Đang tải thông tin quảng bá...
愛よ、風に舞う雪のように
十八歳の結城海斗(ゆうき かいと)は清水心美(しみず ここみ)を激しく愛していた。 二十八歳の海斗は、その愛を自らの手で壊してしまった。 ...
Chương (1)
第1章
十八歳の結城海斗(ゆうき かいと)は清水心美(しみず ここみ)を激しく愛していた。
二十八歳の海斗は、その愛を自らの手で壊してしまった。
彼は外の愛人のために、妻の母を死に追いやり、かつて愛した人を深く傷つけた。
心美は母の遺骨を抱き、降りしきる雪の中を去っていった。
そして、二十八歳の海斗を、永遠に、あの冬に閉じ込めた。
第1話
「海斗、お願い、母さんが心臓発作で、本当に危ないの……」
吹雪く街中。
清水心美(しみず ここみ)は息も絶え絶えの母を抱きしめ、必死に懇願している。
電話の向こうの結城海斗(ゆうき かいと)の声は疲れ気味だ。「もうやめろ。何年も同じ芝居ばかりで、飽きないのか?」
心美が説明する間もなく、電話は切れた。
頬に落ちる雪は、氷のように冷たい。
心美は慌てて上着を脱ぎ、母にかける。
薄い一枚のコートでは、消えゆく命をつなぎ止めることはできない。
心美はただ、腕の中で母の息が次第に弱まっていくのを見守るしかなかった。
信じられない思いで母の冷え切った手を揉み、心肺蘇生を繰り返した。
最後に、苦悶の叫びが上がった。
「誰か助けて!お願い!母を助けて!
海斗、どうして、どうして私にそんなことを?」
絶望の叫びは雪原に消え、何の答えも返って来ない。
救急車が到着したとき、心美の母はすでに生命の徴候を失っていた。
心美が病院に駆けつけて待ち受けたのは、死亡診断書だけだ。
「残念ですが、時間が経ちすぎていました。患者さんは常に薬を携帯すべき状態でした。もしすぐに服用できていれば……
正月期間で火葬場は休業です。再開は一週間後になります。遺体は霊安室に仮安置されますので、どうかお体を大切に」
医者はため息をつき、さらに慰めの言葉をかけようとしたが、心美の心が死んだように絶望的な目を見て、結局何も言えなかった。
心美は床に崩れ落ち、心臓も母と共に死んだかのようだ。
激しい痛みの後、深い麻痺が訪れる。
目の前の現実を受け入れたくなかった。ましてや、幼なじみで夫である海斗が母を死なせたなんて。
今日は本来、結城家の実家に新年を祝いに行くはずだった。
両家は長年親交があり、心美の母は体が弱くあまり出歩けなかったが、年末に病状が少し回復し、医者の許可を得て、彼女はこの再会を心待ちにしていた。
正月の食材や贈り物は、すべて両家の好みに合わせて用意したものだった。
しかし途中、海斗の秘書の林優奈(はやし ゆな)から電話がかかってきた。
彼女は泣きじゃくりながら言った。「社長、会社で残業中に足を挫いてしまって……一人で怖いです……」
それを聞いた海斗は、ブレーキを踏み外しそうになった。
彼は必死に平静を装ったが、心美は彼の目に本来あるべきではない心配の色を見て取った。
「心美、道がわかるだろう。先にお義母さんとタクシーで行ってくれ。優奈の方が緊急で……」
心美が承諾するわけがなかった。
極寒の中、母の体が耐えられるわけがなかった。
だが優奈のことで頭がいっぱいの海斗は、心美の説明も聞かず、乱暴に彼女を車から降ろした。
心美の母は娘を気遣い、タクシーでも同じだと慰めた。
心美が口を開く間もなく、海斗は優奈を心配して車を走らせてしまった。
そして車を降りて間もなく、心美の母は体調不良を訴えた。
薬は車の中。心美は海斗に戻ってくるよう懇願した。
しかし返って来たのは、いつもの言葉だった。
「心美、わがままはよせよ。優奈は会社のために怪我をしたんだ。卒業したばかりの子と嫉妬し合う必要があるのか?」
彼は足を挫いた優奈を心配し、虚弱な妻と年老いた母のことは全く顧みない。
それどころか、心美の母が娘を甘やかしたせいだと非難までした。
しかし母は意識を失うその瞬間まで、海斗を庇っていた。
息も絶え絶えに、心美の手を握りながら繰り返し囁いた。
「海斗は良い子よ、彼を責めないで、仲良く暮らしなさい」
一粒の涙がこぼれ落ちる。
その時、海斗から電話がかかってくる。
「君とお義母さん、まだ着かないのか?優奈が帰省のチケットを買えなかったから、家に連れて来て一緒に正月を祝うことにした。
大事な時に、やきもち焼いてわがまま言うなよ。みっともない」
心美は虚ろに遠くを見つめる。
その瞳にはもう光はなかった。
これが、二十年も愛し続け、幼い頃から共に過ごした夫なのか?
