華が天城グループにインターンとして入った時、同期のインターン生の中に宗司がいた。 その頃、清華は宗司が高遠家の御曹司だとは知らず、自分と同じように一般家庭の出身だと思い込んでいた。 二人は同じグループに配属され、一緒にプロジェクトを進め、一緒に残業し、次第に互いに好意を抱き、そして恋愛関係になった。 交際して三年が経った後、あの交通事故が起こり、彼女は初めて宗司が高遠家の人間だと知ったのだ。 そこまで考えて、清華は自分のお腹を撫でた。 そこには深い傷跡が残っている。 あの日、二人はタクシーの後部座席に座っていた。前のトラックが積んでいた鉄パイプが、フロントガラスを突き破ってこちらに飛び込んできた時、自分はほとんど本能的に宗司の前に立ちはだかった。そして、その鉄パイプは自分の体に突き刺さり、子宮を傷つけた…… 療養している間に、若菜は自分の推薦で天城に入社した。 時期を計算してみると、ほんの半年だ。若菜は宗司と籍を入れた。 なんというか、若菜という親友は、なかなかのやり手だ。 コン、コン、コン…… 宗司が外でドアをノックしている。 「清華、開けてくれ。中に入れてくれ」 第4話 「さっきは態度が悪かった。謝る。 なあ、清華。俺をゲストルームに寝かせる気か?頼むから入れてくれよ。お前を抱きしめたい」 この男がさっきまで若菜と睦み合い、今度は自分に子供を産ませようとしているのだと思うと、清華吐き気さえ覚えた。 「私、疲れているの。何か話があるなら、また明日にしてちょうだい」 「おい、清華。でも、俺はもう一週間もお前を抱いてないんだぞ。お前、俺が欲しくないのか?」 清華はあまりの気持ち悪さに、吐きそうになった。 「あなた、お義父さんたちの言うことを聞くんじゃなかったの?だったら、今夜はあちらと寝ればいいじゃない!」 外はしばらく静かになり、やがて足音が遠ざかる音がした。 宗司はプライドが高い。これまで二人の意見が食い違った時は、彼女がなるべく宗司の意見を聞くようにしてきた。 喧嘩になっても、大抵は彼女の方から先に頭を下げていた。 彼女は本当に宗司のことを愛していたのだ…… はっ、今となってはただ滑稽なだけだ。 清華は休むと言って、ベッドに横になり目を閉じた。まるで本当に寝入ってしまったかのようだ。 だが、若菜はやはり用心深く、真夜中過ぎになって、ようやくこそこそとクローゼットから這い出してきた。 中にいた時間が長すぎたせいか、足がひどく痺れ、危うく床に倒れ込みそうになる。 彼女は声を出すまいと口を押さえ、腰をかがめてドアまで移動し、慎重にドアを開けた。 ドアが閉まると、清華も目を開けた。 二階の小さなリビングでは、慶子が若菜を支えて座らせ、痛ましそうに彼女の足を揉んでいた。 「可哀想に。苦労をかけたわね。まさかあの子が急に帰ってくるなんて」そう言うと、慶子はふんと鼻を鳴らした。 「お義母さん、私は平気です。ご心配なく」 口ではそう言いつつも、若菜はお腹をさすり、苦しそうな様子を見せた。 それを見た途端、慶子は慌てふためいた。 「子供のほうは?病院に行く?」 「大丈夫です、大丈夫。少し休めば良くなりますから」若菜は殊勝にそう言った。 「清華は、いつもいつも本当に腹が立つわ。もし私の孫に何かあったら、彼女の皮を剥いでやるんだから!」 「もういいだろう。こんな肝心な時に、あいつを刺激するな」敏が向かいのソファに座ったまま言った。 「でも、若菜こそが私たち高遠家の嫁なのよ。しかも今はお腹に赤ちゃんまでいるのに、いつまでも外に住まわせておくわけにはいかないでしょう。それなのに、あの偽物をのさばらせておくなんて!」 「一時的な辛抱だ。金森との契約にサインしたら、あいつは追い出す」 慶子はふんと鼻を鳴らした。「それなら、あの子がうちにいられるのもあと数日ってところね」 若菜は口の端を吊り上げた。だが、宗司の方に目をやると、彼は終始眉をひそめており、どうやら両親のやり方に賛同しかねているようだった。 「私と清華は親友なんです。私が少し我慢するくらい何でもありません。やはり、あの子をこのまま家にいさせてあげてください」若菜は俯きながら小声で言った。 「あなたはあの子を親友だと思って、真心で接してきたんでしょうけど、あの子はあなたのことなんか何とも思ってないわ。じゃなきゃ、あなたからこのプロジェクトを奪い取ろうとなんかするはずないもの」 慶子は言い終えると、まだ俯いている若菜を見て、それから息子は態度を示していないことに今更気づいた。 「宗司、あなたはどう思うの?」 宗司は額を揉んだ。「俺は清華を愛してる。あいつを傷つけたくない」 「でも、若菜こそがあなたの妻なのよ!」 「俺はもう若菜には申し訳ないことをした。これ以上、清華にも申し訳ないことはしたくない!」 