温度を失くした日

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温度を失くした日

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息子の久我湊斗(くが みなと)とかくれんぼをしていたとき、私はベランダに閉じ込められた。氷点下の夜、肌が刺すように冷え、頬は紫色に染ま...

Chương (1)

第1章

息子の久我湊斗(くが みなと)とかくれんぼをしていたとき、私はベランダに閉じ込められた。氷点下の夜、肌が刺すように冷え、頬は紫色に染まっていく。 それなのに湊斗は、私が必死に助けを求める姿を見て笑い、ガラス越しに変な顔をしてみせた。 私は凍えるような寒さに負けて、みじめに息を引き取った。 最後に見たのは、湊斗が嬉しそうにスマホを手に取り、夫の久我彰人(くが あきひと)へビデオ通話をかける姿だった。 「パパ、ママが凍え死んじゃったよ。これで江口(えぐち)先生をお家に呼べるね?」 次に目を開けたとき――私は、湊斗が「かくれんぼしよう」と笑っていた、あの日に戻っていた。 第1話 「ママ、かくれんぼしようよ?」 息子の久我湊斗(くが みなと)の甘い声が耳に届いた瞬間、私は全身をこわばらせる。 見下ろすと、五歳の湊斗が私の膝に顔をのせ、まんまるな瞳で見上げている。 太ももに伝わるぬくもりが、やけにリアルだ。 ――これは、死ぬ間際に見た幻じゃない。 私は、本当に生き返ったのだ。 湊斗が「かくれんぼ」を口実に、私をベランダへ誘い出し、鍵をかけて閉じ込め――私を凍え死にさせた、あの日に。 前の人生で、私と湊斗の関係はうまくいっていなかった。 彼は、何をしても叱らない父の久我彰人(くが あきひと)が大好きで、口うるさい私を嫌っていた。 だから私が話しかけるたびに、彼は狂ったように物を投げつけ、私を蹴り、叩いた。 一番ひどいときには、私は病院で八針も縫うケガを負った。 退院したあと、私は湊斗を思いきり叩いた。けれど彰人が止めに入った。 「子どもなんだから、わからなくても仕方ないだろ。大人が本気になってどうする」――そう言って。 そのとき友人が言った。 「どんなに血がつながってても、育たない子はいるのよ。生まれつき恩知らずの子もね。 それに彰人さん、あの子ばかりかばってるじゃない。そんな家、早く離れたほうがいい」 でも私は離れられなかった。 湊斗をこの世に連れてきたのは私だ。だから、彼の未来に責任を持たなきゃいけないと思っていた。 けれど現実は、そんな私を無惨に裏切った。 前の人生で私は、どうにか湊斗との関係を取り戻そうと必死だった。 だから彼が急に甘えた声で「ママ、かくれんぼしよう」と言ったとき、胸がいっぱいになって、何度も頷いてしまった。 ――まさか、五歳の子どもが、自分の母親を殺そうとしているなんて、誰が想像できるだろう。 かくれんぼの途中、湊斗は何度もベランダに隠れた。 湊斗がどこに隠れるのかを見て、次は同じ場所に隠れたらきっと喜ぶだろうと思った。 まさか、その一歩が――死を招くことになるなんて、思いもしなかった。 私がガラス戸を出た瞬間、湊斗はすぐにその戸を閉め、鍵をかけたのだ。 音に気づいた私は慌てて引き返し、ガラス戸の前に駆け寄った。 冬の寒さは容赦がなかった。 大粒の雪が白い羽のように空を舞い、ベランダには冷たい風が絶え間なく吹きつけていた。 さっきまでリビングにいたせいで、私は薄手のルームウェア一枚だった。 風が服の中に吹き込み、腕も脚もすぐにかじかんだ。 骨の奥まで冷たさが染みて、痛みが鋭く突き刺さった。 私はガラス戸を力の限り叩き、声が枯れるまで叫んだ。 「湊斗、開けて!ママ、上着着てないの!このままだと、ママ、本当に死んじゃう! 湊斗、もうゲームは終わり!早くドアを開けて! 