昔は確かに、激しく愛し合った。
清水家と結城家は通り一つ隔てただけ。心美は物心ついた頃から、海斗の後をついて回っていた。
二人は共に学び、共に育ち、共に事業を起こし、共に家庭を築いた。
最も苦しかった時期、二人は地下室で暮らした。
一杯の素麺を、心美が麺を食べ、海斗は汁でおにぎりをかじった。
互いに支え合った二十年間、海斗は心美に一度も苦労をさせなかった。
あの頃の海斗は天に誓ったものだ。「必ず出世して、心美を幸せにする」
しかし今、お金は手に入ったが、家庭は失った。
出世した海斗は新しい家と車を手にし、若く美しい秘書も得た。
年老いた心美は、実績がなく、嘘つきで嫉妬深い女と化した。
彼女は苦笑し、泣く力さえも失っている。
しばらくして、ようやくゆっくりと口を開いた。
「安心して。嫉妬なんか、もうしない」
彼女はもう二度と海斗に嫉妬することはない。
あの幼なじみで、共に歩んだ少年は、吹雪と共に、母と共に、心美の心と共に、消え去ったのだ。
「そうなら一番だ。早く来いよ。優奈は料理ができないから、母さんの手伝いをしてくれ」
心美は黙って電話を切り、音も立てずに涙を流した。
もう二度とあの家に戻って、黙々と働くことはしない。
この数年、母と二人で世界一周の夢を見ている。
しかし二人は、一人は重い病に、もう一人は雑事に満ちた結婚生活に閉じ込められていた。
今、ようやく解放された。
心美は決意した。一週間後、母の遺灰を携えて世界を旅すると。
過去の人々も出来事も、未練はもうない。
第2話
母の遺体を安置した後、心美は一人で結城家を訪れる。
海斗の両親はすでに長く待っており、心美が一人で来たのを見て、少し驚いた。
「お母さんは?久しぶりに会えるのを楽しみにしていたのに。朝早くから準備して、彼女の大好きなお茶まで淹れて待っていたのよ」
その言葉に、心美の涙がまた溢れそうになった。
まだ口を開く前に、優奈が書き初めを持って近づいてくる。
「心美さん、やっと来ましたね!海斗さんが無理やり書き初めを書かせました。字が下手ですって言ってるのに聞いてくれなくて、ほら、こんな字、どうやって貼り出せますか」
すると海斗は書き初めを受け取り、真剣に壁に貼り付ける。
そして親しげに優奈の頬を包み、顔に付いた墨を拭ってやる。
「君が書いたものが一番だよ」
「海斗、心美の前で何てことを」海斗の母は不満げにたしなめた。
海斗ははっとし、ここがオフィスではないとようやく気づいた。
彼は気まずそうに心美を見る。
説明しようとしたが、彼女の目には冷たい無関心しかなかった。
彼女は二人の親しげなやり取りを気にかけておらず、海斗の説明も必要としていなかった。
彼女の心は、もはや海斗のために揺さぶられることはないのだ。
気まずい空気を感じ取った海斗の母が、取り成そうとした。
「もういい、皆で立ってないで台所に行きなさい。私が心美と話すから」
海斗の母は心美をソファに座らせ、他の人たちを台所に追いやった。
明らかに心美をひいきしている態度だ。
「ほら、目が赤いじゃない。海斗に泣かされたのね?安心して、母さんが味方だから」
心美が母の死を告げようとした時、海斗の母はため息をついた。
「実は私も最近、心臓病と診断されたの。あなたのお母さんと私、この年老いた親友は、もうすぐ天国で会うことになるでしょ。死は怖くないけど、あなたたち二人のことだけが心配でね」
いつも自分を気遣ってくれる海斗の母を見て、心美は言葉を飲み込んだ。
母はもう二度と戻らない。母の生前の親友までも、自分のせいで不安にさせるわけにはいかない。
食事の後、海斗の母は体が持たず、海斗の父と共に部屋に戻って休んだ。
心美は眠れず、一人で居間に座ってぼんやりしている。
ふと見上げると、優奈が数の子を持ち、ゴミ箱に捨てるところだ。
「何してるの!これは母が手作りしたものよ」
心美は優奈を押しのけ、胸を痛める。
近づいてみると、ゴミ箱には数の子だけでなく、母が準備した様々な贈り物も入っている。
母が病身を押してこれらを準備した姿を思い出し、心美の心は激しく痛んだ。
我慢の限界に達した彼女は優奈に怒鳴った。「これを拾って!きれいに片付けろ」
「心美、また何を騒いでるんだ?」
物音を聞きつけた海斗がすぐに駆けつけ、優奈を守るように前に立つ。
彼は涙で潤んだ優奈をいとおしそうに見つめる。
「安っぽいものばかりじゃないか。捨てたって構わない。何を大げさに騒ぐんだ。こんな手作りのものは雑菌だらけだ。優奈はみんなのことを思ってのことだ。
そんな大声を出して、みっともない。早く優奈に謝れ」
心美は信じられない様子で海斗を見つめる。
優奈がこれらの価値を知らないのはともかく、海斗が知らないわけがない。
彼は母が病を抱えながら、一つ一つ正月のものを準備し、確認していたのを見てきたはずだ。
長く病んでいても、母は海斗が子供の頃、数の子が一番好きだったことを覚えていた。
外で買うのは本物じゃないと心配して、わざわざ手作りしたのだ。
心美が「無理しないで」と言っても、母は笑って答えた。
「海斗は私の実の息子と同じよ。母親って、子供が幸せそうにしているだけで十分なのよ」
なのに海斗は、その真心を踏みにじった。
この瞬間、心美の中に溜め込んでいる感情がついに爆発した。
「これは母が遺してくれた最後のもの!私たちへの思い出よ!
