Đang tải thông tin quảng bá...
私が死んだら、冷徹夫が狂いだした件
深夜、私は癌が再発し、夫にすがるように懇願した。 「お願い、病院に連れて行って」 しかし彼は振り返ることなく、そのまま彼の「思い人」の...
Chương (1)
第1章
深夜、私は癌が再発し、夫にすがるように懇願した。
「お願い、病院に連れて行って」
しかし彼は振り返ることなく、そのまま彼の「思い人」のもとへ向かってしまった。そして去り際にただ一言だけ残した。
「演技がますます巧くなったな」
十年間の真心が返ってきたのは、ただ傷だけだった。
その後、彼の思い人は交通事故に遭い、緊急の手術が必要になった。
彼らを成就させるために、私は心臓を彼女に移植することを決めた。
けれど、私が死んだ後――私を憎み抜いていたはずの夫は、狂ってしまった......
第1話
深夜、私は腹部にじんわりとした痛みを抱えながら、必死でベッドから起き上がった。痛みで額に冷や汗が滲み、病院に行こうと思ったものの、激しい痛みが波のように押し寄せ、立つことさえ困難だった。
その時、廊下から聞き慣れた足音が響く。幸也だ。
何故か分からないが、私はドアノブを強く握りしめ、思い切ってドアを開けた。
「幸也(ゆきや)......」
名前を呼ぶだけで胸が締めつけられる。
彼は立ち止まり、振り返った。冷たい視線が私に向けられる。
「帰ってきたのね。ご飯は食べた?」
私は震える声で問いかけた。彼を刺激しないよう、精一杯穏やかに振る舞うつもりだった。
だが、彼は私の言葉など聞こえなかったかのように無視し、そのまま歩き去ろうとした。その態度に、胸が鋭く刺されたような痛みが走る。
私はよろめきながら彼を追い、袖を掴んだ。唇を噛みすぎて血が滲み、腹部の痛みに息も絶え絶えだ。
「離せ!」
幸也の目は冷たい怒りで満ちていた。
私は力を緩め、指先だけで彼の服の端を掴む。
震える声で言った。
「幸也......お腹がすごく痛いの......夜も遅いし、病院に連れて行ってくれない?」
もし昼間だったなら、彼に頼むことはなかっただろう。
彼は振り返り、私をじっと見下ろした。すると、唐突に冷笑を浮かべた。
「桜(さくら)お嬢さん、演技が本当に上手くなったな。このために、どれだけ練習したんだ?」
そう言いながら、彼は私の手からゆっくりと袖を引き抜いた。そして私の顎を掴み、冷たく告げる。
「お前が俺を裏切った日、俺は誓ったんだ。この先、絶対にお前を許さないと......ただし」
彼の唇が残酷な笑みに歪む。
「お前が死んだ時だけだ」
その言葉に、全身の血が凍りついたようだった。震えが止まらない。
幸也はそれ以上何も言わず、振り返り寝室へ戻ると、ドアを激しく閉めた。
腹の中に刃物が突き刺さったような痛みが走る。私は床に膝をつき、必死にスマホを探り、救急車を呼んだ。
都心の病院。人々が行き交う中、私は検査結果を手にベンチに座り込んでいた。
結果は、末期の腸癌。
信じられず、大学時代の先輩であり、消化器科の専門医である朝倉律(あさくら りつ)のもとを訪ねた。
「律先輩......」
私は検査結果を握りしめ、涙目で訴える。
「医者が末期の腸癌だって......もう一度調べてもらえませんか?誤診かもしれないでしょ?」
律はすぐに検査結果を受け取り、眉をひそめながらも静かに言った。
「まず落ち着いて、桜。もう一度調べてみるよ。どんな結果が出ても、俺がついてるから安心して」
そして再検査が行われた。だが、結果は同じだった。腸癌末期。