湊斗……お願い、開けて……ママ、もう二度と怒らないから……」 声はどんどん弱くなり、視界の向こうは真っ白な雪景色に溶けていった。 リビングでは、湊斗がソファに座っていた。 ちらりと私を見ただけで、テーブルのリモコンを手に取り、テレビの音量を最大に上げた。 それから棚に向かい、私がいつも「食べ過ぎちゃダメ」と言っていたお菓子を取り出した。 彼はアニメを見ながら、それを頬張った。 まるで何事もなかったかのように。 そして私は悟った。 ――私の息子は、最初から私を凍え死なせるつもりだったのだ。 第2話 私はもう戸を叩かなかった。 身体はガラスにもたれたまま、ゆっくりとずり落ち、硬直したまま冷たい床に崩れ落ちた。 友人の言葉が耳の奥でぐるぐる回り、私は苦い笑みを浮かべた――今日のことは、全部自分の自業自得だと。 凍えるような冷たさが、少しずつ体の熱を奪っていった。 幻覚を見ているようだった。体が焼けるように熱くなり、私は思わず服を脱ぎ始めた…… やがて視界が遠のき、すべての感覚が消えていった。 湊斗がスマホを手に、のんびりとガラス戸のほうへ歩いてきて、うつむいて私を見下ろした。 ベランダの私はほとんど裸で、みっともない姿があらわになっていた。 湊斗は急に口を手で押さえて笑い、ガラス越しに私の死体に向かって変な顔をした。 「ママ、変態だよ、どうして服着てないの?おばあちゃんが言ってたよ、そんな女はだらしないって!写真撮って家族のグループに送って告げ口してやる!」 そう言うと彼はガラス戸を開けた。冷たい風が一気に流れ込んだ。 彼は寒さにぶるりと震えると、すぐに戸をバタンと閉めた。 そしてガラス越しに、彰人にビデオ通話をかけた。 カメラは私を捉えていた。 「うううう……パパ、ママが凍え死んじゃった…… パパ、早く帰ってきて、怖いよ! パパ、もうママがいないんだよ。これでもう今度は江口(えぐち)先生を家に呼べるかな?」 …… 「ママ、私の言ってること聞いてるの?」 湊斗の苛立った声が、私を前世の記憶から現実に引き戻す。 目の前の、人間の顔をした小さな悪魔を見た瞬間、私の中に残っていた母性は、窓の外の雪のように静かに消えている。 私は湊斗を掴んで、床にばっと突き飛ばす。 彼は尻もちをつくように、床にどすんと落ちる。 湊斗がまた暴れ出しそうになったその瞬間、私は立ち上がり、笑って言う。 「かくれんぼ、するんでしょ?早く隠れなさい」 湊斗は一瞬きょとんとして、口から飛び出しかけた罵声を飲み込む。 尻をさすりながら、前の人生と同じようにベランダへ走り、洗濯機のうしろに隠れる。 彼がすっかり身を潜めたのを見届けてから、私はベランダのガラス戸を閉め、鍵をかける。 カチリという音を聞いた湊斗は、すぐに洗濯機の陰から飛び出す。 彼は戸の前で呆然と立ち尽くし、鍵を見つめている。 五歳の子どもは、やっぱり隠し事ができない。 その表情はまるで、「どうしてママのほうが先に鍵をかけたの?」と語っているようだ。 湊斗は顔を上げ、ガラス越しに私を見て怒鳴る。 そして戸を蹴り、叩きながら叫ぶ。 「開けて!今すぐ開けてよ! この悪いママ!ぼくを凍え死にさせる気なの!? 紗耶(さや)!ぼくはこの家の男なんだぞ!今すぐドアを開けろ!ぼくが命令するんだ!開けないと、パパに言って離婚してもらうからな!」 「この家の男」という言葉を聞いた瞬間、私は思わず笑ってしまう。 ――あのころ、湊斗が三歳で幼稚園に通い始めたころ、彼はまだ私にべったりだった。 登園の朝、園の門の前で泣きながら私にしがみつき、何度も「ママ行かないで、ママがいい」と泣き叫んでいた。 あのとき、私は優しく言い聞かせた。 「湊斗、あなたは男でしょ?男は泣かないの。幼稚園なんて平気、ウルトラマンみたいに強くなれるよね?」 「うん!ぼく、できる!ぼくは男だから、ママを守るんだ!」 