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君よ、彼女を探して
「離婚したいんです!」 結婚三年目、宮本友梨は離婚を決意した。
Chương (1)
第1章
「離婚したいんです!」
結婚三年目、宮本友梨は離婚を決意した。
第1話
「離婚したいんです!」
結婚三年目、宮本友梨は離婚を決意した。
ただし、夫には内緒で。
向かいの弁護士は彼女の意図を聞き終え、事務的に切り出した。
「離婚手続きには双方の署名と一ヶ月の熟考期間が必要ですが、今日はご主人はいらっしゃらないんですか?」
友梨は数秒黙り込んだ。「署名はもらってきます」
「では、離婚協議書を作成させていただきます」
しばらくして、友梨は協議書を受け取った。
この間に起きた出来事を思い返しながら、うつむいて階下へ向かう。
受付に着いた途端、耳慣れた声に呼び止められた。
「友梨?なぜここに?」
顔を上げると、高橋庄司のすべてを見通すような深い眼差しと目が合い、友梨は思わず心臓が跳ねた。
まさか離婚の相談に来たのが、夫の勤める法律事務所とは。
でも彼には気付かれないはず。そもそも彼女のことなど眼中にないのだから。
そう思うと、友梨は深く息を吸い、声の震えを隠そうとした。
「ちょっと相談があって。あ、そうそう、この前両親が話してた物件の名義変更書類、サインが必要なの」
そう言いながら、手元の離婚協議書を最後のページまで開き、カウンターに置いてペンを差し出した。
協議書の最終ページにはサイン欄だけ。弁護士として職業病的に眉をひそめた庄司。
じっくり確認しようとした瞬間、エレベーターホールに見覚えのある人影が映り、一瞬の躊躇いの後、友梨の指す箇所にサインを入れた。
「じゃあ、用が済んだなら帰れ。仕事中だ」
友梨の心は落ち着いたものの、すぐに自嘲的な思いが過った。
もう少し見てくれれば、これが不動産書類ではなく離婚協議書だと分かったはず。
ただ残念なことに、彼の視線は入ってきたばかりの杉山美咲に奪われていた。
その整った顔立ちを見つめながら、友梨は複雑な思いに駆られた。
バッグを握る手に力が入り、事務所を後にした。
自動ドアが閉まる際、かすかに二人の声が耳に届いた。
「庄司兄、今の人は?」
「新規のお客様だよ。離婚相談に」庄司の冷たい声音に温もりが混じる。「なぜこんな早く来たの?少し待ってて、ご飯に連れて行ってあげる」
中から聞こえる甘やかすような声と、手元の署名済み離婚協議書を見比べ、友梨は苦い笑みを浮かべた。
そう、確かに離婚相談に来たのだ。
もうすぐ、たった一ヶ月で、庄司は念願が叶う。
友梨と庄司は内密婚だった。
両親以外誰も彼らが夫婦だと知らない。彼の初恋の人も含めて。
内密婚は彼の決断だった。
二人は大学の同級生で、入学初日から友梨は学内一のイケメン庄司に一目惚れし、四年間しつこく追いかけ回したが、彼は一向に心を動かさなかった。
でも友梨はそれほど落ち込まなかった。
なぜなら彼は彼女だけでなく、誰の告白も受け入れず、まるで生まれつき女性に興味がないかのようだった。
卒業後、彼女は仕事に没頭し、彼は進学。二人の接点は完全に途絶えたが、彼のことを忘れられなかった。
平行線のはずだった二つの線は、三年後のお見合いで突然交わった。
初めての顔合わせで、庄司は単刀直入に結婚の意思を尋ねてきた。
なぜそこまで急いでいるのか分からなかったが、長年の夢が叶うかもしれない。友梨は家族の催促だろうと思い込み、即答で承諾した。
結婚後、徐々に彼の秘密が見えてきた。
女性に興味がないわけではなく、好きだけれど叶わない人がいたのだ。
美咲という女性で、親友の妹だった。
五つ年上の庄司は彼女にとって兄のような存在で、この恋は叶わぬ夢だった。
美咲は彼の密かな想いを知らず、卒業後すぐに三年付き合った恋人と結婚した。
庄司は深く傷つき、失恋から立ち直るため、両親の猛烈な結婚催促もあって慌ただしく友梨と結婚した。
真相を知った友梨は長い間落ち込んだが、最後には立ち直った。
これからの日々があると信じ、一生懸命努力すれば、きっと彼の目に留まると。
だが結婚して三年、彼の態度は決して親密とは言えなかった。
友梨の自信が揺らぎ始めたその時、あのアルバムを見つけてしまった。
アルバムには、ある女性の六歳から二十五歳までの写真が保存されていた。それだけなら気にすることもなかった。
でも、その人が夫が長年好きだった女性で、しかも結婚後もアルバムが更新され続けているとしたら?
