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永遠に、自由で風のように
結婚三年記念日。私、前島知子(まえじま ともこ)は、夫・前島謙介(まえじま けんすけ)お気に入りのミシュランレストランで、五時間も待ちぼ...
Chương (1)
第1章
結婚三年記念日。私、前島知子(まえじま ともこ)は、夫・前島謙介(まえじま けんすけ)お気に入りのミシュランレストランで、五時間も待ちぼうけを食らっている。
なのに、肝心の謙介とはまた連絡が取れない。
結局、彼の幼馴染・玉木友枝(たまき ともえ)という女のSNS投稿で知った。
謙介が彼女に付き合って、氷原へ行ったことを。
【ちょっと落ち込んだだけで、彼は全世界との約束をすっぽかして、気晴らしに付き合ってくれた】
【幼馴染って、ペンギンより癒されるかも】
添付された写真には、凍えるような寒さの世界が広がる中、謙介が彼女をそっと抱き寄せる姿。
その瞳には、私に向けられたことのない熱が宿っている。
ふと疲れを覚える。もう苦しい詰問も、狂ったような泣きわめきもする気になれない。
ただ静かに「いいね」を押し、彼に一言だけ送る。
【離婚しましょ】
しばらくして、謙介からボイスメッセージが届く。
からかうような口調だ。
「いいぜ、帰ったらサインしてやる。
どっちが泣いて『行かないで』って引き留めるか、見ものだな」
愛されている側は、いつも強気だ。彼はまったく信じていない。
でもね、謙介。
誰かさんなしじゃ生きていけない人なんていない。ただ、まだ愛しているだけ。
だけど、これからはもう、あなたを愛したくない。
第1話
結婚三周年記念日。私、前島知子(まえじま ともこ)は、夫・前島謙介(まえじま けんすけ)お気に入りのミシュランレストランで、五時間も待ちぼうけを食らっていた。
なのに、肝心の謙介とはまた連絡が取れなかった。
結局、彼の幼馴染・玉木友枝(たまき ともえ)という女のSNS投稿で知った。
謙介が彼女に付き合って、氷原へ行ったことを。
【ちょっと落ち込んだだけで、彼は全世界との約束をすっぽかして、気晴らしに付き合ってくれた】
【幼馴染って、ペンギンより癒されるかも】
添付された写真には、凍えるような寒さの世界が広がる中、謙介が彼女をそっと抱き寄せる姿。
その瞳には、私に向けられたことのない熱が宿っていた。
ふと疲れを覚える。もう苦しい詰問も、狂ったような泣きわめきもする気になれなかった。
ただ静かに「いいね」を押し、彼に一言だけ送った。
【離婚しましょ】
しばらくして、謙介からボイスメッセージが届いた。
からかうような口調だ。
「いいぜ、帰ったらサインしてやる。
どっちが泣いて『行かないで』って引き留めるか、見ものだな」
愛されている側は、いつも強気だ。彼はまったく信じていなさそうだった。
でもね、謙介。
誰かさんなしじゃ生きていけない人なんていない。ただ、まだ愛しているだけ。
だけど、これからはもう、あなたを愛したくない。
……
私はレストランで一人、食事を済ませた。
胃はパンパンなのに、心は空っぽだった。
家に帰り、離婚届を印刷した。
サインしようとした瞬間、スマホが震える――
友枝から画面録画の動画が送られてきた。
友枝と謙介が、豪華客船のデッキに並んで立っていた。
動画の向こう側では、共通の友人たちがしきりに感嘆の声を上げていた。
「氷原ツアー!?最低でも二百万円はするだろ。謙介、知子とは二十万円の旅行すら行ったことないよな?」
「金を使う相手が、本命ってことだろ!」
「知子、今回は意外と騒いでないな。いいねまで押してるぞ?」
友枝が甘ったるい声で言った。
「騒いだよ。謙介に離婚を切り出したんだって」
動画の向こうが息を呑んだ。
「知子って、今まではせいぜいプチ喧嘩くらいだったろ。マジで離婚なんて言う勇気あるのか?本気じゃないだろ?」
「もちろん、本気なわけない」
謙介の口調は淡々としていた。