「いいえ、あなたのせいじゃないのよ」若菜は慌てて立ち上がった。 宗司は歩み寄り、彼女を抱きしめた。 「もう少し時間をくれ。清華には俺からきちんと話す。あいつは俺をあれほど愛してるんだ。きっとお前と子供のことも受け入れてくれる」 若菜は頷いた。「私、あなたと清華の関係を壊したくないのよ。あなたが彼女を愛するついでに、私と子供にも、ほんの少しの愛情を分けてくれれば、それでいいの」 「理解してくれてありがとう」 敏と慶子は若菜を見つめ、その目には清華に対する辛辣さとは違う、賛同と賞賛の色が浮かんでいた。 清華は廊下に寄りかかり、自分が今聞いたことが信じられなかった。 今は二十一世紀ではないのか。現代に、まさか二人の女が一人の夫に仕えるなどという考えを持つ人間がいようとは。 いや、彼らはそう考えるだけでなく、実行に移している。 ああ、自分は一体どんな家庭に「嫁いで」しまったのだろう。 一人、二人、三人……全員、頭がおかしいのではないか! 「でも、若菜のお腹は日に日に大きくなるわ。そうなったら、さすがにあの子にも隠し通せないでしょう」慶子が心配そうに言った。 敏は少し考えてから言った。「ひとまず、あいつを地方の支社に転勤させる」 その夜、清華は怒りのあまり一睡もできなかった。 翌朝早く、彼女が階下に降りてきたところへ、宗司が大きな薔薇の花束を抱えて入ってきた。 「清華、朝起きたばかりの姿、すごく綺麗だ」 彼はその花束を清華の腕に押し付け、そのまま彼女の肩を抱いてキスしようとしたが、清華は身をかわした。 「あなた、昨夜は服を着替えなかったの?汗臭いわ」 彼は昨夜、若菜を家まで送り届け、恐らく朝方までそこに滞在し、その帰りがけにこの花束を買ってきたのだろう。彼の心の内に、もしかしたらかろうじて存在するかもしれない、ほんのわずかな罪悪感を埋め合わせるために。 「そ、そうか?」宗司は自分の服の匂いを嗅いだ。「ああ、そうだ。昨夜、お前に一番きれいな薔薇を買おうと思って、徹夜で郊外の花卉市場まで行って、店が開くのを待ってたんだ」 清華は白目を剥きたくなった。 この花は、どう見ても向かいの花屋で買ったものだ。包装紙には、その花屋の名前まで入っている。 彼女はそれを突きもせず、甘く微笑んだ。「ありがとう、あなた」 「ちょっと待っててくれ。俺、シャワーを浴びてくる。お前を連れて行きたい場所があるんだ」宗司は言った。 「でも、私、今日、会社に行かないと」 「会社なんて、お前がいなくても回る。それより、俺たち、もう随分デートしてないだろ」 「でも、今日は……」 「待ってろ」 清華が何か言う前に、宗司はすでに二階へ上がってしまっていた。 彼の後ろ姿を見ながら、清華は口の端を吊り上げた。これは、自分が会社に行けないように、わざと足止めしているのだ。 いいだろう。彼らに付き合って遊んでやろう。彼らが次にどんな新しい手を出してくるか、見てやろうじゃないか。 一時間後、宗司は車を運転し、彼女を連れて旧市街の路地へと入っていった。 ここは、良く言えば生活感に満ち溢れているが、悪く言えば、違法建築がひどい場所だ。 衛生状態は基準以下で、交通秩序もほとんどない。 だが三年前、自分たちはここに住んでいた。 あの頃、清華はまだ宗司の素性を知らず、二人とも天城グループのプロジェクト部で働き、普通のサラリーマン並みの給料をもらっていた。節約のために、会社から遠く離れたこの旧市街に部屋を借りて住んでいたのだ。 ワンルーム、家賃はたったの数万円。 この雑然とした路地を、自分たちは数えきれないほどの朝、慌ただしく駆け抜けた。朝日を浴びながら、手を繋いで。まるで、過酷な仕事に向かうのではなく、輝かしい未来に向かって走っているかのように。 あの頃、清華は本気でそう思っていた。 宗司とこの街で家庭を築き、自分たちだけの家を買うために奮闘する毎日は、活気に満ちていた。 車が止まり、宗司は彼女の手を引いて、通りに面した建物に入っていった。 エレベーターはなく、階段を上がるしかない。階段の手すりには長年の油汚れがこびりつき、壁はシミだらけで、塗装も広範囲にわたって剥がれ落ちている。 五階に着くと、宗司はポケットから鍵を取り出し、清華に謎めいた笑みを向け、そしてドアを開けた。 部屋の様子は昔のままだ。清華が足を踏み入れると、まるで一瞬で三年前に引き戻されたかのようだった。 あの頃、自分はこの小さな部屋を飾るのが好きだった。だが、古い家は、大規模なリフォームでもしない限り、どう飾ってもみすぼらしさが拭えない。 実のところ、自分はここを一度も「家」だと思ったことはなかった。自分の実力をもってすれば、きっとこの街の一等地に、とても大きな家を買えると信じていた。 「ここ、買い取ったんだ」宗司が彼女を見つめて言った。 