友梨にはそれを気にしないふりはできなかった。
しかも翌晩、普段は一滴も飲まない庄司が珍しく泥酔し、いつもの冷たい瞳に、溢れんばかりの喜びを湛えていた。
調べてみると、美咲が離婚したという。
その瞬間、友梨は自嘲的に笑い、この望みのない結婚に終止符を打つことを決意した。
離婚の署名を手に入れたせいか、三年住んだ家に戻ると、友梨の心には何とも言えない感覚が漂った。
自分の手で作り上げた温かな巣を見渡すと、様々な思い出が押し寄せてきた。
視線を巡らせ、最後にリビングの丁寧に拭き上げられたウェディング写真に留まる。
写真の中の庄司の作り笑いを見ると、急に目障りになり、写真を外して階下のゴミ箱に投げ入れた。
その夜、友梨は婚姻財産の整理に没頭した。
庄司は帰宅するなり消えたウェディング写真に気付き、書類に没頭する妻を見て珍しく眉をひそめながら尋ねた。
「ウェディング写真は?」
「釘が緩んでて、人に当たると危ないから外したの」
庄司はそれ以上何も聞かず、持ってきた夜食を彼女の手元に置き、書斎へ向かった。
刺激的な香りに、友梨は手を止めた。
袋を開けて真っ赤な夜食を見た瞬間、鼻の奥が痛くなった。
結婚して三年、胃の具合が悪くあっさりの食事をしていた。
でも夫にはそれすら伝わっていなかった。
以前なら彼を喜ばせるため、どんなに辛くても全部食べただろう。
でも今の彼女は、袋ごと階下に捨てるだけ。
今日から、この結婚で味わった全ての辛さ、全ての悲しみを捨てる。
そして、彼のことも。
第2話
夜も更け、友梨は眠れずにいた。
枕に顔を埋めて物思いに耽っていると、突然腰に手が回された。
背後から熱い息が漏れ、友梨は思わず身を引き、彼のキスを避けた。
その拒絶的な態度に庄司は驚いた。
結婚して三年、いつも友梨から抱きついてくるのに。
珍しく欲情した時に拒まれ、思わず尋ねてしまう。
「機嫌悪いのか?」
「生理だから」
友梨は適当な言い訳を並べ、庄司も深く考えず、一声「ん」と応え、布団を掛け直してやった。
就寝前の一日の振り返りで、昼間の不動産書類を思い出し、尋ねた。
「不動産の書類はどこだ?抜け穴がないか確認したい」
友梨の心臓が高鳴り、彼をじっと見つめた。
「本当に見たい?」
庄司は彼女の緊張した表情に眉を寄せ、軽く頷いた。
しばらくの沈黙の後、友梨は書斎から協議書を取り出した。
手渡そうとした瞬間、突然の着信音が鳴り響いた。
庄司が先に電話に出た。
「庄司兄!和也がまた酔っ払って外で暴れてるの。早く来て、怖いよ!」
美咲の乱暴な元夫を思い出し、庄司は顔色を変え、上着を羽織って駆けつけようとした。
慌ただしい彼の姿を見て、友梨は呼び止めた。
「離婚する例の妹さん、また何かあったの?」
庄司は肯定しかけたが、深夜に彼女が心配するのを恐れ、敢えて深刻に話した。
「ああ、元夫が酔って包丁を持って外で待ち構えてる。見に行かないと命の危険があるかもしれない」
友梨は引き止めず、気を付けてとだけ告げた。
庄司が去った後、夜が明けても友梨は一睡もできなかった。
時間を確認しようと携帯を手に取ると、この前こっそり追加した美咲の新しい投稿が目に入った。