「俺に構ってほしくて、帰ってきてほしいだけだろ。もともと帰るつもりだったが、脅されるのは一番嫌いでね。
ついでだ、友ちゃんともう数日遊んでいくさ」
彼の目には冷たさが浮かんだ。
友枝の乱れた前髪を手で直してやるときだけ、その表情が和らいだ。
向こうの友人たちが「またイチャついてる」と大声で叫び、囃し立て始めた。
「謙介、いっそこのまま知子と別れちまえよ」
「昔、あいつが友ちゃんのおこぼれでお前と付き合えたことくらい、みんな知ってるんだぜ。友ちゃんが戻ってきた今、あいつの居場所なんかないだろ」
「そうよ、友ちゃん。謙介を見直してあげなよ。今や年収数千万円の幹部だし、友ちゃんへの気持ちも昔から変わってないんだから」
謙介が喉仏を動かし、何かを言いかけようとした。
その時、友枝が突然、彼の胸に顔をうずめた。
「謙介、みんなに黙ってって言ってよ。これ以上言ったら、私たちの純粋な友情が汚されちゃう。
それに、専業主婦がいろいろ考えすぎちゃうのは当たり前なんだから、少し大目に見てあげてよ。じゃないと、私がとんでもない悪者になっちゃう」
謙介の目から、何かがふっと消えたようだ。
彼はぎこちない笑みを浮かべた。
「安心しろ、離婚にはならない。
知子は俺がいなくなったら、居場所がなくなる。そんな勇気、あいつにはない」
世界の果てに立つ彼を、私は画面越しにじっと見ている。
私の弱みを知りながら、それを平気で踏みにじるこの男を見ている。
私たち二人が、本当に終わりを迎えたのだと、ようやく悟った。
それなのに、なぜ心はまだ絞られたみたいに、酸っぱく張り裂けそうで、言いようもなく苦しいのだろう?
それはきっと、私がずっと彼を光であり、救いだと思ってきたからだ。
大学二年の秋、大学院一年の謙介が私に告白してきた。
彼は学内の有名人で、私が密かに想いを寄せる相手だった。
一方の私は、母を早くに亡くし、父が新しい家庭を持ってからは、継母と……まるで継父のように変わってしまった父ができた。
幼い頃からあちこちの家を転々とし、人の顔色ばかり窺ってきた私には、もう「家」と呼べる場所はなかった。
そんな自信のない私に、愛される価値があると信じさせてくれたのが、謙介だった。
彼がこの上なく甘く私にキスをし、「知ちゃん」と優しく呼んだとき、私は突然泣き出してしまった。
母が亡くなってから、誰も私を「知ちゃん」と呼んでくれなかったから。
でも泣きながら、私は笑っていた。
漂っていた心が、ようやく帰る場所を見つけたようだった。
卒業後、私は大学院への推薦入学を蹴った。謙介が「君に家をあげる」と言ってくれたから、迷わず彼について浜野市へ行った。
彼は仕事に集中したいと言い、私は内定を断って、彼のためにすべてをこなし、料理の腕を磨いた。
彼と苦しい四年を耐え忍び、彼の事業はようやく軌道に乗り始めた。
謙介はすぐに、見事な輝きを放つダイヤの指輪を買って、私にプロポーズしてくれた。
「知ちゃんにはその価値があるんだよ」
結婚後、彼は多忙を極めたが、時折、高価なジュエリーを贈ってくれた。
私がもったいないと言うと、彼は笑って私を抱きしめた。
いつも同じ言葉。
「知ちゃんにはその価値があるんだよ」
あんなに輝いていた瞬間、私たちは愛し合っているのだと思っていた。
自分はついに運命に愛され、愛する人と家族を手に入れたのだと。
一ヶ月前、友枝が帰国するまでは。
謙介が愛してやまなかった幼馴染。
彼女は最も鋭く残酷な棘のように、すべての偽りの美しさを突き破った。
謙介が私に告白したのは、あの日、彼女が海外で恋人を公表したから。
彼が初めて私にキスしたとき、彼女はSNSに手をつないだ写真をアップしていた。
彼が私にプロポーズしたのは、彼女が婚約したと知ったからだった。
彼がくれたダイヤや宝石は、すべて彼女が好むデザイン。
彼が何度も優しく私を「知ちゃん」と呼ぶとき、心の中は彼の「友ちゃん」でいっぱいだったんだ。
……
私が幸せだと思っていたすべての節目は、彼の無念と未練で満ち溢れていた。
