旦那が他の女の妊婦健診に付き添った後

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旦那が他の女の妊婦健診に付き添った後

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私・島田朱音(しまだ あかね)は妊娠六ヶ月。病院で夫・沢田優成(さわだ ゆうせい)と彼の帰国したばかりの幼なじみ・島田朱音(しまだ あか...

Chương (1)

第1章

私・島田朱音(しまだ あかね)は妊娠六ヶ月。病院で夫・沢田優成(さわだ ゆうせい)と彼の帰国したばかりの幼なじみ・島田朱音(しまだ あかね)に出くわした。 私は妊婦検診の報告書を手にしていたが、目の前では二人が自分たちのこれから生まれる子どものために祝っていた。 真理は不安そうな顔をし、申し訳なさそうに言った。 「優成、わざわざ一緒に検診に来てくれなくても大丈夫よ。私は一人でも平気。もし朱音に知られたら、きっと喧嘩になっちゃうわ。あの人も妊娠中なんだし、感情を揺らすのはお腹の赤ちゃんに良くないもの」 優成は自信満々に、気にも留めない様子で口を開いた。 「朱音は俺と喧嘩なんかしない。いつだって俺の言うことを聞いてくれるし、俺を愛してるんだ。もし本気で喧嘩してきたら、その時は離婚すればいい」 その言葉が胸に突き刺さり、止めようとしても涙が溢れ出た。 私は彼を本当に愛していた。だからこそ、喧嘩することもできず、彼の言葉にいつも従ってきた。 けれど、それは彼の裏切りを知った今も、なおも続けるべき茶番ではなかった。優成が私と子どもを望まないというのなら、私が一人でも育てていく。 涙を拭い取り、五年もの間かけていなかった番号に電話をかけた。 「お父さん……私、家に帰りたい」 「朱音、やっと分かってくれたか。家はいつでもお前を歓迎するよ」 通話を切り、一週間後のスイス行きの航空券を予約した。 あと一週間で、完全に優成の人生から消えてやれる。 なのに――どうして私が見つからなくなった途端、彼は狂ったように後悔したの? 第1話 私・島田朱音(しまだ あかね)は妊娠六ヶ月。健診の結果を取りに病院へ行った時、思いがけず夫の沢田優成(さわだ ゆうせい)に出くわした。 彼は一人の女性を気遣うように付き添って、同じく健診を受けていた。 その女性は、彼の幼馴染――吉沢真理(よしざわ まり)だ。 「優成、奥さんに悪いんじゃない?」真理は少し困ったように微笑んだ。 「大丈夫だよ。彼女が知るわけないし、たとえ知ったとしても何もできない」優成は真理の手をしっかり握った。 「でも、やっぱり奥さんだから……私、傷つけちゃうのが怖い」 「心配するな。彼女には絶対言わない。最近は情緒不安定だし、下手に刺激したら面倒になる。君は妊娠してるんだ、負担をかけるわけにはいかない。もしあいつが騒ぐなら、離婚するまでだ」 その言葉を耳にした瞬間、胸が切り裂かれるように痛んだ。 私は震える指で携帯を取り出し、長い間連絡していなかった父に電話をかけた。 「お父さん……私、家に帰りたい」 声を聞いた父はすぐに喜びを隠せなかった。 「朱音、やっと分かってくれたか。家はいつでもお前を歓迎するよ。 何があっても、父さんも母さんもお前の味方だからな」 電話を切ると、朝のことを思い出した。私は優成に一緒に健診に行こうと頼んだが、彼は「用事がある」と断った。 実際は、真理に付き添うためだったのだ。 私は六ヶ月の間、一度も彼と健診に行ったことがない。