「えっ?」 ここを、買った? 「お前にやる」 「……」 宗司は中に入り、彼がいつも座っていたあの小さなソファに腰を下ろした。 「まだ覚えてるか?あの頃、お前がキッチンで料理をして、俺はここで本を読んでいた。俺たちはそれぞれ別のことをしていたけど、時々、お互いに視線を交わして、笑い合った」 宗司は過去を懐かしみ、幸せそうな顔で言った。 「俺たちの未来も、そうであってほしい」 清華は冷たく鼻で笑った。 自分が早起きして料理をしている時、宗司は寝ていた。 自分が料理を作り終えると、宗司は食卓について、彼女が食器を手元に運んでくるのを待っていた。 食事が終わると宗司は着替えに行き、自分が皿洗いをしていた。 昼間、自分が会社で息もつけないほど忙しく働いている間、宗司は御曹司という身分のおかげで楽な仕事を与えられ、オフィスで一日中コーヒーを飲んでいた。 夜、自分は疲れ切った体でまた料理をし、宗司は今彼が言ったように、本を読んでいた。 そして、ようやくベッドに横になれる時間になると、宗司が絡みついてきて、「お前は情熱が足りない」と不満を言う…… そんなことを思い出し、清華は自分自身を平手打ちしたい衝動に駆られた。 当時の自分は、頭がおかしくなったのだろうか。どうして宗司がこんな風に自分を扱うのを許していたのだろう?! 今、宗司は自分にもっと広いマンションも、豪邸だって買ってやれるはずなのに、よりによってこのボロ家を買い与え、しかもそれに自分自身で感動している。 「私、この家、好きじゃないわ。あなたが好きなら、あなた一人で住めばいいじゃない」 そう言い捨てると、清華は踵を返して出て行った。 階下に着いたところで、彼女のチームの同僚である渡辺文佳(わたなべ ふみか)から電話がかかってきた。 「リーダー、どういうことですか?上が、白石若菜さんを私たちのチームに異動させてきたんです。リーダーの仕事を引き継ぐって……」 第5話 清華があの家を受け取らなかったことで、宗司は本気で腹を立てた。 帰り道、彼は清華に一言も口を利かなかった。 家に帰ると、息子の不機嫌な様子を見て、慶子はすぐに清華を睨みつけた。 清華は慶子など意にも介さず、二階へ服を着替えに上がった。 夕食時、階下に降りると、敏と宗司は二人とも家で食事をとらず、慶子が一人で食卓に座っていたが、清華の分の食器はなかった。 「あなた、随分とご立腹のようだったから、お腹も空いていないでしょうと思って。恵美さんにはあなたの分は用意させなかったわ」 「そうですか」 清華は、恵美が大皿料理をキッチンから運んでくるのを見ると、さっとそれを受け取りに行った。 以前は清華も恵美と一緒に夕食の準備を手伝っていたため、恵美は清華が手伝ってくれるものと思い、何気なく皿を渡した。 だが清華は、わざとそれを受け取り損ねたふりをして手を引いた。大皿はガチャンと音を立てて床に落ちた。 それを見た慶子は、すぐに清華に向かって怒鳴った。「あなた、何してるの!皿を運ぶなんて簡単なことさえできないなんて、私たち高遠家はあなたを嫁にもらって本当に大損だわ!」 「わざとじゃありません」 清華はひどく恐縮したふりをし、慌ててキッチンに駆け込んで新しい皿を持ってくると、床に落ちた料理を素手で掴んで皿に戻し、それを慶子の前に叩きつけた。 「あ、あなた、何てことをするの?」 「どうぞ、召し上がれ。無駄にしてはもったいないですわ」 「私に床に落ちたゴミを食べろっていうの!」 「ゴミこそが、あなたのお口に合うのではなくて?」 「あなた!」 あなた自身が、そもそもゴミなのだから! 慶子が怒りで顔を真っ青にしているのを見て、清華は手を洗い、楽しそうに二階へ上がっていった。 翌日、会社に着くと、文佳がエレベーターホールで彼女を待っていた。 「リーダー、一体どういうことですか、私、心配で死にそうです!あの白石若菜って、リーダーの友達じゃなかったんですか?どうしてリーダーのプロジェクトを横取りするんですか。しかも、もうすぐ契約っていう、まさに成果を手にするって時に!これって、いじめじゃないですか!」 文佳は清華が手ずから育て上げた部下で、彼女と一心同体だ。 清華は彼女の肩をぽんと叩いた。「安心して。準備はしてあるから」 「何の準備です?」 清華は彼女に向かって悪戯っぽく笑ったが、説明はしなかった。 文佳は清華の腕に抱きついた。「とにかく、私を見捨てないでくださいね!」 文佳は清華より三つ年下で、清華にとっては妹のような存在だ。よくこうして甘えてくる。 清華は文佳の額をこつんと叩いた。「わかってるわよ」 プロジェクト部へ入ると、彼女が足を踏み入れた途端、同僚全員の視線が彼女に集まった。何が起こったのか知りたくてたまらない、といった顔だ。 