動画には、山々の間から朝日が昇り、金色の光が降り注ぐ様子が映っていた。
あちこちから歓声が上がり、画面が切り替わると庄司の姿が一瞬映り込んだ。
「暗い昨日は終わり、全てが新しい始まりを迎える」
画面に残されたその言葉を見て、友梨の胸が締め付けられ、じわじわと痛みが広がった。
美咲は前の結婚生活にピリオドを打ったようだ。
そうね、法曹界のエースである庄司の助けがあれば。彼女のことをこれほど長く想い続けた彼なら、離婚という言葉を聞いただけで全力で助けるはず。
彼女が独身に戻ったからには、きっとすぐに庄司から離婚を切り出されるだろう。
聞くまでもなく、友梨にはその光景が手に取るように分かった。
自嘲的な笑みを浮かべながら、心は悲しみに沈んだ。
離婚は遅かれ早かれ起こることで、彼女の存在はただその時期を早めただけ。
捨てられるのを待つより、自ら去る方が、少しは体裁が保てるというもの。違う?
友梨は携帯を置き、かつて買ったペアアイテムを段ボールに詰め込んで階下へ運んだ。
ちょうど戻ってきた庄司は、苦労している彼女の姿を見て駆け寄った。
「なんでこんなに捨てるんだ?」
友梨は目を伏せた。「使わないから。場所も取るし」
庄司は理解したように頷き、自ら箱を持ち上げた。
遠ざかる彼の背中を見つめながら、友梨の瞳は静かだった。
実は箱を開けて見れば、彼女が宝物のように大切にしてきた物ばかりだと分かるはず。
彼の頭の良さなら、この異常な行動から去りたい気持ちに気付けるはず。
物語はまだ転機があったのに。
でも庄司は何もしなかった。
ただ箱をゴミ箱に投げ入れ、背を向けた。
余計な動きは、一切見せなかった。
第3話
午後、友梨のパソコンが突然フリーズして、資料を早く整理するために庄司からノートパソコンを借りた。
ファイルの転送を待つ間、新着メッセージの通知が鳴り、無意識にクリックすると法律事務所からのメッセージだった。
「庄司、今夜の事務所の飲み会、彼女も一緒にどう?」
そのメッセージを見た瞬間、友梨の手が思わず震えた。
結婚三年、庄司は彼らの関係を一度も公にしなかった。だから周りの目には、彼はずっと独身に映っていた。
だからこそ、彼の事務所に相談に行っても、誰も彼女だと気付かなかった。
今回は、承諾してくれるのだろうか。
友梨にはわからない。期待する勇気もない。
隣の庄司は携帯で見た後、一瞬彼女の表情を窺うように見上げた。
その視線に気付き、友梨は薄く微笑んだ。
「私を連れて行ってくれるの?」
その言葉の裏には......三年経って、公にしてくれるの?
庄司は答えに困り、口を開いたが、声は出なかった。
その一瞬の沈黙が刃物のように友梨の胸を刺し、鈍い痛みが走った。
彼女はその痛みを押し殺し、気にしていないふりをして明るく装った。
「私、夜は用事があるから。連れて行きたくても、時間がないと思う」
庄司の張り詰めた心が緩み、表情が元に戻った。
「じゃあ、次の機会にでも連れて行くよ」
友梨は返事をしなかった。
両目を手で覆い、心の中で彼に答えた。
次?
庄司......