代わりに優成は真理のそばにいて、彼女が帰国して以来、ほとんど毎日のように会っていた。彼女の呼び出しならどんな時でも駆けつけた。 以前、私は優成に言った。 「もし他に好きな人ができたなら、離婚してもいい」と。 けれど彼はこう返した。 「真理は婚約破棄されて帰国したばかりで、しかも妊娠中なんだ。幼馴染の友達として支えるのは当然だろう。 長年の付き合いがあるんだ。俺には責任がある!」 その言葉に私は驚愕して問いただした。 「友達?どんな友達が毎日連絡し合って、呼べば飛んでいくの?」 「朱音、お前は少し度が過ぎる!真理はいま本当に辛い時なんだぞ!支えて何が悪い! こんなつまらないことでいちいち騒ぐな!」 私は信じようとした。真理の子どもは彼のものではないと。帰国した時、すでに妊娠していたから。 真理の子の父親は誰なのかと、何度かそれとなく聞いたのに、優成は答えをはぐらかし、怒鳴りつけ、二度とそういうことを訊くなと迫った。 けれど後になれば、繰り返し私に説明し、真理との関係はただの友人だと訴えた。 「勘違いするな、俺が愛してるのはお前だけだ」――その真剣な顔を見て、私は納得してしまったのだ。 だが今、目の前で手を取り合う二人を見て、真理のお腹の子は優成のものなのだと悟った。 私はただの隠れ蓑に過ぎなかった。 「もし朱音が言うことを聞かないなら離婚だ」そう優成が口にした瞬間、真理の瞳に一瞬、勝ち誇ったような光が宿った。 「駄目、私のせいでご夫婦の仲を壊したくないの……」と、真理は涙声で自分を責めた。 「婚約者に捨てられたなんて全部私が悪いのよ……私、一人で生きていけない。優成が助けてくれなかったら、とっくに潰れてた」 そう言って泣き崩れ、まるで弱いヒロインを演じるように優成の胸にすがる。 優成は彼女の背を撫でながら言った。 「心配するな。何があっても俺は君を支える。子どもの頃、君がいてくれなかったら……」 声が次第にかすれ、だが改めて彼は力強く誓った。 「君を助けるのは当然のことだ。朱音は俺の妻だから理解するべきだ。たとえ知ったところで構わない。俺はいつだって君の味方だ」 目の前で寄り添う二人を見つめながら、胸は鋭く突き刺され、涙が止めどなく溢れた。 そして心の中で繰り返した。 ――あと二週間で、私はここでの生活を永遠に終わらせる。 もう一週間もすれば、ビザの手続きも完了する。 そうすれば、彼らの世界から完全に離れられるのだ。 第2話 次の瞬間、優成は医者について行き、検査結果を取りに行った。 その隙に真理は、私が身を隠している柱の方へと顔を向け、挑発的に笑った。 「朱音さん、せっかく来たのに、なんで隠れてるの?」 私はゆっくりと歩み出て、黙ったまま彼女を見据えた。 真理は私の沈黙を嘲笑しながら続けた。 「優成があんたを好きじゃないのは分かってるくせに、よくまぁ沢田夫人の座にしがみついてられるね?少しは恥を知ったらどう? 男一人繋ぎ止められない女なんて役立たずじゃん?それなら、私みたいに必要としてる女に譲りなよ。 見ての通り、私は婚約を解消して帰国したの。今お腹には赤ちゃんがいて、頼れる人もいないの」 「真理さん、優成が結婚してるのは分かってて、それでも彼の女になろうとするなんて……あんた、恥って言葉の意味、知らないんじゃない?」 まったく、笑わせる。 「何だって!」 逆に言い返され、真理は息を呑み、深く呼吸を整えた。 「私と優成が知り合った時、あんたなんて影も形もなかったのよ! もし私が留学してなかったら、あんたなんかに彼を取られるはずなかった! 