母を死なせただけでなく、その真心まで踏みにじるつもり?結城、母はあんたにそれほど尽くしたのに、それに報いるつもりはないの?」
そう言いながら、心美は泣き崩れる。
悲しみに満ちた泣き声は、外の花火の音さえも掻き消した。
祝いの雰囲気に包まれるはずの夜に、哀しみが広がっていった。
海斗は戸惑い、その場に立ち尽くした。
これまで心美は泣いたり騒いだりしてきたが、これほどまでに取り乱したことはなかった。
その時、傍らの優奈が泣き声を潜めて口を開いた。
「心美さん、私のことが気に入らないなら、はっきり言ってください。おばさんを言い訳にしないでください。
私が会社に来てから、今日は気分が悪い、明日はおばさんの容態が悪化したって。毎回大げさに言って海斗さんを騙して呼び出しました。でも、私たちは本当に清らかな仕事上の関係です。年配の方の安否を口実にして嫉妬するなんて必要ないでしょう」
優奈の言葉を聞いて、海斗の目の中の心配は強い軽蔑へと変わる。
彼は嫌悪感を露わに心美の手を振りほどく。
「もういい!正月だっていうのに、それ以上図々しいことをするなら、出て行け!お義母さんと芝居を打っても、僕が騙されると思うな!
お義母さんが、よりによって正月に死ぬなんて、そんな都合のいいことがあるか」
海斗の言葉は心美にとって雷に打たれたような衝撃だ。
心美が反応する間もなく、階段口に立つ海斗の母の震えるような表情を目にする。
海斗の母は目を閉じ、その場に倒れこむ。
第3話
家族はもう言い争っている場合ではなく、慌てて海斗の母を病院に運び込む。
幸い、海斗の母は驚きによる一時的な失神だけで、大事には至らなかった。
ようやく息をついた心美に、海斗が突然、平手を打ちつける。
彼は目を赤くし、怒りに燃える視線を心美に向ける。
その眼差しは、不倶戴天の敵を見るかのようだ。
「清水、なぜそこまで陰険なんだ!僕の気を引くために、そんな嘘までつくとは!母さんに何かあったら絶対に許さない」
その一撃はあまりに強く、心美の頭の中は耳鳴りでいっぱいになった。
頬は腫れ、口の中に濃い血の味が広がる。
傷に触れて声はかすかで、感情も読み取れなかった。
「お義母さんの命は大事で、私の母の命はどうでもいいの?
結城、私はずっとお義母さんのことを心配してたの。あんたは、私の母のことを一度でも気にかけた?こんな寒い日に、心臓病の母が……」
「黙れ!聞きたくない」
海斗の手もひりひりと痛んでいる。
心の奥では少し後悔している。理性と感情は、心美に手を上げるべきではないと告げている。
しかし母子の絆は、何よりも強い。
激しい怒りの中で、理性を失うのも無理はない。
彼は、これ以上心美に対して、過激な行動を取ってしまい、二人の関係が取り返しのつかないことになることを恐れた。
そこで会計の口実を見つけ、その場を離れる。
その夜、心美は一睡もせずに海斗の母の看病をした。
一方の海斗は、怯える優奈を慰めるのに忙しかった。
翌日、海斗の母が目を覚ますと、焦って心美の手を握りながら尋ねた。「昨夜、あなたが言っていたことは、本当なのか?」
海斗の母は、心美を幼い頃から見守ってきた。
この子が誠実で、決して嘘などつかないことを知っている。
もう隠せないと悟り、心美は母の死の経緯をありのままに話す。
必死に平静を保とうとしたが、話し終わる頃には涙で顔が濡れている。
涙で曇った目で海斗の母を見つめる。
「お義母さん、私の味方になってくれるって言ってくれたよね。もう何もいらない。結城と離婚させてください」
ここまで来ては、もう続ける意味はない。
かつて愛し合った二人は、今や顔を見るのさえ辛い。
互いに憎み合い、怨みばかりを抱えている。
絡み合って互いを消耗し合うより、さっさと別れた方が良い。
海斗の母は言葉より先に涙があふれる。
しばらくして、ようやく震える声で口を開く。「わかった。約束する。何でも約束する。
可哀想な子、まさかあの愚か者が、そこまで愚かなことをするとはな。結城家はあなたに、一生かけても償えない……」
命を、何で償えるというのか。
仮に命で償ったとしても、心美の母が戻ってくるわけではない。
心美には、もはやこれらの是非を論じる気力もない。
母が亡くなった時の、引き裂かれるような痛みは、思い出すこともできない。
今の彼女の望みはただ一つ。永遠に海斗との関係を断ち切ること。
二度とこの男を見たくない。