もう次はないわ。
夜、庄司は一人で会場に入るなり、酔った同僚たちに捕まった。
「三年も彼女連れてこないなんて、庄司、そりゃないぜ!」
「俺らに紹介もしないで、いつまで隠してんだよ?」
同僚たちの声に押され、庄司は携帯を開いた。
二つの選択肢。美咲か、友梨か。
長い躊躇の末、結局前者のアイコンをタップし、メッセージを送った。
すぐに美咲が住所を頼りにやってきた。
ドアを開けた瞬間、部屋中の目が輝き、口々に彼のセンスを褒め称えた。
酒が進み、山本弁護士がトイレに立ち、手持ちの書類袋を庄司に預け、ある女性に渡すよう頼んだ。
ちょっとした頼みごと、断る理由もなく、番号を見ながら階下に降り、ついでに書類の中身を確認した。
待てど暮らせど人影が見えず、携帯で番号を入力しようとして、その番号が既に登録されていることに気付いた。
「友梨」という名前が目に入った瞬間、庄司はその場で凍りついた。
書類袋から協議書を取り出し、開こうとした時、まぶしいヘッドライトが差し込んできた。
目を庇いながら顔を上げると、友梨の姿が見え、疑念が湧き、手の書類を掲げて問い質した。
「離婚財産分与協議書?友梨、これはどういうこと?」
友梨も彼にこの件を知られるとは思わなかったが、冷静に嘘をついた。「皐月が離婚するって。私が代わりに山本先生に相談したのよ」
直感的に、庄司はそれほど単純な話ではないと感じた。
眉を寄せ、協議書を開こうとした時、背後から腕に手が回された。
「庄司兄、クライアントに会うって言ってたけど、どうしてこんなに時間かかってるの?」
美咲が馴れ馴れしく寄り添う様子に、庄司は動揺し、妻の表情を見る勇気もなく、どう説明していいかもわからなかった。
でも妻に説明以上に、今この瞬間、近づいてくる美咲を突き放したくなかった。
しかし友梨は想像以上に冷静で落ち着いていた。
二歩前に出て、彼の手から協議書を受け取り、軽く頭を下げ、よそよそしい口調で言った。
「高橋先生、ありがとうございます。友人の離婚の件で急いでいますので、これで失礼します」
第4話
夜風が車窓から吹き込み、髪を舞い上がらせていた。
道中、友梨の脳裏には庄司の傍らにいた美咲の姿が何度も浮かんでは消えた。
傷つけられすぎて、もう心の痛みすら感じない。ただ果てしない疲れだけが残っていた。
三十日の熟慮期間......こんなにも長い時間なのか。
目の疲れを揉みほぐそうとした瞬間、前の車の違法なバックに気付かず、そのまま追突してしまった。
大きな衝撃音と共に、変形したドアに足を挟まれ、血が流れ出した。
一瞬で血の気が引き、額には冷や汗が浮かんだ。
激痛の中でも冷静さを保ち、救急車を呼んだ。
救急室で医師の診察を受けると、命に関わる怪我ではないものの、小さな手術が必要だと言われ、家族に連絡するよう促された。
両親は遠方に住んでいたため、友梨は庄司に電話をかけた。
十数回かけても、一度も出ない。
今頃は同僚たちと、そして憧れの人と楽しく飲んでいるのだろう。
彼女の電話に出る暇なんてないはず。
横にいた看護師が連絡が取れない様子を見かね、声をかけた。
「ご主人は本当に来られないんですか?」
友梨は首を振り、淡々と答えた。「離婚中で、あと十数日で完全に終わります」
看護師は意外そうな表情を浮かべた。
「でも婚姻期間中じゃないですか?書類にサインくらいは......」
三年の結婚生活を思い返し、友梨は感慨深くなった。
一緒に食事をするため、何度も深夜まで待った。でも返ってくるのは「残業で帰れない」の一言。
共通の話題を持とうと法律を勉強しても「素人」と一蹴された。
誕生日のサプライズを用意しても「疲れた、気力がない」と言われた。
最初から最後まで、彼女だけが一方的にこの関係を維持しようとしていた。
すべてが、彼に愛されていなかった証。
庄司は来ない。もう自分を欺くことはできない。
「妻が事故に遭っても連絡が取れない夫なんて、来ても意味ありません」