私は呆然と座り込む。唇が震え、どうにか声を絞り出した。
「あと、どのくらい生きられるのですか?」
律は膝をついて私と目線を合わせ、肩を掴む。
「桜、俺が必ず救う」
彼の目には揺るぎない決意が宿っていた。それでも涙は止まらなかった。
「癌......これが癌なんですよ......」
私は顔を覆い、声を押し殺して泣いた。律はそっと頭を撫でてくれる。
暗い部屋の中、ソファに座り込む私は、電気をつける気力もなかった。
夜明け前、車の音が聞こえ、玄関のドアが開いた。幸也が帰宅する。
彼は部屋の電気をつけ、ソファで動かない私を見ても視線を逸らし、階段を上がろうとした。
「幸也」
私は彼を呼び止めた。
彼は足を止めなかった。
拳を握り締め、掌に爪が食い込むほど力を込める。彼の背中を見つめながら、私は静かに笑いながら言った。
「幸也、離婚しましょう」
その言葉に、彼はようやく足を止めた。
逆光に浮かぶ彼の表情は読めず、ただ冷たく感じられた。
私は愛したこの男を見つめる。この十年間の愛情が彼の嫌悪を買い、私を傷だらけにした。
「もう迷惑をかけないわ」
彼は嘲笑するように呟いた。
「一日でも芝居しないと死ぬのか?」
私はバッグから離婚届を取り出す。その際、中にあった痛み止めの瓶に触れ、少しの間手を止めたが、何も言わず書類を彼に差し出す。
「もう署名してあるわ」
感情を押し殺して微笑む。
「あなた、白崎と結婚したいんでしょ」
精一杯の笑顔で続けた。
「幸也、あなたのために身を引くわ」
彼が白崎美羽(しらさき みう)を愛していると分かっていれば、私はどんなことがあっても結婚しなかったのに......
私と彼の結婚は、もともと私の無限の期待だった。けれど、世の中は思い通りにならないもので、結局それは仕方なく、そして私一人の片想いに終わった。
第2話
幸也は離婚届を受け取り、私が署名した箇所を一瞥した。そしてそれを無造作に私の肩に叩きつけるように押し当てた。
「桜お嬢さんは医学なんかじゃなくて、金融を学ぶべきだったな」
彼は身を屈め、冷たい目で見下ろしながら言う。
「離婚して、俺の家の財産をどれだけ持って行こうってんだ?」
その言葉に私は一瞬固まり、唇をぎゅっと結んだ。小さな声で答える。
「お金なんて欲しいと思ったことはないわ」
幸也は鷹のように鋭い目つきで冷たく私を見据え、薄い唇に邪悪な笑みを浮かべた。
「桜、お前って女は、目的のためなら手段を選ばないやつだな」
「自分の汚い小細工で、うちに居座ろうって腹なんだろう?結局、お前の家が潰れそうだから、俺の家を頼るしかないんじゃないのか?
どうだ、そうだろ?お前みたいな、俺が落ちぶれるや否や、すぐに他の男に乗り換えるような女が、自分で苦しい生活を許すはずがないだろう?」
その侮辱的な言葉に、体が震えるのを止められなかった。
幸也は冷たい目のまま背を向け、去ろうとする。その背中を遮るように私は腕を広げた。
「あなた、白崎が好きなんでしょ?なら、私は身を引くわ。財産なんて一銭もいらないって誓約書でも書いてみせる!」
「そうだな、俺は彼女が好きだ」
幸也の目には険が宿り、口元に笑みを浮かべた。
「だから、俺は彼女を華やかに迎え入れるつもりだ。俺の妻としてな」
彼は踵を返して部屋を出て行き、ドアが乱暴に閉まる音が響いた。
私は離婚届を拾い上げ、ただ苦い思いだけが胸に残る。
しばらくすると電話が鳴った。受け取ると、母の泣き声が聞こえてきた。
「お父さんが倒れて、病院に運ばれたよ!」
急いで病院に駆けつけると、母の口から告げられたのは、父が重病であること、そして家が破産する寸前だという事実だった。