私に、最初から価値なんてなかった。
ポタッ――
一粒の涙が、離婚届に染みを作った。
思い出せば思い出すほど、自分が哀れな道化のように思えてきた。
謙介は、私が彼なしではいられないと思っていた。
でも、私にも行く当てはあった。
ペンを取り、サインした。
白黒はっきりさせた以上、もう後悔はなかった。
今度こそ、私は本当に彼のもとを去る。
第2話
私は久しぶりにあの番号に電話をかける。
「倉本先生、私、まだ戻れますか?」
口にはしたものの、やはり不安がよぎる。
昔、倉本菫(くらもと すみれ)先生は私を高く評価し、大学院への推薦を受けて彼女の研究室に残るよう、強く引き留めてくれた。
なのに、私は倉本先生を失望させた。
事情を察すると、彼女はため息をつく。
「言ったでしょう。正しい愛は、あなたの将来を後押ししてくれるものだって。
戻ってくることはできるわ。でも、一ヶ月後の試験に合格することが条件よ」
私は承諾する。
謙介がまたしても家に帰らないこの夜、私はもう眠れずに苦しむことはない。
朝までぐっすり眠り、すぐに勉強を再開する。
男一人のために眠れない夜を過ごすより、希望の中で目覚める感覚は、こんなにも清々しいものなのか。
謙介はそうすぐには帰ってこないと思っていた。
ところがその夜、彼が玄関のドアを開けて入ってくる。ハンサムな目元には疲労が浮かんでいる。
「結婚三年記念のプレゼントだ」
そう言って、何か柔らかいものを私の腕に押し付ける。
ペンギンのぬいぐるみだ。
これまで友枝を優先して私を置き去りにした時と同じように、説明もなければ、謝罪もない。
ただ、形ばかりの機嫌取りのような行動だけ。
ペンギンにはまだ温もりが残っている。その「景品」のタグを指でなぞりながら、心は冷え切っていく。
「もういいわ」
プレゼントはいらない。記念日を祝う必要もない。
彼は一瞬戸惑い、苛立ちを見せる。
「そんなに目くじらを立てる必要あるか?友ちゃんは長年の親友なんだ。失恋して傷心のまま帰国したあいつを、放っておけるわけないだろ。わがまま言うのも大概にしてくれ」
私は無意識に、腕の中のぬいぐるみを指でなぞっている。
心には、ただチクチクとした痛みが広がるだけだ。
謙介は忘れているようだけど、私もペンギンが好きだ。
浜野市に来てから、彼と一緒に水族館へペンギンを見に行きたいと、何度も言ってきた。
仕事人間の彼は、いつも「時間がない」の一点張りだった。
それなのに、友枝の一言で、彼はすべてを放り出して氷原まで付き合う。
時間がなかったんじゃない。ただ、私に時間と関心を割きたくなかっただけだ。
私が黙り込むと、謙介はいつも通り私が折れたのだと思ったらしい。
私の髪をくしゃっと撫でる。
「腹が減った」
その一言は、かつてはスイッチのようだった。
彼がそう言えば、私はすぐに求めに応じ、キッチンに立って彼のために腕を振るった。
でも今となっては、私が幸せだと思っていたありふれた日常も、すべて偽りだったと分かる。
「疲れたから、ご飯作りたくない」
私は淡々と言う。
謙介は一瞬固まり、眉間にしわを寄せている。
次の瞬間、折れるように私を腕に抱き寄せる。
「じゃあ、先にお前を食べる」
温かい吐息が耳にかかり、彼のキスが降ってくる。そのまま唇まで。
私が愛に飢えていることを知っている。謙介のぬくもりに、私が何よりも弱いことを知っている。
そして、いつものように、ベッドで仲直りすれば、すべて水に流せると思っている。
本能的に体が震えるが、私は彼を突き放す。
心はすっかり冷え切っているのに、体が彼のために再び燃え上がるはずがない。
私は振り返り、離婚届を取り出す。
「帰ったらサインするって言ったわよね。ここに」
彼の顔が、ついに完全にこわばる。
「友ちゃんが心が広くて、お前と揉めるなって忠告してくれなかったら、こんなに早く帰ってくると思うか?
もうすぐ三十路にもなる大人が、一日中若い子みたいにやきもち焼いて、しかもどんどんエスカレートさせて。恥ずかしくないのか?
