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裏切りの愛は追いかけない
「桜庭さん、本当に結婚式当日に上村さんと長野さんの写真と動画を公開なさるおつもりですか?」 桜庭美紗紀は一瞬立ち止まり、きっぱりと答え...
Chương (1)
第1章
「桜庭さん、本当に結婚式当日に上村さんと長野さんの写真と動画を公開なさるおつもりですか?」
桜庭美紗紀は一瞬立ち止まり、きっぱりと答えた。
「ええ、そのつもりよ。
それから、ついでにビザの手続きもお願い。結婚式当日には出国するから、くれぐれも漏らさないでちょうだい」
電話を切った後、美紗紀は部屋に長い間立ち尽くした。
今朝、美紗紀は婚約者である上村司と彼の初恋、長野美智留が共に過ごしていた「愛の巣」を見つけた。
「俺が結婚するのが嫌なら、一ヶ月後に奪いに来いよ」
美紗紀がドアにたどり着いた途端、自分の婚約者が他の女にこんな言葉をかけているのが聞こえてきた。
次の瞬間、二人はたまらず抱きしめ合い、唇を重ねた。
美紗紀はドアの外でその光景を目撃し、心臓が張り裂けそうなほど痛みに襲われた。
美紗紀はドアを開けて踏み込む衝動を抑え、背を向けて立ち去った。
その一瞬、彼女は心の底から、誰もが驚くようなある決断を下した。
一ヶ月後の結婚式当日、彼らの「司奪い」計画が実行される前に、結婚式から逃げる!
第1話
「桜庭さん、本当に結婚式当日に上村さんと長野さんの写真と動画を公開なさるおつもりですか?」
桜庭美紗紀(さくらば みさき)は一瞬立ち止まり、きっぱりと答えた。
「ええ、そのつもりよ。
それから、ついでにビザの手続きもお願い。結婚式当日には出国するから、くれぐれも漏らさないでちょうだい」
電話の向こうから、すぐに返事が来た。
「かしこまりました。すぐに手配いたします」
電話を切った後、美紗紀は部屋に長い間立ち尽くした。
本当は、ここまで徹底的にやるつもりはなかった。
もし、彼女が上村司(うえむら つかさ)に別の「家庭」があることを知らなかったら。
さらに、彼がこっそりと囲っている相手が、彼を一番深く傷つけたあの女だったとは。
司の初恋、長野美智留(ながの みちる)。
今朝、美紗紀は私立探偵から送られてきた住所を受け取った。
その住所を辿り、彼女は辺鄙な場所にある、しかしこれ以上ないほど温かく装飾されたヴィラにたどり着いた。
「俺が結婚するのが嫌なら、一ヶ月後に奪いに来いよ。
結婚式当日にお前が姿を見せる勇気があるなら、美智留、お前と結婚する!」
美紗紀がドアにたどり着いた途端、自分の婚約者が他の女にこんな言葉をかけているのが聞こえてきた。
ドアの内側では、向こうの女性が一瞬ひるみ、司の腕の中に飛び込んで誓った。
「わかったわ、結婚式当日、私がこの手で桜庭さんからあなたを取り戻すわ」
司は美智留の言葉を聞き、感動でたちまち瞳が潤んだ。
次の瞬間、二人はたまらず抱きしめ合い、唇を重ねた。
美紗紀はドアの外でその光景を目撃し、心臓が張り裂けそうなほどの痛みに襲われた。
よくも司に騙されていた。
だから彼女は、プロポーズの時の「俺の人生には、君しかいない」という誓いの言葉を信じていたのに、まさかここが彼と初恋の美智留の「愛の巣」だったなんて、今になって初めて気づいた。
美紗紀はドアを開けて踏み込む衝動を抑え、背を向けて立ち去った。
その一瞬、彼女は心の底から、誰もが驚くようなある決断を下した。
一ヶ月後の結婚式当日、彼らの「司奪い」計画が実行される前に、結婚式から逃げる!
美紗紀は車を運転せず、家まで歩いて帰った。
使用人は、風にさらされて疲れ切った様子の美紗紀を見て、たちまち驚き、慌てて彼女を家の中へ迎え入れた。そして、暖を取らせようと、手際悪くお湯を淹れてやった。
「美紗紀様、そんな薄着でお出かけに?風邪をひいたら司様がまたお怒りになりますよ!」
美紗紀は、使用人の言葉がまるで耳に入らないかのように、何も言わずに部屋へ引き返していった。
ドアが閉まった瞬間、美紗紀は胸元を抑え、ゆっくりと床にへたり込んだ。
これまで、一度も司が自分への愛を疑ったことはなかった。
美紗紀が「好き」という一言のために、司はサザンティア国まで赴き、自ら彼女のために最高級のダイヤモンドブレスレットを作った。
また、美紗紀が少し多く酒を飲まされただけで、迷わずテーブルをひっくり返し、数十億円相当の契約を破り捨てたこともあった。
ビジネス界の修羅場を数知れず経験してきた司が、自ら身分を顧みず美紗紀にプロポーズし、しかもプロポーズの現場では手が震えるほど緊張していた。
プロポーズが成功した後、汐風市(しおかぜし)の名家貴族は皆、一ヶ月後の二人の豪華な結婚式を楽しみにしている。
だが、美紗紀だけが知っていた。その結婚式はもうなくなった。
司は浮気をした。
今回、司とじっくり話し合うつもりで来たのだが、まさかこれほど衝撃的な言葉を直接耳にするとは。
結婚式で司を奪うって?花嫁である美紗紀を何だと思っている?