私はふと、幸也の言葉を思い出した。
「離婚して、俺の家の財産をどれだけ持って行こうってんだ?」
なるほど、幸也はとうの昔に私の家が破産寸前だと知っていたんだ。
母は私の腕を掴み、救いを求めるような目で強く揺さぶった。
「桜、幸也にお金を頼んでちょうだい。お金さえあれば、お父さんの会社も立て直せるのよ。桜は彼の妻なんだから、断るはずないでしょ?」
「彼は私のことなんて大嫌いなのよ」
唇を歪め、虚ろな笑みを浮かべながら言う。
「どうしてそんな私にお金をくれると思うの?」
すると、母は私の顔を平手で叩いた。
「じゃあ、あんたは父さんが死ぬのを見てるつもり!?なんて役立たずなの!」
唇が震え、母を見上げる。その瞬間、寒気が全身を貫いた。
この人は、私を娘ではなく、ただの金づるとしか思っていないんだ――そんな確信が胸を締め付ける。母の視線から、私の感情など一切考慮されていないことが明白だった。
彼女は私をただの金のなる木として扱い続けるのだ。
当初、幸也の家が窮地に陥ったときのことだ。城之内蓮(じょうのうち れん)がどこからか私の住所を嗅ぎつけて現れた。そして、私の母が映った不倫現場の映像をちらつかせながら、こう持ちかけてきた。
「俺と三日間、公海のクルーズで遊ぼう。その代わり、この映像はなかったことにしてやる」
さらに彼は続けた。
「もし神崎を捨ててくれるなら、大金を用意して彼の家の借金を返済してやるよ」
そのころ、幸也は奔走する日々に疲れ果て、私はただ見守るしかできずにいた。
「彼の助けになるなら、誤解されたって構わない」
そう思った私は、城之内の金を受け取り、それを幸也の家の穴埋めに使った。
だが、彼を傷つけるために放った言葉もまた、重い代償となった。
それから再び幸也と関わることになるとは、夢にも思わなかった。
ある日、幸也の病床に伏せる父親が私を呼び出したのだ。
彼は私に、幸也と結婚してほしいと頼んだ。私の事情も、神崎家を助けたことも知っていると話しながら。
そのとき私は断った。
だが翌日、母は勝手に幸也の家から多額の結納金を受け取っていた。そして幸也は、父親から命を懸けて迫られ、渋々私との結婚を承諾したのだ。
それからというもの、彼は私を憎むようになった――心底、徹底的に。
病室を出て、痛み止めの薬を飲み込んだ私の目に、病衣を身にまとった女性の姿が映った。
色白の肌に、丸く大きな瞳。整った顔立ちにスラリとした体型――白崎美羽。
幸也が今愛している女性であり、かつて私の親友だった人だ。
私は視線を逸らし、その場を離れようとした。
「佐々木さん」
白崎が声をかけてくる。
薄笑いを浮かべながら私の前に立ちはだかり、優越感に浸った声で言う。
「佐々木家もついに終わりね。あなたもついに落ちるところまで落ちたわけだ。薬なんて飲んで……病気にでもなったの?」
「災難続きね」
そう言いながら、彼女は嘲笑を浮かべた。
私は彼女を冷たく睨みつけ、ただ一言。
「消えなさい」
だが白崎は意に介さない様子で、肩をすくめながら続ける。
「本当に哀れね。幸也に捨てられたくせに、まだ彼の家にしがみついてるなんて」
その目には得意げな光が浮かぶ。
「知ってる?最近、幸也はずっと私のそばにいてくれるの。体調を気遣ってくれてね」
私は唇を固く閉ざし、言葉を抑えた。
「彼の奥さんの座を奪いたいんでしょ?
そうなら、彼に直接離婚を頼めばいい」
白崎の目が細くなる。
「もしかして、まだ彼があんたを愛してるとでも思ってる?」
彼女は笑い出す。
「なんて甘い考えなの?