看護師は溜息をつき、同情の眼差しを向けた。
「じゃあ、お友達に来てもらいましょう」
その後数日間、皐月が友梨の看病をしていた。
四五日後にようやく病院に駆けつけた庄司は、彼女の足首の傷を見て、困惑の表情を浮かべた。
「事故に遭ったのに、なぜ教えてくれなかったんだ?」
友梨は説明しようとしたが、彼の表情を見た瞬間、あの十数回の不在着信を思い出した。
喉まで出かかった言葉を飲み込み、かすかな笑みを浮かべた。
「あなた忙しいでしょ。こんな小さな怪我で邪魔したくなかったの」
その言葉に庄司は後ろめたさを感じ、先日のことを説明しようとした。
「友梨、あの日の美咲とは偶然会っただけだ。気にするな」
「妹さんの離婚手続きは終わりました?」
突然のその質問に庄司は驚いたが、素直に答えた。
「終わったよ。もう離婚した」
友梨の笑みが深くなり、小さな声で言った。「おめでとう」
「私もそううまくいくといいな」
庄司が言葉の意味を理解しきれないうちに、また電話が鳴った。
発信者を確認すると、少し躊躇った後、廊下に出て電話に出た。
三十分後戻ってくると、病室のドアが半開きで、友梨の声が聞こえてきた。
「そうなの。離婚熟慮期間が終わったら......あと十五日で、やっと解放されるわ」
財産分与協議書が脳裏に浮かんだ。
さっきの彼女の言葉の意味を悟り、庄司の心臓が大きく跳ねた。ドアを開け放った。
「離婚熟慮期間?誰が離婚するんだ?」
第5話
友梨は彼が戻ってくるとは思ってもみなかった。
幸い、皐月が来ていたので、動揺を押し殺し、彼女を指さした。
「皐月が離婚するの」
皐月は二人を一瞥し、すぐに空気を読んで頷いた。
「あ......はい、私が離婚を考えていて、手続きを進めているところです」
庄司と友梨は親しくなかったため、彼女の友人とも接点が少なかった。
皐月とは二度ほど顔を合わせただけで、家庭事情も知らなかったため、眉をひそめた。
「離婚するなら、なぜ先に私に相談しなかったんだ?」
皐月は嘘を重ねられず、言葉を濁した。
友梨は慌てて話を引き取った。
「あなた、妹さんの離婚で忙しかったでしょう。邪魔したくなかったの」
美咲の名前を聞いた途端、庄司は動揺し、それ以上追及するのを止めた。
「何か問題があったら、相談に来て」
一時をしのげたものの、友梨の胸は晴れなかった。
庄司の職業柄の勘と洞察力なら、この一連の不自然さに気付くはずだった。
でも美咲のことになると、まるで理性も判断力も失ったように、すべてを忘れてしまう。
恋は盲目とはこういうことか、友梨はやっと分かった気がした。
携帯を慌ただしく操作する庄司の落ち着かない様子を見ながら、彼が立ち去るまでの時間を心の中でカウントダウンしていた。
十から一まで数え終わると、案の定、彼は言い訳を作って立ち上がった。
「友梨、事務所に用事があるんだ。退院はいつ?迎えに来るよ」
嘘だと分かっていたが、もう気にならなかった。
「五日後」
退院日、友梨は朝から晩まで待ったが、庄司は現れなかった。
SNSを開くと美咲が投稿した海辺の水着写真が目に入り、何かを察して彼に電話をかけた。
まだ言葉を発する前に、受話器越しの波の音が全てを物語っていた。
しかし庄司は気付かず、相変わらずの言い訳を並べた。
「友梨、今、出張中なんだ。何かあった?」
やはり退院の約束など忘れていたのだ。
何度も何度も、いつも美咲が大事。
そして彼女は、永遠に彼の第二選択肢。
でも良かった。目が覚めた。もう後ろで馬鹿みたいに待つのは終わり。
友梨は指摘も暴露もせず、いつものように二言三言気遣った。
「いつ行ったの?何日くらい?」
「一昨日来て、明日には戻る」
友梨は相槌を打ち、軽く体を気遣う言葉を添えて、電話を切った。
タクシーを呼んで道端に立ち、カレンダーを開いて離婚までのカウントダウンを確認した。
十日。
あと十日で、やっと解放される。
その時は天高く地の果てまで、一人の自由が待っている。