今は私のお腹に彼の子供がいるんだから、察しなさいよ。さっさと身を引きなさい!」 胸に鋭い痛みが走る。涙が込み上げたが、必死に堪えた。 その時、真理は私の手にある報告書をひったくった。 ちらりと目を通すと、大笑いする。 「なんだ、余命わずかじゃない!末期ガン……あんた、子供を産むまで持つのかしら? 朱音、あんたさ、自分で出ていくのが一番賢いと思うよ。さもないと……」 そう言って私の手を掴み、手首を強く握り締めて脅してきた。 抵抗しようとした瞬間、彼女の顔が一変し、みじめそうに歪むと横へ倒れ込んだ。 「やめて……朱音、怒らないで。私も妊婦なのよ、どうしてそんなことするの……」 呆気にとられ、何が起こったのか理解できないでいると―― 地面に倒れる真理を見た優成の顔が、みるみる険しくなる。 そして私を乱暴に突き飛ばした。 「朱音!ふざけるな、なんで真理を押したんだ!」 私は床に叩きつけられ、痛みに顔を歪めた。 彼は事情も聞かず、怒鳴り散らす。 真理はお腹を撫でながら、殊勝な態度を取った。 「優成、私は大丈夫。朱音さんを責めないで。赤ちゃんも問題ないから……私がちょっと我慢すればいいだけ」 だが優成は逆に怒りを募らせた。 「朱音!今すぐ謝れ!」 呼吸もできないほどの怒りで震えながら、私は手にしていたガンの診断書を叩きつけた。 「これを見てから話しなさい!」 しかし彼は一瞥すらせず、ぐしゃぐしゃに破り捨てた。 「そんなわけ分からない紙で話を逸らすな! 朱音!本当にひどすぎる!真理が嫌いでも、こんな酷いことをするなんて! 同じ母親になるんだから、少しは思いやりを持て!」 その姿を見た瞬間、心の中の灯が消えていくのを感じた。 涙が勝手に零れ落ち、慌てて手で拭った。 彼は一瞬だけ表情を和らげ、少し優しい声を出した。 「分かったよ。最近お前に構えなくて悪かった。妊娠してるんだから、俺もお前と争いたくないんだ。だから真理に謝ろう。それで終わりにしよう。 子供が生まれたら、俺がちゃんと埋め合わせするから」 真理の目が、勝ち誇ったように細められた。 私は優成を見つめ、胸の奥に深い絶望を抱いた。 かつて「永遠に愛して守る」と言ったはずの男は、もうどこにもいない。 期待なんて、してはいけなかった。 深呼吸をして、こぼれた涙を拭い、心を落ち着ける。 「やってもいないことを謝るつもりはないわ」 静かに告げ、私はそのまま背を向けて去った。 第3話 病院を出るとき、優成の瞳に一瞬だけ恐れの色が走ったのが見えた。 彼は私を追いかけようと足を踏み出しかけたが、その瞬間、真理が突然腹を押さえて苦しげに悲鳴を上げた。 「優成……お腹が……すごく痛いの……」 優成は慌てて彼女の手を握り、心配そうに顔をのぞき込んだ。 「真理、どうしたんだ?」 真理の顔は真っ青だったが、それでもわざとらしく強がった声を出した。 「だ、大丈夫……優成、朱音さんを追いかけてあげて。きっと今、すごく落ち込んでるはずだから」 優成は一瞬迷ったが、すぐに首を振って言った。 「ただ拗ねてるだけだよ。今、君は妊娠しているというのに、彼女は時と場合もわきまえずに、自分に構ってほしいんだな。まずは君と一緒に医者に行く。家に帰ってから、彼女には俺から説明するよ」 そう言って優成は真理を抱きかかえ、そのまま病室へと歩いて行った。 私は一人で家に戻った。 かつては温もりと幸せの象徴だったこの場所も、今では冷たさと孤独しか残っていない。 真理が帰国してから、優成が家に帰って来ることはめっきり減った。 広すぎるこの家にいるのは、もう私一人だけ。 