三歳の湊斗は、涙をためながらそう約束してくれた。 ――あのときの私は、本当に幸せだった。 今思えば、あれが始まりだったのかもしれない。 湊斗の中で「男」という言葉の意味は、少しずつ歪んでいる。 「ぼくは男なんだから、ママはぼくの言うことを聞くんだ!今すぐアイス買ってきて!」 第3話 「ぼくとパパは、この家の男なんだ。ママはぼくたちの奴隷なんだから、ちゃんとぼくとパパの言うことを聞いてね。そうしたら、将来ぼくがママを養ってあげるよ」 …… 私が何も言わずにいると、湊斗は焦りはじめる。 寒さに震え、小さな体を両腕でぎゅっと抱きしめる。 外の雪はどんどん激しくなり、湊斗の髪にも白い雪が積もっていく。 彼はガラス戸の前にひざまずき、態度を一変させる。 「ママ、ごめんなさい。もうかくれんぼなんてしないから、中に入れて……? ママ、もう体に悪いもの食べない。夜にタブレットも触らない。江口先生も嫌いになる……もうママの代わりにしないから……お願い、中に入れて…… ママ、寒いよ……」 ――ほらね、全部わかってるの。 どうすれば私が怒るのか、ちゃんと知っている。 それでも、やるのだ。 湊斗の顔が紫に染まっていくのを見ながら、私はようやくゆっくりと戸を開ける。 開けたのは、情けじゃない。 本当にこの子が外で死んだら、私は刑務所行きだ。 そんな生まれつき腐った子のせいで、自分の未来まで失うなんて――馬鹿らしい。 湊斗は弱々しく手を伸ばし、抱き上げてほしそうにする。 その顔は、誰が見ても可愛い。 もし外で出会った子なら、きっと私は抱きしめていただろう。 でも今の私は、ただこの顔を見るたび、前の人生のことを思い出す。 私の死後、服も着ていない私の姿を写真に撮り、家族のグループに送って笑いものにした、あの瞬間を。 私は目を伏せ、無表情のまま一歩、後ろへ下がる。 湊斗の手が、むなしく空を掻く。 「湊斗、ママが見つけたよ。あなたの負けだね。 今度は、ママを探す番だよ」 そう言って、私は背を向け、そのまま歩き出す。 湊斗は、もう私が抱き上げないことをわかっている。 けれど、なぜなのかまでは理解していない。 生きようとする本能に突き動かされて、彼は自分で温かい場所を探して這いはじめる。 まるで犬のように、四つん這いで。 …… 湊斗は熱を出した。 かくれんぼの遊びは、これで終わりだ。 彰人から電話がかかってきたのは、私がペットショップで野良犬の体を洗っているときだ。 汚れで灰色になった小さな犬が、泡に包まれて少しずつきれいになっていく。 その様子を見ているうちに、心の奥の冷たい塊が少しずつ溶けていくのを感じる。 浴槽の中で犬は尻尾を振りながら、ワンワンと鳴く。 私はその頭を撫でながら、電話の向こうで響く彰人の怒鳴り声を聞く。 「紗耶(さや)!湊斗が熱を出したの、知らなかったのか!?一体どこにいるんだ! こんな寒い日に、どうして子どもを一人で家に残したんだ!母親としての自覚はあるのか!」 私はわざと驚いたように声を出す。 「え?湊斗が熱を出した?そんなはずないわ。出かけるときは元気だったもの」 彰人は、すぐに病院へ行けと言う。 彼は湊斗がどんな薬にアレルギーがあるのか、どんな病歴があるのか、何も知らない。 私は冷静に言い返す。 「あなたは父親でしょ?自分の息子が病気になっても、何もわからないくせに、いつも怒鳴るだけ。父親としての自覚はあるの? 今、市内にいないの。湊斗が郊外のケーキ屋のケーキを食べたいって言うから、車で買いに行ったのよ。すぐには戻れないわ。 幼稚園の先生に電話してみなさいよ。入園したとき、アレルギーのことは全部書いて提出してあるはず」 そう言って、私は電話を切る。 湊斗の幼稚園に関することは、すべて私がやってきた。 彰人はたまに迎えに行くだけで、保護者のグループLINEにも入っていない。 もし先生の電話番号を知っていたら、そのほうが不思議なくらいだ。 