母がくれた、やさしい最後の言葉

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母がくれた、やさしい最後の言葉

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40歳のとき、誘拐された娘・中山結衣(なかやま ゆい)を助けようとして、私は片足を折られ、頭を激しく殴られた。その一件で、私は生涯消える...

Chương (1)

第1章

40歳のとき、誘拐された娘・中山結衣(なかやま ゆい)を助けようとして、私は片足を折られ、頭を激しく殴られた。その一件で、私は生涯消えることのない重い障害を負ってしまい、心も体もあの日から元の自分には戻れなくなった。 本当ならまだ子どものままでいてよかった結衣なのに、あの日を境に、大人になることを強いられた。仕事を3つも掛け持ちしながら、なけなしのお金で私を病院に通わせてくれた。 やがて結衣も結婚し、子供・中山涼太(なかやま りょうた)が生まれた。しかし、涼太は先天性の心臓病を患っていたのだった。 結衣と彼女の夫・中山洋介(なかやま ようすけ)の肩に家庭の負担が全てのしかかる。 そしてある日、私が懲りずに涼太のおやつを勝手に食べて、洗ったばかりのソファを汚してしまったときのことだった。 結衣のずっと溜め込んできた感情が爆発した。 「どうしてまだ生きてるの!なんで私を助けたときに死んでくれなかったのよ!」 自分を抑えきれなくなった結衣は、お湯を張ったお風呂に私を突き飛ばす。 しかし、私のこの人生が終わりを告げようとした時、結衣はっと我に返ったらしく、慌てて私を助け出してくれた。 結衣はその場にへたり込み、声をあげて泣きじゃくった。 「もう無理……私、本当に、もう無理だよ……」 私はまだなにが起きたのかよく分かっていなかったので、ただ、ぎこちなく手を伸ばし、結衣の涙を拭うことしかできなかった。 お湯でふやけてしまった手の中のクッキーを、そっと彼女の口元へ差し出す。 結衣がまだ小さかった頃あやしたみたいに、やさしく声をかけた。 「結衣。ほら、もう泣かないの。これを食べたら元気になるからね」 第1話 40歳のとき、誘拐された娘・中山結衣(なかやま ゆい)を助けようとして、私は片足を折られ、頭を激しく殴られた。その一件で、私は生涯消えることのない重い障害を負ってしまい、心も体もあの日から元の自分には戻れなくなった。 本当ならまだ子どものままでいてよかった結衣なのに、あの日を境に、大人になることを強いられた。仕事を3つも掛け持ちしながら、なけなしのお金で私を病院に通わせてくれた。 やがて結衣も結婚し、子供・中山涼太(なかやま りょうた)が生まれた。しかし、涼太は先天性の心臓病を患っていたのだった。 結衣と彼女の夫・中山洋介(なかやま ようすけ)の肩に家庭の負担が全てのしかかる。 そしてある日、私が懲りずに涼太のおやつを勝手に食べて、洗ったばかりのソファを汚してしまったときのことだった。 結衣のずっと溜め込んできた感情が爆発した。 「どうしてまだ生きてるの!なんで私を助けたときに死んでくれなかったのよ!」 自分を抑えきれなくなった結衣は、お湯を張ったお風呂に私を突き飛ばす。 しかし、私のこの人生が終わりを告げようとした時、結衣はっと我に返ったらしく、慌てて私を助け出してくれた。 結衣はその場にへたり込み、声をあげて泣きじゃくった。 「もう無理……私、本当に、もう無理だよ……」 私はまだなにが起きたのかよく分かっていなかったので、ただ、ぎこちなく手を伸ばし、結衣の涙を拭うことしかできなかった。 お湯でふやけてしまった手の中のクッキーを、そっと彼女の口元へ差し出す。 結衣がまだ小さかった頃あやしたみたいに、やさしく声をかけた。 「結衣。ほら、もう泣かないの。これを食べたら元気になるからね」 しかし、結衣が私の手を乱暴に振り払う。ふやけたクッキーは水たまりの床に落ちて、ぐちゃぐちゃになってしまった。 冷たいタイルの床の上で体を小さくしていると、結衣の泣き叫ぶ声が耳をつんざいた。 