私は壁にかけられた結婚写真を外し、力任せにゴミ箱へと投げ捨てた。 それからスーツケースを開けて荷物をまとめ始める。 荷物を引きずって玄関に出ると、予想外の光景が目に飛び込んできた。 優成が真理を連れて帰ってきたのだ。 彼は私がスーツケースを持っているのに気づくと、罪悪感がよぎったような顔をして弁解した。 「真理の具合が悪くてな、休ませるために連れてきたんだ」 私は鼻で笑った。 「休ませる?ここは休憩所じゃないわ。 具合が悪いなら病院に行けばいいでしょう?ここは妊婦の療養施設じゃないのよ!」 真理の目に一瞬怒りの色が浮かんだが、すぐに哀れっぽい顔を作ってみせた。 「朱音さん……私が嫌いなのは分かるわ。でも、私と優成の関係は本当に何もなくて……私は一人で頼る人もいないから、優成を頼るしかなくて…… 子供を産んだらすぐ出て行くから。絶対にお二人の邪魔はしないわ」 その言葉は、明らかに私を挑発していた。 私は冷たい声で告げた。 「真理、あなたの顔なんて見たくない。すぐにここを出て行って」 優成が眉をひそめる。 「朱音、お前どうしてそんな冷たいことを言うんだ?真理は妊娠してるんだぞ。一人で放り出して、行く場所なんてあるのか? 彼女がここにいれば、俺たちも世話できる」 私は深く息を吸い込んだ。 「優成、ここは私の家。私は彼女を住まわせたくない」 優成が迷うように言葉を飲み込みかけたその時、真理が彼の手をつかみ、自分の腹に押しあてた。 「優成……お腹がまた痛い……赤ちゃん、大丈夫かな……?」 優成の顔が一瞬で変わった。 「朱音!お前も女だろ?なんでそんな冷たいんだ! 真理は妊娠してて、身寄りもないんだぞ。お前、なんで少しも同情できないんだ! 嫌なら出て行け!真理の子供に何かあったら困るんだから!」 その姿を見て、私の心は一気に凍りついた。 「……分かったわ。私が出て行く。 今夜が最後。明日には全部引き払うから」 そう言って、玄関に置いたゴミ袋を掴み、大股で家を出た。 真理がゴミ箱に入った結婚写真に目を留め、わざとらしく声を上げる。 「まあ、朱音さん本当に怒ってるみたい……結婚写真まで捨てちゃうなんて」 優成は一瞥して、鼻で笑った。 「いつもの大げさな演技だ。気にするな。 どうせ俺から離れることなんてないさ。しばらくすれば勝手に機嫌直すだろ」 私はゴミ袋を持ったまま、身を切るような冬の夜に立ち尽くした。 冷たい風が骨の髄まで突き刺す。 ゴミ箱の蓋を開け、結婚写真を放り込む。 その瞬間、優成への最後の愛も、完全に消え去った。 第4話 玄関に足を踏み入れた瞬間、真理が赤ん坊の部屋で荷物を片付けているのが目に映った。 怒りが一気に胸の奥から噴き上がる。 この部屋は、私が妊娠してから優成が私たちの子どものために用意してくれた部屋だ。 中の飾りや家具一つひとつに、私たちが子どもへ込めた愛情が詰まっている。 なのに――彼は、その真理をここに住まわせるつもり?まさか、これ全部を彼女の子どもに与えようっていうの? 体中が怒りで震え出す。 赤ん坊用のベッドに腰かけていた真理は、私の姿を見て勝ち誇った笑みを浮かべた。 気づけば私は何も考えず、彼女を引きずり下ろそうと勢いよく駆け寄っていた。 でも、手を伸ばすより先に彼女は甲高い悲鳴を上げて自らベッドから転げ落ちた。 騒ぎを聞きつけた優成が駆け込んでくると、私の手首を掴み、力強く引き離した。 「朱音!お前、何やってるんだ!」 怒りに満ちた瞳が私を射抜く。 こみ上げる悔しさに涙が視界を揺らした。 そんな私を見て、優成の目にわずかな後悔がよぎる。 震えながら問う。 