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望み通り婚約者を譲ったら、元彼が後悔し始めた
付き合って十年、恋人の湊浩介が、ようやく私との結婚に頷いてくれた。 しかし、ウェディングフォトの撮影中、カメラマンからキスシーンをお願...
Chương (1)
第1章
付き合って十年、恋人の湊浩介が、ようやく私との結婚に頷いてくれた。
しかし、ウェディングフォトの撮影中、カメラマンからキスシーンをお願いされた途端、彼は「潔癖症なんだ」と顔をしかめ、私を突き放して一人で帰ってしまった。
気まずさに耐えながら、私は彼の代わりにスタッフへ深々と頭を下げる。
大雪でタクシーも捕まらない。私は降り積もった雪を踏みしめ、重い足取りで一歩、また一歩と家路を辿った。
それなのに、新居で私を待ち受けていたのは、浩介が彼の「忘れられない人」を抱きしめ、名残惜しそうにキスを交わす光景だった。
「灯里、君が望むなら、俺はこの結婚なんていつでも捨ててやる!」
長年の一途な想いは、この瞬間、すべてが笑い話と化した。
泣き崩れた私は、浩介よりも先にこの結婚から逃げ出すことを決めた。
後日、私たちの間ではある噂でもちきりになった。
――湊家の若様が、捨てられた元婚約者にもう一度振り向いてもらうため、世界中を探し回っている、と。
第1話
私、相沢佳奈(あいざわ かな)は、新居の外に立ち尽くしていた。大きな掃き出し窓の向こうで、湊浩介(みなと こうすけ)と白石灯里(しらいし あかり)が激しくキスを交わすのが見える。
彼は彼女を強く抱きしめ、まるで自身の一部に溶かすかのように、貪るようにキスをしていた。普段のクールでストイックな姿からは、到底想像もつかない情熱だ。
大雪に打たれ、服も靴も髪もびしょ濡れで、体は芯から冷え切っている。
その冷気は手足から胃の奥にまで染み渡り、内側からかき回されるような吐き気を覚えた。
二人が、私が心を込めて選んだ新婚用のベッドに、もつれ合うように倒れ込むのを見て、私は無意識にスマホでその光景を動画に収めていた。だが、次の瞬間にはもうこらえきれず、その場に立っていられないほど激しく嘔吐した。
これまで同じベッドで寝ても、浩介が私にキスをしてくれたことは一度もなかった。
「潔癖症だから」
たったその一言を、私は愚かにも信じきっていたのだ。
違う。潔癖症なんかじゃない。
ただ、彼がその唇を許す相手が──私ではなかった。それだけのことだった。
部屋の中の二人は物音に気づき、同時にこちらへ視線を向けた。
不貞を働いているのは彼らの方なのに、私は咄嗟に身を隠してしまった。
雪で全身ずぶ濡れになり、凍えた体は震えが止まらない。灯里が帰ってから家に入ろう。
そう思って一時間も待ったが、誰も出てくる気配はなかった。
くしゃみを一つ。私は凍えてこわばった体を引きずり、ようやく家の中へと入った。
新居は暖房が効いていて暖かい。普段は家事を一切しない浩介が、キッチンで料理をしていた。
その手際は驚くほど慣れていて、素人でないことが一目でわかる。
換気扇がごうごうと音を立てる中、料理のスパイシーな香りが鼻をつく。
私には胃に持病があり、辛いものは一切食べられないことを、彼は知っているはずなのに。
「お腹空いた?ごめん、料理はまだ……」
物音に気づいた浩介が、優しい笑顔で振り返る。
しかし、そこに立つのが私だとわかった瞬間、彼の口元の笑みは跡形もなく消え去った。
「君か。びしょ濡れじゃないか。さっさと風呂に入って着替えろ。うろつかれると家が汚れる」
「……ごめんなさい」
私は濡れたダウンジャケットを握りしめ、いつもの癖で謝っていた。
浩介が不機嫌そうに眉をひそめ、さらに何か言おうとした時、寝室から灯里が出てきた。
彼女の唇はキスで腫れぼったく、頬は上気している。激しく求められた後だということは、誰の目にも明らかだった。
私の射抜くような視線に気づき、灯里は顔を青ざめさせた。彼女は無意識に乱れた服の裾を引き、しどろもどろに弁解を始める。
「佳奈さん、ち、違うの、これは誤解だから……!」
灯里を庇うように、浩介が冷ややかに口を挟んだ。
「彼女が何を誤解すると言うんだ?大雪で道が危ない。今夜、お義姉さんはここに泊める」
彼は能面のような無表情で、一切の反論を許さない。
それは決定事項なのだと、その声が告げていた。
灯里は、浩介の亡き兄の恋人だった。二人が結婚する直前に、お兄さんは事故で亡くなった。
だから浩介は、今でも彼女を「お義姉さん」と呼んでいる。
できあがった食事を前に、食卓はまるで浩介と灯里だけの空間だった。
甲斐甲斐しく灯里の世話を焼く浩介は、灯里の顔が綻ぶのを見て、愛おしそうに目を細める。
胃の不調で白米を口に運ぶのがやっとの私など、端から存在しないかのように。
食事が終わるやいなや、灯里は当たり前のように主寝室へと消えていった。
浩介は、その主寝室を彼女にあてがい、私を客間へと追いやったのだ。
「客間はまだ荷物で散らかっている。お義姉さんには使わせられないから、君はそこで我慢しろ」
――ここは、私たちのための家でしょう?