「食べることばっかり!そんなに何でも食べたいなら、農薬でも飲んで死んじゃえばいいのに!」 私には結衣がなぜこんなにも取り乱しているのかわからなかったが、彼女には少しでも笑っていてほしかった。 「いい子だから泣かないで。お母さん、農薬を飲むから。だからもう泣かないで……」 私はそう言いながら、よろよろと杖をつきながらベランダの方へと歩いていく。 植木鉢の隣にある茶色い瓶、あれが農薬だってことは知っていた。 なぜなら、結衣がよく涼太に言っていたのを聞いていたから。「これは飲んじゃだめよ、苦くてまずいからね。 もしこれを飲んだら、もうママに会えなくなっちゃうよ」 でも、私はもうずっと、母には会っていない。 だから平気だ。結衣に会えさえすれば、それでいいんだから。 6坪ちょっとのリビングは、本当に狭いものだった。 私は植木鉢の前まで行って農薬のフタを開ける。しかし、ちょうどその時だった。洋介が駆け寄ってきて、瓶を私の手から奪い取った。 そして、彼は結衣に向かって怒鳴る。 「お前、正気か!こいつの面倒を10年以上も見て、結局いいことなんて何もなかったのに、今度は人殺しにでもなるつもりか!」 結衣は頭を抱えて、泣き崩れた。 「もうこんなに長い間苦しんできた……なのに、何でまだ生きてるのよ!お母さんが一口でも飲んだら、私も飲んで一緒に死んでやる!」 洋介はかなり頭にきていた。 「もし死ねれば、お前はそれで楽になるだろう。でも、俺や涼太はどうなるんだ?涼太を母親のいない子にでもするつもりか?」 涼太の名前を聞いた結衣は、少しずつ落ち着きを取り戻すと、再び私をバスルームまで連れて行く。 バスルームに入るや否や、一番強い水圧で、しかも冷水のシャワーを頭の上から浴びせられた。昔は丁寧に私の体を洗ってくれていたのに。 シャワーの水が目に入り、痛みで私は思わず暴れた。 「いや、洗わないで。やめて……」 シャワーの音にかき消され、私の声は結衣に届かない。 しばらく経った頃、シャワーの水が止まった。彼女は無表情のまま私の体を拭くと、寝室のベッドへと乱雑に私を放り投げた。 そして寝室のドアは閉められたが、どうやらあまり防音効果はないらしく、リビングで話している声がはっきりと聞こえてくる。 「洋介、もう本当に限界なの。このままじゃ、あの人が死ぬ前に、私が死んじゃうよ」 そう言って、結衣はまた泣いているようだ。 慰めに行ってあげたい。死ぬっていうのは、もう会いたい人に会えなくなるってことなんだよって、私は知ってるよって、教えてあげたい。 だから死んじゃだめだよ、って。 そう思い、私がベットから這いずり出ようとした時、玄関のドアが開く音がした。洋介の両親が帰ってきたみたいだ。 第2話 「もしこのまま手術しなかったら、涼太は年末まで生きられるかどうか分からないって、先生から言われたの。 本当に可哀想な涼太。まだあんなに小さいのに……」 そして、四人は私について話し始めた。 洋介の父親・中山健一(なかやま けんいち)が言う。 「家に病人が二人もいるっていうのは、かなりきついものがあるな。涼太の薬代だけでも大変なのに、そこに恵子さんの分までとなると、もううちでは抱えきれないよ」 洋介もため息をついた。 「じゃあどうしろっていうんだよ。まさか放り出すわけにもいかないだろ?お義母さん自身が大きな病気にでもなって、静かに逝ってくれれば……」 しかし、結衣が泣きそうな声を出す。 「この間の健康診断の結果、全部正常だったのよ。私より健康なくらいなんだから、そんな簡単に病気になるわけないじゃない。 私が馬鹿だったわ。当時、あちこちから体にいいって言われるものを探してきて、あの人を無理やり元気にさせたなんて。私が長生きさせすぎたの……」 何か話しているのははっきり聞こえるけど、みんな早口で何を言っているのかは分からなかった。 でもみんな、私が病気になるのを、いや、死ぬのを待っている。このことだけは分かった。 私が死ねば、涼太は助かる…… 私はドアを開けて、隙間から顔を突き出した。 「私、病気になれるよ。