「優成……この部屋、真理に住ませるつもりなの?」 彼は眉をひそめた。 「真理がこの部屋を気に入ったんだ。しばらく住ませてもいいだろ」 「でも……この部屋は子どものためにって、あなたが……」 言い終える前に遮られる。 「朱音、最近のお前、どうしてそんなに理屈っぽくなった?ただ一時的に住まわせるだけだ、永遠じゃない。 それに……最近のお前の態度には本当に失望してる。俺たちの結婚そのものが、間違いだったんじゃないかと思い始めてる。 お前、うちの子を父親無しで生ませる気か?」 胸が裂けるような痛み。 ああ……これは脅しだ。これ以上逆らえば、彼は私と子どもを捨てる。 私は唇を噛み、黙り込んだ。目に宿る絶望を隠し、背を向けて歩き出す。 「朱音!」 呼び止める彼の声は少し柔らかくなり、表情にも一瞬の罪悪感が浮かんだ。だが、それもすぐに押し隠される。 「俺があとで、もっといい部屋を赤ん坊のために作ってやるから」 もっといい部屋? ――もう遅い。 優成、あなたにその機会はない。私はこの子を連れて、あなたから離れるのだから。 口元に苦笑が浮かぶ。けれども足は止まらない。 その時、背後から真理のか弱い声が響いた。 「優成……」 優成の声がぴたりと途切れる。 振り返ると、彼は真理のもとへ急ぎ足で近づいていた。 ――私が去ることなど、彼にとってどうでもいいのだ。 数日後、真理から音声メッセージが届いた。 そこに録音されていたのは、優成の甘く優しい声。 「朱音のことは気にしなくていいよ。ちょっとしたわがままさ、数日すれば落ち着くから。 赤ん坊の部屋も安心して使って。もし気に入らないところがあれば、改めて手直しするから」 ……一つ、また一つと流れるメッセージ。 その声は、優しさに満ちていた。 その瞬間ようやく気づいてしまった。 彼が私に向けていたはずの愛情も、未だ見ぬ我が子への関心も――すべて真理の子のために練習していただけだったのだと。 あの赤ん坊の部屋すら、最初から彼女の子のためのものだったのだ。 息が詰まるほどの痛みと共に、涙が頬を伝う。 私の誇りだった愛は、ただの笑い話にすぎなかった。 お腹の中の子が、私の気持ちを感じ取ったのか、ポンと小さく蹴った。 「大丈夫……パパは私たちを愛してない。でも、ママがあなたを連れてここを出るから」 第5話 真理が引っ越してきてから、優成は彼女の世話を甲斐甲斐しく見るようになった。 そして私は、まるで透明人間のような存在になっていた。 優成に対する最後の期待も、あの夜を境に完全に消え去った。 ある晩、水を飲もうと階下へ降りると、ゲストルームから真理の声が聞こえてきた。 「優成、夜になるとどうしても眠れないの」 優成が心配そうに声をかける。 「どうしたんだ?体の具合でも悪いのか?」 真理は深く息を吐き出した。 「聞いたことがあるの。沢田家の伝家の宝、水晶のネックレスが安眠に効くって。赤ちゃんが夜中に激しく動くから休めなくて……少し借りてきてくれない?」 優成は黙り込み、そして優しい声で答えた。 「ネックレスを借りたいのか?いいよ、明日朱音から借りてくる。子供が生まれるまでつけていればいい。その後で返せば大丈夫だ」 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で鋭い痛みが走った。 あのネックレスは沢田家の女主人であることの象徴だった。値打ちだけではなく、何よりも私が沢田家の女主人として認められた証。 結婚の時、優成が自らの手で私につけてくれたものだった。 