二時間後。 私はマンゴーケーキの箱を手に、病室の扉をノックする。 扉を開けたのは、彰人ではなく――湊斗の幼稚園の先生、江口真理奈(えぐち まりな)だ。 第4話 湊斗がずっと「いいママ」として憧れていた――江口真理奈。 氷点下の深夜、真理奈は胸元の大きく開いた薄手のインナーに、保温性のないウールのコートを羽織っている。 谷間のラインと、胸元にかかる数本の髪、黒いストッキングに包まれた細く長い脚。 若く、化粧の整ったその顔立ちは、夜の光の下で艶めいて見える。 ただ、その頬にはまだ熱の残る赤みが差し、割れた下唇には拭いきれない透明な跡が光っている。 誰が見ても――この女が幼稚園の先生だとは思わないだろう。 私の姿を見た瞬間、真理奈の顔に驚きが走る。 私はわざととぼけたように、彼女の口もとを指さして声をかける。 「真理奈先生、口の端、荒れてるみたいね。乾燥してるんじゃない?」 真理奈は指先で唇を触れ、何かを思い出したように頬を染め、恥ずかしそうにうなずく。 「若い人は代謝がいいから、冬でも熱がこもるのよ。食べ物に気をつけたほうがいいわ。 何でも食べすぎると、火照るだけじゃなくて、お腹も壊すからね」 私はにこやかに微笑み、病室の中へと足を進める。 真理奈の横を通り過ぎたとき、背後で小さく、安堵の息が漏れるのが聞こえた気がする。 私は振り向き、眉をひそめて尋ねる。 「――あら、湊斗のお父さんがいないわね? 人を呼びつけておいて、自分はサボってるの?」 真理奈はわずかに肩をすくめ、私が振り返った拍子に再び緊張する。 彼女はトイレのドアを軽く叩く。 中からは、私が入ってきたときから途切れない水の音がしている。 「久我さん、子どもさんのお母さんが来られました」 そう言って、真理奈は私に向き直り、作り笑いを浮かべる。 「湊斗くんのお母さま、誤解しないでくださいね。 久我さんはサボってなんかいません。ずっとお子さんの看病をしていましたが、今はちょっとお手洗いに行かれてるだけで、すぐ戻られると思います」 私は軽くうなずき、それ以上は何も聞かない。 真理奈が私の腕を取ってベッドのそばへと導く。 彼女の香水の安っぽい匂いが、病室の消毒液の匂いをかき消すように漂う。 ――鼻を刺すように強く、喉の奥が痛くなるほどだ。 昔、私は家で爽やかな花をいくつか育てていた。彰人はいつも「臭い」と言い、湊斗は花を次々と折ってゴミ箱に投げ入れた。 後で上から目線で肩をすくめて、「もう家に花は飾るな」と命じるのだ。 「そんなの、パパのお金の無駄遣いだ」って。 前の人生では、不思議に思っていた。彰人も湊斗も、以前は一緒に花市へ出かけてくれたし、湊斗は一番綺麗に咲いた花を買わせて、それを私の髪に挿して「ママは花みたいにきれいだよ」と褒めてくれたのに。 だが今、真理奈のあの艶めいた姿を見て、やっとわかった。 彼らは花の香りが嫌いなのではない。野に咲く花の素朴さに慣れすぎて、家の花の美しさにはもう心が動かなくなっただけだ。 湊斗が目を覚まし、私を見ると、そばにあったリンゴを私に向かって投げつける。 私は素早く反応し、とっさに真理奈の後ろに身を隠す。 リンゴは真理奈の額に激しく当たり、たちまち大きな腫れを作る。 真理奈は痛みに叫び声を上げる。 私はすぐに大人の顔を作り、湊斗を叱りつける。 「湊斗、何をしているの!どうして江口先生にリンゴを投げるの?夜遅くにわざわざ病院に来て看病してくれているのよ。そんなことをしたら、先生は悲しむわよ、わかってるの?」 湊斗はぽかんとし、私のほうをちらりと見てから、額を押さえている真理奈に目をやる。ようやく我に返ったようだ。 「違う!江口先生に投げてない!投げようとしたのはママだ!全部ママのせいだ、ベランダに閉め出したのはママなんだから、熱出して病気にさせたのはママのせいだ、このクソママ、ぶっ殺す!」