彼が離婚しないのはただの報復よ。
そのうち彼は飽きて、あんたなんてゴミ同然になるでしょうね」
彼女はさらに私に顔を近づけ、不敵な笑みを浮かべながらささやいた。
「ああ、それから、彼はあんたに一度も触れたことないんでしょ?」
その言葉に、私の手が一瞬震えた。
顔を上げて彼女を見据える。冷たい目で。
「どうしてだか知ってる?」
白崎は私の頬を爪でなぞるように触れ、続けた。
「だって彼はあんたを汚いと思ってるもの。当時、神崎家の借金を返した金......城之内さんからもらったやつでしょ?」
「もういい加減にして。言いたいことを言ったら、さっさと消えなさい!」
私は彼女の手を払いのけた。その拍子に、白崎の体は勢いよく地面に倒れ込んだ。
第3話
足音が私の後ろから駆け寄ってきたかと思うと、幸也が白崎を抱き上げた。
彼はそのまま白崎を腕に抱えたまま立ち上がり、振り返って私を一瞥する。その一瞬の視線に、全身が凍り付くような冷たさを覚えた。
白崎はかつて幸也のために怪我を負ったことがあり、骨が脆くなっていた。今回の転倒で、また骨がずれてしまったようだ。幸也は何も言わず、白崎を抱えたまま救急室に向かった。
深夜、幸也の家。
幸也は寝室のドアを勢いよく蹴り開け、私の布団を乱暴に引き剥がして、私を強引に引き起こした。
「お前、どうしてこんなに性格が悪いんだ?」
「私が何をしたって言うの?」
私は彼をじっと見つめながら涙を浮かべて言い返す。
「幸也、殺せるものなら殺してみなさいよ!」
涙で視界が滲む中、私は意地でも彼を睨み続けた。
「私は一度も裏切ったことなんてない。城之内とも何もなかった!」
その時、腹部の痛みが再び襲いかかり、体が震え始めた。
幸也は黒い瞳で私をじっと見つめたまま、しばらく沈黙してから不気味に笑い出した。
「まだ俺が昔の俺だとでも思うのか?そんな手に引っかかるとでも?」
彼の目には冷酷な光が宿り、低く唸るように言葉を続けた。
「城之内がどういう男か、お前もよく知ってるだろう。奴は誰にでも、お前が好きだと言いふらしてた。お前が彼に拒まれるようなことがあったか?
城之内の一族にはまともな人間なんて一人もいない」
痛みで声も出せず、私はただ必死に息を吸い込む。幸也が私を信じないことは、もう分かりきっていた。
私は薄く笑みを浮かべ、震える唇で呟く。
「そう思うなら、それでいいわ」
そう言うと彼を押しのけ、部屋を出ようとした。その瞬間、幸也は私を力で押さえ込み、逃がそうとしなかった。
「放して!」
必死で抵抗する私に、彼は顔を近づけて耳元で囁いた。
「俺だって触りたくない。汚いからな」
一つ一つ、彼は自分のシャツのボタンを外していく。筋肉質な体が露わになるたびに、彼の笑みは地獄のように冷たかった。
