来世は家に帰らない

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来世は家に帰らない

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十五歳のあの年、両親は、ようやく山奥の人里離れた村から私を見つけ出した。 傷だらけで、ろくに育ってもいない私を見て、二人は誓った。 私...

Chương (1)

第1章

十五歳のあの年、両親は、ようやく山奥の人里離れた村から私を見つけ出した。 傷だらけで、ろくに育ってもいない私を見て、二人は誓った。 私が奪われてきたものを、全部埋め合わせると。 母は言った。私は白川家の宝物だと。そして、雑草みたいに踏まれ、名前すら与えられなかった私に、白川珠希(しらかわ たまき)という名をくれた。 父は言った。どんなに忙しくても毎日帰ってきて、一緒に飯を食おう。家の温かさを、取り戻そうと。 これで私は、やっと幸せになれるのだと信じた。 けれど十年後。 私は、偽の令嬢である妹・白川瑠華(しらかわ るか)が、施しのつもりで与えた、ボロアパートの一室で息絶えた。 その年、息子の達也(たつや)は三歳だった。 犯人は面白がって、助けを呼べる猶予を三度だけくれた。 誰かが私のもとへ来てくれたら、子どもだけは見逃す――そう言って。 一度目、十五年もの間、私を探すのをやめなかった父に電話した。 父は使用人に指示して、瑠華の誕生日パーティーを整えていた。呼び出しに気づくと、眉をひそめて言った。 「珠希、今日は瑠華の誕生日だろ。縁起でもないこと持ち込むな」 二度目、私を宝物扱いすると約束した母に電話した。 母は、甘やかすような目で、瑠華がスマホを奪うのを見ていた。発信者が私だと分かると、嫌悪を隠しもせず、「珠希、嘘をつくなら、もう少し上手にしなさい。そんなに騒ぐなら、来月の仕送りも止めるわよ」 三度目、達也の父親――両親が選び抜いた私の夫に電話した。 彼は会議中だと言い、あとで瑠華へのプレゼントも選ばなきゃならないから、私の遊びに付き合う暇はないと告げた。 それでも、おとなしくしていれば来週は子どもを連れて実家に来ていい、みんなで食事をしよう――そう言った。 腕の中で震える息子に口づけして、私は犯人に懇願した。せめて最後の言葉だけ、残させてくれと。 スマホを受け取り、私は家族のグループに、二つのメッセージを送った。 血にまみれた自分の写真を、一枚。 そして、胸の奥から絞り出した、嘘のない短い言葉。 【私は、もう死ぬ。もし来世があるなら――二度と、私をあの家に連れて帰らないで】 第1話 十五歳のあの年、両親は、ようやく山奥の人里離れた村から私を見つけ出した。 傷だらけで、ろくに育ってもいない私を見て、二人は誓った。 私が奪われてきたものを、全部埋め合わせると。 母は言った。私は白川家の宝物だと。そして、雑草みたいに踏まれ、名前すら与えられなかった私に、白川珠希(しらかわ たまき)という名をくれた。 父は言った。どんなに忙しくても毎日帰ってきて、一緒に飯を食おう。家の温かさを、取り戻そうと。 これで私は、やっと幸せになれるのだと信じた。 けれど十年後。 私は、偽の令嬢である妹・白川瑠華(しらかわ るか)が、施しのつもりで与えた、ボロアパートの一室で息絶えた。 その年、息子の達也(たつや)は三歳だった。 犯人は面白がって、助けを呼べる猶予を三度だけくれた。 誰かが私のもとへ来てくれたら、子どもだけは見逃す――そう言って。 一度目、十五年もの間、私を探すのをやめなかった父に電話した。 父は使用人に指示して、瑠華の誕生日パーティーを整えていた。呼び出しに気づくと、眉をひそめて言った。 「珠希、今日は瑠華の誕生日だろ。縁起でもないこと持ち込むな」 二度目、私を宝物扱いすると約束した母に電話した。 母は、甘やかすような目で、瑠華がスマホを奪うのを見ていた。発信者が私だと分かると、嫌悪を隠しもせず、「珠希、嘘をつくなら、もう少し上手にしなさい。そんなに騒ぐなら、来月の仕送りも止めるわよ」 三度目、達也の父親――両親が選び抜いた私の夫に電話した。 