元々体調が優れない海斗の母は、突然の悲報に耐えきれず、二人が悲しみに溺れて自拔きできなくなることを心配し、心美に帰宅して休むよう優しく勧めた。
海斗の母に問題がないことを確認すると、心美はコートを着て母の葬儀の手配に向かおうとした。
病院の入口で、ちょうど海斗と優奈を目にする。
二人は焼き芋屋の前で並んで座り、一口ずつ焼き芋を分け合っている。
海斗の顔には、心美が長年見てこなかった笑顔が浮かんでいる。
それは暖かい陽射しのように明るく、青春への憧れに満ちている。
心美の心は避けられない痛みを感じる。
彼女は自分の青春の全てを海斗に捧げた。
なのに今、彼は若く美しい別の女を通して、自分たちの過去を懐かしんでいる。
彼は母を死に追いやり、結婚を裏切り、そして愛情と記憶までも汚した。
冷たい風が、愁いを吹き散らす。
心美はこれ以上考えたくなく、胸の痛みをこらえてその場を離れる。
彼女は離婚協議書を印刷し、線香を買う。
霊安室の近くで線香に火をつける。
線香の灰は、想いと共に風に乗って遠くへ舞っていく。
熱い炎の中に、母の笑顔がぼんやりと見えたような気がする。
心美の涙が落ちる前に、この光景を目にした海斗が急ぎ足で駆け寄ってくる。
彼は心美を押しのけ、燃える線香を踏み消す。
「母さんはまだ死んでないんだ!呪う気か?清水、良心はないのか?ここまで母さんに世話になっておきながら」
心美の背中は手すりにぶつかり、思わず息を呑む痛みが走った。
しかし心を切り裂かれるような痛みに比べれば、この程度は何でもない。
心が死んだ者に残るのは、麻痺だけだ。
彼女はもう争う気力もなく、ただ静かに用意しておいた離婚協議書を差し出す。
「結城、離婚しよう」
どうせ何を言っても、彼は聞かず、信じない。
ならば、互いに自由を手放した方がいい。
過去の感情に縛られて、互いを苦しめ合うのはもう終わりにしよう。
第4話
「離婚」という二文字は、冷たい水のように海斗の怒りを消し去った。
冷たい風が吹き抜け、彼は歯がガチガチ鳴るほどの寒さに襲われる。
何とも言えない感覚。
胸の痛みと怒りが入り混じっている。
二人は長年一緒に過ごし、最初は蜜のように甘く幸せだったのに、いつの間口論が絶えなくなった。
紆余曲折を経てきたこの数年、二人は互いに心の一線を守り、最後の一歩は越えなかった。
彼が手を上げたのは初めてで、彼女が離婚を口にしたのも初めてだった。
しかし、これが二人の結末であるはずがない。
何しろ、二人は学生時代から結婚まで、無名から事業の成功へと歩んできた。
一緒にトレンド入りし、新聞にも載り、誰もが認める理想の夫婦だ。
たとえどんな不愉快なことがあったとしても、長年積み重ねてきた思い出があるのだから、互いに一歩譲り合えば、まだやり直せるはずだ。
幼なじみで、結ばれた妻。
心美は海斗にとって、やはり特別な存在だ。
そう思うと、海斗は離婚協議書を奪い取り、まだ燃えさかる火の中に放り込む。
「わがままにも限度ってものがある。これ以上つきあう気力はない。
昨日の件は、確かに少しやりすぎた。欲しいものがあれば自分で買え。僕からの償いだ」
海斗はカードを一枚取り出し、心美に手渡す。
心美はそれを受け取らず、視線を優奈に向ける。
彼女が着ているオートクチュールのスーツ、身に着けているジュエリー、そして口に塗った新年限定リップですら。
全て海斗が選んで贈ったものだ。
かつては、海斗も同じように心を込めて心美に接していた。
なのに今、彼は金で昔の愛する人をあしらうだけ。
心美は知っている。海斗は愛する人には常に惜しみなく与えるのだと。これはもしかすると、ここ数年で彼が唯一変わらなかった点かもしれない。
ただ、時が経つにつれて、彼の心の中の人は、もはや心美ではなかった。
しかし心美に必要なのは、海斗の施しなどではない。
彼女が望むのは、六日後、二人が二度と会わなくなること。
だから彼女はカードを受け取らず、海斗を深く見つめた後、ひとり背を向けて去っていった。
黒いコートをまとった心美は、そうして真っ白な雪の中に消えていった。
まるで墨が一滴、水に溶けて跡形もなく消えるように。
海斗の胸はざわつき、無意識に追いかけようとした。
自分でも理由は分からない。
いつの間にか、心美と彼は別々の道を歩み始めていた。
二人はどんどん離れていき、絆は薄れていった。
海斗が考え込む間もなく、優奈が温かい焼き栗の入った袋を抱えて近づいてくる。
「海斗さん、おばさんに会いに行きましょう。焼き栗買ってきましたから、後で剥いてあげますね」
