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三日の出張、息子の母は別人に
私は小林由衣(こばやし ゆい)、出張に出て三日目、長いあいだ静まり返っていた息子のクラスの保護者ライングループに、突然一人の女性保護者...
Chương (1)
第1章
私は小林由衣(こばやし ゆい)、出張に出て三日目、長いあいだ静まり返っていた息子のクラスの保護者ライングループに、突然一人の女性保護者が入った。
音声メッセージを再生すると、聞き覚えのない甘い女性の声が流れる。
「はじめまして。新任の国語教師の白石真帆(しらいし まほ)です。後藤智也(ごとう ともや)の母でもあります。これからはよろしくお願いします」
私は全身がこわばり、グループのメンバー一覧を開いて何度も見比べた。
智也は私の息子。彼女が智也の母なら、私はいったい誰?
すぐ夫の後藤亮介(ごとう りょうすけ)に電話する。
「ねえ、保護者のライングループ、誰か間違って入ってない?」
電話口で、彼は一拍おいて、それから何でもないふうに笑った。
「名前のかぶりじゃない?学校って同姓同名、けっこうあるし。どうしたの、何かあった?」
私は笑って「大丈夫」と言い、通話を切った。けれど胸のざわめきは消えず、空港へ駆け込み、その夜のうちに飛び立った。
第1話
私は小林由衣(こばやし ゆい)、出張に出て三日目、長らく静まり返っていた息子のクラスの保護者ライングループに、突然一人の女性保護者が入った。
音声メッセージを再生すると、聞き覚えのない甘い女性の声が流れる。
「はじめまして。新任の国語教師の白石真帆(しらいし まほ)です。後藤智也(ごとう ともや)の母でもあります。これからはよろしくお願いします」
私は全身がこわばり、グループのメンバー一覧を開いて何度も見比べた。
智也は私の息子。彼女が智也の母なら、私はいったい誰?
すぐ夫の後藤亮介(ごとう りょうすけ)に電話する。
「ねえ、保護者のライングループ、誰か間違って入ってない?」
電話口で、彼は一拍おいて、それから何でもないふうに笑った。
「名前のかぶりじゃない? 学校って同姓同名、けっこうあるし。どうしたの、何かあった?」
私は笑って「大丈夫」と言い、通話を切った。けれど胸のざわめきは消えず、空港へ駆け込み、その夜のうちに飛び立った。
飛行機が着くなり、私はそのままタクシーを拾い、息子の小学校へと向かった。
智也は七歳、小学一年生だ。
今は午後一時四十分、ちょうど五限目が始まったところだ。
校門にいた警備員はきちんと対応してくれて、私が保護者だと分かるや否や、すぐに担任の先生へ連絡を取ってくれた。
数分後、白いブラウスに黒いスカート――新卒のように若い女性が足早に駆けてくる。
顔立ちは普通で、かろうじて清楚といったところだが、声はやわらかく、物腰は柔らかい。
女の勘が告げる――この女が、私の探していた相手だ。
予感どおり、私を見るなり彼女はうろたえた。
彼女の顔はさっと青ざめ、手足は勝手に震えだす。まるで猛獣でも見たかのように。
「こ、こちらの保護者の方、本日はどのようなご用件で……」
あまりに怯えて言葉もまともに繋がらない。
それでいて、保護者のライングループでは堂々と自分を智也の母だと名乗ったのだ。
「保護者のライングループでのメッセージ、どういうことかしら」
警備員の前で、私ははっきり切り出す。
「あなた、智也の母だと?すごく気になるわ」
膝の横に下げていた手が一瞬ぎゅっと握り締められ、彼女は慌ただしく警備員を見やる。そして、引きつった笑みを浮かべながら言い訳を始める。
「それはですね、もうすぐ学校で保護者会があるじゃないですか。智也のお父さんが、ご夫婦ともに忙しくて出られないって言ったんです。
智也をがっかりさせないように、私に身代わりをしてほしいって頼んできたんです。
ご迷惑をおかけしていたら、本当に申し訳ありません!」