離婚で俺を脅すつもりだろ?いいぜ、それが裏目に出るってことを教えてやる」
彼は乱暴にサインをする。紙を突き破らんばかりの力だ。
そしてスマホで、離婚届にサインする証人に連絡を入れる。
「一ヵ月後、役所の前で取り消してくれって泣きついてくるなよ」
彼はそう言い捨て、ドアを荒々しく閉めて客用寝室に入っていく。
そして、友枝のSNSが更新される。
【氷原から帰還。友枝姫、完全復活でーす!】
【いつも私を少女みたいに甘やかしてくれる幼馴染に感謝】
9枚の自撮り写真が並ぶ中、彼女は輝くような笑顔を見せている。
鏡に映る二十八歳の私は、顔色も悪く、髪は枯れ草のようにパサパサだ。
本当は、私の方が彼女より三歳も若いのに。
謙介の口では、彼女こそが甘やかしてやるべき「若い子」。
その通りだ。
正しい愛は、静かに人を潤す滋養となる。
間違った愛は、音もなく人を蝕んでいくだけ。
幸い、この過ちも、もうすぐ終わる。
謙介は私との冷戦を始める。
帰宅はますます遅くなり、帰ってくればまっすぐ客用寝室へ。会話は一切ない。
以前はいつも私から折れていたが、今回はそうはいかない。
友枝のSNSには、毎日彼に関する投稿が上がる。
その文章も写真も、一線を越えそうなほど曖昧なものばかりだ。
それでも、もう以前のように、私を狂おしいほどの苦痛に陥れたり、理性を失わせたりすることはない。
私はただ静かにスマホの画面を消し、びっしりと書き込まれたノートに視線を落とす。
彼のことを中心に回らなくなると、時間はたっぷりある。
勉強の傍ら、あちこち見て回ったりもする。
夕方、私はイーストタワーの空中回転レストランを予約する。
ここで食事をすると、ゆっくりと一周しながら、きらびやかな都市の魅力的な一角を見下ろすことができる。
こんなロマンチックな場所、本当は謙介と一緒に来たかった。
でも、彼はずっと忙しかった。
だから、この街に来て七年になるのに、私の「やりたいことリスト」には、未達成の項目がまだたくさん残っている。
ここを離れる前に、一人でそれを達成していくことに決める。
まさか、その回転レストランで、一番会いたくない人物に遭遇するとは。
第3話
友枝だ。
謙介が彼女の向かいに座っている。その後ろ姿だけで、優しさが滲み出ているようだ。
彼は丁寧にロブスターの殻をむき、彼女の口元へ運ぶ。
彼女もごく自然に口を開ける。
「わあ!十数年前の味と一緒。全然変わってない。すごく好き!」
彼女は目を丸くして、嬉しそうに笑う。
「俺も変わってないけど、好きか?」
謙介はロブスターをむき続けながら、冗談めかして言う。
だが、ふいに強張った背中が、彼の緊張を物語っている。
友枝は驚いたように目をパチパチさせ、やがて唇を尖らせる。
「嘘つき!謙介変わったじゃない。知子がいるくせに。
正直に言いなさいよ!回転レストラン、水族館、浜野クルーズ……私たちの思い出が詰まった場所、全部あの子を連れて行ったんでしょ?」
その視線の端が、私を捉えている。
確信犯的な優越感に満ちた口調だ。
「一度もない」
謙介は間髪入れずに答える。
私は無意識に手のひらを強く握りしめる。
彼の度重なる「用事がある」は、ただの口実で、二人の思い出を守るためだったのか。
私は、最初から部外者だったんだ。
「なら、まあ許してあげる」
友枝は得意げな顔だ。
「言ったでしょ、私と謙介が世界で一番仲良しなの。もし約束を破ったら、こうして食べちゃうから!」
彼女は彼が差し出したロブスターに大きくかぶりつき、強気な様子を見せる。
わざとらしい仕草と言葉は、以前なら髪についたガムのように、私をイライラさせ、振り払うこともできずにうんざりさせた。
でも、彼はいつものように笑う。
「お前は、本当にいつまでも子どもだな。
はいはい、仰せのままに。お姫様」
友枝は勝利者の笑みを浮かべ、そこでようやく私に気づいたふりをする。
「あら、知子?どうしてここに?」
謙介が勢いよく振り返った。
その目には、私が見たこともないような緊張が走った。
だが、それはすぐに怒りへと変わった。
「俺をつけてきたのか?