――主寝室は、まだ私も一度も使っていない、私たちのベッドがある場所なのに。どうして、どうして他の女の人を先に……
こみ上げてくる熱いものが喉を詰まらせ、反論の言葉は音になる前に霧散した。
浩介は主寝室で十二時を回るまで過ごし、ようやく物音一つ立てずに客間へ戻ってきた。
雪に濡れた体はとうに冷え切り、胃の不快感で意識が遠のいていく。瞼の裏には、あの光景が焼き付いて離れない。ベッドに体を横たえても、眠気は一切訪れなかった。
彼がドアを開けた瞬間、すべてをぶちまけて彼を詰ってやりたい衝動が、全身を駆け巡った。
――私のことが好きじゃないのなら、なぜ結婚を約束したの?
――もうすぐ夫婦になるのに、なぜ他の女とキスができるの?
――私がこの場にいると知っていて、よくも平然とあんなことを……!
罵倒の言葉が喉元までせり上がってくる。それなのに、実際に唇から漏れたのは、情けないほどか細い声だった。
「浩介……もし、後悔してるなら……結婚、したくないなら、今、言ってくれていいから……」
彼がこの結婚を「間違いだった」と言うのなら、受け入れる覚悟は、もうできている。
ただ、式の当日に花婿に逃げられ、惨めな花嫁として世間の笑いものになる。その未来だけは、どうしても受け入れられそうになかった。
第2話
私は慎重に言葉を選び、浩介と灯里の不貞そのものには触れなかった。
彼の中に少しでも罪悪感が芽生え、何かを釈明してくれるかもしれない。あるいは、本心に従い、この結婚を白紙に戻すかもしれない、と。そんな淡い期待を抱いて。
しかし、浩介はあからさまに顔を歪め、冷たく私を突き放した。
「お義姉さんと感傷に浸っていただけだ。くだらない嫉妬で、結婚を脅しの材料にするな。幼稚な真似はよせ」
私はシーツの端を強く握りしめ、か細い声で食い下がる。
「でも、灯里さんは違う。あなたは彼女を特別に想っていた。あなたたちは……」
浩介は吐き捨てるように言った。
「終わったことだ。いつまでも蒸し返すな。しつこい」
彼の言葉が、鋭い棘となって今の私に突き刺さる。
――私だけが、責められなければならないのだろうか?
彼は写真の腕がいいくせに、「人物は撮らない主義なんだ」と言って、私の写真を一枚も撮ってくれたことはなかった。
それなのに、彼のパソコンには、様々な表情で微笑む灯里の写真が数千枚も眠っていたのだ。
その事実を突きつけ大喧嘩になったあの日、彼は「灯里とは完全に過去のことだ」と、有無を言わさぬ態度で断言した。
私はその言葉を信じた。愚かにも、信じてしまったのだ。それなのに、彼が私にしてきたことは何?