退院の日に迎えが来なかったことなんて、些細なこと。
今更、気に病む必要もない。
第6話
帰宅後、友梨は引っ越しを早めようとしたが、足の怪我が完治していなかったため、引っ越し業者に依頼した。
大小の段ボールがリビングに積み上げられ、作業員たちが梱包作業に追われ、出入りを繰り返していた。
庄司は帰宅後、混乱した状況を見て事情を尋ねた。
友梨は用意していた説明を告げた。「景苑のマンションが完成したの。事務所にも近いから、そっちに引っ越しましょう」
先日署名した不動産契約書を思い出し、庄司は頷いた。
靴を脱いでソファに座り、間取りを思い出しながら話を続けた。
「花を育てるの好きだったよな?東側のベランダを花壇にしてみたら?」
数秒の沈黙の後、友梨は静かに答えた。「もういいの。その趣味はやめたから」
庄司は机の上の新しいユリの花を見て、嘘を感じた。
さらに言葉を続けようとした時、作業員が運び出す箱に自分の物ばかり入っているのに気付いた。
「なんで俺の物ばかり?お前の荷物は?」
「もう運んだわ」
即答だったため、新居に運び終えたと思い、庄司はそれ以上聞かなかった。
水を飲みに立ちながら、作業員に指示した。「荷物のラベルを貼って、部屋を間違えないように」
友梨は黙って彼を見つめ、言葉を飲み込んだ。
間違えるはずがない......新居にあるのは、あなたの物だけだから。
片付けが終わり、庄司は友梨を支えて階下へ。
エレベーターを出ると、杉山美咲と杉山一輝兄妹と鉢合わせ、全員が固まった。
庄司は動揺し、彼女の手を離して前に出た。「どうしてここに?」
一輝は眉を上げた。「美咲が新居を見たがって。ご両親から住所を聞いて、サプライズしようと」
美咲の視線は友梨に釘付けだった。
確か、この女性とは二度会ったはず。事務所と、バーの外で。
直感的に身分が気になり、笑顔で探りを入れた。「庄司兄、この方は?」
庄司は珍しく口ごもった。紹介の仕方を探っているようだった。
友梨は平然と、むしろ友好的に美咲に手を差し出した。
「友梨です。高橋弁護士の大学の同級生。離婚の相談に来たんですが、引っ越しの最中で悪いタイミングでした」
庄司は我に返り、申し訳なさそうに友梨を見てから、彼女の言葉に乗って紹介を済ませた。
自然な流れに見えたが、美咲は何か引っかかった。
しかし人目もあり、それ以上は聞けず、兄に手伝いを促した。
美咲は友梨の側に寄り、話しかけた。
「友梨さん、どうして離婚するんですか?」
友梨は彼女の馴れ馴れしさに一瞬戸惑い、軽く笑った。
「夫が、他の女を好きになったの」
第7話
同じ境遇と知り、美咲は同情して慰めた。
「私も同じです。でも離婚すれば全て良くなりますよ。庄司さんがきっと助けてくれます」
そう、一番難しい署名は、既に手伝ってもらった。
友梨は頷き、言葉を継いだ。「あなたの件も担当したそうですね。随分尽力してくれたのでは?」
美咲は照れた表情を浮かべ、明るい声で答えた。
「はい。証拠集めから身の安全まで守ってくれて。庄司さんがいなかったら、元夫に殺されていたかも」
甘い表情で辛い過去を振り返る彼女を見て、友梨は思わず不適切な質問をした。
「庄司さんのこと、好きなんですか?」
美咲は凍りついたように固まり、躊躇いながら答えた。
「わからないんです。最初は兄みたいな存在で、小さい頃から遊んでくれたり、プレゼントをくれたり。いじめられた時は喧嘩までして......離婚の時も自ら手を差し伸べてくれて。後から兄に聞いたんですが、庄司さんは随分前から私のことを好きで......」
「あんなクールな人が片思いするなんて、どうして私を好きになったのか不思議です」
友梨は複雑な思いで聞いていた。
美咲の話から、全く違う庄司を知った。
冷淡なのではなく、自分を好きではなかっただけ。受け身なのではなく、自分が彼のやる気を引き出せなかっただけ。
深く傷ついて、気付くのが遅すぎた。何年も無駄にしてしまった。