清華は彼らに微笑みかけ、安心させるように頷いた。 「清華、やっと会社に来てくれたのね。早く、私と一緒に社長のところに行きましょう」 若菜はキャリアスーツを着こなしていたが、足元はフラットシューズだった。そのため、清華の前に立つと、随分と背が低く見える。 彼女は清華の手を掴むと、社長室へと向かおうとした。 「社長が突然、私にこのプロジェクトを引き継げなんて言うの。あなたの功績を横取りするわけになんていかないわ。私、断ろうとしたんだけど、社長の態度がすごく強硬で。仕方なく、一旦は引き受けたけど、あなたが会社に来たら、もう一度二人で社長のところに行って、はっきりさせましょう」 若菜は明らかに、これらの言葉をわざと他の同僚たちに聞かせるために言っていた。 この白石若菜は友達を裏切るような人間ではない。利益を捨ててでも、友達の側に立つ、と。 若菜がそう言うのを聞いて、他の同僚たちは案の定、感心したような表情を浮かべた。 清華は若菜を見つめた。 自分の一番の親友は、いつから変わってしまったのだろう。今のような、偽善的な姿に。 あるいは、もしかしたら、自分は若菜の本当の姿を、これまで一度も見たことがなかっただけなのだろうか…… もし若菜の言う通り、自分と一緒に敏のところへ行けば、結果は敏が断固として自分をプロジェクトから外し、若菜に「やむを得ず」このプロジェクトを引き継がせることになるだけだ。 そうなれば、同僚たちは、若菜が親友のプロジェクトを横取りしたとは思わないだろう。自分自身に何か問題があって、社長が頑として自分を外したのだと思うはずだ。 家族ぐるみで、実に息の合った連携プレーだ。 「はあ。会社が私を『用済み』にしようとするんだもの、当然、私も納得いかないわ。でも、あなたが引き継いでくれるなら、いくらか気も休まるわ」清華は若菜の手を握った。「だって、私たちは親友だもの。私の『果実』をあなたが摘んでくれるなら、あなたは当然、私のこの恩を覚えておいてくれるでしょう」 「用済み」という一言で、この件の本質がはっきりした。 そして、「私の果実をあなたが摘む」とは、この成果は清華が苦労して作り上げたものであり、若菜はただ、果実が熟すのを待って摘みに来ただけの人だ、ということだ。 ただ果実を摘むだけの人間に、同じチームの同僚たちが心から悦服するわけがない。 若菜の顔から笑みがこわばった。「わ、私、このプロジェクトを引き継ぐなんてできないわ」 「じゃあ、退職する?」 「私……」 「もちろん、あなたが辞めたくないのはわかってるわ」 清華はにこやかに、あくまで寛大な態度を見せ、それによって若菜の器の小ささを際立たせた。 彼女は若菜を伴わせず、一人で敏のオフィスへ向かった。 敏は彼女が来ることをわかっており、対応策も考えてあった。 「清華。お前も知っての通り、俺は常々お前を高く評価している。いずれ俺が退いて、宗司が会社を継いだ時、お前は間違いなく内助の功を発揮し、あいつの右腕となる存在だ。 今、俺がまだこの会社に睨みを利かせているうちに、お前には高遠家のために新たな地平を切り開いてもらいたい。若いうちこそ、多くの経験を積まねば、大任は務まらん」 新入社員の大学卒業生を洗脳するにはうってつけの言葉だ。だが残念なことに、自分はとっくにこの世界の酸いも甘いも噛み分けた「古株」だ。 「社長。何をおっしゃりたいのか、私にはよくわかりかねますわ」 「海州市(かいしゅうし)にプロジェクトがある。お前にそこへ行って、指揮を執ってもらいたい。あのプロジェクトも同様に重要で、俺はお前しか信頼していない」 はっ。自分を地方に追いやって、その隙に若菜を高遠家に戻して安胎させるつもりだ。 彼ら一家は仲睦まじく、一方で自分は何も知らされぬまま、高遠家のために馬車馬のように働かされる。 この算段、見事すぎて親指を立ててやりたいくらいだ。 「海州市だか何だか、私は行きません。お話はこの前と同じです。金森のプロジェクトを諦めろと言うなら、私に盛大な結婚式をくださいな」 敏は眉をひそめた。「俺が今、こうしてお前に好意的に話をしているのは、ひとえにお前が息子の嫁だという面子を立てているからだ。そうでなければ、ふん!」 清華は眉を吊り上げた。「そうでなければ、どうなさるおつもりで?」 「お前を即刻クビにすることとてできるんだぞ!」 自分をクビに? 「へええ、結構ですわ。でしたら、どうぞ私をクビにしてください!結婚式は、宗司に要求します。ですが、このプロジェクトのボーナスは、きっちりいただきますわ。さもなければ、引き継ぎはいたしません!」 敏は重々しくため息をついた。「清華、お前はいつからそんなに自己中心的になったんだ。実にがっかりだ」 清華は立ち上がった。