海斗は一瞬、ぼうっとした。
昔の心美が焼き栗が一番好きだったことを思い出した。
でも、目の前の愛らしい優奈と、さっき冷たい顔でわがままを言う心美を思い出すと。
彼は過去の思い出を頭の隅に追いやる。
海斗は笑顔で優奈の頭を撫で、彼女と肩を並べて、別の道へと歩き出す。
雪で道が滑りやすく、心美は転びそうになりながら家まで歩いて帰った。
家の見慣れた光景を見ると、こらえていた涙がとうとう溢れ落ちる。
この家には、彼女と海斗の思い出、そして彼女と母の思い出が詰まっている。
海斗の会社が軌道に乗った後、彼は全額自己資金でこの家を買った。
権利書を手にした彼は感激の涙を浮かべ、心美を抱きしめては泣き、笑った。
「心美、やっとできたよ。ようやく僕たちの家ができた。もうあの借家で暮さなくていい。安心して、これからの生活はどんどん良くなるから、誰も僕たちを引き離せない」
彼は心美の母が起業を助けてくれたことに感謝し、心美の母の体調が優れないと知ると、自ら家に招き、孝行した。
家族水入らずの幸せな日々だった。
でも今、海斗はどれくらい家に帰っていないのだろう?
心美はリビングの家族写真に視線を落とす。
彼女には思い出せなかった。
生活はどんどん豊かになるのに、側にいる人はどんどん減っていく。
最初に「永遠に離れない」と誓った人が、真っ先に心変わりして去っていった。
この大きな家にいた人々は、去り、散り散りになった。今では心美一人だけが取り残された。
広がる夜の闇の中で、より一層孤独さが際立っている。
でも構わない、心美は家族写真に向かってため息をつく。
あと数日もすれば、彼女もここを去り、二度とこの悲しい場所には戻らない。
心美は気を落ち着け、母の遺品と自分の荷物の整理を始める。
母は質素な生活に慣れていたので、彼女のものは多くなく、心美は麻痺したような平静を保っている。
しかし、ソファの隅で、母が編みかけだったセーターを見つけた時、彼女の平静は崩れる。
緻密な編み目、その上には小さく「結城」の文字が刺繍されていた。
しばらく呆然とし、突然、涙が抑えきれずに溢れ落ちる。
意識的に押さえつけてきた多くの思い出が、一気に押し寄せた。
父は早くに亡くなり、母は苦労を重ねて心美を育て上げた。
彼女はすべての典型的な母親のように、自分の人生を子供に捧げた。
彼女は心美を愛し、同じように海斗も愛していた。
小さい頃から、服や靴下、お菓子に至るまで、心美にあるものは、海斗にも必ず同じものがあった。
その後、彼らが起業すると、母は家事をこなしながら、アルバイトをして家計を助けた。
今考えれば、彼女の病気は、少なくとも半分は彼らのために無理をしたせいだった。
様々な感情が、手の中の毛糸のように心美の胸に絡みついた。
少しでも思い出すと、全身が引き裂かれるように痛む。
痛みは彼女の食欲を奪い、眠れなくさせた。
痛みは彼女に恨むことさえもできなくさせた。
心美は自分が、凍り縮んだ生ける屍のようだと感じる。一生分の涙を流し尽くし、もはやこの世の喜怒哀楽を感じることができない。
彼女はぼんやりと二日間を費やし、すべての荷物を整理した。
海斗に関わるものはすべて、ゴミ箱に捨てられた。
母の遺品は、丁寧に保管された。
この間、海斗は一度も帰ってこなかった。
心美は優奈の自慢げなインスタの投稿にも気にかけなかった。
彼女は日程を見ると、あと三日。
海斗に会わないのが一番だ。最後の時を静かに過ごせる。
しかしその日、海斗が疲れ切った様子で帰ってくる。
第5話
ドアを入ると、海斗はすぐに心美を抱きしめる。
「数日会わないだけで、すごく寂しかったよ」
心美以前のように熱心に応えることはなく、無表情で二歩下がる。
海斗の手は空中に浮いたまま。
彼の心も、宙ぶらりんになった。
彼は少し慌て、少し苦しかった。
心美との間に、何かが変わってしまったとぼんやり感じる。
この感覚は海斗を不安にさせ、彼は思わず言い訳をした。「まだこの前のことを怒っているの?謝ればいいんでしょ、カードが気に入らないなら構わない。わざわざプレゼントを買って謝罪に来たんだ」
彼は背後から一束の鮮やかな赤いバラを取り出し、心美に差し出す。
「仲直りおめでとう」と、機嫌を取るような笑顔を浮かべる。
心美は信じられないというように目を見開き、すぐに口と鼻を覆う。
彼は心美が花粉アレルギーであることを忘れているだけでなく、母が亡くなったばかりのこの時期に、赤いバラで祝おうというのか!