桜庭家の面子はどうなるというのか?
美紗紀は指に嵌まった婚約指輪をなぞりながら、ゆっくりと目を閉じる。
もしそもそも結婚式がなかったら、司はどのようにして美智留に奪わせるのか?
司を奪う前に、美紗紀は人々の前で結婚式から逃げることを決意した。
一ヶ月後の結婚式当日、司の世界から完全に消え去るようにする!
そして、彼に永遠に忘れられない贈り物を残して……
第2話
深夜。
司はようやく慌ただしく家に戻ってきた。着替える間もなく、急いで美紗紀を抱きしめ、謝罪の言葉を述べた。
「ごめん、美紗紀。今日はクライアントとの会議で忙しくて、帰りが遅くなった」
次の瞬間、テーブルの上の手つかずの料理を見て言った。
「どうして食べないんだ?口に合わなかったのか?」
美紗紀は首を横に振り、ごくわずかに彼から距離を取った。
司の体から漂う、自分のものではない甘ったるい香水の匂いが、彼女を吐き気に襲わせた。
美紗紀の異変に気づかず、ただ困ったように笑い、椅子を引いて美紗紀の隣に座ると、彼女のためにエビを皿に取り分けた。
「最近会社が忙しくて、一緒に食事できないかもしれないけど、お腹を空かせないでくれよ」
頭を下げた瞬間、美紗紀は彼の襟元に赤く染まった跡を見つけた。
胃は激しく波立ち、吐き気を懸命に抑え込んでいる。
以前、自分との食事を忘れたことで、司は何度も怒った。
一番ひどい時は、悔しさのあまり涙を流したことさえあった。
人生は短く、美紗紀とのどんな食事も逃したくないと、かつて司は言った。
しかし今、その約束を先に破ったのも彼なのだ。
器の中のエビを見て、美紗紀は苦々しく笑う。
一体いつからこんな風になってしまったのだろう?
おそらく、二ヶ月前の婚約の時からだ。
あの日、司は普段とは異なり、上の空だった。
おめでたい日だというのに、彼はずっとスマホを抱えて何かを調べており、美紗紀が何度話しかけても聞いていなかった。
しまいには一本の電話を受けた後、司は予定より早く会場を後にし、美紗紀を一人残して気まずい両家の親と向き合わせることになった。
後になって美紗紀は、その日がちょうど美智留が帰国する日だったことを知った。
司が愛したり憎んだり、もう愛憎まみれでどうしようもなくなってる女性だ。
四年前、司は美智留の甘い言葉に騙され、財産のほとんど全てを美智留が言う「大プロジェクト」に投資した。
だが、その見返りは、美智留が金を持ち逃げして出国し、行方不明になった。
美智留を見つけられなかった提携先は、次々と上村家を訪れて説明を求めた。
その頃が司にとって最も苦しい時期だった。グループは破産寸前、両親や各方面から絶えず圧力を受け、自殺さえ考えた。
だが、司が橋のふちから飛び降りようとした時、美紗紀が命の危険も顧みず駆けつけ、必死に彼を引き止めた。
その後、美紗紀は上村グループに資金を注入した。
そして昼夜を問わず司と共に尽力し、上村グループを今日の汐風市のトップ企業にまで発展させた。
司はそれ以来、美智留への愛をしまい込み、その情熱の全てを美紗紀に注ぎ込んだ。
彼が美紗紀を振り向かせるのに一年を費やし、さらに三年をかけてようやくプロポーズに成功した。
しかし、これらの全ては、美智留が帰国した後、変わってしまった。
まさか司が、美智留を使って結婚式をぶち壊し、自分を奪わせようと企んでいたなんて。
そこまで考えると、美紗紀は淡々と口を開いた。
「いいわ、食欲ないし、私、エビは食べないから」
司は少し呆然とした。特に、美紗紀の澱んだ水のような瞳と目が合った時、なおさらだった。
どうして忘れていたのだろう。美紗紀は海鮮を一切食べず、一口でも口にすれば吐いてしまうことを。
彼は突然、少しやましい気持ちになり、大声で眠っていた使用人を呼び出した。
「家で海鮮料理は作らないって言ったはずだろ?お前たち、どういうことだ!」
使用人はたちまち眠気が吹き飛び、慌てて説明する。
「司様、このエビはあなた様がわざわざ人に届けさせたものではありませんか?しかも新鮮なうちに食べるようにと仰せつかったので、それで……」
司は目をかっ開いた。
「俺が海鮮を家に届けさせるはずがないだろう?」
しかし、突然何かを思い出したかのように、視線は揺らいだ。
使用人はすぐにそのエビの皿を片付けようとした。
だが、美紗紀が手を上げて、その動きを制止した。
「いいわ、食べ物を無駄にするのはやめましょう。エビをパックして冷凍しておいて」
そう言うと、彼女は司に顔を向ける。
「明日、会社に持っていってちょうだい。きっと喜んでくれる人がいるわ」
使用人はどちらにすべきか迷い、司を見た。
司は思わず胸の奥でドギマギして、美紗紀の手を掴んでいる。
「どうしたんだ?エビは嫌いなんじゃなかったのか?」
「ええ、だから社員への差し入れよ。皆、最近残業続きで疲れているだろうし、このエビも結構高いでしょう」
美紗紀が完璧な説明をすると、司はホッと息をついた。
「さすが美紗紀、気が利くね。パックしておけ」
「かしこまりました、司様」
どうしてこんなにも完璧に装えるのだろう?