「でも、お前が言ったよな?何もしていないって。
なら確認してやる」
その言葉に、全身が小刻みに震え、私は必死に幸也の肩を叩いて抵抗した。しかし、力の差は歴然だった。
痛みと恐怖が重なり、体が勝手に縮こまる。腹部に走る痛みは、まるで刃物で切り裂かれるようだ。冷や汗が額から滴り落ちる。
「何を装ってるんだ?」
幸也は冷たい目で私を見下ろした。
「まだ触れてもいないのに」
「痛い......」
私は体を激しく震わせながら訴えた。
「お腹が......痛い......」
頭の中に浮かぶのは、ただ痛み止めのことばかりだった。痛み止め......早く......
必死で彼を突き飛ばし、どうにか彼から離れた。
幸也が不意を突かれ、後ろに倒れ込む。彼の足がベッドの端にぶつかり、そこに置いてあった私のバッグが床に落ちる。中から薬の瓶が転がり出た。
私は目の色を変え、瓶に手を伸ばした。だが、幸也が私より先に拾い上げる。
彼の目が薬瓶のラベルに留まり、すぐに手の中にあった紙に目を通した。そして、その一文を見た――「末期の腸癌」という文字を。
彼の顔は複雑な表情を浮かべたまま、私をじっと見つめている。
私はまるで水を失った魚のように、ベッドの上で身を丸めていた。
幸也は身を屈め、薬瓶の一つを拾い上げ、それをじっと見つめていた。
しばらくして彼は鼻で冷たく笑い、検査結果の紙と薬瓶を床に叩きつける。
「本当に次から次へとよくやるな」
彼の唇が冷たく歪む。
「こんなものを偽造すれば、俺が心配するとでも思ってるのか?」
幸也は再び身を屈め、私の額に浮かんだ汗を丁寧に拭いながら言い放つ。
「お前は美羽じゃない。そんな真似をしても無駄だ。お前が死んでも、俺は痛くも痒くもない」
彼はそのまま部屋を去った。
私は床に落ちた薬瓶を拾い上げると、水も飲まずに一粒をそのまま飲み込んだ。
一時間ほどすると、腹部の痛みは徐々に和らいできた。
天井をぼんやりと見上げながら、なぜか笑いがこみ上げてくる。
笑い続けるうちに、涙がとめどなく流れ落ちた。
そんな中、スマホの着信音が鳴り響く。
私は汗ばんだ額を手で拭き、スマホを耳に当てて通話を取った。
「桜、幸也にお金を頼んだの?」
母の声だ。
私は疲れた声で静かに答えた。
「頼むつもりはないよ」
「じゃあ、城之内に行きなさいよ!あいつ、ずっとあんたのことが好きだったでしょ?」
母の声は怒りで急に鋭くなる。
私は服をぎゅっと掴み、冷たい声で言い放った。
「そういう母さんは、父さんのことをどれだけ愛してたっていうの?」
母は一瞬息を呑んだようだった。
「何を言ってるの?」
私は目尻を拭いながら、昔のことを思い出し、静かに呟いた。
「文雄(ふみお)」
母の交際相手の名前だ。
その言葉を最後に、母は黙り込み、数秒後、電話を切った。
......