「私は、働いた分だけの報酬を得る、それは自己中心的ではなく、私が受け取るべき正当な権利だと考えておりますわ」 プロジェクトの引き継ぎをスムーズに行うため、敏は財務部に指示し、その場で清華にボーナスを振り込ませた。 これは決して少なくない金額だ。敏の顔色は非常に悪かった。 だが、敏の顔色が悪くなるにつれ、清華の顔色は実に良くなった。 社長室を出ると、清華は屋上へ行き、金森側でこのプロジェクトを担当しているマネージャーに電話をかけた。 「金森さんから話は聞いているわよね?」 「はっ。今後はあなたがこのプロジェクトの総責任者でいらっしゃると。我々部門一同、あなたの指示に従います」 「明日、天城グループの人間が契約書にサインしに行くわ」 「契約書はすでに作成済みです」 「破棄してちょうだい」 「は?」 「彼らの設計プラン、まだいくつか問題があると思うの。適当にいくつか細かい点を指摘して、修正させて」 「かしこまりました。ご意向、承知いたしました。そのように手配します」 電話を切り、清華はフッと笑った。 やはり、人を馬鹿にするのは、実に面白い。 第6話 プロジェクト部に戻ると、同僚たちが皆、心配そうに彼女のほうを見た。 清華は肩をすくめて言った。「私、クビになったわ」 同僚たちは、ある者はため息をつき、ある者は理解できず、ある者は憤慨した。文佳に至っては駆け寄ってきて、大声でわめいた。 「リーダーは会社のためにあんなにたくさんの大型プロジェクトを成功させてきたんです!今日の会社があるのは、リーダーの功績が一番大きいのに!それなのに、クビだなんて!これって、明らかに……」 「用済み」だ。 文佳はそれ以上口にしなかったが、その場にいた全員の頭にその言葉が浮かんだ。 皆、文佳の言葉に同感だった。清華がプロジェクト部を引き継ぐ前、会社はプロジェクト不足で経営危機に陥っていた。彼女が引き継いでからは、改革に尽力し、背伸びするのをやめて小さなプロジェクトから着実にこなし、一歩一歩、外部からの天城グループへの信頼を再構築していった。 そして、あの正大(せいだい)商業スクエアのプロジェクトをまとめ上げ、一気に天城グループを立て直したのだ。 それなのに、かつて会社を立て直したそんな功労者が、成果を横取りされた挙句、あっさりクビにされるとは? 清華は文佳の肩を叩いた。「ちょうど私も疲れていたの。少しゆっくり休みたいと思っていたところよ」 「でも、私、リーダーのために腹が立って!」文佳は唇を尖らせた。 清華は手を叩き、皆の気分を盛り上げるように言った。「こうしましょう。今夜は私が皆さんにご馳走するわ。一つは、私のクビ祝い。二つ目は……」 清華はそう言いながら、自分のオフィスから出てきた若菜に目をやり、彼女に向かってにっこりと笑いかけた。 「二つ目は、私の大親友、白石若菜さんが、正式にプロジェクト部を引き継いで、皆さんの新しいリーダーになったお祝いよ!」 そう言って、彼女は再び手を叩いたが、同僚たちにそんな晴れやかな気分はなかった。 リーダーが変わって、これまでのような快適な日々が続けられるだろうか? 誰にもわからなかった。 オフィスで、清華は自分の私物を整理し始めた。 五年使ったオフィスだ。彼女の物は実に多く、あっという間に大きな段ボール箱一つがいっぱいになった。 「このコーヒーメーカー、あなたにあげるわ。正直、休憩室のインスタントコーヒーより、こっちで淹れたコーヒーのほうが美味しいもの」清華は若菜に向かって、明るい口調で言った。 若菜は密かに口の端を吊り上げた。清華のこの様子は、きっと無理して明るく振る舞っているだけで、心の中は苦々しさでいっぱいのはずだ、と思った。 「清華、よかったら私が社長に話をして、あなたがプロジェクト部に残れるようにしてあげようか。そうすれば、私があなたの面倒を見てあげられるし」 清華はチッと舌打ちした。「本当に、立場は巡るものね。昔は私があなたの面倒を見ていたのに、今度はあなたが私の面倒を見る番だなんて」 「清華!」 「冗談よ!」清華は笑った。「休みたいって言ったのは、本気よ。ここ数年、忙しすぎて、夫と一緒にいる時間もなかったから。彼が外で浮気でもするんじゃないかって、心配してたの」 その言葉を聞いて、若菜は途端に居心地が悪い様子を見せた。 「もちろん、彼がそんなことするはずないわよね。だって、私ほど綺麗な浮気相手なんて、そうそういないでしょう?」 若菜は乾いた笑いを漏らした。「そうね」 「そうだわ。明日、あなたは天城グループの代表として金森との契約にサインしに行くんだったわね。先に、このプロジェクトの引き継ぎをしておきましょうか」 若菜は考えを巡らせた。「清華、あなた、クビになって気が立っているからって、わざと私に間違った情報を伝えて、明日の契約を台無しにしようとなんて、考えてないでしょうね?」 