美紗紀は黙って、彼が自らそれをパックし、「愛妻美紗紀の気持ち」と書かれた付箋まで貼るのを見つめている。
――司、あのプレゼントを受け取った時も、今のように、ずっと装い続けてくれることを願うわ。
第3話
夜中に寝返りを打ちながらも、美紗紀はどうにも心が落ち着かず、全く眠気を感じなかった。
その時、テーブルの上置いたスマホが光った。
画面をスライドすると、やはりあの見慣れたアカウントからメッセージが届いていた。
中には、アバターが切り取られたチャット履歴のスクリーンショットが何枚かあり、その文字は相変わらず曖昧なものばっかり。
考えなくても、これは美智留がわざと送ってきた彼女と司のチャット履歴だと分かった。
もう二ヶ月も続いている。
美紗紀はさらに美智留のアバターをクリックし、彼女のインスタページに入った。
最新の投稿は二時間前に更新された。
【今日は大切な人と可愛いニューメンバーを迎えましたよ!】
添付されていたのは猫の写真。
司は昔から猫が大好きで、アバターも猫だった。
だが、美紗紀が猫アレルギーがひどく、家では全く飼えなかった。
まさか彼が、美智留と一緒に飼っていたとは。
そして、美智留のこの投稿は、まるで彼女だけが司の夢見る、「二人と一匹の猫が暮らす温かい家」を与えられる、と暗示している。
美紗紀はその投稿を、画面の光が目に痛くなるまで見て、ようやくスマホを置いた。
司はすぐ隣で眠っているというのに、二人の心の間には、越えられないほどの深い溝ができていた。
夜中に、美紗紀は突然の激痛で目を覚ました。
彼女は昔から胃病を患っており、加えて今日はろくに食事もせず、そして激しい感情の動揺が重なり、腸胃はナイフでえぐられるように痛んだ。
手を伸ばしてスタンドライトをつけようとしたが、誤ってテーブルの上のコップを倒してしまった。
司はその物音で目を覚まし、すぐに隣で痛みに丸まっている彼女に気づいた。
急いで電気をつけ、美紗紀の顔が汗でびっしょりなのを見てさらに驚いた。
「美紗紀、どうしたんだ?また胃病が発作を起こしたのか?」
「く、薬……引き出しの中よ」
美紗紀の弱々しい声を聞き、司は慌ただしく立ち上がり、焦って引き出しの中を探し始める。
その時、彼のスマホが突然鳴り響いた。
司は慌てて薬が見つからず焦っていた上に、スマホの着信音は鳴り止まない。
ついに、彼は苛立たしげにスマホを掴み、通話ボタンを押した。
「誰、何の用だ?どんな用事でも今この時に邪魔をするな!わかったか!?」
怒りに任せて電話を切ろうとしたその寸前、向こうからすすり泣く声が聞こえ、司の動きが止まった。
美紗紀も、電話の向こうから聞こえる女の甘えるような声をうっすらと聞いた。
「司、もっちーがいなくなったの。周りを全部探したけど、影も形もないの。私がちゃんと見ていなかったからだわ……
あの子はまだあんなに小さいし、弱いのに。もしあの子に何かあったら、私、生きていけないわ……」
「落ち着け、焦るな。きっと大丈夫だ」
司の表情はたちまち焦りに変わった。
彼は美紗紀を一瞥し、それからスマホの口を覆いながら外へ出て行った。声はだんだん小さくなる。
「こんなに夜遅く、一人で猫を探すのは危険だ。五分待ってくれ、今すぐ行くから……」
しばらくして、司は慌ただしく部屋に戻ってきて、上着をひっつかんで羽織ると、美紗紀に「会社に急用ができた」と言い残し、振り返りもせずに立ち去った。
美紗紀は胃の痛みで声も出せず、ただ司の後ろ姿が遠ざかり、ついに見えなくなるのを、ただ見つめるしかなかった。
今、心に響く痛みが、胃のきりきりとした痛みさえも上回っている。
結局、美紗紀は自分で体を動かして薬を探すしかない。
しかし、不注意でベッドから転落し、床に倒れたまま、徐々に意識を失っていった。
再び目を覚ましたのは病院だった。
ちょうど点滴を打とうとしていた若い看護師は、彼女が目を開けたのを見て、待ってましたとばかりに興奮する。
「やっとお目覚めになられましたね!上村さんはありとあらゆる財力と物力を投入して、桜庭さんの治療にあたらせて、もしずっと意識不明のままだから、病院で大変お怒りになっていましたよ!」
看護師の口調には、隠しきれない羨望がこもっている。
だが、美紗紀はただ、苦しげな笑みを浮かべるだけ。
かつて行き詰まった司を助けるために、必死に酒を飲み続け、胃を壊して持病を抱えてしまった自分を嘲笑していた。
今、そんな自分が司の心の中では、元彼女の猫にも劣る存在。
美紗紀は病室の鼻につく消毒液の匂いが嫌で、体を起こして病室を出た。
すこし歩いたところで、遠くに見慣れた後ろ姿が通り過ぎるのが見えた。