知子、離婚で脅したかと思えば、今度はストーカーか。一体どこでそんな下劣な真似を覚えてきたんだ?
人と人との関係がどうであれ、互いにプライバシーは尊重すべきだ。そんなことばかりしてたら、俺の心はますます離れていくぞ。お前は……」
非難の言葉は、私の赤くなった目元を見て、ぴたりと止まった。
彼は一瞬ためらい、隣の空席を引いた。
声のトーンまで、少し和らいでいる。
「来たなら、一緒に食べよう」
友枝の前で、彼が私の悲しみに気づいたのは、これが初めてかもしれない。
友枝の得意げな笑みが、瞬時に凍りついた。
でも、私の悲しみは、もう彼が私を愛していないことから来るものではない。
ただ、こんな価値のない男のために、十年もの歳月を無駄にしてきた自分自身が不憫なだけだ。
「つけてなんかないわ。食事に来ただけ。それに、私の席は別にあるから」
静かにそう告げると、私は二人をまっすぐ通り過ぎた。
フロアを半周し、予約していた席についた。
彼の姿が見えない場所で、息をのむような美しい夜景がゆっくりと目の前を流れていく。
謙介のいない世界は、こんなにも素晴らしいのか。
その夜、謙介は帰ってこなかった。
だが、珍しくメッセージを送ってきた。
【夜は会食だ。大勢いる。変なことは考えるな】
かつてあれほど求めても得られなかった「報告」のメッセージを、ぼんやりと見つめる。
もはや喜びはなく、皮肉しか感じない。
スマホには、友枝から送られてきたばかりの動画が残っていた。
賑やかな個室で、彼らが指折りゲームをしているところだ。
全員が一緒に育った仲間で、人生の軌跡も似通っている。
何度かゲームを繰り返しても、なかなか勝負がつかない。
突然、友枝が謙介の襟首を掴んで引き寄せ、キスをした。
たっぷり五分間も。やがて彼女は謙介を解放した。
「謙介とキスしたことあるけど、他にいる?いないよね。私の勝ち!」
彼女は謙介の腕に絡みつき、嬉しそうにピースサインをした。
「ただくだらない勝負欲のために、謙介の唇を借りただけ。みんな、私たちの友情を誤解しないでよね」
私はただ、動画の中の彼を見つめている。
十年も一緒にいて、彼はいつも余裕綽々で、理性的で冷静だった。
あんなに緊張してうろたえ、耳まで真っ赤に染めている彼は、見たことがない。
彼にも、そんな激しい感情があったのだ。ただ、それが私に向けられることは一度もなかっただけ。
ふと、友枝が私に自慢してきたことを思い出す。
二人は一緒に育ち、謙介は彼女に朝食を買い、家まで送り、彼女のために詩を書き、彼女のために喧嘩までした……
燃えるように熱いことのすべてを、彼は彼女のためにしてきた。
私にはただ、理解できない。
もし本当に彼を愛していないのなら、なぜ何度も私を挑発し、刺激するようなメッセージを送ってくるのだろう。
さらには、自ら彼にキスまでするなんて。
第4話
考えても分からないことは、もう考えないことにする。
これからの私の人生、どうでもいい人たちのために無駄にしたくはない。
私は勉強と、街の「やりたいことリスト」の消化に忙しくなる。
ここを離れる日、私はディズニーランドへ行く。
まさか、そこでまた謙介と友枝に鉢合わせするとは。
「知子、またストーカーしてるの?」
友枝は、心底理解できないといった様子だ。
「謙介を愛してるなら、彼が友達付き合いをどれだけ大事にするか、それも受け入れなきゃ。私たちはただ友達として遊びに来ただけなんだから、本当にこれ以上誤解しないで」
またそのセリフ。いつもいつも、そうやってはぐらかして、私を逆上させようとしてくる。
相手にするのも面倒で、背を向けて立ち去ろうとする。
だが、謙介が私を呼び止める。
「せっかく会ったんだ。一緒に遊ぼう」
一瞬驚くが、すぐに合点がいく。
男がふと見せる優しさは、時に愛情ではなく、罪悪感からくるものだ。
彼と友枝のあのキスは、やはり一線を越えていた。
「謙介、アイスクリームが食べたい。買ってくれない?」