清華は悪戯っぽく笑った。「他の誰かなら、本当にそうしてたかもしれないわね。でも、あなたは違う。あなたは私の大親友じゃない。私たち、絶対にお互いを裏切るようなことはしないって誓った仲だもの。だから、当然、あなたを陥れるようなことはしないわ。 ……でも、あなたは、私を裏切るようなことを、何かしたの?」 若菜は唇をきゅっと結んだ。「もちろん、ないわ」 清華は若菜の肩を抱き、瞳の奥深くで言った。「私、あなたのこと、信じてるわ!」 午後、清華はショッピングモールをぶらつき、服を数着買い、美容院で髪型を変え、華やかなメイクを施した。 彼女が赤いドレスを纏い、ウェーブのかかったロングヘアをなびかせ、サングラスをかけて会食のホテルに現れると、通り過ぎる人々が次々と振り返り、仲間と「今の、誰か芸能人かな?」と小声で囁き合っていた。 個室に着くと、同僚たちは若菜も含めて全員揃っていた。彼らは清華の姿を見て、皆、息をのむような表情を浮かべた。 「リーダー、普段ノーメイクで、モノトーンのスーツばかり着てたのって、俺たちのために気を使ってくれてたんですね。俺たちがリーダーに見とれて、仕事が手につかなくなるのを心配して」 「リーダー、会社がリーダーをクビにしたのって、リーダーにとっては良いことだったんじゃないですか。これで心置きなく芸能界に進出できますよ。俺、応援します」 「リーダー、旦那さんって一体誰なんですか、すげえ気になる。こんなに綺麗なリーダーと結婚できるなんて、めちゃくちゃ運がいい。毎晩、夢見心地なんじゃないですか?」 普段は上司と部下の関係だが、彼女は同僚たちと常に分け隔てなく接し、非常に良好な関係を築いていたため、彼らも彼女に冗談を言うことができた。 清華はサングラスを外し、一人一人にウィンクを飛ばした。「残念だけど、こんな仙女みたいに美しい私を、あなたたちはもう見られなくなるのよ」 同僚たちはすぐに「えー!」と悲鳴を上げ、「俺たちも一緒に連れてってくださいよ!」と騒いだ。 冗談はさておき、清華は彼らに、今後はもう自分のことを「リーダー」と呼ばないように、と釘を刺した。 「こちらが、皆さんの新しいリーダーよ。彼女は私の大親友なの。だから、私にしてくれたのと同じように、彼女にも良くしてあげてちょうだい」清華は若菜の肩に手を置き、皆に向かって鷹揚に言った。 若菜はまるで部外者、いや、それ以上に、招かれざる侵入者のように見えた。 皆が彼女に向かって笑いかけてはいるものの、その笑顔には血が通っていなく、嘲笑の色さえ含まれているように彼女には思えた。 若菜は立ち上がり、できるだけ堂々と振る舞おうとした。 「皆さん、プロジェクト部の一員になれて、とても嬉しく思っている。これからは皆さんと手を取り合って、再び輝かしい成果を出していきたいと思う!」 彼女はそう言ってワイングラスを掲げ、皆に乾杯した。 皆も立ち上がり、グラスを掲げてそれを飲んだ。 ただ文佳だけは不承不承といった様子で、それが顔にもろに出ており、唇を尖らせて一口飲んだだけだった。 若菜は乾杯の音頭をとり、上司としてやるべきことはやった、これで十分だろう、と思った。何か少し挨拶をしようとした、その時。 清華が編み袋を一つ、テーブルの上に置いた。 「リーダー、その袋、何の武器が入ってるんですか?」 同僚の一人が冗談を言った。その袋はずいぶんと重そうで、清華が持つのも一苦労といった様子だったし、テーブルに置いた時もドンという鈍い音がしたからだ。 清華は謎めいた顔つきをした。「何だと思う?」 皆はあれこれと想像を巡らせ始め、雰囲気は非常に盛り上がった。 そして、清華が袋を開けた瞬間、皆が一斉に目を見開き、驚きで固まった。 袋の中身は、金だった。一万円札が、一束、また一束と、ぎっしりと詰め込まれていた…… 清華は、一緒に残業し、夜を明かし、共に悩み、共に泣き、共に笑ってきた同僚たちを見渡した。天城グループを去ると決めた瞬間から、彼らのことだけが、唯一の心残りだった。 「金森のプロジェクトは、最終的にどうなるかは別として、私にできるところまでは完璧にやり遂げたわ。このプロジェクトのボーナスは、私一人が受け取るべきものじゃない。これは、皆のものよ」 彼女はそう言って、金の束をテーブルの真ん中に押しやり、手を叩いて笑った。「ここに2000万円あるわ。一人200万円よ。さあ、早く持って行って!」 だが、誰も手を出さなかった。彼らは皆、ただ清華を見つめていた。 その瞬間、そこにあったのは、悲しみと、別れを惜しむ気持ちだけだった。 「これから二度と会えなくなるわけじゃないんだから、そんな顔しないでよ。早くお金、持って行って。私がこの2キロ以上ある袋をここまで担いできたのは、あなたたちに泣いてほしいからじゃないの。