美紗紀の胸が締め付けられ、こっそり後を追った。
次の瞬間、司が廊下の隅に隠れて、こっそり電話をかけているのを目にした。
彼は低い声で笑い、その口調にはもう隠しきれない諦めと、デレデレの甘さが混じってる。
「だめだ、今は本当に行けない。あいつ、まだ目が覚めてないんだ。
焦るなよ。必ず会いにいくから、もうすぐだ」
電話の向こうで何かが言われたのか、司は浅いえくぼを作りながら笑い、甘ったるい口調で答える。
「わかったよ、俺も会いたい。
うん、また後で」
電話を切った後、司は軽く眉をひそめた。
さっき背後から誰かにじっと見られているような気がした。
だが、振り返って何度も確認しても、廊道には他の人影はなかった。
第4話
美紗紀が目を覚ましたことを知ると、司はようやく病院関係者にも穏やかな顔を見せた。
彼は医師が注意すべき事項を詳細にメモに書き留め、美紗紀がもう大丈夫であることを医師に何度も確認した後、安心して彼女の退院手続きを行った。
車を運転している司は、機嫌がかなり良いようだった。
「先日秘書がお前のウェディングドレスが完成したって言っていたんだ。一緒に見に行こうか?」
美紗紀は特に表情を表さず、淡々と瞼を持ち上げ、長い沈黙の後に静かに言った。
「ええ、いいわ」
許可を得ると、司の笑顔は深まり、足元が徐々に加速した。
「ずっとお前のウェディングドレス姿が見たかったんだ。それに、今日はデザイナーが汐風市にいる最後の日だから、もし何か不都合なところがあっても、修正を頼みやすいだろう。
あと一ヶ月足らずでお前と結婚するんだ。ようやくいい結果にたどり着いたな」
彼は一方的に話し続け、時折感慨にふけっている。
一方、美紗紀は静かに車の窓の外を眺め、笑顔すら作れなかった。
彼女は知りたかった。
――本当に嬉しいの?あなたが本当に残りの人生を共にしたいと思っているのは、私なの、それとも美智留なの?
突然の着信音が、美紗紀の物思いを遮った。
司は気のない様子でスピーカーフォンをオンにした。
「どうした?」
秘書の口調は少し焦っていた。
「社長、早く会社にいらしてください。長野さんがトラブルに巻き込まれています」
司の顔色が一変し、突然ハンドルを勢いよく切り、路線を変更してしまった。アクセルを踏み込み、会社へ向かって猛スピードで駆け出した。
美紗紀は慣性で体が前へ投げ出され、シートベルトで引き戻され、背中を座席の背もたれに激しく打ち付けた。
ようやく回復し始めたばかりの体が、吐き気を催すのを感じている。
通常は30分かかる道のりを、司は10分足らずで会社に着いた。
彼は素早くエンジンを切り車を降り、足早に会社のビルへと直行した。
エレベーターに乗って初めて、後ろにいる美紗紀の顔色が少しおかしいことに気づいた。
「美紗紀、あの……会社で急ぎの用件を処理しなきゃいけないんだ。先に俺のオフィスで休んで待っててくれないか?」
美紗紀は顔色を真っ青にして首を横に振った。口を開く前に、エレベーターのドアはすでに開いた。
司はもう彼女のことなど気にもせず、会議室へと足を踏み入れた。
ドアを開けると、美智留が拳を強く握りしめ、一人で幹部の数人と対峙しているのが見えた。
そのうちの一人の幹部が、美智留の企画書をテーブルに叩きつけた。
「何が海外留学博士だ!何年経っても何の成果も出せず、ただ社長の後ろ盾があるから、この会社にいられるだろう。今さらどうして私たちが、あんたの企画をやるべきなんだ!」
他の者たちも、低い笑い声を上げた。
「もういい!」
怒鳴り声が彼らを遮った。
司が来るのを見ると、美智留の目元はたちまち赤くなった。
怒りに燃える司が、前に出て美智留を後ろに引き寄せると、幹部たちを睨みつける。
「俺が美智留を雇ったんだ。不満があるなら俺に直接言え。新人をいじめるのが何の腕前だ!」
「それに」
司は調子を変えた。
「誰が美智留は成果を出していないと言った?会社が最近申請しているあの特許は、美智留が全面的に責任者を務めているんだぞ!」
この言葉を聞き、その場にいた人々は皆、どよめいた。
幹部たちは小声で囁き合い、美智留がこれほど大きな貢献をしていたとは思いもよらなかった。
美智留もまた同じように驚き、目元を赤くして司を見ている。
「司……」
彼女に安心させるような視線を送りながら言った。
「大丈夫、俺がいる限り、お前をなめる人は存在しない」
美紗紀はドアのところに立ち、ドア枠を強く掴んで、倒れないように必死で耐えている。
まさか、自分が何日も徹夜して完成させた秘密の研究プロジェクトが、今や美智留の功績にされてしまうなんて!