死ぬことだって、できるよ……」 …… その場にいた人は全員固まり、リビングの空気が一瞬で凍りついた。彼らの目には、すこしだけ慌てたような色が浮かんでいる。 いちばん先に我に返った結衣が、急いで駆け寄ってきて私を支えようとした。 私はうまく動かせない手を何とか伸ばし、彼女の頬の涙をぬぐう。 「もうすぐ死ぬからね。だから、泣かないで……」 その時、その場にいた全員が心のなかでほっと息をついたのが、私にはわかった。 病気になってから、私はもう、結衣に新しい服を作ってあげられる母親じゃなくなった。 近所の人に「しっかり者だね」って褒められるような、そんな人でもなくなった。 隣に住んでいる木下百合(きのした ゆり)はいつも孫娘にセーターを編んでる。私も昔は娘にたくさん編んであげたんだよって言っても、今は誰も信じてくれない。 みんな、私のことを頭が鈍くて足手まといだと言う。 だから、死ぬのが一番いいらしい。 でも、それは嫌だった。だって、結衣と離れたくなかったから。 けれど、もし私が死ぬことによって、結衣が泣かなくなるのなら、それでもいいやって思えた。 それから私は知らぬ間に眠ってしまったらしい。目を覚ますと、家には誰もいなかった。 また涼太を病院にでも連れて行ったのだろう。 なんだかとてもお腹がすいた。結衣は、私の分のごはんを置いていくのを忘れたみたい。 だから私はベランダに出ると、大声で隣の百合を呼んだ。 「木下さん!お腹がすいた!」 この小さいお家に引っ越してきてから、結衣はどんどん忙しくなっていった。 だから、私の面倒まで見きれないことも多いらしく、隣の百合にお金を渡して、すこし見てもらうようにお願いしてくれていた。 それに、私は頭がいいから、結衣に何度か教わっただけで、自分で百合を呼べるようになったのだ。 私がまだご飯を食べていないと知った百合は、急いでうどんを作って持ってきてくれた。 私はそのいい匂いのするうどんを抱えながら言った。 「木下さん。私、もうあなたの作ったごはん、食べられなくなっちゃうの。病気になっちゃったから。もうすぐ死ぬんだ」 百合は一瞬ぽかんとしていたけど、すぐ何かを察したみたいで、おそるおそる私に尋ねてきた。 「ねえ、どうしてそんなこと言うの?誰かに何か言われたの?」 私はうどんを啜ることに夢中だったので、先に汁も全部飲み干してから、口をぐいっと拭って彼女を見た。 「別に、誰も何も言ってないよ。ただ、病気になって、死んじゃいたいなあって思っただけ」 百合は目を赤くして、なんだか複雑な顔で私を見ていたが、それ以上は何も言ってこなかった。 どうやら、彼女も私が死んだほうがいいって思ってるみたいだ。 私がうどんを食べ終わると、百合は部屋まで送ってくれた。 そして、私を見ながらため息をついて、こう言った。 「他の人の言うことなんて気にしちゃだめよ。死ぬより生きてるほうがずっといいんだから……」 百合がそのあと何を言ったのかは、もうよく聞こえなかった。 でも、結衣にちゃんと大人しく寝てるように言われたことだけは覚えている。もしそうしなければ、結衣は怒るから。 私は結衣を怒らせたくなかったから、曖昧に返事をしてベッドに倒れこんだ。そしたら、すぐに眠ってしまった。 そして、私は夢を見た。 第3話 夢の中で、私は涼太にキャンディーを買ってあげようと思った。みんなが持ってる、あの棒付きのやつ。だから、涼太を連れて、道の向かいにあるスーパーへと向かった。 しかし、道路を渡っていると、一台の車がすごい勢いで突っこんできた。 私はとっさに、涼太をわきへ突きとばす。 気がつくと私は真っ白な部屋に寝かされていた。そして、片腕が無くなっていることに気づいた。 いつもは気丈な結衣が、私のベッドのそばで肩を震わせながら泣いている。 「お母さん、私のせいで……本当にごめん」 結衣がどうしてこんなに泣いているのか、私には分からなかった。 私は涼太を守ったのだ。だから、私はヒーローになったのに。 しかし、その日を境に、結衣はつきっきりで看病してくれるようになった。 