彼は会議中だと言い、あとで瑠華へのプレゼントも選ばなきゃならないから、私の遊びに付き合う暇はないと告げた。 それでも、おとなしくしていれば来週は子どもを連れて実家に来ていい、みんなで食事をしよう――そう言った。 腕の中で震える息子に口づけして、私は犯人に懇願した。せめて最後の言葉だけ、残させてくれと。 スマホを受け取り、私は家族のグループに、二つのメッセージを送った。 血にまみれた自分の写真を、一枚。 そして、胸の奥から絞り出した、嘘のない短い言葉。 【私は、もう死ぬ。もし来世があるなら――二度と、私をあの家に連れて帰らないで】 …… 電話がつながったとき、父は瑠華の誕生日パーティーの飾りつけを、取り仕切っていた。 画面の表示を見た瞬間、すぐに眉が寄る。 「今度は何だ」 血の滴るナイフを握った犯人の手を見て、私は恐怖で震えた。 「父さん、さらわれたの。殺される……お願い、来て。達也を連れて、逃げて」 達也は私の子で、まだ三歳。 犯人が押し入ってきたとき、私は寝かしつけていた。 いま達也は私の足元に倒れ、裸足のまま、たくさん血を流している。 「珠希、いい加減にしろ。しょっちゅう騒ぎを起こさないと気が済まないのか? 今日は瑠華の誕生日で手が離せない。縁起でもないことを言うな!」 父は受話器に向かって、苛立ったように言い捨てると、すぐさま使用人へ声を飛ばした。 「田中、瑠華のケーキはもう届いたか?二十段だと、念を押したはずだ。一段でも欠けていたら、ただじゃおかんぞ」 通話は、ばつんと切れた。 ツーツーという音が耳に残り、胸が締めつけられるように痛んだ。 今日も、私の誕生日だ。 二十五年前、私と瑠華は同じ産院で生まれた。 瑠華の母親は金に目がくらみ、私たちの名札をすり替えた。 それ以来、瑠華は京原市でも名の知れたお嬢さまとして、大切に箱入りで育てられた。 私は、田舎の足の不自由な男に、ゴミ箱から拾われた金食い虫だった。誰にも顧みられない、雑草のような命だった。 小さいころから、働くのは当たり前で、飯なんて食べられなくても我慢しろと言われていた。 腹が限界のときは、豚と残飯を奪い合い、豚小屋で気を失った。 目が覚めたとき、耳は一生、欠けたままになっていた。 あの男は言った。これは「ツキが削られた印」だと。 この欠けた分だけ、私は一生、まともな幸せに届かない――そう言って、笑った。 第2話 だけど、甘い記憶がまったく無いわけじゃない。15歳の誕生日、私は初めて腹いっぱい食べた。 覚えてる。湯気の立つおかゆで、表面にとろりとした米の甘い膜が張っていて、香りがよすぎて舌まで飲み込みそうだった。 足の悪いあの男は言った。隣村から金を受け取った、あの家の四十歳にもなるボンクラ息子に私を売るんだ。これからは「幸せ」だぞ、と。 両親が私を見つけたのは、ちょうどそのときだった。 必死で逃げ出した私を連れて帰り、失くした娘だ、これからは二度といじめさせないと言った。 でも、家に着いて初めて知った。二人には、もう一人、娘がいたのだ。 白川瑠華。 顔立ちは整い、素直で気が利く。両親にとって、この上なく可愛い存在だった。 一方、学校に通ったこともない私は、両手が家政婦よりも荒れ、この家の中で、どうしても浮いた存在だった。 二十一歳の年。瑠華が密かに想いを寄せていた、近所に住む年上の男性――篠原海斗(しのはら かいと)が、白川家の宴の席で薬を盛られ、私が寝起きしていた物置部屋へと、転がり込んできた。 翌朝、身なりも整えられないままベッドから引きずり下ろされた。瑠華は海斗の胸にすがり、声も出せずに泣きじゃくっている。そして、両親の視線は、今にも私を殺しかねないほど冷え切っていた。 そこでようやく――あまりにも遅すぎるほどに、理解した。 結局、場所が変わっただけだった。踏みつけられる役は、最初から最後まで、私のままだったのだ。 涙がぽたぽたと落ちても、もう苦しいとは感じなかった。 だって、私はもうすぐ死ぬのだから。 足元にうずくまる息子が、ぴくりと身じろぎし、無意識のまま「ママ」と呼んだ。 その瞬間、息が一拍、止まる。