美紗紀は口を開き、ようやく一つ音を発したところで、素早い司に腕を引かれて外に出された。
「美紗紀、ごめん。さっきの状況も見たろ?こういう方法でしか、彼女を会社で立たせてやれないんだ」
美紗紀はかすれた声で言った。
「本当にそうするつもりなの?」
「一時的な措置だ。これから必ずちゃんと償うから」
美紗紀は痛みに耐えながら薄く笑い、淡々と言った。
「いいわ」
もういいわ。だって、彼らにもう「これから」はないのだから。
第5話
会社を出た後、司は空を見上げ、今からでもウェディングドレスの試着に間に合うと提案した。
だが、美紗紀は全くそんな気分ではない。
突然、怒鳴り声が二人の注意を引いた。
白昼堂々、ナイフを持った男が飛び出し、美紗紀に凶暴なまでにナイフの切っ先を向けた。
「お前が上村の囲い女だな!?
お前のせいで、俺の家族は離散したんだ。今日、この手でお前を殺してやる!」
そう言うと、男はナイフを手に美紗紀に一直線に斬りかかってきた。
「やめろ!」
生死を分ける瞬間、司は思わず美紗紀の前に飛び出し、自らの体で彼女を庇い、ナイフを食い止めた。
刃先が肉に突き刺さる音が響き、鮮血が噴き出した。
司は腹を抑え、激痛に顔を歪みながら、地面に倒れ込んでいる。
男はその光景を見てたちまち慌て、ナイフを捨てて逃げ出した。
美紗紀は息を呑み、震える手で地面に倒れた司を支えようとする。
彼の傷口からは血がとめどなく流れ出ていたが、痛みを感じていないかのように、ただ美紗紀をじっと見つめている。
「美紗紀、無事……で、よかった」
美紗紀は急いで119番に通報し、そして救急車で司を病院の緊急救命室まで護送した。
彼女には理解できなかった。
司は結婚式で彼を奪わせるほど、美智留のことを愛しているのではないのか。なのに、今度は必死で自分を救った。
いったいどういうことなのだろう?
三時間後、手術室のドアが再び開いた。
医師は疲れ果てた様子で出てきて、ゆっくりと手袋とマスクを外した。
「幸い、刃が数寸ずれていたため、内臓を損傷することはありませんでした。しかし、患者さんは大量出血しており、しっかり静養が必要です」
この言葉を聞き、美紗紀と、知らせを受けて駆けつけた秘書は、皆ホッと息をついた。
秘書は思わず感嘆の声を上げた。
「社長は今回桜庭さんを救うために命まで投げ出しましたよ。本当にあなたを深く愛しているんですね!」
それに対し、美紗紀は黙っている。
以前は司が命がけで自分を愛していると信じていたが、今はその愛を他の人に移してしまった。
しかし、危険が迫った時に、反射的に自分を救う司に、美紗紀は戸惑ってしまった。
彼女の心は狭く、司一人しか入る余地がない。
でも司は?彼の心には一体何人いるのだろう?
美紗紀は目を伏せた。
このような安っぽく、分けられる愛情なんて、絶対いらない。
麻酔が切れると、司は美紗紀に会いたいと大騒ぎした。
看護師の話も聞かず点滴の針を抜き、よろめきながらベッドから飛び降りた。
ちょうどお粥を持って戻ってきた美紗紀に、そのままぶつかった。
司は彼女の腰をぎゅっと抱きしめ、恐怖に震える声で言う。
「よかった、美紗紀、無事だったんだな。ナイフが突き刺さる時、お前を失うかもしれないと、怖かったんだ」
美紗紀は冷静に彼の腕を振り払った。
「先生が静養すべきだと言ったわ。無理に動かないで」
彼女の姿を現すと、司はやっと安心した。おとなしくベッドに横になり、看護師に再び点滴をしてもらった。
美紗紀がお粥を持ってきたのを見ると、司は笑いながら言った。
「今、俺は包帯を巻いてるから、食事は不便なんだ」
美紗紀は軽くため息をつき、仕方なく弁当箱を開けて彼に粥を飲ませた。
飲み終えると、司は親しげに彼女に寄りかかり、その手をぎゅっと握った。
「美紗紀、さっき気を失っていた時、すごく怖い夢を見たんだ。お前が俺を捨てる夢で、それで飛び起きたんだ。真っ先にお前を探したよ。
でも、よかった、ただの悪夢だったんだ。美紗紀、これからもずっと俺のそばにいてくれる、そうだろ?」
彼は顔を上げ、美紗紀をじっと見つめている。
第6話
美紗紀は黙り込んで目をそらし、その話を避けようとした。
しかし、司は異常に頑固だった。
「なんで黙ってるんだ?早く答えてくれ、な?」
その時、秘書が書類の束を持って現れた。
「社長、昨日の犯人の身元と動機が判明しました。こちらをご確認ください」
その言葉を聞くやいなや、司は体を起こし、鋭い表情を浮かべた。無表情のまま書類を受け取り、じっくりと目を通す。
何が書かれているのかはわからないが、司の顔色は急に変わり、呼吸が荒くなった。
震えるような声で叫ぶ。
「早く、全員集めろ!警備員を!」
その言葉が終わると、再び点滴の針を引き抜き、隣の美紗紀に目も向けず、慌ただしく病院を飛び出していった。
床に放り投げられた書類に目を向け、美紗紀は思わず身を乗り出してそれを拾い上げる。
書類を読み進めるうち、彼女の手は無意識のうちに微かに震え始めた。
その中にあの特別な名前を見つけた瞬間、すべてが明らかに理解できた。
司があれほど慌てていた理由が。
また、美智留のせいだ。
最初に犯人が狙ったのは、美紗紀ではなく、美智留だったのだ!