洋介も、会社でもらったお菓子はぜんぶ家に持って帰ってきてくれて、私と涼太にこっそり棒付きキャンディーをくれた。そして小さな椅子に並んで座る私たちを見て、事故の後、はじめて笑ってくれた。 「ママには内緒だよ。ほら、三人で指切りしよう」って。 でも、そのことはやっぱり結衣にばれてしまった。 だけど彼女は怒らないで、ただ笑って私たちの口のまわりを拭いてくれた。 「楽しいなら、それでいいのよ」って言ってくれた。 あまりに素敵な夢だったから、私は笑いながら目を覚ました。 結衣はもう帰ってるかしら。この素敵な夢の話を、彼女にしてあげたいなと思った。 でも、ドアを開けたとたん、そこに結衣が立っていて、私を恨めしげににらみつけていた。 すると、私が何か言うより先に、洋介が彼女を突きとばして部屋に飛びこんできた。そして、私の杖をひったくると、力まかせに壁へ叩きつける。 「お前のせいだ!お前がそんな体だから涼太の治療がどんどん遅れて、もう手遅れになるって先生に言われたんだ!」 私は恐怖で床に倒れこみ、部屋の隅っこで体を小さくした。 「結衣……結衣はどこ……」 でも、結衣は戸口に立ったまま、ぴくりとも動かなかった。 ただ冷たい目で私を見てるだけ。その瞳の奥にある気持ちは、分からなかった。 洋介は私を指さしながら怒鳴り続けた。 「お前の治療のせいで、貯金はもう底をついたんだ! 今じゃ涼太の手術をする金もない……あの子は死んじまうんだ!お前のせいで!このお荷物が!」 「おばあちゃんをいじめないで!」 突然、涼太が部屋に駆けこんできた。 その小さな体で私の前に立ちはだかり、泣きながらくるりと向きなおると、私に抱きついた。 「パパなんてきらい!涼太はおばあちゃんが好きなの!だって、おばあちゃんは優しいもん……」 私たちの様子を見ていた結衣が、突然その場にうずくまり、肩をこきざみに震わせた。 「もう無理。私、もう限界なの……毎日、病院と会社を行ったり来たり。涼太の世話が終わったら、今度はあなたの介護…… お母さん、時々思うんだ。いっそ、あのとき誘拐犯に殺されてればよかったって……そうしていれば、私はもう何も背負わずに済んだし、お母さんだってこんな苦しみを味わわずに済んだんだから……」 結衣の言葉に私ははっとする。もやがかかっていた頭が、一瞬だけすーっと晴れたような気がした。 昔、あの誘拐犯たちに追われたとき、私は結衣を自分の体でかばって、きつく抱きしめた。 だから、私の足はめちゃくちゃにされたけど、彼女にはかすり傷一つ負わせなかった。 あのとき、私の頭にあったのはたった一つのことだけ。 もし、私たちのどっちか一人しか生きられないのなら、生きるのは、絶対に結衣だ、ということ。 しかし、あの時命をかけて守ったはずの娘は、今、私のせいで苦しんでいる。 結衣は声を震わせながら続けた。 「お母さん。私ね、この何年も、お母さんの面倒を見るために自分の人生を台無しにしてきたのよ。それでもまだ足りないっていうの? 今度は、涼太の命までささげろって?」 私は、やつれきった結衣の顔をただ茫然と見つめた。手をのばして、その目じりの涙をぬぐってあげようとした時、涼太がはげしくせき込みはじめた。 小さな顔を真っ赤にして、苦しそうに肩で息をしている。 洋介があわてて彼を抱きかかえて背中をさすり、結衣も心配そうに後を追って部屋を出ていった。 部屋にはまた、私一人だけが取りのこされた。 がらんとした部屋を見まわす。床には、涼太が落としたうさぎのぬいぐるみが転がっていた。 第4話 覚えてる。あれは結衣が3歳のときに、私がひと針ひと針、彼女のために縫ってあげたもの。 そのあと、うさぎのが耳がすり切れるほどボロボロになって、私は何度も何度も縫い直した。それでも結衣は、捨てるのが惜しいと、ずっと手放さずにいたのだ。 それに、彼女は言っていた。このうさぎは、自分が小さい時、怖い夜はいつも一緒にいてくれた、だから今度は、涼太を守ってもらう番なんだ、と。 だから私は床を這って、そのうさぎを拾い上げると、胸に抱きしめた。 今になってようやく、ふと分かったような気がする。 