もし今日、あの裏切りの現場を目撃さえしなければ。彼が灯里に愛を囁くのを聞いてさえいなければ。私は、自分が滑稽な「代役」を演じさせられていることにも気づかぬまま、幸せな花嫁のふりをし続けていたのだろうか。
悔しさと悲しみに胸が張り裂けそうでも、私はいつものように自分から折れてしまう。
「ごめんなさい、変な勘ぐりをして……」
「今回は許す。だが、二度目はないぞ。いいか、俺が大事にしているのは君だけだ。結婚するのも、君以外に考えられない」
シャワーを浴びた浩介はベッドに入ると、後ろから私を抱きしめた。
かつて、彼のすべてが壊れかけた日があった。家族を一度に失い、遺産を狙う親族との終わりの見えない争いに、彼の心は摩耗していくばかり。
そんな孤独な戦場に、ただ一人寄り添ったのが私だった。
秘書として、恋人として、昼も夜も彼を支え続けた。山積する問題に二人三脚で立ち向かう。
彼が心労と接待で胃を壊せば、一口でも多く食べてほしくて料理教室にまで通い、毎日彼の好きなものを作って食べさせた。
彼が眠れない夜は、朝までそばにいて背中をさすり、彼がようやく寝息を立てるのを見届けてから、私も仮眠をとる、そんな毎日だった。
あの頃、浩介は何度も感極まったように私を抱きしめ、こう囁いた。
「君の価値がわからない家族なんて、見る目がないだけだ。これからは俺が、君の恋人であり、唯一の家族になるから。
だから、お互いだけを最後の拠り所にして、ずっと一緒にいよう」
しかし、会社が危機を脱し、灯里が帰国すると、あの日の言葉はすべて嘘になった。
浩介は「お義姉さんだから」という大義名分のもと、当然のように彼女を庇護し、あらゆる場面で私を蔑ろにした。
彼は私に、灯里を本当の姉のように慕い、敬うようにと何度も言い聞かせた。
だが、弟の婚約者から、その婚約者本人を奪おうとする姉が、この世のどこにいるというのだろう?
暗闇の中、私は唇をきつく噛み締め、腰に回された浩介の手をそっと外した。
彼は何も言わず、あっさりと寝返りを打って私に背を向けた。かつてのように、私の温もりを求める気配はもうない。
結局、彼にとって、私はもう必要な存在ではないのだ。
白々と夜が明けるまで、私は天井を見つめたまま、一睡もできなかった。
そして、長い夜の果てに、ようやく一つの決心を固める。
十年の想いを捨てるのは、身を切られるように辛い。
それでも、愛されていないと知ってしまった以上、この関係を続ける意味はない。
この結婚は、白紙に戻そう。それが、私に残された最後のプライドだ。
だが、翌朝。私を悪夢のような現実へと引き戻したのは、頭を叩き割られるような激痛だった。
燃えるように熱い額に手を当てて、自分がひどい熱を出していることを自覚する。
浩介は、熱に浮かされる私を一瞥しただけで、心底面倒くさそうに顔を歪めた。
「薬はない。少し我慢しろ。お義姉さんを送っていく、風邪がうつると困るからな。帰りに病院に寄ってやる」
一方的にそう告げると、彼は車のキーを掴み、苦しむ私を置き去りにして、灯里と共に出て行った。
遠ざかる彼の背中を、ただ見送ることしかできない。冷たい痛みが、胸の奥を抉るようだった。
浩介の仕打ちは、あまりに非情だ。それでもなお、彼に縋ってしまうのは、この十年の月日があまりに長すぎたからだろうか。
お願いだから、戻ってきて。そして、ほんの少しでいい、私を心配する顔を見せて。
そうしてくれたなら、私は、私たちの最後の尊厳のために、この恋に終止符を打つ。そして「おめでとう」と、笑って二人を祝福しよう。
けれど、半日経っても彼が戻ることはなかった。
私の淡い期待を木っ端微塵に砕いたのは、無情に光るスマホの画面。そこに映し出された、灯里の投稿だった。
【生理痛が酷くて動けなかったけど、彼がずっとそばにいてくれて助かった。必要な時はいつでも飛んでいくって言ってくれたけど、本当に有言実行だね】
高熱に浮かされる頭でも、その「彼」が誰を指すのか、理解するには十分すぎた。
第3話
この瞬間、浩介に対する私の想いは、完全に冷めきった。
知り合って十五年、付き合って十年。たとえ飼い犬だって、そこには情が生まれるはず。それなのに、この仕打ち!