美智留はこれまで司のアシスタントとして外部との連絡を担当していたが、その能力不足でいくつものプロジェクトを台無しにしていた。
そして、その犯人は、損害を受けたプロジェクトの関係者だった。
だからこそ、彼が上村グループのビルの前に現れたとき、当然のように美紗紀を美智留だと勘違いしてしまったのだ。
そして、司があれほど慌てたのは、犯人が人違いに気づき、再び美智留を狙うのではないかと恐れていたから。
だが、あれだけのことをして、美紗紀は本当に安全だと司は思っているのだろうか?
もしかしたら、司は全く気にしていなかったのかもしれない……
その後、まる一週間、司は家に帰らなかった。
美紗紀は、彼がすべての警備員を美智留の元に配置したことに気づいた。
そして、司は多額の金を使い、私立探偵を雇って犯人の行方を追わせていた。
いつも冷静沈着な司が、一人の命を守るためにここまで尽力するなんて、美紗紀には想像もできなかった。
このあからさまな偏愛は、周囲の人々に、正真正銘の婚約者である美紗紀に好奇の目を向けさせることになった。
さらに一週間が過ぎ、新聞で犯人が逮捕されたというニュースを見たその夜、司は疲れきった様子で家に帰ってきた。
彼は美紗紀の背後からそっと腰を抱きしめる。
「美紗紀、動かないで。ちょっとだけ抱きしめさせてくれ」
美紗紀は、彼の体から漂う女性の香水の匂いに、胸がざわつくのを感じた。
思わず、かすれた声で尋ねる。
「司、まだ私を愛してる?」
司の動きが一瞬固まり、見えない焦りが胸にこみ上げてきた。
彼は美紗紀の首筋に顔を寄せ、さらに強く抱きしめる。
「変なこと考えるなよ。愛してないなら、どうして結婚しようとするんだ?
美紗紀、あと十日もすれば、世界中にお前が俺の妻だって宣言できるんだ」
結婚式が近づくにつれ、司は仕事の手をだんだんと引き、式の準備に専念し始めた。
毎日、会場の設営を見守りながらも、美紗紀のそばを離れることはなかった。
その夜、司はシャワーを浴びに行き、スマホをベッドサイドのテーブルに無造作に置いた。
美紗紀がパスポートを探していると、ふと目を上げると、司のスマホが光っていた。思わずそのメッセージを覗いてしまう。
それは、美智留からのものだった。
【司、今、あなたの家の外にいるの。今日、絶対に会いに行くわ。どんな嵐の中でも】
美紗紀は軽く眉をひそめた。
彼女はスマホのロックを解除し、メッセージをスクロールすると、司が最近、美智留のメッセージにほとんど返信していないことに気づいた。
この二日間、司はずっと美紗紀に付き添っていたから、美智留が焦っているのだろう。
美紗紀はスマホを元の場所に戻し、メッセージを未読のままにしておいた。
第7話
浴室から出てきた司は、髪を拭きながら美紗紀に結婚式の飾り付けについて話していた。
何気なくスマホを手に取って眺めていたが、途中でふと動きを止める。
美紗紀が尋ねる。
「どうしたの?続きは?」
慌ててスマホをしまい、何事もなかったかのように平静を装って結婚式の話を続ける。
けれど、目線は窓の外を何度も盗み見る。
「もう遅いし、休もうか」
美紗紀がさっと電気を消した瞬間、外で雷鳴が轟く。
その直後、何の前触れもなく土砂降りの雨が降り注ぐ。
美紗紀は思わず司の方に身を縮めた。
普段は度胸がある彼女だが、雷だけはどうしようもなく苦手だった。
司はそれを知っているはずなのに、かつて彼女を抱きしめて「もう二度と雷に一人で立ち向かわせない」と誓ったあの日のことを思い出す。
しかし、今の司の心は明らかに別の場所に向かっていた。
彼は美紗紀の小さな動きに気づくことなく、彼女がどれほど雷を恐れているかさえ忘れてしまっていた。
そして、雨音が響く中、五秒も経たないうちに、司は静かにベッドから起き上がり、一言も発せずに家を飛び出していった。
美紗紀はベッドの上で身を縮め、必死に耳を塞ぐ。
外の雷が心に深く響き、その後の豪雨が彼女の心をさらに洗い流すようだった。
その夜、司は一晩中戻らなかった。
翌朝早く。
目覚まし時計で目を覚ました美紗紀は、疲れた体に鞭打ってベッドから這い出す。
今日はビザの申請に行く日だ。
司のことを考えると、たとえ結婚を逃れたとしても、彼に絡まれない保証はない。
それなら、いっそ逃亡後の計画を早めに立てておいたほうがいい。
気分転換も兼ねて海外旅行に行き、これまで何度も参加できなかった研究会にも顔を出すつもりだった。
ビザの申請を終えて帰宅した美紗紀は、家の中の異様な空気に気づく。
くしゃみを何度も連発し、喉も少しイガイガしている。
その時、猫の鳴き声が聞こえた。
下を見ると、なんとティーテーブルの下に見慣れない猫が一匹、増えている!