律先輩が入院を勧めてくれたが、私は断った。
薬をたくさん買い込んで、なんとかしのげる分は手に入れていた。
家に戻ると、幸也が慌ただしく家を飛び出していく姿を目撃した。
あんなに急いでいる彼を見るのは珍しい。
使用人から聞くと、白崎が倒れたという。
検査で深刻な心不全が判明したらしい。
私は一瞬思い立ち、彼の後を追うことにした。
病院の廊下で、幸也が行ったり来たりと落ち着かない様子で歩き回っている姿を見つけた。
黒いシャツに黒いパンツ姿。髪は乱れ、目元には赤みが差し、唇は強く引き結ばれている。
彼はきっと、白崎のことをとても心配しているのだろう。
だって、彼女のことを本当に愛しているから。
――私はもうすぐ死ぬのだから、せめて幸也のために何かしておこう。
そうすれば、私が死んだ後に彼が私を恨むこともなくなるはずだ。
いや、むしろ来世では彼と出会わずに済むことを願うだけだ。
幸也は心臓のドナーを必死に探している。医者から白崎が長くは持たないと告げられたからだ。
私は静かに臓器提供の同意書に署名し、ひそかに適合検査を受けた。
病院を出ると、バッグから薬を取り出し、ごみ箱に捨てた。
もう、それが必要になることはない。
そのとき、背後から私を呼ぶ声が聞こえた。
「桜」
聞き慣れた声に体が硬直する。肩に、大きな手がしっかりと置かれた。
第4話
その男が私の目の前に立つ。
彼は彫りの深い顔立ちに、背が高く、いつも笑みを浮かべている。しかしその笑顔にはどこか不気味さが漂っていた。
目に留まったのは、彼の首に刻まれた大きな傷跡だった。
「城之内......」
私は目を閉じ、疲れた声で彼の名前を呼んだ。
城之内は笑みを浮かべながら、その傷跡を指差した。
「神崎にやられたんだよ。なあ、これどうやって仕返ししたらいいと思う?」
その瞬間、3年前の彼の言葉が脳裏に蘇った。
「もし俺についてこないなら、神崎をどうやって潰すか考えないとな」
当時、幸也の家が問題を抱える前なら、私は怖くなかった。
だが、あの時は城之内の家が繁栄していて、幸也の家は一夜にして崩れ落ちた。
城之内家の一言で、幸也はどん底に落とされ、二度と立ち直れないかもしれない状況だった。
私は薄く笑って答える。
「城之内、因果応報だよ。自業自得だ」
彼は私をじっと見つめ、何か考え込むような表情を浮かべた。
「あんた、あいつを頼りにしてるのか?聞いた話じゃ、彼はあんたの親友だった白崎とかなり親しいらしいな」
彼とこれ以上会話を続ける気はなかった。私はその場を立ち去ろうと振り返ったが、突然目の前が真っ暗になり、意識を失った。
神崎家、玄関前。
意識を取り戻したとき、腹部の鈍い痛みが残っていた。体は重く、目を開けたくない気持ちだったが、幸也と城之内の声が耳に入った。
幸也の冷たい声が聞こえる。
「城之内さん、大した度胸だな。よくここまで来られたもんだ。それで、何の用だ?」
「桜を送り届けに来たんだよ。眠ってるみたいだからさ」
城之内は軽薄な口調で答える。
「そうか。なら、そのまま連れて帰ればいいだろう。わざわざここに持ってくる必要があるのか?」
幸也の声は感情のかけらもなく続く。
「俺には用事があるんでね。悪いが付き合ってられない」
その言葉の直後、車のエンジンがかかり、遠ざかっていく音が聞こえた。
私はゆっくりと目を開け、車が去っていくのをぼんやりと見送った。胸の奥がじわりと痛む。
車のシートベルトを外して降りようとしたが、城之内が私の手を押さえつけた。彼は顔をこちらに向け、真剣な表情で言う。
「あんた、病気だろ?俺と来いよ」
その声には、哀願の色が滲んでいた。
私は彼に何も答えず、手を振り払って車を降りる。
すると、彼は車の窓を下げ、冷たい声で続けた。
「桜、あいつはあんたを気にも留めちゃいない。今頃、100%病院で白崎を見舞ってるに決まってる。信じられないなら、乗れよ。連れて行ってやるからさ」
「関係ないわ」
私は背筋を伸ばし、一歩ずつ家の中へと向かう。
背後から、城之内が苛立ちを込めて低く罵る声や、ハンドルを叩きつける音が聞こえてきた。
夜が更けた頃、半分夢の中で寝ていると、寝室のドアが開く音が聞こえた。
ぼんやりと身を起こそうとした瞬間、鼻にアルコールの匂いが届く。
強い酒の匂いがするが、不快ではない。
窓から月明かりが差し込み、その男の顔が見えた。
「幸也......」
私は彼の名前を呼んだ。
私の瞳ははっきりと彼を捉える。幸也は顔を私の首元に埋め、震える肩に手を置いている。
私は恐る恐る彼の首に手を回したが、彼は避けることなく受け入れた。
唇を強く結び、その状況をただ受け入れるしかなかった。
「桜......」
彼が掠れた声で私の名前を呼ぶ。その一言で胸が揺らぐ。
「うん......」
笑顔を作り、私はそう答えた。
彼の顔を両手で包み込む。この人は私の愛する人、私の幸也なのだと自分に言い聞かせる。
幸也は私の顔に近づき、彼の深い瞳や長いまつげ、薄く二重のラインまでが見える。
彼の唇が微かに開き、無情にも言葉を落とす。
「桜、どうして病気になったのがお前じゃないんだ?
どうして死ぬのがお前じゃないんだ?」
「やめて......」
私は一瞬呆然とした後、目の輝きを失い、震える声で彼に懇願した。
幸也の目は虚ろで、私の隣で低く呟く。
「3年前の雨の夜、お前が電話で別れを切り出した時、俺はお前を探しに行った。でも途中で車に轢かれそうになって......美羽が俺を突き飛ばして助けてくれた。でも彼女はその代わり、車に轢かれて全身の骨が粉々になったんだ。3日間の救急治療を受けて、ようやく命を取り留めた......