皆が喜んでボーナスを受け取る顔が見たかったのよ」 同僚の中で最年長の者が、最初に立ち上がって金束を受け取った。「リーダー。俺たちの間に、多くの言葉は必要ないですよね」 清華は頷いて笑った。「ええ。私たちの仲だもん、遠慮する必要はないわ」 他の者たちも次々と立ち上がり、一人一束ずつ取っていった。金がすべて配り終えられると、皆、立ち上がって清華に杯を捧げ、彼女の今後のさらなる活躍を祈った。 全員が杯を掲げる中、ただ一人、その輪に加わる資格のない若菜は、完全に清華の背景と化していた。 そして、清華が望んでいたのは、まさにこの効果だった。自分という前任者がこれだけの「手本」を示した後だ。若菜が少しでも自分に及ばないところがあれば、会社も同僚たちも、若菜に対して不満を抱くことになるだろう。 ふん。自分のこの地位を、誰にでも取って代わることができると思ったら、大間違いだ! 第7話 食事が終わり、同僚たちは皆、満足して帰っていった。 文佳だけが残っていた。肩までのショートヘアにライダースジャケット、バイクを愛し、いつもクールな表情をしているせいで、周りからは「クールビューティー」だと思われているが、実際は清華に抱きついて甘えるのが大好きだった。 今も、清華の腕に抱きついて離れようとしない。「リーダー、私を一緒に連れてってくださいよ。毎日リーダーに会えないなんて、生きてる意味ないです」 清華は呆れて文佳の額をこつんと叩いた。「あなた、いくつになったのよ!」 「とにかく、リーダーよりは年下です」 「はいはい。あなたは私より年下。だから、これから何か困ったことがあったら、ちゃんと私に電話するのよ」 クールビューティーは目を赤くしたが、それでも顔を上げ、涙がこぼれないようぐっと堪えた。 「リーダー。リーダーのあの親友、いい人じゃありません。気をつけてください」彼女は清華に顔を寄せ、小声で言った。 清華は頷いた。「わかってるわ」 「私の話を、本気で聞いてくださいよ」 「私だって、馬鹿じゃないわ」 「リーダーが馬鹿じゃないのは知ってます。むしろ、すごく賢い。でも、身近な人間の裏切りまでは防ぎきれないじゃないですか」 この子は、なかなか物事の本質を見抜いている。これがいわゆる「岡目八目」というものだろうか。 文佳を見送ると、若菜も出てきた。勘定は彼女が最後に済ませた。清華の手から伝票を奪い取って会計した。だが、2000万円もの大金をばら撒いた清華に対し、若菜がこの程度の食事代で、いったいどれだけの人の心を買えるとでもいうのだろう。 「清華、あなたはタクシーで帰るの?」若菜が近づいてきて尋ねた。 清華は答えず、代わりに眉を吊り上げて言った。「あなた、今夜、お酒を飲まなかったわね。皆に乾杯した時、グラスに入っていたのはお水だった」 若菜は一瞬、言葉に詰まった。「わ、私、あんまり飲みたくなかっただけよ」 「違うわ。あなた、絶対に何か私に隠してる」 「隠し事なんて、あるわけ……」 「あなた、まさか、妊娠したんじゃないでしょうね?」 若菜はぎくりとした。まさか清華に、こうもあっさりと言い当てられるとは思ってもみなかった。 彼女のその様子を見て、清華はすぐに確信を持った口調で言った。「あなた、本当に妊娠してたのね!」 「私……」 「まだ私に隠し通すつもりだった?」 若菜は慌てて説明した。「い、言おうと思ってたの。でも、まだ機会がなくて」 清華はわざと、ふんと鼻を鳴らした。「じゃあ、今は周りに誰もいないんだから、正直に白状してもらうわよ。その子、誰の子なの?」 「父親が誰かなんて、重要じゃないわ」 「そんなわけないでしょう!」 若菜は明らかに、清華を騙すための方便を考えていなかった。今、必死で頭を絞っている。 「ええと、実は……実は、青木鎧(あおき がい)なの」 清華は目を細めた。鎧は若菜の元カレだ。自分を騙すためなら、本当にどんな嘘でも平気でつく。 「あなたと彼、もう別れて三年になるでしょう?」 「この間、偶然再会して……それで、なんとなくホテルに行って、一夜を過ごしちゃったの」 「あなた、よくも……」 清華の眼光が鋭くなり、次の瞬間、彼女の手が若菜の頬を打ち、パンッという乾いた音が響き渡った。 若菜は頬を押さえ、衝撃を受けた顔で清華を見た。 「あ、あなた、どうして私を」 「どうしてって?私が今回の出張で青木に会ったからよ。彼は、もうとっくに結婚してたわ!」清華は激怒したふりをして、若菜を指差した。「あなたが、まさか人の家庭を壊す『不倫女』になるなんて!」 「私……」若菜は呆然とした。 「あなた、恥を知りなさいよ!どうして人の家庭を壊すようなことができるの!」 「私、知らなかったの……」 「あなたには、心底がっかりしたわ!」 殴り、罵り終えると、清華は気分爽快になって踵を返した。 