考えが変わった。
結婚はキャンセルしない。式から逃げるのは、私のほうだ。
浩介が私を捨てる計画を立てていた時、私の気持ちなど微塵も考えなかっただろう。
ならば、私が彼の都合を考える義理はない。結婚式当日、惨めな道化を演じるのは、彼の番だ。
目の奥が熱くなるのをこらえ、私は119番に電話した。
救急車に乗るやいなや、高熱で痙攣を起こして意識を失ったらしい。目を覚ました時、看護師が言った。
「本当に、早く救急車を呼んで正解でしたよ。一人でいたら、命の危険もありましたよ」
その言葉と同時に、浩介から電話がきた。
「会社で急用ができた。そっちには戻れないから、自分で薬でも買って飲んでおけ」
それだけを一方的に告げると、彼は慌ただしく電話を切った。心配の言葉一つなく。
かつて彼がただの風邪を引いた時でさえ、私は片時もそばを離れなかったのに。
彼が家族を亡くし、毎晩悪夢にうなされていた時、私は夜通しその背中をさすり続けたのに。
恩に着せるつもりなど毛頭ない。彼を愛していたから、尽くすのは当然だった。見返りなど、求めたこともなかった。
それなのに、私が高熱で死にかけている時に、彼は生理痛の女に付きっきりだと?
……笑わせる。
私は躊躇わなかった。スマートフォンを手に取り、浩介の宿敵である大友聡(おおともあきら)に連絡を入れる。
「大友社長。以前から湊家の株にご興味がおありでしたよね?私の持ち分、お売りします」
……
二日後、退院した私のもとに、ウェディングフォトの店から電話があった。
「相沢様、挙式まであと二十日を切りました。今から五日以内で撮影のご都合がつく日はございますか?これ以上遅れますと、お式に写真が間に合わなくなってしまいます」
「主人に確認して、折り返します」
浩介に電話をかけると、着信拒否された。メッセージも既読にならない。私は直接、彼の会社へ向かった。
秘書課の同僚に聞くと、「今日は白石特別補佐の入社日でして。社長が歓迎会を開くため、皆さんを連れてホテルに向かわれました」とのことだった。
ホテルの名を聞き、タクシーに飛び乗る。
私が彼の特別補佐になった時、会社は火の車で、歓迎会どころではなかった。休みなく働き、一日に二食とれれば上等、睡眠は五時間以下という毎日。
それなのに、灯里の入社祝いは、私の婚約披露パーティーよりもずっと豪華だった。
宴会場が祝賀ムードに包まれる中、私に気づいた浩介が飛んできて、有無を言わさず腕を掴み、外へと引きずり出した。
「今日は義姉さんの晴れの席だ。ここで騒ぎ立てて、彼女に恥をかかせるな!」
「彼女が、あなたの特別補佐に?……では、私はどうなるの?」
必死に平静を装っても、声は無様に震えてしまう。
高熱で生死の境を彷徨った私に、彼がよこしたのは「休暇だ、休め」という一方的なメッセージだけ。
今日ここに来なければ、自分が解雇されたことすら、知らずにいたなんて。
彼の底知れぬ非情さに、奥歯を噛みしめる。
浩介は苛立たしげに舌打ちすると、ティッシュを一枚、私の目元に乱暴に押し付けた。
「泣くな、みっともない。お前も長年尽くして疲れただろう。だから、ゆっくり休ませてやろうと思ったんだ。これは、俺なりの優しさなんだよ。
そもそも、君は名の知れない大学で情報学部を少しかじっただけの素人だ。名門を卒業し、専門も合致する義姉さんとは、元々の出来が違う。彼女こそ、俺の右腕にふさわしい」
浩介は、まるで言い聞かせるように続ける。
「君はもう、何もしなくていいんだ。これからは『湊家の奥様』という立場で、楽に暮らせばいい」
……今更、学歴で私を切り捨てるというの?
では、私があなたの盾となって、接待の酒を飲み干し、胃に穴が空いて倒れたあの夜は?