美咲は友梨の表情に気付かず、心を開いて話し続けた。
「友梨さん、庄司さんってどんな人だと思いますか?」
友梨は空になりつつある部屋を見上げ、正直に答えた。
「十年の付き合いですが、最近まで本当の彼を知らなかった。だから評価は難しいです。ただ、こんなに誰かを好きになった彼を見たのは初めてです」
美咲は考え込むように頷き、心が落ち着いた様子。
日が暮れかけ、友梨を夕食に誘った。
庄司は渋い顔をした。
その表情を見て、友梨は微笑んで断った。「用事があるので、失礼します」
庄司は兄妹の反応を待たず、友梨を車に乗せた。
「先に行ってて。送ってから合流する」
トラックが後に続いて団地を出た。
庄司は信号に合わせて心臓を跳ねさせ、必死に説明を考えていた。
友梨が淡々とした声で先に口を開いた。
「そんなに緊張しなくていいの。結婚前に約束したでしょう?両親以外には内緒にして、二人が良いと思うまで公表しないって。あなたの準備がまだ整ってないから、理解できます」
庄司の焦った心が落ち着いていった。
深く息を吸い、感謝を込めて言った。「理解してくれてありがとう。少しずつ結婚を受け入れられるようになってきた。もう少し時間をくれれば、必ず公表する」
友梨は小さく相槌を打ち、窓の外を見た。
結婚三年で公表できず、まだ時間が必要だという。
でももう待てない。
疲れた......
第8話
道中、友梨は黙り続けた。
庄司は彼女の落ち込んだ様子が気になりながらも、理由を聞き出せず、近頃の出来事を頭の中で整理した。
美咲の件で彼女を疎かにしていたせいだと結論付け、珍しく自ら提案した。
「もうすぐ結婚三周年だ。旅行に行かないか?」
離婚まで数日。友梨は怪我を理由に断った。
庄司は他の祝い方を提案したが、友梨は全て断り続けた。
以前なら約束だけで喜んでいた彼女の冷淡さに、庄司は首を傾げた。
彼の困惑した表情に、友梨は悟られないよう提案した。
「その日は週末だから、母校に行かない?」
なぜ突然の懐古趣味か。
庄司は理解できなかったが、頷いた。
車内が再び静かになった。
友梨はカレンダーを開いた。
9月7日には「離婚」の文字。
9月6日は結婚記念日。そして彼への片思いも十年目。
この特別な日に母校を訪れるのは、まさに始まりと終わりを繋ぐ。
十年の青春に、きちんとピリオドを打とう。
「今度は、すっぽかさない?」と友梨は冗談めかした。
「すっぽかしたことなんてないだろう?」と庄司は笑った。
友梨は黙って数えた。
前回は美咲と海に行くため、退院の迎えを忘れ。
その前は美咲離婚の証拠集めで、誕生日ディナーを忘れ。
さらにその前は彼女を慰めに行き、郊外に置き去り。
......
美咲のことになると、全て約束を破った。
一週間、庄司は戻らなかった。
友梨は毎朝カレンダーをめくり、空っぽの家で最後の片付けを続けた。
9月6日、早起きして化粧し、数年前のワンピースに着替え、カメラを持って記念撮影に出かけた。
庄司が待っていて、ドアを開けてくれた。
もうすぐ解放される安堵か、友梨は学生時代の思い出を楽しく語った。
二人で話が弾み、庄司も写真を撮ると申し出た。
S大の門に着くと、友梨は先に降り、彼を待った。
庄司の携帯が鳴り、美咲からのメッセージ。
「熱が出たの。病院に連れて行ってくれない?」
庄司は躊躇った。
友梨は彼の表情を見た。
「友梨、事務所で急用が。行かなきゃ」
友梨は意外そうに「一時間後じゃダメ?」
彼女には分かっていた。嘘をついているのは、また美咲のためなのだろう。
「重要な案件なんだ。無理そうだ」
庄司が断言するのを聞いて、友梨は追及せず、ただ深く見つめるだけで彼を見送った。
庄司はシートベルトを締め直し、謝罪の意を込めて新たな約束をした。
「タクシーで帰っていてくれ。この案件が落ち着いたら、また来よう。先生方とも食事でもしようか」
友梨はその約束に答えなかった。
庄司......