桜、お前、どうやって俺に償うつもりなんだ?どうやって......美羽に償うつもりなんだ......?」
彼の声は軽いが、その言葉は胸に矢を突き立てるような痛みをもたらした。
幸也の目には、深い憎しみすら映っていない。その無関心さが、逆に私の心を氷のように冷たくした。
憎まれることさえない。きっと、それだけ私はどうでもいい存在なのだろう。
私は目を閉じ、涙が頬を伝うのを感じた。
幸也、あなたは知らないでしょうね。私ももう長くは生きられないの。
でも、私はあなたを成就させる。あなたの世界から消えることで、あなたの未来が明るくなるなら。
彼は泥酔したまま横になり、深い眠りに落ちた。私は膝を抱えたまま一晩中そこに座っていた。
やがて窓から朝日が差し込んでくる。私は固まった体を無理に動かして立ち上がり、幸也がまだ眠っているうちに部屋を出た。
洗面所に入り、回転する洗濯機をじっと見つめながらぼんやりしていた。
すると背後から足音が聞こえる。急いで立ち上がると、腰に強い腕が回され、耳元に熱い息が吹きかけられた。
彼の手が私の顎を持ち上げ、彼の目を直視させられる。少し赤らんだ頬が見えた。
「昨日の夜......」
彼が迷いのある声で言いかける。
私は気まずさを隠すように笑い、彼の腕を振り払った。
「飲みすぎたのよ。ベッドの上に吐いたでしょ」
幸也の唇がきつく結ばれ、手を引っ込める。
「朝ごはん、食べる?私......」
私は視線をそらし、声を落とした。
「いい。俺は病院に行ってくる。美羽のところだ」
その言葉に、私の笑顔が一瞬固まった。
「そう......行ってらっしゃい」
顔を上げる気力もなく、私は低く呟く。
その瞬間、スマホが鳴った。
目を伏せ、幸也を見ないようにしながらメッセージを確認する。
それは適合検査の結果だった。
第5話
心臓を、白崎に捧げる。
私は顔を上げ、鼻の奥の痛みをこらえながら、部屋を出ようとする幸也に声をかけた。
「ちょっと待って」
幸也が振り返る。私は淡い笑みを浮かべながら続けた。
「ちょっとだけ待ってて!」
そう言い残し、階段を駆け上がる。そして、小さなギフトボックスを手に急いで戻ってきた。
「これ、幸也に。ネクタイだよ」
胃が捩れるような痛みが押し寄せたが、表情には一切出さなかった。
幸也は箱をちらりと見て冷たく言う。
「今日のスーツには合わないな」
私は首を横に振る。
「いいの。後でつけてくれれば。これからは、もうこういうのを贈る機会もないと思うから......」
彼は一瞬動きを止めた。以前なら迷わずその場で捨てていたはずなのに、今日はゆっくりと箱を受け取り、深い瞳で私を見つめる。
その視線に耐えきれず、私は目を伏せた。その瞬間、彼は一瞬だけ躊躇いを見せたが、すぐに身を翻し、去っていった。
第三病院のベッドに横たわる私は、わずか半月で骨と皮ばかりになってしまった。
スマホが鳴り、看護師が手渡してくれる。画面に表示された名前に、私は思わず微笑む。
――幸也。
3年以上ぶりに彼からの電話だった。
私は震える手で酸素マスクを外し、必死に彼の声を聞こうと電話に出た。
通話が終わり、スマホが手から滑り落ちる。
看護師が慌てて酸素マスクを再びつけてくれたが、視界がぼやけ、天井が揺れるように感じる。
病室のそばで手を強く握り、涙を堪えている律先輩が目に入る。
私は力なく苦笑しながら呟く。
「先輩......明日の朝日が見たいな......もう一度、彼から電話をもらいたかった......」
でも、そんな願いはもう叶わないとわかっている。
突然、体が軽くなり、自分の魂が体を抜け出して天井に漂っているのを感じる。
下を見下ろすと、律先輩が骨のように痩せ細った私の体を抱きしめ、声を上げて泣いている。
「桜......行かないでくれ。お願いだから、行かないで......俺、まだ言えてないんだ......」
次の瞬間、声を聞きつけた医師たちが駆け込み、律先輩を引き離した。
私の体はストレッチャーに乗せられ、手術室に急いで運ばれる。
同時に、美羽も別の手術室に運び込まれた。手術中を示す白熱灯が眩しく輝いている。
ああ、もう行く時間なんだな。この人生、なんて不器用だったんだろう。
娘としても妻としても失敗ばかりで、自分自身すら大事にできなかった。
本当は幸也と一緒に小さな家庭を築きたかった。可愛い子供を二人授かって、家族みんなで雪山を探検する――そんな夢を抱いていた。
そして子供が成長する姿を見届け、一緒に歳を重ねていく。そんな未来を望んでいたのに......
私がいなくなれば、幸也はきっと自分の願いを叶えるだろう。心から愛する人と結ばれ、幸せな人生を歩んでいくはず。
お願いだから、次の人生では彼と出会いませんように......