心美は我慢できずに花をゴミ箱に投げ捨て、怒りに満ちた目で海斗を睨みつける。
「母の初七日さえまだ過ぎていないのに、何を祝っているの?」
心美の態度を見て、海斗も怒った。
金持ちの周りに女が群がっていない者などいない、再婚だって珍しくない。
彼は心美に体面と尊重を与え、不自由のない生活を送らせている。
優奈に惹かれる気持ちがあったとしても、心美の立場を揺るがすつもりはなかった。
今回は確かに自分が悪かった、でももう頭を下れて謝っているのに、これ以上どうしろというんだ?
海斗は花を乱暴に放り、さらに腹いせに傍らの箱を強く蹴る。
「いつまで続ける気だ、優奈が全部話してくれたぞ。病院でお義母さんを見かけたってな、とても元気そうだったそうだ。
清水、本当に冷酷だな。嫉妬のためなら自分の実母すら呪うとはな!鏡を見てみろ、今の君はどんな顔だ?」
今や痩せ衰え、憔悴しきった心美は、もちろん若く美しい優奈には敵わない。
しかし、誰が彼女をこんな姿にしたのか?
そして、誰が最初に心を変えたのか?
心美は言い争うする気力もなく、ただ胸を痛めながら地面の箱を抱きしめる。
中身は、全て母の遺品だ……
二十年もの間共に暮らしてきたのに、海斗は心美という妻を信じず、心美の母という慈愛に満ちた年長者を信じない。
その一方で、優奈のでっち上げや噂話を信じる。
二十年間の感情、全てを注いで尽くしてきたのに。
たとえ犬を飼ったとしても、海斗より万倍はマシだ!
心美が箱を抱えて泣いている間に、海斗はもうドアを蹴って出て行った。
散らばるバラの花びらは、彼らのぼろぼろになった愛のようだ。
雪に映れば涙のように、地に落ちれば血のように。
かつて温かく幸せだった家は歪み、まるで大きな口を開けて心美を飲み込もうとするかのように思えた。
彼女はもうこの家にいられない。海斗に関するすべてに向き合うことができない。
一日、一時間、一分たりとも耐えられない。
息が詰まるのはバラではなく、あの薄情な男の存在だ。
彼女は壁の家族写真を叩き割り、自分と母の写真を切り取り、母の遺品を持って近くのホテルに移り住む。
離婚協議書に署名がなくても構わない、これから裁判をする時間はたっぷりある。
三日後、心美は母の遺骨を持ってここを去る。
もう海斗に会いたくない、もう一言も言いたくない。
しかしその夜、海斗からまた電話がかかってくる。
「どこに行ってるんだ?わめき散らして家出までして、こんなめでたい日に、一体何を騒いでるんだ!
すぐに家に帰ってこい。優奈の母さんが病気でここに診察に来ている。僕たちは仕事で忙しい。君は普段家で何もしていないくせに、病人の世話は得意だろうから、これからついでに優奈の母さんの面倒も見てやれ」
心美は海斗の厚かましい言葉に気が遠くなりそうだ。
彼は優奈のために母を死に追いやりながら、逆に心美に愛人の母親の面倒を見させようというのか!