彼は、このネックレスは永遠に私のもの、愛しているのは私だけ、沢田家の女主人も私しかいないと、そう言ったのだ。 その彼が今、他の女に渡そうとしている…… 声を漏らさぬように口を押さえたが、足下の床板がギシリと鳴ってしまった。 次の瞬間、扉が開き、優成が姿を現す。 私を見つけた彼は一瞬驚き、それから気まずそうに眉を曇らせた。 「朱音、どうしてまだ起きてるんだ?」 私は赤くなった目をこらえ、かろうじて答えた。 「水を飲みにきただけ。 真理が……私のネックレスを欲しがっているの?」 優成は困ったように頬を掻いた。 「最近眠れないらしいんだ。あのネックレスには安眠の効果があるだろ?少しの間だけだよ。子供が生まれたら返すから」 私はこくりとうなずき、淡々と告げた。 「いいわ。でも条件があるの」 優成の顔に安堵と喜びがにじむ。近づいて抱きしめようとした。 「朱音、お前はやっぱり理解してくれるな。安心しろ、真理が出産したら必ず……」 私はとっさに後ろへ下がり、その腕を避けた。 彼の体から漂う真理の香水の匂いに、無意識に距離を取りたくなったのだ。 「真理が子供を産んだら、必ずちゃんと埋め合わせをする。 朱音、お前は永遠に俺の妻だ。この家の女主人の座は、誰にも揺るがせない」 私は首を横に振り、感情を押し殺して言った。 「貸してもいい。でも一つ条件がある」 そのまま二階へ戻り、用意してあった離婚届を持ち出した。署名欄のページを開き、彼の前に差し出す。 優成はそれを小切手か何かと勘違いしたのか、ろくに目も通さず豪快にサインをした。 「分かった、欲しい物があれば買えばいい。支払いは俺がする」 私は首もとからそのネックレスを外し、静かに手渡した。 「サインは終わった。ネックレスは持って行って。真理が好きなだけ着けていていいわ」 優成は受け取ったが、その手はわずかに震えていた。 何か言いたそうに口を開き、結局はただ一言だけを絞り出した。 「朱音……心配するな。子供が生まれたら必ず返すから」 私は小さくうなずき、背を向けて階段へ。 だが彼が突然腕を伸ばし、私を抱き締めようとした。 私は身を翻してかわした。彼の腕は虚しく空を切り、その瞳に痛みが閃いた。 しかしもう、それ以上は追いかけてもこなかった。ネックレスを持ったまま、真理の部屋へと戻っていったのだ。 直後、真理の甲高い喜びの声が響いた。 「優成、取ってきてくれたの!?やっぱり優しい!」 私は窓の外を見つめながら、心の奥底が冷え切っていくのを感じていた。 明日――その明日が過ぎたら、私はこの家を完全に去るのだ。 第6話 その夜、優成は早めに主寝室へ戻り、これまでと同じように背後から私を抱こうとした。 まるで何もなかったかのように。 私は眠ったふりをして、その腕に反応しなかった。 次の瞬間、優成の携帯が鳴り、真理からの電話を受けた彼はすぐに起き上がり、部屋を出ていった。 翌朝、目を開けると隣は空っぽだった。 私は荷物をまとめ、スーツケースを引いて階下に降りた。 リビングでは、優成が真理の隣に座り、スプーンで慎重にスープを口に運んでいた。 物音に気付いた彼が顔を上げ、私を見るなり勢いよく立ち上がる。 その顔に一瞬、狼狽の色が走った。 すぐさま椀を置き、落ち着かない様子で手を擦り合わせながら言った。 「朱音、起きたのか。 勘違いするなよ。真理が今朝食欲なくてな、だからスープを作ってやっただけだ」 私は淡々とうなずき、そのまま玄関のスーツケースへ向かった。 優成は荷物に気づいた瞬間、顔色を急に曇らせる。 彼は乱暴にスーツケースを奪い取り、怒声をあげた。 