私はもう、結衣のためにうさぎを直してあげられる母親ですらないんだ。 今の私は、あのうさぎにあいた「穴」と同じようなもの…… 私、もう死んだほうがいいかもしれない。そう思った。 …… 次の日。まだ外が薄暗いうちに、私は目を覚ました。 農薬を入れた小さいかばんを背負う。中には、こっそり持ってきたクッキーも一袋入れた。 洋介が二袋買っていたものだったので、残りの一袋は涼太のために残しておく。 私は杖をついて、そっと涼太の部屋のドアを開けた。 彼は気持ちよさそうに眠っている。頬はほんのり赤く染まっている。 私は、うさぎのぬいぐるみを枕元に置いてあげた。 「涼太、いい子だからね。私が死んだら、あなたはずっとみんなと一緒にいられるから……」 それから私は、音を立てないように気をつけながら、結衣のベッドのそばまで歩いていった。 彼女は眠っていたけれど、眉間にはぐっと皺が寄っている。それに、目じりにも、かわいそうなくらい皺が刻まれていた。 いつだったか、皺は年をとった人にできるものなんだ、と結衣が言っていたっけな。 でも、彼女はまだ若いのに、どうしてこんなに皺があるのだろう? 私は、ぼうっとしながら手を伸ばす。その眉間のしわを、撫でてあげたかったから。 でも、私の手が触れた瞬間、結衣は目を覚ましてしまった。 彼女は、きゃっと声をあげた。そして、それが私だとわかると、きっと睨みつけてきた。 「お母さん!なにしてるのよ!私、毎日本当に疲れてるの。だから少しは休ませてくれないかな? 手伝ってほしいなんて思ってない!でも、これ以上私の邪魔をするのはやめて!」 私は慌てて手を顔の前でぶんぶんと振った。これから死ぬのよ、だからさよならって言いたかっただけなのに。 しかし結衣は、私の言葉も聞かずに布団を捲り上げ、ベッドから出てくると、私を部屋の外まで押し出した。 「早く出ていって!もうどっか行って!」 私はされるがままに外へ出たが、ドアの前で最後にもう一度だけ振り返った。 しかし目に映るのは、その固く閉ざされたドアだけだった。 そして、ドアの向こうからは、また結衣の泣き声が聞こえたような気がした。 私は家を出た。 結衣は昔から、私はどんくさいとか、頭が悪いとか、よく言っていた。 でも、あの子は知らないんだ。私が、本当はものすごく物覚えがいいってことを。 私を大好きだって言ってくれたことも、「お母さんがいないとダメ」って言ってくれたことも、全部覚えているのだから。 そして、あの子が何度も連れていってくれた、ご先祖様のお墓までの道も、ちゃんと覚えている。 太陽が昇る頃、私はそのお墓がある場所に着いた。 いくつも石が並んでいる。結衣が前に教えてくれた。これらは、私の義父母、祖父母、それから、若くして死んでしまった夫のお墓だということを。 みんな、私たちの大事な家族だそうだ。 それに死んだあとは、みんなここに帰ってきて住むらしい。 だから今、私はここで死ななくてはいけないのだ。 家族のお墓の前に腰をおろし、私はかばんから農薬とクッキーを取り出した。 このクッキーはとてもおいしい。涼太はいつも、私と取り合って食べたがる。 しかし、農薬と一緒に口に入れたクッキーは、なんだかとても苦くて、臭かった。 農薬を全部飲み干すと、焼けるような痛みが、のどからお腹の中までじわじわと広がっていく。 私は地面に体を丸めた。服がぐっしょり濡れるほどの汗が出て、思わず結衣の名前を叫んだ。 「結衣……ふーふーして……」 昔、片足をなくしたばかりの頃、もう何もないはずなのに、いつもそこがズキズキと痛んだ。 でも、そこには何もないので、どうすることもできずに、ただ結衣に抱きついて泣くことしかできなかった。 そうすると結衣は、私を抱きしめて「ごめん」って言いながら、痛むところにふーふーっと息を吹きかけてくれた。 でも、今はもう誰もそんなことしてくれない。 だんだんと視界がぼやけて、目の前のお墓も、広い空も、みんな一つに溶けていった。 ちょうどその時だった。遠くから、でも聞き慣れた声が聞こえたような気がした。そしてその声は泣いているようだった。 「お母さん!お母さん!」