つじつまは完璧だ。自分との関わりはきれいに切り離し、ついでに出張で家を空けがちな私をさりげなく踏みつける説明でもある。
もし私が彼女のインスタをくまなく調べていなければ、その言葉を信じてしまったかもしれない。
水曜の夜八時、市民会館の大ホール。
彼女は、バラの花束を買う男性の後ろ姿を投稿した。
キャプションは【私が愛するのは王子じゃない――王様だ】
翌日、私はバラ科アレルギーで入院した。
金曜の夕方六時、街はゲリラ豪雨。
彼女は学校のひさしで雨宿りする自撮りを上げた。
【私の王様は、いつ迎えに来てくれるの】と書いた。
その三分後、亮介からメッセージが送ってきた。
【今夜は残業で智也の迎えに行けなくなった。悪いけど頼むな】
そのメッセージが届いたとき、私は病院で点滴を受けていて、薬のせいで半ば眠り込んでいた。
気づいた時には、すでに二時間が過ぎていた。
その間、智也は迎えが来ず、校門の守衛室の前で冷たい風にさらされ続けていたのだ。
その晩、彼は三十九度の高熱を出した。
病院へ向かう車の中で、亮介はため息ばかりつき、言葉の端々で私がメッセージを確認しなかったことを責めていた。
私も本気で自分を責め、熱にうなされる智也の顔を撫でながら、一晩中「ごめんね」と繰り返していた。
第2話
でも、本来「ごめん」と言うべきなのは、私ではなかった。
バッグを握る手に力が入り、指先が白くなる。私は視線をゆっくりと彼女のうろたえた顔に滑らせる。
そして、耳たぶでぎらりと光る、刺すようなブルーの輝き。私は口の端だけで笑う。
「白石先生、そのピアス、素敵ね。彼氏からのプレゼント?高かったんじゃない?」
先月のバレンタイン、私は亮介の購入履歴を偶然見てしまった。
純金のブレスレットと、サファイアのピアス。
ブレスレットは十万円で、私の手首に。
そして、七十六万円のそのピアスは、いま目の前のこの女に。
私の言葉を聞いた途端、真帆の顔は血の気を失い、唇を小刻みに震わせながらも、何ひとつ声を発せない。
無様だ。
脳裏に、その言葉がふっと浮かぶ。
彼女から目を離し、私は踵を返した。
帰り道、私は父に電話をかけた。父は亮介の直属の上司であり、小林グループの実権者でもある。
「お父さん、お願いがあるの」
私はスマホの待ち受け画面を、家族三人の写真から智也とのツーショットに変え、そして、驚くほど冷静な声で続けた。
「亮介に約束していたマーケティング部長のポスト、取り消して。それと、腕の立つ離婚弁護士を紹介して。私は彼と離婚する。
そう、彼は智也の国語の先生と不倫したの」
父は動きが早い。
三十分もしないうちに、弁護士が連絡を寄こし、3ギガ分の証拠と資料を送ってきた。
開いてみると、真帆のインスタ投稿のほかに、これまで一度も目にしたことのない動画アカウントがあった。
投稿は八十三本。どれにも亮介の姿が紛れ込んでいる。
――去年のクリスマス。亮介は「残業で帰れない」と言いながら、実際には真帆のもとへ飛び、雪原で一緒に星を描いていた。
――智也の七歳の誕生日。亮介が息子に贈ったプレゼントは、真帆と選んだもの。
小さなクマのぬいぐるみ。
動画の中で真帆は、亮介とのツーショット写真をそのクマのぬいぐるみの腹にねじ込み、勝ち誇ったように笑っている。
「亮介のかわいい坊やへのサプライズよ。
これが見つかる日が、楽しみで仕方ない」
コメント欄には事情を知らない通りすがりの書き込みがあった。
【配信者の彼氏って、離婚したの?】
猫のアイコンを掲げた真帆が、こう答えていた。
【そうだよ。でもすぐ、私が彼氏の子供のお母さんになるから】
添えられていたのは、照れた顔文字がずらり。
最新の一本は、私が出張に出た当日の投稿だった。
背景は、我が家の物置部屋。真帆は自撮り棒を手に、扉にもたれて清純ぶった笑顔でカメラを見つめている。
【亮介の子、やんちゃすぎ。ちょっと暗いお部屋でお仕置きしなきゃ】