「朱音、これは何だ? こんなことで出て行くっていうのか? お前、いちいち気にしすぎなんだよ! 真理はここで一人なんだ。俺が世話するのは当然だろう!」 私は黙っていた。 その沈黙が、かえって優成を苛立たせ。 「朱音、ちゃんと説明しただろ!真理はただ泊めてるだけだ!嫉妬するな!」 怒鳴りざま、手にしていたスーツケースを力任せに床に叩きつけた。 私は驚いて、思わずお腹を抱える。 子供に何かあったら……そう思うと恐怖が走る。 優成もすぐに表情を曇らせ、罪悪感をにじませた。 何か言おうと口を開いた瞬間、真理がスープ椀を持って近づいてきた。 「朱音さん、怒らないで。全部私が悪いの。 このスープ、身体にいいから……少し飲んで」 彼女はそう囁きながら、椀を私に差し出した。 その縁に、鮮やかな口紅の跡が残っている。 胸の奥で何かが弾け、我慢できずに椀を押し返す。 「もういい!いらない!」 私は力を入れていなかった。だが、ガシャンと音を立てて椀は床に落ち、粉々に砕けた。 「きゃっ!熱い!」 真理が大げさに悲鳴を上げる。 彼女の手の甲にうっすら赤みが見えるだけ。 それでも優成は真理を気遣い、優しく声をかけた。 そして私へ振り返るや、怒りに燃えた顔で腕をつかみ、台所へ無理やり引きずっていった。 「朱音、やりすぎだ! 真理はこんなに優しいのに!その好意を理解しないだけじゃなく、傷つけるなんて!」 今日は一人で反省してろ!」 言うが早いか、彼は私の腕を乱暴に握り、物置へ押し込もうとした。 「いや――!」 激痛に悲鳴を上げ、涙が滲む。 必死に抵抗した拍子に食卓を倒し、熱々のスープが脚にかかる。 一面に赤い火傷の痕。 焼けつく痛みに身体を丸め、床へ崩れ落ちる。 震える手を押さえながら優成は慌てて水を探し、顔を青ざめさせた。 「我慢してろ、すぐ医者を呼ぶから……! 俺は傷つけるつもりじゃなかった……お前が暴れなければ、こんなことには……」 救急車を呼びながら、苦悶に泣く私を見て眉間に影を落とし、呟く。 「すまない……朱音……」 彼はためらいがちに手を伸ばし、抱き起こそうとした。 次の瞬間、廊下から声が飛んできた。 「優成、お腹が痛いの!早く来て!」 真理の切迫した叫びだ。 優成の表情が一変し、私をその場に置き去りにして駆け出す。 「救急車はすぐ来る!真理を見てくる!」 私は力尽き、床に倒れ込む。 腹部に激しい痛みが走り、手を当てると温かい液体が腿に伝って落ちていった。 顔が青ざめ、荒い息を吐きながら叫ぶ。 「優成……子供が……子供が危ない……!」 振り返った彼の視線はソファに遮られ、床の血は見えていない。 眉をひそめ、冷たく言い放つ。 「朱音……子供を口実に俺を脅すな。そんな言葉で呪ってどうする! 俺にはそんな手は通用しないぞ!」 言い終えると、真理を抱き上げ、ふたりは廊下の向こうへ消えていった。 私は床に崩れたまま、最後の力を振り絞って震える指で携帯を握り、119番に電話をかけた…… 第7話 目を覚ました瞬間、鼻先をつんと刺す消毒液の匂いが広がった。 私は弾かれたように上半身を起こし、とっさにお腹へ手を伸ばす。だが触れたのは平らな下腹――その衝撃に、まるで雷に打たれたように全身が硬直した。 子ども、私の子どもは……? 血の気が引いた顔のままベッドを降りようとしたとき、看護師が慌ただしく駆け込んできた。 彼女は私の前まで早足でやってきて、小さな包みをそっと腕の中に置いた。 震える指で布をめくると、幼い顔が現れる。頬がじんわり熱くなり、胸の奥の恐怖がようやく解け落ちていった。 