ちょうどその時、優奈も心美に写真を送ってくる。
海斗が二人と食事をしているところだ。
優奈の母は顔色も良く、楽しげに笑っている。少しも病状は感じられない。
優奈は真っ赤な服を着て、笑みを浮かべ海斗を見つめている。
そう、彼らにとって、これは確かにめでたい日なのだ。
家族三人でにぎやかに新年を祝っている。
しかし心美は、打ち上げ花火の下で、亡き母の遺影を抱き、夜通し涙に明け暮れるしかない。
返事のない海斗は少しイライラしている。
彼は、さっき家に帰って心美を見つけられなかった時の慌てふためいた感情を、永遠に忘れない。
長年連れ添い、心美の存在は彼の人生で欠かせない一部となっている。
血のつながりのように、彼らは一体と化している。
たとえ骨を折っても、まだ筋でつながっている。
彼は心美のいない生活に耐えられず、ましてや彼女の出て行くことを受け入れることなどできない。
彼は、ここ数年心美に良すぎたのだと思った。
優奈の言う通り、家の主として威厳を示すべきなのだ。
海斗は、心美に自分なしではやっていけないと悟らせようと決意した。
そうすれば、心美は大人しく彼のそばに留まるだろう。
彼は声を冷たくして脅した。「忘れるなよ、お義母さんの医療費は僕が払っているんだ。これ以上騒ぎ続けるなら、君のカードを止めるからな。いつまで演じ続けられるか、見せてもらおう」
これを聞いた心美は、怒りのあまり笑いが出る。
彼女は母の遺影を見つめ、冷たく「消えろ」と一言返した。
その後、ためらうことなく二人の番号をブロックする。
彼女は恐れない。
母はもう亡くなった。
心美と海斗の最後の絆は、彼自身の手で断ち切られたのだ。
彼の脅しでは、去りたい心を留めることはできない。
第6話
電話を切った後、心美はぼんやりと顔を上げ、窓の外の果てしない闇を見つめる。
どうして二人がこんなところまで来てしまったのか、彼女自身にもわからない。
八歳の頃の無邪気な約束。「一生離れない」
十八歳の頃、永遠を誓い「苦楽を共にしよう」と言った。
今、心美は二十八歳になった。
幼い頃の愛は、とっくに消え去っていた。
海斗との間に残されたのは、罵り合いと憎しみだけだ。
心美はゆっくりと目を閉じ、呟くように言った。
「お母さん、会いたい」
彼女は慎ましく母の遺影の涙を拭い、冷たい写真立てを胸に抱きしめ、赤ん坊のように自分を丸める。
そうして、少しずつ長い時間を耐えしのいでいった。
外の花火の音は次第に消え、帰省していた人たちは新たな旅路についた。
カレンダーの日付が、心美に告げる。
もう行く時だ、と。
心美はすべての荷物を確認し、タクシーで火葬場へ向かう。
母のために良い骨壺を買おうとしたが、カードを出すと、とっくに海斗に凍結されている。
復帰したばかりの職員は不機嫌そうで、心美をじろりと睨みつける。
「金がないならここで邪魔しません。見かけは立派なのに、お母さんにそんなにケチです。哀れな人が一生苦労してきて、最後までみっともないなんて気の毒ですね」
彼の一言一言が、釘のように心美の心に刺さった。
世の中に、どうしてこれほどみっともない娘がいるのだろう?
無能で不孝者。
心美は慌てて体中を探り、ふと手にはめた結婚指輪に気づいた。
長い年月、多くのことが習慣となり、彼女はこの指輪の存在をずっと忘れている。
海斗がこの指輪をはめてくれた時の喜びを、今でも覚えている。
あの年、彼の事業がやっと芽を出し、すべての貯金をはたいてこのダイヤの指輪を買い、一生を共にすると誓った。
今、ダイヤは昔と変わらず輝いているが、二人はもう戻れない。
結局、言い争いの末に、彼女はこの高価な結婚指輪で、母に体裁が整った骨壺を買った。
十年間の付き合い、二十年間の感情。
残されたのは、薬指に残った浅い指輪の跡だけ。それは心美の心に刻まれた、消えることのない傷跡のようだ。
彼女は遺骨を抱き、結城家の両親に最後の別れを告げに行こうとした。
しかし途中で、海斗と優奈に出くわす。
海斗は冷ややかに笑った。
「どうしてこの間静かにしてたのかと思えば、僕の親に泣きつこうって魂胆か。心美、本当に計算高いな」
「どいて」心美は冷たく言い放った。
優奈は彼女のカバンの中の骨壺に気づき、わざとらしく声をあげて叫んだ。
「心美さん、カバンの中は何ですか?まさか清水おばさんの遺骨だなんて言わないですよね?まだ足りませんか?昨日病院で清水おばさんに会ったばかりですし、わざわざ医者にも聞きました。体に大事ないって言ってましたよ。
それより結城おばさんの状態がまだ安定してないんですよ。もし彼女があなたの嘘を真に受けて何かあったら、責任取れますか?」
それを聞くや、心美が反応するより早く、海斗は彼女のカバンを奪おうとした。
心美は急いで守ろうとしたが、衰弱した彼女が、男に敵うはずもない。
あっという間に、彼女は海斗に地面に押し倒される。
鋭い石が心美の手のひらを切り裂く。
しかし彼女は痛みも顧みず、這いつくばるように飛びつく。
「返して、結城、これは本当なの、これは私の母の遺骨なの。
何もするつもりはないの。もう彼女を連れてここを離れるつもりなの。あなたと林のことは認めるから、お願い、遺骨を返して……」