彼女はタクシーに乗り込むと、バックミラー越しに、若菜が頬を押さえて、この上なく傷ついたという顔をしているのを見た。やがて彼女はスマホを取り出し、電話をかけ始めた。 清華は口の端を吊り上げ、運転手にホテルの裏口に回るよう告げた。 タクシーを降り、清華はロビーに入った。外を見ると、若菜がまだ立っており、誰かを待っているようだった。 それほど待つこともなく、一台の黒いベントレーがやって来て、ホテルの正面玄関に停まった。宗司が運転席から降り、車の前まで歩いてきたところで、若菜が泣きながら駆け寄り、彼の胸に飛び込んだ。 若菜が何かを言うと、宗司は彼女の肩を痛ましそうに抱きしめた。 清華の心はやはり少し痛んだ。なんと言っても、自分が愛した男と、かつては最高の親友だと思っていた女だ。こんな裏切りを誰がすぐに受け入れられるだろう。 だが、自分はこの程度で打ちのめされたり、天が崩れ落ちたかのように生きる望みを失ったりするほど弱くはない。 自分の中には、常に一つの信念しかない。それは、自分の「努力」には、必ず「見返り」がなければならない、ということ。 もし見返りが得られない、それどころか、このように裏切られたというのなら、自分は自分のために、きっちりと「落とし前」をつけさせるだけだ。 深呼吸を一つし、清華は立ち上がると、大股で外へと歩いていった。 「あなた?」 その声に、二人の体は凍りついた。だが、先に我に返ったのは宗司だった。彼は勢いよく若菜を突き放した。 若菜は不意を突かれ、よろめきさえした。 「あ、あなたたち、二人で?」清華は、何も知らないふりをした。 「お、俺は、お前を迎えに来たんだ。そしたら、入り口で若菜に会って。その、泣いてたから、俺は……」 「抱きしめて、慰めてた?」 宗司は慌てて清華のそばに寄り、小声で言った。「彼女、飛びついてきたんだ。俺が突き放そうとしたところに、ちょうどお前が出てきたんだ」 「そうなの?」 「お前、俺を信じないのか?」 清華は少し黙った。 「もちろん、あなたのことは信じてるわ。若菜のこともね」 彼女はそう言うと、若菜の前に歩み寄り、彼女の手を取って握りしめた。 「さっきは、あなたをぶってしまって、私も辛かったの。でも、あの平手打ちは、あなたに少しでも正気に返ってほしかったからよ。人の家庭を壊しちゃだめ。不倫なんてしちゃだめ。私のこの切実な思い、わかってくれる?」 若菜はまだ頬が痛んだが、乾いた声で言うしかなかった。「わ、私、彼が結婚してるなんて、本当に知らなかったの。もし知ってたら、絶対に、あんなこと……」 「はあ……私もさっきはカッとなってしまったわ。あなたがどんな人間か、私が一番よく知ってるはずなのに。あなたは潔癖で、善良で、真っ直ぐな子。そんなあなたが、こんな恥知らずなこと、するはずないものね。悪いのは全部、青木よ。妻がいるくせに、他の女に手を出すなんて。本当に、吐き気がするわ」 清華は一言で、二人まとめて罵倒した。若菜の顔色は悪く、宗司の顔色はそれ以上に悪かった。 「その子、産むつもりなの?」 「えっ?」 「その子を産むの?」 若菜はちらりと宗司に目をやり、それから言った。「もちろん。私、産むわ」 清華は若菜を抱きしめ、心から彼女を心配しているという風を装った。「大親友として、私はあなたのどんな決断も支持するわ。あなたが産みたいと思うなら、産みなさい。これからの検診も、産後のケアも、子育ても、全部、私が手伝ってあげるから」 「あ、ありがとう」 「こうしましょう。私、あなたの子どもの『名付け親』になるわ」 「え?」 「そしたら、私の夫も、あなたの子どもの『名付け親』ってことになるわね。ああ、なんて素敵なんでしょう」 清華一人が楽しそうにまくし立てる一方で、宗司と若菜の顔からは、完全に笑みが消えていた。 清華は非常に甲斐甲斐しく若菜を車に押し込み、まずは彼女を家まで送ると言い、自分は助手席に座った。 宗司は運転を始めた。最初は少し居心地が悪そうにしていたが、すぐに慣れたようだった。 何しろ、三人は一緒に旅行に行ったことさえあるのだ。罪悪感だの、やましさだのといった感情は、とっくに捨て去っているのだろう。 若菜はさらに適応が早かった。彼女は今や、清華が助手席に座っていることに嫉妬さえしているようだった。 自分こそが「高遠夫人」なのだ。あの席は、明らかに自分のものなのに、と。 清華はそんなことには全く気づかないふりをし、道中、ずっと二人と談笑していた。 ただ、車が赤信号で停まった時、彼女は屈んで、足元から何かを拾い上げた。途端に、彼女の顔が険しくなる。 「高遠宗司。あなた、よくも他の女をこの席に座わせたわね。まさか、外に女がいるんじゃないでしょうね?」 彼女は、手の中の口紅を掲げ、宗司に向かって怒鳴った。