私は乾いた笑いを二つこぼし、カメラを回している犯人を見上げた。 「……もう一度だけ、チャンスをちょうだい」 二度目の電話は、母にかけた。 母は界隈でも名の知れた慈善家で、年中ニュースの見出しを飾っていた。寄付額は、年間で京原市でも指折りの規模だと噂されていた。 児童養護施設での取材映像を、私は見たことがある。 子どもが描いた一枚の絵を目にしただけで、絹をまとった貴婦人は、その場で涙をこぼした。 目を赤くしながら、子どもたちのために一億円を投じて展示会を開く、将来は海外留学まで面倒を見る――そう語った。 けれど、達也には、そんなものはいらない。 誰かが手を伸ばしてくれて、生き延びられさえすれば、それで十分だった。 呼び出し音は前より短く、すぐに繋がった。 一秒も無駄にできず、私は畳みかけた。 「母さん、さらわれたの。殺される。お願い、警察を呼ぶか、今すぐ来て達也を連れて帰って」 向こうはしばらく沈黙して、それから腹を抱えて笑い出した。 義妹――偽の令嬢である瑠華が、スマホをひったくり、楽しそうに笑い転げた。 「お姉ちゃん、いい加減にしなよ。その貧乏くさいツラで、誰がさらうの?冗談も大概にして。あはは、ほんと笑わせないでよ。 ねえママ、そうでしょ?」 母は可愛がるように、手入れの行き届いた瑠華の髪を撫でた。笑みは上品で、冷たかった。 「ええ。瑠華の言うとおりよ」 それから、まだ通話中のスマホを鬱陶しそうに一瞥し、声の温度を落とした。 「切りなさい。お姉ちゃんのことは放っておきなさい。田舎で放ったらかしにされて育った、雑草みたいな子なのよ。そんな話、聞くだけで品が落ちるわ」 氷みたいな言葉が耳に刺さり、私は唇を動かした。口の中いっぱいに鉄の味が広がる。 嘘じゃない、と言いたかった。育ちが歪んだわけでも、人として欠けているわけでもない、と。 そして伝えたかった。私は、雑草みたいに扱われてきただけで、雑草なんかじゃない。私の名前は、白川珠希。 白川家の宝物だと、そう名づけたのは、ほかでもない母さんだった。 瑠華は電話を切らず、もう少し話したいからと言い訳して、スマホを持ったままベランダへ出た。 「珠希、聞こえてる?パパもママも、あんたなんて見てる暇ないの。可哀想なふりで気を引くの、いい加減やめて。今日は私の誕生日。二人は、私のことしか見てないんだから」 第3話 「それに海斗さんもね。わざわざ海外の案件まで断って、私のために飛んで戻ってきてくれたんだよ。 どう?もう降参でしょ?」 その声は気だるくて、勝った人間だけが持てる余裕で、私を見下ろしていた。 でも、そんなことを考えている余裕はなかった。達也が目を覚ましたからだ。 達也は目を開け、そっと私のところまで這ってきた。真っ黒な大きな瞳に、怖さで涙が溜まっている。 「ママ、たっちゃん、いたい……」 胸の奥が、いきなり灼けるみたいに痛んだ。 抱きしめようとした瞬間、犯人が達也の足をつかみ、乱暴に引きずっていった。 引きずりながら私に「静かに」の手振りをして、続けろと言わんばかりに目で命じた。 口の中の鉄の味が、さらに濃くなる。 どこから出た力か、私は椅子ごと床に倒れ込み、ドンと鈍い音を立てた。 痛いと言う暇もなく、かすれ声で瑠華に言った。 私の人生を奪った相手に、這いつくばるように許しを乞う。 「瑠華……私が悪かった。ごめん。父さんと母さんに連れ戻されるべきじゃなかった。あなたと、張り合うべきでもなかった。 でも……嘘じゃない。本当に、さらわれたの。お願い、父さんと母さんに伝えて。来てもらって……せめて、達也だけでも、家に連れて帰って」 喉が潰れるほど訴えても、瑠華は鼻で笑い、私の懇願を面白がるみたいな声になった。 「いいよ。じゃあまず、私に頭を下げな。九十九回、額を床につけたら聞いてあげる」 考える間もなく、私は床から起き上がり、力の限り頭を持ち上げて、勢いよく額を床に打ちつけた。 一回目で、瑠華と初めて会った日のことが蘇る。 見たこともないプリンセスドレスを着て、階段の上から私を見下ろしていた。 「パパ、ママ、その子ってゴミ置き場から拾ってきたの?