心美は自分を塵にまで卑下した。
それでも、海斗の一片の憐れみさえも得られない。
その「離れる」という言葉は、海斗にとってまさに火に油を注ぐものだ。
彼は母を失うことも、心美を失うこともできない。
怒りが彼の理性を吹き飛ばした。
心美に一片の後悔の色もないのを見て、海斗は腕を上げ、骨壺を地面に強く叩きつけえう。
「いつまで演じる気だ」
「やめて」
荒涼とした雪の上に、心美の張り裂けるような叫びが響いた。
彼女は地面に跪き、狂ったように遺骨を拾い集めようとした。
しかし、塵は純白の雪と一体となった。
区別がつかず、拾い上げることもできない。
手に握ったのは、刺すような冷たさだけ。
無駄だとわかりながらも、心美は必死に地面の遺骨を集め続ける。
手のひらから流れる血が雪を赤く染め、刺すような冷たさが彼女の感覚を次第に奪っていく。
それでも、彼女は諦めようとしなかった。
海斗はその様子を見て心を痛め、何か言おうとしたが、口を開いても声が出ない。
迷った末、彼は結局、優奈に促されるがままにその場を去る。
心美ひとりを残し、静かに涙を流させたまま。
第7話
どれほど時間が経ったのか分からない。心美はようやく全ての遺骨を拾い終えた。
彼女は凍えきって、ほとんど歩けない。
よろめく姿は、枯れ木のようだ。
途中で親切な人に家まで送られ、長く暖房に当たって、ようやく少しばかり温もりを取り戻した。
一方、心美の訪れを待ちわびていた海斗の母は気がかりになり、海斗の父を連れて訪ねてくる。
心美は何も語らず、ただ体を大事にするようにと伝えただけだ。
海斗の母は異変を感じ取り、詳しい事情は知らなくても、海斗が何か過ちを犯したのだとぼんやりと推測した。
帰宅後、彼女は海斗に謝るよう迫る。
普段は決して頭を下げない海斗は、母の要求を承諾する。
このところ、彼と心美はいつも衝突ばかりしていた。
誰のせいであれ、彼はどうしても心美を失いたくなかい。
しかし、心美の冷たい態度を見ると、彼はまた優奈の言葉を思い出した。
「心美さんには、優しくすればするほど通じませんよ。あなたのような良い人が、もっと自分を大切にすべきです」
そのせいで、口から出る言葉もまた刺々しいものになった。
「心美、わざわざ遠回しにしなくてもいいだろう。何か望みがあるなら、僕に直接言えばいい。母さんの体は良くないんだ、君のくだらないことで心配をかけるな」
「本当に?」
心美はゆっくりと顔を上げる。
その瞳を見て、海斗の心臓は止まりそうになった。
何の波もなく、死人のような絶望と哀しみを湛えている。
海斗は耐え難いほど辛かった。
彼の心美が、どうしてこんな姿になってしまったのかわからない。
二人の関係を和らげようと優しい言葉をかけようとした時、心美の落ち着いた声が響く。
「この契約書にサインしてくれたら、あなたの要求は全部のむわ」
心美は離婚協議書の最後のページを差し出す。
「これは何だ?」
海斗が目を通そうとした時、優奈から電話がかかってくる。泣き声で彼女の母の体調が悪いと言う。
それを聞くや、海斗はペンを取ってサインしようとした。
しかし、どこか少しだけ違和感を覚える。
心美は自嘲するように軽く笑った。
「譲渡契約書よ。家と財産を私の名義に移すの。私への償いとして」
そう言われて、海斗の長い間つり上がっていた心は、ようやく落ち着いた。
彼は金で心美を側に留めておきたい。
すべてをかけて、心美を側に留めておきたい。
海斗はためらうことなく、自身の名前を記す。
「なるほど、ここまで大騒ぎして、お義母さんに病気のふりをさせたり、偽物の骨壺を買ったりしたのは、お金が欲しかったからか……」
彼は心美を叱りつけようとしたが、彼女の目を見て、とうとう口に出せない。
代わりに、そっと息をつく。
「心美、考えてみてよ、僕たちが一緒に過ごしてきた長い年月を。君が欲しいもので僕が与えられなかったものなんてあったか?僕たちの長年の感情は、優奈ごときが代わりになれるものじゃない。
これ以上騒ぐのはやめてくれ。僕たち、穏やかに暮らそう。これから、僕がちゃんと償うから……」
言葉が終わらないうちに、向こうの優奈からまた催促の電話がかかってくる。
彼は慌てて離婚協議書を心美の手に押し戻し、急ぎ去って行く。
心美は手の中の薄っぺらい紙を見つめる。
突然、自身にのしかかっていた枷が消えたように感じる。
彼女は自由になった。
別れの時、心美は振り返り、自身の愛情と青春を刻んだこの場所を見つめる。
涙が一滴こぼれ落ちる。
もし本当にお金のためなら、最初からどうして海斗を選んだだろう。
心美の容姿や性格なら、金持ちと結婚するのは難しくなかった。
なのに彼女は、愛を選び、最も険しい道を歩んだ。
青春を注ぎ、家族を犠牲にした。
悲しいかな、結局は、一途な思いは裏切られ、悔いだけが残った。
心美は長い間立ち尽くし、離婚協議書を旧友に託する。
そして振り返り、別荘に火を放つ。
過ぎ去った愛と青春は、燃え上がる炎の中で共に灰と化した。
その後、彼女は母の遺骨を抱き、振り返ることなく飛行機に乗る。
白雪が降り積もるなか、この愛は静かに幕を閉じる。
残りの人生、彼女は二度と振り返らない。