その背景には、七歳の智也の怯えきった、必死に許しを乞う泣き声が響いていた。
マウスを握る手がぎゅっと強張り、私は思わず立ち上がった。思い返したのは、出張先に着いたあの夜のこと。
私は家に何度も電話をかけ続け、十七回目でようやく繋がった。
「どうしてそんなに出ないの?智也はどこ?」
胸がざわついて、家で何かあったのではと焦った。
電話の向こうで、亮介の息がやけに荒い。間を置いて、しどろもどろに言った。
「智也が……悪夢を見てね。やっと寝かしつけたんだ。話があるなら、明日にしてくれ」
そのときの私は深く考えもせず、亮介にごまかされてしまった。
今になって思えば、すべてにはっきりした兆しがあったのだ……
胸のあたりに大きな穴が空いたようで、冷たい風がひゅうひゅうと吹き抜けていく。
私を打ちのめしたのは、亮介の裏切りそのものではない。まさか、彼が他人に、私たちの子どもを傷つけさせていたなんて。
第3話
智也が生まれた年、ほんの少し黄疸が強くて、青い光を浴びる治療が必要になった。
それだけのことなのに、亮介は仕事を全部投げ出し、二十四時間つきっきりで付き添った。
その彼が、いまは。
胸の奥に広がる冷えは、ますます重く沈んでいく。私は椅子に座り直し、亮介の不倫の証拠をさらに辿る。
そのとき、真帆の動画アカウントが更新された。
画面の中の彼女は、昨日私と会ったときと同じ服装で、目尻に涙の跡を残し、いかにもかわいそうに見せている。
「亮介の元妻がまた押しかけてきて、私には彼の子どもの母親になる資格がないって……怖いの」
そう言いながら鼻をすするふりをし、さりげなく亮介とのチャット画面を映し出す。
「でも亮介は私をすごく大事にしてくれているの。明日の保護者会には、私と一緒に出てくれるって約束してくれたの。いよいよお母さんになれるんだと思うと、緊張しちゃう」
彼女は、まさか亮介に、私が帰ってきたことを伝えていない?
画面の隅に浮かぶ、智也が生まれてから一度も変わっていない亮介の青いアイコンを見つめ、私はふっと笑った。
いいわ。保護者会なら、本物の母親が出席しても、何もおかしくないものね。
翌日、学校の保護者会。
私は目立たない装いで人混みに紛れ、智也のクラスのいちばん隅に腰を下ろす。
席につくやいなや、亮介からメッセージが届く。
【由衣、仕事はうまくいってる?いつ帰ってくる?】
彼は探りを入れている。
【ちょうど会場に着いたところ。もう始まるから、また後で】
私はそっけなく返した。
画面には「入力中」の表示、続いて「了解」を示す子猫のスタンプが送られてきた。
それは真帆のアイコンとまったく同じだ。
胸の奥がむかつき、私はそれ以上返信せずにスマホをしまった。
今学期から新しく担任となった真帆が、壇上へと歩み出た。
今日はいつになく気合いを入れていて、シンプルなベージュのワンピースに、片側に編み込んだ髪。顔には隙のない化粧が施されている。
昨日の怯えた姿はどこにもなく、そこにあるのは作り物めいた母性。
見れば見るほど、吐き気を催す。
「保護者の皆さま、こんばんは。本日のテーマは、あたたかな家庭です。家庭は子どもにとって、最も大切な拠り所です。私たち大人は子どもの心の健康に目を配り、幸せで調和のとれた環境を築いていかなければなりません……」
壇上で彼女は堂々と語りかけ、いくつもの小話を交えながら家庭に向き合う責任を保護者に説いていた。
だが、私の家庭を壊したのは、ほかならぬ彼女だ。
さらに皮肉なことに、ひと通り話し終えると、彼女は突然黒板を軽く叩き、会場の保護者たちを見渡しながら、恥ずかしそうな表情を浮かべる。
「それから、もう一つお知らせがあります。実は、私の息子もこのクラスに通っているんです」
真帆は振り返り、教室の外に向かって手招きする。
「亮介、智也、入ってきて」
教室がどよめく。
亮介は智也の手を引き、ゆっくりと入ってきたのだ。
黒のスーツに身を包み、髪はきちんとオールバックに整えられ、腕には私が贈った高価な時計。