あの時は、私の学歴など、気にもしなかったくせに。
浩介は私が黙っているのを見て、また騒ぎ出すとでも思ったのか、苛立ちを滲ませる。
「佳奈、いい加減にしないと……」
「わかったわ」私は、苛立ちを募らせる彼の言葉を遮った。「辞める。すぐに辞めるから。それで、いいんでしょう?」
私はきつく拳を握りしめ、喉元までせり上がった熱い言葉を、すべて飲み干した。
私の意外なほど素直な態度に、浩介はあからさまに安堵の表情を浮かべる。
「ああ、最初からそうやって物分かりが良ければ、話が早いんだ。用がないなら、さっさと失せろ」
早く灯里のもとへ戻りたいと、その目にはありありと書いてあった。
私は、去ろうとする彼の腕を掴んだ。
「待って。ウェディングフォトの店から連絡があったの。今週、時間はとれないかなって……」
「出張だ。無理に決まってるだろう」
「……そっか。わかった」
ホテルを出たその足で、私は淡々とウェディングプランナーに電話をかけた。
「お世話になっております。一点、ご相談なのですが。結婚式当日にスクリーンで流す映像を、こちらのデータに差し替えていただけますでしょうか」
私は手元にあった浩介と灯里の不貞の証拠を、一つの動画ファイルにまとめ、プランナーに送付した。
恥も外聞もない彼らのために、私が体面を繕ってやる義理など、どこにもないのだから。
浩介が「出張」と偽っていた七日間、彼と灯里は、示し合わせたようにSNSの更新を止めていた。だが、友人経由で回ってきた灯里の裏アカウントには、すべてが記録されていた。
二人は、女神が舞うようなオーロラの下で熱いキスを交わし、写真には「#永遠に二人きり」というタグが添えられていた。
一週間後、浩介から電話があった。おそらく、ドレスの件で私を言いくるめるためだろう。
案の定、彼は言った。
「クライアントとの交渉が難航していてな。とても戻れそうにない。
それで、お義姉さんに頼んだ。君よりセンスは確かだし、体型もほぼ同じだ。彼女にいくつか見繕ってもらって、国内に送らせるから」
いつもの、有無を言わさぬ口調。
だが、私の心はもう、凪いでいた。受話器の向こうの声は、まるで知らない外国語のように響く。
感情を一切乗せずに、私はただ、「わかった」と答えた。
後日、灯里から写真が送られてきた。何着ものドレスを試着し、ついでに浩介とウェディングフォトまで撮ったようだ。
【写真がないと格好つかないでしょ。時間がない二人のために、私が手伝ってあげた。当日はAIであなたの顔に替えれば使えるわ。感謝してね】
写真の中の浩介は、私とのキスは拒んだくせに、灯里とはキス寸前の距離で微笑んでいる。
スマートフォンの画面を、静かにブラックアウトさせる。もう、見る価値もない。
私は受話器を取り、家政婦に淡々と指示を出した。
「私の荷物以外、この家にある女性ものの衣類、化粧品、私物は、すべてゴミとして処分してください」
私は自分の荷物だけをトランクに詰め込むと、迷いなく新居のドアを閉めた。
その足で大友聡と会い、私が持つ湊家の全株式を、彼に売却する。
これで、彼への義理はすべて果たした。
……
式の前日、浩介が灯里を伴って帰国した。
私にウェディングドレスを渡す、というのが名目だった。灯里は「ブライズメイドだから」と微笑み、自分のドレスまで用意周到に準備している。
灯里が私のために「選んだ」というドレスは、肌の露出が激しい、品のないサテン生地。大事な部分がかろうじて隠れるだけのデザインは、まるで高級娼婦の衣装だ。
一方、彼女自身は、勝利を宣言するかのようにオートクチュールの豪華なドレスに身を包み、頭にはダイヤモンドのティアラを輝かせている。どう見ても、私より彼女の方が主役だった。
「……花嫁は、きれいだな」
口先だけでそう言った浩介の目は、愛おしげに灯里だけを捉え、二人の間だけで通じるように、微かに笑いかけていた。
一ヶ月ぶりに顔を合わせたというのに、彼は十分と経たずに席を立ち、そわそわと灯里を促して出て行った。
去り際、彼は思い出したように付け加えるのも忘れなかった。「明日は時間通りに迎えに行く。君の友人たちには、馬鹿な真似はするなと釘を刺しておけ。新郎をからかうような悪趣味な余興は、反吐が出る」
「ええ、わかっているわ」
心配には及ばない。私の招待客は、誰一人として式には来ないのだから。
浩介たちが去った直後、私は長年かけて築き上げた大口顧客のリストを開き、「最後の一手」を打った。
「私、会社を移りましたので、ご挨拶も兼ねて、皆様にはより有利な条件での新規お取引をご提案できます。ぜひご検討ください」
その夜、私は眠れなかった。目を開けたまま、朝を迎える。
結婚式当日、花嫁が逃げたと知った時、浩介はどんな顔をするだろう?
自分が不倫相手だと暴露される映像を、灯里はどんな気持ちで見るのだろう?
翌朝早く、私はスーツケースを一つだけ引き、駅へ向かった。
新郎が花嫁を迎えに来る、まさにその時間。私は、滑り込んできた電車に乗り込んだ。
その瞬間、無数の着信とメッセージが、スマホに殺到した。