瞬時に臨戦態勢に入った美紗紀は、後ずさりを何歩も踏みながら、その猫から遠ざかろうとした。
彼女は猫アレルギーがひどく、最悪の場合、呼吸不全を起こすこともあるのだ。
急に息苦しさを感じた美紗紀に対し、その猫は何も知らず、無邪気に近づいてくる。
美紗紀は両手を宙でやみくもに振り回し、猫を遠ざけようとするが、効果はほとんどない。
胸が激しく上下し、空気をほとんど吸い込めないような感覚に襲われる。
意識が朦朧とする中、美紗紀は手元にあったカップを叩き割り、その音で猫を怯えさせようとした。
すると、猫は甲高い鳴き声を上げ、すぐに隅っこに縮こまってブルブル震え始めた。
美紗紀は壁に寄りかかり、必死に呼吸を整えた。
その時、玄関のドアが開き、司が慌てて飛び込んできた。
しかし、彼の最初の反応は美紗紀の安否を気遣うことではなく、慎重に駆け寄ってその猫を抱きしめることだった。
「何してるんだよ!
こんな小さい猫なのに、好きじゃないからって脅かしたりするなよ!」
美紗紀の目の前はチカチカし、司の声も耳にはっきりと届かない。
彼女は必死で玄関に這っていき、外の新鮮な空気を吸おうとするが、胸の苦しさはほとんど軽減されなかった。
しばらくして、喉の乾いた痛みを必死にこらえながら、美紗紀は司に問いかけた。
「司、私、猫アレルギーなの。ひどくなると命に関わるってこと、もう忘れちゃったの?」
その言葉は、まるで司の頭をガツンと殴りつけるような衝撃を与えた。彼の脳は一瞬、真っ白になった。
次の瞬間、司の顔は恐怖に染まる。
美紗紀が発作を起こした時、どれほど深刻な状況になるか、彼はよく知っているはずだった。
蕁麻疹だけでなく、呼吸不全を引き起こし、窒息の危険すらあるのだ。
どうして、こんな大事なことを忘れていたのだろうか?
第8話
かつて美紗紀をどれほど心配していたか、今の司はその分だけ後悔していた。
腕の中で小さな猫が急に重く感じられた。司は慌てて猫を床に置き、急いで美紗紀のために薬を探し回る。
吸入器を使うと、美紗紀の顔色がわずかに和らいだ。
司は慎重に彼女をベッドに支え、そっと休ませる。
「ごめん、美紗紀。さっきは俺が誤解してた。
猫は美智留が飼ってるんだ。彼女が猫を探して必死だったから、俺、つい焦っちゃって」
美紗紀は言葉なく、無表情で司を見つめていた。
その視線に、司はますます気まずくなった。
すぐに電話をするふりをして部屋を出て行った。
しばらくして、美紗紀は部屋の外からかすかな声を耳にした。
「もういいから、早く猫を連れて帰ってくれ」
その後、司は美紗紀をきめ細やかに世話した。
彼女が咳をするたび、司はひどく狼狽え、心配そうに彼女を見守った。
「結婚式、延期しよう。美紗紀が完全に回復してから盛大に挙げよう」
司は何度も提案した。
美紗紀はきっぱりと反対する。
「大丈夫。結婚式は予定通りでいいわ」
美紗紀がこの結婚式をそれほど大切に思っていると知り、司は心が温かくなるのを感じた。
さらに二日後、美智留が菓子折りを手に、謝罪に訪れた。
「ごめんなさい、桜庭さん。私、猫をちゃんと見ていなかったせいで、あなたに発作を起こさせてしまって」
美智留は心底申し訳なさそうにしており、目は泣き腫らして赤くなっていた。
だが、司はその謝罪を受け入れなかった。
冷たい声で責め立てた。
「お前の不注意で美紗紀が命を落としかけたこと、分かってるのか?」
美智留は嗚咽した。
「ごめんなさい、こんなことになるなんて思わなくて、私……」
「もういい、それ以上言わなくていい。ただ覚えておけ。美紗紀は俺にとって一番大事な存在だ。彼女の安全は何よりも重要だ!」
美智留はその場で動けなくなり、呆然と司を見つめ、ついには自分を弁解することさえ忘れてしまった。
数秒後、大粒の涙が彼女の目からこぼれ落ちた。
美智留は全身を震わせ、泣きながら走り去って行った。
「美智留!」
司は立ち上がり、彼女の今の反応に少し驚きながらも、すぐに追いかけた。
これらすべてはわずか半分の時間のうちに起きたことだった。
だが、美紗紀はまるで何千回もこんな光景を見てきたかのような気分だった。
彼女はしばらく考え込み、そっと後を追った。