なのに――智也はしわだらけの服に、濡れた髪が額に貼りつき、熱に浮かされているように見える。
胸が強く締めつけられ、今にも智也を奪い返しに走り出しそうになる。
けれど理性が耳打ちする――まだ、その時ではない。
私は真帆の口から亮介との関係を自ら認めさせ、その場で地に落としてやるつもりだ。
「皆さま、こんばんは。私は真帆の夫、後藤亮介です」
彼は虚ろな表情の智也の手を引き、口元には見慣れた優しい笑みを浮かべているが、口から出た言葉は私の全身を冷えさせた。
第4話
「智也、さあ、ママって呼んで」
智也は小さく首を振り、亮介の背中に身を隠した。そしてか細い声でつぶやく。
「この人はぼくのママじゃない」
保護者席からも疑問を口にする者がいた。
「たしか智也くんのお母さんって小林由衣さんじゃなかった?始業前に会ったことあるけど、どういうこと?」
「そうそう、私も覚えてるわ。これは一体どういうこと?」
真帆の顔がみるみるうちに蒼白になり、救いを求めるように亮介を見た。
案の定、彼は二秒ほどためらった後、悠然と壇上に立ち、咳払いをして口を開く。
「皆さん、誤解です。
小林由衣は、俺の息子の母親ではありません。彼女はただ……」
一拍置いて、彼は視線をやさしく真帆へ落とす。
「彼女は息子のために雇ったシッターです。本当の母親は真帆なんです」
シッター?
私は一瞬、呆然とし、心の奥が氷のように凍りついた。
亮介とは大学時代からの付き合いで、十年もの間、苦楽を共にしてきた。
彼が事業に失敗して多額の借金を背負ったとき、私は父とまで絶縁して彼を選んだ。
仕事の付き合いで頻繁に飲酒して胃を壊した彼のために、毎朝五時に起きて胃に優しいおかゆを煮てあげた。
子どもが欲しいと言われたときには、手術台の上でさえ、自分よりも赤ん坊を優先しようと覚悟したこともあった。
その彼が、智也の目の前で、そして、クラスの保護者全員の前で、私のことをただのシッターだと言い放った。
心の奥で凍りついていた冷たさは、瞬時に裏返り、全身を焼き尽くすような怒りの炎へと変わっていく。
教室の保護者たちは、すっかり納得したように顔を見合わせる。
「そういうことだったのね。じゃあその小林由衣って人、ひどいわね。ただのシッターのくせに、子どもにママなんて呼ばせて」
真帆に向けて、助言する人まで出てくる。
「白石先生、あなたは優しすぎるから気をつけないと。シッターに好き勝手させて、子どもが悪い影響を受けたら大変よ」
「そうそう。最近のシッターってタチ悪いのいるから」
真帆は頬を上気させ、いかにも良妻賢母の笑みでうなずく。
「ええ、みなさんの言う通りですね。
気をつけます」
智也は目を赤くしながら反論する。
「違う!みんなの言ってることは間違ってる!あの人はぼくのママじゃない!ぼくのママは、小林由衣なんだ!」
すかさず別の保護者が舌打ちして、侮蔑の色を顔に浮かべる。
「ほら見なさい、悪影響よ。実の母親を認めないなんて、将来ろくな子にならないわ。白石先生と後藤さん、ちゃんと躾けないと」
「その通りよ。うちの娘なら絶対こんなことしない。白石先生が甘やかしすぎなんじゃない?」
「私なら今ここでお尻を叩いてしつけするわ。叩きのめせばわかるようになる」
「それはやり過ぎよ。私なら物置に閉じ込めて、言い直すまで出さないわね」
保護者たちは次々と口を出し合い、勝手な教育論が飛び交う。
真帆の瞳には抑えきれない喜びが滲んでいる。だが顔だけはわざと同情を装い、ためらうように亮介へ視線を向ける。
「亮介、みんなの言うことにも確かに一理あるわ。だったら、いっそ……」
「待って!」
私は立ち上がり、顔を覆っていたマスクを外し、録画を続けていたスマホを取り出してはっきりと声を放った。
「亮介、みんなの前でもう一度聞くわ。白石真帆が智也の母親だと言うのなら、私は誰?」
亮介と真帆の笑みが、その場で凍りつく。