病院の別の場所で、優成は真理を病院に送り届けた後も、私が床に倒れて泣き叫んだ声が彼の脳裏にこだまし、落ち着きなく病院内を歩き回っていた。 胸の奥には強烈な嫌な予感が渦巻き、心臓もしくしくと痛む。頭の中には涙でぐしゃぐしゃになった私の姿ばかりが浮かぶ。 連絡したいと何度も思ったが、そのたびに真理が弱々しく彼の肩にもたれかかり、腹を押さえて痛みを訴える。 「お腹がすごく痛い……もし子どもに何かあったら、私どうすればいいの…… 私は本当に、ただ彼女に謝りたかっただけなんだ。まさか好意を誤解されるなんて……」 「君のせいじゃない。あいつが甘やかされて、わがままになっただけだ」 優成はそう言いながらも携帯を取り出す。 「彼女の甘やかされた性格は、俺が変えてやる」 だが指は通話ボタンの上で止まり、彼の顔にはゆっくりと罪悪感の色が浮かんだ。私が熱湯で火傷し、倒れ込んだ光景がよみがえる。私も同じ妊婦なのに、あのとき彼は私を置き去りにしたのだ。 「確かに君にあんなことをしたのはよくなかった。でも怪我をしたんだ、ある意味、罰は受けたんだろう……」下を向き、後悔で歪んだ顔。 「俺も悪かった、妊婦なんだから、もっと気を遣うべきだった。そうすればあそこまで追い詰められなかったかもしれない」 優成が深い後悔をにじませるのを見て、真理の目に一瞬ぎらりとした光が走り、すぐに涙に濡れた弱々しさに変わった。 「実は……あんまり言いたくなかったんだけど。朱音が……私を脅したの。出て行かなければ、子どもを殺すって」 優成の眉がぴくりと動く。心の中では、私がそんな残酷なことをする人間ではないと信じていた。 だが真理が取り出したスマホの画面に次々と現れるメッセージが、その最後の一縷の期待を粉々に砕く。 優成は憤然とスマホを置いた。 「妊娠してると情緒が不安定になるもんだ。そんなひどい言葉も出てくる……でも安心しろ、俺がいる限り、君も子供も傷つけさせない。もし本当にそんな真似をしたら……家から追い出すつもりだ」 優成の後ろで、真理は再び勝利の笑みを浮かべた。 ――二日後。 私は赤ん坊を抱きしめ、空港についた。振り返ることなく飛行機に乗り込む。 二人はその後、一週間ほど病院に残り、真理に異常がないことを確認してから一緒に帰宅した。 だが玄関を開けた瞬間、家の中は空っぽだった。 私の物は何一つ残っていなかった。 顔色を変えた優成は慌てて私の番号を押す。だが受話器から返ってきたのは、冷たい電源オフの音声だけ。 彼は少し腹を立て、私がただすねて、わざと彼から隠れているのだと思った。 なぜなら、私たちはこんなにも長く一緒にいたのだから、私がこの関係を簡単に諦めるはずがないと彼は考えていたからだ。 しかし、1週間が過ぎても、私は家に帰らなかった。 優成は少し慌て始め、狂ったように私に電話をかけたが、電話は常に電源が切れたままだった。 街中を探し回っても私の足跡はどこにもなく、やがて彼は絶望の縁に立たされる。 彼は手下に私の行方を調べさせた。手下は震えながら、報告書を彼の前に差し出した。 「社長……こちらが調査報告です」 報告書には、大きくこう書かれていた。 【調査の結果、沢田優成と島田朱音はすでに離婚済み。沢田優成には島田朱音の行方を追う権利はない】 「な、何だと……?」 さらに続く報告。 「航空会社の記録から……奥様は半月前、WB123便に搭乗しており……不幸にもその便は墜落事故に遭い、乗客全員が死亡…… つまり、奥様は……すでに亡くなられているかと……」 優成は雷に打たれたかのように、その場に立ち尽くした。