汚い」 両親は気まずそうに笑い、口では瑠華をたしなめながら、私の部屋だけを、二階の寝室から裏庭の物置へと移した。 五回目だった。十六歳のとき――両親が、私に用意した、ただ一度の誕生日パーティーを思い出す。 大勢の前で、瑠華が足を滑らせて転び、見覚えのない、生々しい写真が束になって床に散らばった。瑠華は慌てた顔で、私を見上げて言った。 「ごめんね、お姉ちゃん。ほんとは隠してあげようと思ったの」 両親は写真を拾い上げ、左右から、私の頬を打った。そして、氷のような声で吐き捨てた。 「恥知らず!」 四十五回目、七十八回目…… 涙と血が床に溜まって水たまりになり、私は目を見開いたまま、機械みたいに回数だけを数え続けた。 頭を下げているのか、自分の尊厳を自分で叩き割っているのか、もう分からなかった。 九十九回目、目から光が消えて、喉の奥から絞り出した。 「瑠華……私の負けだ」 電話の向こうの瑠華もさすがに黙り込み、ひゅっと息を呑んだあと、けらけら笑い出した。 「うそでしょ、お姉ちゃん?私、パパもママも奪って、家も奪って、追い出して、ゴミ漁りしかできないようにしたんだよ?こんなに性悪で、最低な私に……私に、土下座して、額まで床につけたの?」 声を落とし、悪魔みたいに囁く。 「お姉ちゃん、ほんと惨めね」 ツーツーツー…… 通話は切られた。 私は床に転がったまま、死んだみたいにぼんやりしていた。 しばらくして、犯人はつまらなそうに手を広げ、ナイフを持って私に近づいてきた。 達也は犯人の足にしがみつき、泣きながら「ママ」と叫んだ。 私は必死に身を起こし、血でぐしゃぐしゃの額を晒して、達也のために犬みたいに命乞いした。 第4話 「もう一度だけ、チャンスちょうだい。まだ……最後が残ってる」 犯人は眉を上げた。 「両親もお前を捨てた。まだ誰にかけるつもりだ? 諦めろ」 足の悪いあの男に縛られて、知らない男の寝床に押し込まれたときも、同じことを言われた。諦めろ、それがお前の運命だって。 私は諦めなかった。あの男に噛みついて、村の入口まで走った。 そこで、娘を探しに来た父とぶつかった。 私は自分の運命を、自分の手で変えた。 だから今も、結束バンドが手首に深く食い込み、息をするたび、骨まで刺すような痛みが走っている。 痛みなんて感じないふりをして、私は犯人をまっすぐ睨み返した。 「もう一度チャンスをください」 三本目の電話は、海斗にかけた。 彼は達也の父親だ。 二十一歳のときの、あの一件で、私たちの人生はきつく縛られてしまった。 海斗が私を愛していないことくらい、分かってる。 でも達也は海斗の子だ。まだ三歳で、死ぬ理由なんてない。 「海斗さん……さらわれたの。犯人が、達也だけは見逃すって……お願い、来て。連れて行って。今いる場所は……」 「もういい」 海斗は私の言葉を遮って、ため息をついた。 「珠希、今度は何をしでかした。 俺は忙しい。お前の茶番に付き合ってる暇はない。今月の養育費も、いつも通り振り込ませる。金を受け取ったら、大人しくしてろ。いちいち俺を煩わせるな」 達也はその声を聞くなり、犯人の手を振りほどいて、泣きながら「パパ!」と叫んだ。 電話の向こうで男が息を呑み、呼吸がわずかに荒くなる。 心が揺れたのだと思って、私は目を赤くして言葉を継ごうとした。 けれど出てきたのは、うんざりした、薄く冷たい声だった。 「言ったはずだ。同情なんて通じない。養育費はきっちり払う。だが、それを理由に俺の子を歪ませる真似をしたら――覚悟しろ」 受話器の向こうから、瑠華の甘えた声が割り込んだ。 「海斗さん、ケーキ切るよ。早く来て!」 海斗は小さく笑って、「来週、お前と達也を迎えに行く。家で飯を食おう」とだけ言い残し、慌ただしく電話を切った。 三度目のチャンスも、消えた…… 私は悲鳴を上げ、もがいてスマホに手を伸ばし、もう一度かけ直そうとした。 触れそうになった瞬間、スマホは犯人に蹴り飛ばされた。 犯人は達也の片足を掴んで私の前まで引きずり、口元を獣じみた笑みに歪めた。 「ほらな。最初から言っただろ。諦めろって。どうして信じなかった? 今なら、分かったか」 達也は泣きながら私の胸に飛び込み、むちっとした頬は恐怖で真っ赤だった。 