謙介を追い払い、友枝が敵意のこもった目で私を見る。
「本当にしつこい女!彼があなたを引き留めたのは、可哀想だと思っただけ。謙介が本当に愛してるのは、私なんだから」
私はついに、疑問を口にする。
「ただの友達だと思ってるなら、謙介が誰を愛そうと関係ないんじゃない?」
友枝は鼻で笑う。
「昔の謙介はタイプじゃなかったけど、今はこんなに立派になって。ようやく私にふさわしくなったってわけ。
あなたみたいにガツガツ行ったら、男は大事にしてくれないわよ。こうやって、つかず離れずでいるからこそ、彼は永遠に私のために夢中になるの。
あなたたちが離婚届を出しに行くの知ってるわ。今日なんでしょ。後で大人しく手続きしてきなさい。さもないと、私のやり方を見せてあげることになるから!」
彼女の「やり方」とやらを見せつけられる前に、突然、群衆がざわめき出す。
行列のことで揉めていたらしい男二人が、殴り合いを始めている。
屈強な体躯が、ものすごい勢いでこちらに突っ込んでくる。
少し離れた場所で、謙介が手にしていたアイスクリームを放り投げる。
「ともちゃん!」
彼は緊張に満ちた目で、全力でこちらへ走ってくる。
ほんの一瞬の間に、私の隣にいた友枝が彼の腕に抱き寄せられ、脇へと避けさせられる。
一方の私は、突き飛ばされて地面に倒れ、生温かい血で視界が真っ赤に染まる。
彼が叫んだのは、「友ちゃん」だった。
とっくに分かっているべきだった。
一人で病院へ行って傷の手当てをし、病院を出ようとした時、謙介が慌てて駆けつけてくる。
彼は助手席のドアを開け、有無を言わさず私を車に押し込む。
「さっき、友ちゃんが血を見て気を失ってな。あいつを落ち着かせてから、急いで来たんだ」
信号待ちの間、彼は指でハンドルを軽く叩きながら、意を決したように口を開く。
「確かに、最近はお前をないがしろにしていた。でも、さっきお前が怪我をして、俺は初めて気づいたんだ。俺にとって一番大事な人間は、友ちゃんじゃなくて、お前だった。
離婚届……やっぱり出すのはやめよう。これからはもう、お前に悲しい思いはさせない」
傷口がズキズキと痛む。私は少しぼんやりしている。
謙介が、ついに私をはっきりと選ぶと決めた。あの「ともちゃん」という呼びかけが、ようやく私に向けられた。
以前の私なら、きっと嬉し泣きしていただろう。
でも、遅すぎる。
危険が迫ったあの瞬間、彼が必死に駆け寄った先は、私ではなかったことを、永遠に忘れない。
「嬉しくて固まってるのか?」
彼はそう言って、笑いながら私の頭を撫でる。
「今夜はサプライズもあるぞ。お前がずっと欲しがってたやつだ」
そう?でもね、謙介。私が今欲しいのは、ただあなたから離れることだけ。
車が役所の近くを通りかかった途端、彼の電話が鳴っている――
友枝専用の着信音だ。
「謙介、誰かにつけられてるみたい。すごく怖いの……」
彼は一瞬ためらうが、やはり離婚届を私に押し付ける。
「その届、もういらないから処分しといてくれ。お前は先に帰ってて。すぐに行って戻ってくる。今はもう、あいつのことはただの親友としか思ってない。信じてくれ」
「わかったわ」
私は静かに答える。
これが、私たちにとって最後の会話になるかのように、あまりにも静かに。
離婚届を受理してもらい、私は七年間住んだこの場所を最後に見渡す。
かつては「家」だと思っていたのに、いつしか自分を縛り付ける枷となっていた場所。
しばらくして、私は離婚届受理証明書と転出証明書を、書斎の机の上に置く。
それから、一つのUSBメモリも。これは、私から彼への「サプライズ」だ。
あるいは、「悪夢」と言うべきかもしれない。
中には、友枝の吐き気を催すような本性だけでなく、彼がこの数年で急速に昇進していった「秘密」も入っているのだから。
たとえ去るとしても、彼らを見逃すつもりは毛頭ない。
彼らを見逃したら、十年も騙され、深い苦しみに沈んでいた自分自身に、どう顔向けできようか?
日が暮れる前に、私は背を向け、二度と振り返らない。