ヴィラの裏庭から、美智留のすすり泣く声と、司の優しい声が聞こえてくる。
美紗紀は、司が愛おしそうに美智留の涙を拭う姿を見た。
次の瞬間、彼は美智留の腰を引き寄せ、強引にキスをした。
……
三十分後、司が部屋に戻ってきた。
美紗紀は静かにベッドの枕元にもたれかかり、真剣な顔でノートに何かを書きつけていた。
「何書いてるんだ?」
司はふと気になり、ノートを覗き込むが、海外ビザのような文字が見えた気がした。
「何でもないわ」
美紗紀はノートを閉じ、しばらくしてから彼を見上げた。
司は笑って尋ねる。
「明後日には結婚式だぞ。緊張してるか?」
美紗紀はただ首を振り、そして突然何かを思い出したように言った。
「明日、一緒に夕食を食べましょう」
一緒に夕食を食べる。それは、この関係に完全に終止符を打つためのものでもあった。
司は今の美紗紀の瞳の奥に秘められた深い意味には気づかなかった。
彼は深く考えることなく、答えた。
「ああ、いいぞ!」
第9話
結婚式の前夜、司は約束の時間通りに待ち合わせ場所に現れた。さらに、夕食を彩るためにわざわざ高級な赤ワインを持参している。
だが、二人が席に着いた途端、司のスマホに次々とメッセージが届き始めた。
その直後、電話の着信音も鳴り響く。
司は発信者を確認し、心を鬼にして電話を切った。しかし、二秒後、再び着信音が鳴り出す。
美紗紀は静かに彼を見つめる。
「先に電話に出たら?」
司は携帯を手に席を立つ。すぐに、慌ただしくテーブルに戻り、上着と車の鍵を掴んだ。
「会社で急ぎの用事ができてしまった。行かなきゃならないんだ。一人で食べててくれ。待たなくていいから」
彼の遠ざかる声を聞きながら、美紗紀は静かに自嘲的な笑みを浮かべた。
冷めたステーキをひと口ひと口食べ、赤ワインをぼんやりと飲んだ。
その後、スマホを取り出し、インスタを開いた。案の定、美智留がまた写真を投稿していた。
その写真の中では、司があるビルの屋上に立ち、笑いながら瞳を潤ませて、空の花火を見上げている。
美智留のコメントが添えられていた。
【最愛の人のために盛大な花火を準備したの。よかった、彼も拒否しなかった】
美紗紀はスマホを閉じ、静かに立ち上がった。
司と三年間の思い出が詰まったこの部屋を見つめ、黙って大きなダンボール箱を取り出し、荷造りを始めた。
まる三時間かかった。
二人の三年間の思い出が詰まった品々を三つの大きなダンボール箱に詰め込んだ。
そして、瞬き一つせず、全てを燃やした。
その後、美紗紀は夜を徹して、美智留が自分に送ってきた全てのチャット履歴やインスタ投稿をUSBメモリにまとめていった。
それらを終える頃には、空はすでに白み始めていた。
美紗紀は荷物を持ち、一人で結婚式場へと向かう。
結婚式場は一面の花畑のように飾り付けられ、至る所が喜びに満ち溢れていた。
司は多くのメディアを招き、この幸せな一日を記録してもらおうとしていた。
美紗紀は精巧な白いウェディングドレスを身にまとい、ゆっくりと司に歩み寄る。彼が目に涙を浮かべ、期待に満ちた表情を浮かべているのを見ても、彼女の心は静かな水面のようだった。
マイクを受け取り、美紗紀はUSBメモリを傍らの司会者に手渡す。
「結婚式が始まる前に、あなたにプレゼントを贈りたいの」
司は笑顔を見せる。
「何だろう、楽しみだな」
司会者がUSBメモリをパソコンに差し込み、映し出す準備をしているのを見て、司の心に突然、理由のない緊張が走る。
大画面に内容が再生され始める。
次の瞬間、司の全身が硬直した。
そこに映し出されていたのは、彼と美紗紀の甘い思い出ではなかった。
それは、美智留とのチャット履歴、そして親密なツーショット写真だった!
司の頭の中で、まるで雷に打たれたような衝撃が走った。
彼はついに美紗紀に顔を向けた。きちんと説明しなければならない。
しかし、記者たちは狂ったようにカメラを構えて写真を撮り始め、口々に彼を取り囲んで取材を始めた。
司は必死に美紗紀の姿を探し、ようやく視線がある場所に止まった。
人ごみを隔てて、美紗紀は人に囲まれた司を静かに見つめていた。
彼女は口を開き、その言葉が、はっきりと司の耳に届いた。
「司、別れましょう」