……
俺の名前は神崎幸也。神崎グループの社長だ。
満開の花の下、初めて佐々木桜を見たとき、心が奪われた。
彼女の一挙一動が美しく、俺は彼女を死ぬまで愛し続けると誓った。
だが、神崎グループが崩壊しかけたとき、愛を誓ったはずの彼女は裏切り、城之内とともに公海での遊覧へと向かった。
様々な理由があったにせよ、最終的に俺は彼女と結婚した。
だが、その愛は心の奥底に深く埋められ、互いを傷つける日々が続いた。
それでも、心のどこかでは忘れられなかった。若い頃に抱いた深い愛情が根を張り、いつしか大樹となっていたのだ――
美羽の体が持たない状況で、病院から連絡が入った。絶症の患者が心臓を提供する意向を示し、彼女と適合しているという。
俺は狂喜した。美羽が助かる――
その患者に感謝を伝えたいと思ったが、病院は個人情報を開示しないという。それならと納得し、ただ心臓の提供を待つことにした。
俺は美羽を愛しているわけではない。ただ、彼女が俺のためにこうなった以上、責任を取らなければならないと感じている。
一方で、桜――あの女の裏切りだけは決して許せない。
......
ヨーロッパの事業で問題が発生し、1か月ほど現地に滞在して自ら対応する必要があった。美羽のことは助手に任せることにした。
......
「神崎社長、奥様のご尊父の容体があまり良くありません」
会議室から出ると、秘書の岩田陸(いわた りく)が俺の前に立って報告してきた。
「いくら必要なんだ?」
俺は少し苛立ちながら尋ねる。
「病院の見積もりでは、1000万円ほど必要です」
「病院に送金しておけ」
ホテルに戻り、ソファに横になって休んでいたが、なぜか心にぽっかりと穴が空いたような気がした。
スマホを開き、桜とのメッセージを見返す。
今回F国に来て以来、桜から一度も連絡がなかった。
過去のやり取りをスクロールしてみると、彼女の日常の他愛もない話がほとんどで、俺が返信した回数はごくわずかだ。
今は父親が重病だというのに、彼女から何の相談もない。
眉間に皺を寄せながらチャットを閉じ、家に電話をかけた。
「桜は?」
使用人が丁寧に答える。
「奥様は数日前にご実家に戻られました。旦那様が帰国されるまで戻らないとおっしゃっていました」
俺は軽く息をついた。
桜はとても臆病な人間だ。雷や暗闇、痛みを嫌い、一人で大きな家にいるのを怖がる。
F国滞在15日目、病院が手術の方針を決定した。
美羽も複数の検査を受け、手術が可能な状態であることが確認された。
その際、彼女に心臓を提供する人が非常に重篤な状態で、あと半月も生きられない可能性があると聞かされた。
念のために尋ねたところ、医師はその患者が深刻な腸癌を患っていると教えてくれた。
その瞬間、胸がざわめいた。腸癌――
以前、桜の検査結果にも同じ病名が書かれていた。
そんな偶然が気になり、すぐに桜に電話をかけた。
何度かコール音が鳴った後、ようやく彼女が出た。短い沈黙の後、俺は静かに話し始めた。
「俺は来月7日に帰国する。その日に家に戻っておけ......ああ、市役所に行く」
「わかったわ」
彼女があまりにもすんなりと答えたことに違和感を覚えた。
「幸也、すごく眠いの。もう少し寝てもいい?」
電話越しの桜の声は弱々しく、俺は時計をちらりと見る。国内では朝の7時だ。
きっと彼女はまだ眠いのだろうと、特に疑問を持たなかった。
その時、不思議と怒りが湧かなかった。普段なら冷たく当たるところを、自然と優しい声が出てしまう。
「わかった。また後でかける」
どうにも胸騒ぎが収まらなかった。
本来なら半月かかる予定の仕事を1週間で片付け、最短の便で帰国する準備を進めた。
空港に向かう前に、ふと桜がくれたネクタイのことを思い出した。
スーツケースから取り出したそれは、宝石のような青い色をしていた。今日のスーツに完璧に合う。
そのネクタイを締め、飛行機に乗り込む。
機内で電源を切る直前、病院からのメッセージを受け取った。
「神崎様、ドナーの容体が急変しました。白崎様の心臓移植手術を開始します」