もう「また」なんてないのに。
彼の車が見えなくなるまで見送り、カメラを手に一人で校門をくぐった。
三十分で青春の思い出と片思いの場所を全て巡り終えた。
写真を撮り終え、どこにも寄らずタクシーで帰宅。
SNSに新着通知が出て、開いてみる。
更新されたのは、病院で撮られた美咲の写真だった。
第9話
その瞬間、彼女は確信した。
残業ではなく、病気の美咲の看病に行ったのだと。
あの夕方の庄司の断言的な口ぶりを思い出し、友梨は苦笑した。
彼女のために三十分も割けないのか。
庄司、これが最後の時間だと知っていたら、約束を破ったことを後悔するのかしら。
答える人はいない。もう答えも気にならなかった。
山本弁護士にメッセージを送った。
「山本先生、今日が熟慮期間最終日ですが、手続きは必要でしょうか」
「不要です。宮本さん、これで全ての手続きは完了です」
「新たな人生の始まり、おめでとうございます」
そう、新たな人生。
今日から、庄司を愛さない日から、庄司のいない日から、
友梨の人生は、もっと輝くはず。
気持ちが晴れ、家に戻った。
残り三時間、自分の残り物を全て処分し、一人でソファに座り夕陽を眺めた。
残り二時間、写真を編集してビデオにした。
残り一時間、ビデオを確認し、もう一度カメラを向け、録画を始めた。
庄司への別れの手紙を録る。
最後に、SDカードをカメラに戻し、離婚協議書と共にベッドサイドに置いた。
庄司。
これで私たち、離婚ね。
おめでとう、
そして私にも。
全てを終え、最後の荷物を持って、この家を、この街を去った。
行き先を知る人はいない。
未練も後悔もなく、振り返らなかった。
一方。
美咲の病状が落ち着いてから、庄司は彼女の家を出た。
車を走らせながら友梨に電話をかけ、約束を果たそうとした。
十回以上かけても「電源が入っていません」の音声ばかり、メッセージも返信なし。
結婚して三年、初めて連絡が取れなかった。
前回の事故を思い出し、不安になって家に戻った。
新居は整然としていたが、違和感があった。
友梨の物が一つもない。
心臓が跳ね、旧居に急いだ。
空っぽの家を探し回り、寝室でカメラと書類を見つけた。
笑顔で撮影していた彼女を思い出し、電源を入れた。
明るい音楽と共にS大の風景が流れ、文字が現れる。
「庄司、広場にはスケボーの学生がいるわ。初めての告白の場所。断られて一日中泣いたっけ」
「図書館は相変わらず人気ね。静かにしなきゃ、だから遠くから撮ったの。あなたの好きな場所よ」
「バスケのコート。私、四年間ここであなたを見てたの」
......
六年前の青春時代が蘇った。
あの頃の友梨を思い出し、つい微笑んだ。
BGMが終わっても、映像は続いた。
サプライズを期待して周りを見たが、友梨はいない。
疑問を抱えたまま再生すると、疲れた表情の友梨が映し出された。
「庄司、出会って十年。片思いも十年よ。信じられない?私も信じられない。人生に十年なんて、何回あるのかしら」
「七年の片思い、三年の夫婦。ずっとあなたの心に入ろうとして、たくさん努力した。でも思い通りにはいかない。好きじゃないものは、三年でも七年でも十年経っても、変わらない」
「だから今日、決めたの。この想いを手放して、美咲への思いを応援することに。これを見ているあなたに、伝えたいこと......いえ、通知があります」
「庄司、私たち、離婚しました」