「ママ、たっちゃんこわい……ママ……」 私は乱れた髪をそっと撫で、達也を背中に隠した。 「大丈夫、達也。ママがいる。ママが守るから」 犯人が鼻で笑った。 「お前が?」 私は鼻をすすり、目だけは逸らさなかった。 「もう一回、チャンスを。これでも駄目なら……諦めるから」 犯人の笑みが、ぴたりと止まる。 「いいだろ。最後の一回だ。 今回は条件を下げてやる。家族の誰かが電話に出る。それだけで、お前もガキも解放してやる。 ……誰も出なければ、お前は殺すそれだけじゃ終わらない。ガキは三つに分けて、両親のもとへ送りつける」 「いい。約束は守って」 四本目の電話は、母にかけた。 呼び出し音が七回鳴っても、出ない。 犯人は口角を上げ、得意げに肩をすくめた。 「ほら、やっぱり――」 「もしもし?」 電話がつながった。 第5話 だが、母ではなかった。 「どちらさまでしょうか。奥様は瑠華お嬢様のお誕生日に付き添っておりまして、お電話に出る時間がございません。奥様にご用件ですか?」 口の中に溜まった血を飲み込み、かすれた声で答えた。 「私よ……」 相手は一瞬言葉に詰まり、それから困ったように続けた。 「珠希お嬢様、奥様からの言伝です。本日は、あなたからのお電話は一切取り次ぐな、と。 それから旦那様は――あなたが命を落とすまでは、奥様にも旦那様にも連絡を入れるな、とのことです」 「ぷっ……」 犯人が堪えきれず吹き出した。 私は笑わず、受話器にすがるように懇願した。 「田中さん、お願い……お願いだから電話を渡して。出てもらうだけでいいの、話さなくてもいい、出てくれさえすれば……」 あまりにも取り乱していたからか、田中は大きくため息をつき、電話を持ったまま喧騒に満ちたパーティー会場へ入っていった。 「奥様、珠希お嬢様からのお電話です。どうしても出てほしいと……」 母は、瑠華が踊る姿を慈しむように眺めていたが、その声に眉をひそめ、思わず振り返った。 「母さん、母さんお願い、出て!達也を迎えに来てほしいわけじゃない、家に連れて帰ってほしいわけでもない、ただ電話に出てほしいだけなの!」 「奥様、いかがでしょう……」 私の泣き叫ぶ声と田中の取りなしに、完璧に整えられた母の顔がわずかに歪み、長い沈黙の末、渋々と手を伸ばした。 その指が触れようとした瞬間、瑠華が突然現れ、背後には笑顔の父と海斗がいた。 「ママ!早く来て!家族写真を撮るよ!」 瑠華は楽しげに手を振り、小鳥のように声を弾ませた。 母は迷った。 「珠希から電話が来てて……先に出るわ。あなたたちは先に――」 瑠華はたちまち目に涙を溜め、三人をちらりと見てから、くるりと背を向けて走り去った。 海斗が慌てて追いかける。 父は険しい顔で、手にしていたスマホを床に叩きつけた。 「珠希はわざとだ。瑠華の誕生日だと分かっていながら、こういう日に限って問題を起こす。 お前もだ。またあいつの芝居に引っかかって。これまで瑠華が、あいつのせいでどれだけ我慢してきたか、忘れたのか」 母は反論した。 「忘れてない……でも……でも今日は、珠希の誕生日でもあるのよ……」 父は顔を背けた。 「今日死ぬわけでもあるまい。来年、ケーキでも買ってやればいい。 ほら、瑠華をなだめに行け。待たせるな」 母は小さく息を吐き、躊躇なくヒールでスマホの画面を踏み割り、父と並んで立ち去った。 狭いボロアパートに、もう泣き声はなかった。 残ったのは、私を憐れむ犯人だけ。 「何がしたかったんだ?最初から結末なんて分かってただろうに、三度も四度も足掻いてさ。 正直に言うけどな。俺を雇ったのは、お前の妹だ。前金だって、あいつがその場で両親から無理に引き出した金だ」 私は何も言わず、ただ俯いて達也の頬にそっと口づけた。 「……少しでいい。縛りを緩めて、遺言を残させて」 犯人は一瞬、言葉を失ったように固まり、やがて短く頷いた。 スマホを渡され、私は家族のグループに、二つのメッセージを送った。 血にまみれた自分の写真を、一枚。 そして、胸の奥から絞り出した、嘘のない短い言葉。 【私は、もう死ぬ。もし来世があるなら――二度と、私をあの家に連れて帰らないで】