Đang tải thông tin quảng bá...
心臓をささげてから、新しい人生へ
「宿主、本当西園寺月美(さいえんじ つきみ)に心臓を提供するつもりですか? 宿主は攻略者だから、任務が終わるまでは本当に死ぬことはあり...
Chương (1)
第1章
「宿主、本当西園寺月美(さいえんじ つきみ)に心臓を提供するつもりですか?
宿主は攻略者だから、任務が終わるまでは本当に死ぬことはありません。でも、今の体から心臓を失えば、それは死刑宣告と同じですよ。
私はその後、新しい体を探してあげますけど、その間で宿主は苦しい臨死体験を味わうことになります」
西園寺節美(さいえんじ せつみ)は無表情のまま、冷静に答えた。
「わかってる」
深尾廷悟(ふかお ていご)が常にその話題を避けていた。
でも、彼女にはわかっていた。月美を救うには、自分が死ななければならないことを。
第1話
「宿主、本当西園寺月美(さいえんじ つきみ)に心臓を提供するつもりですか?
宿主は攻略者だから、任務が終わるまでは本当に死ぬことはありません。でも、今の体から心臓を失えば、それは死刑宣告と同じですよ。
私はその後、新しい体を探してあげますけど、その間で宿主は苦しい臨死体験を味わうことになります」
西園寺節美(さいえんじ せつみ)は無表情のまま、冷静に答えた。
「わかってる」
深尾廷悟(ふかお ていご)が常にその話題を避けていた。
でも、彼女にはわかっていた。月美を救うには、自分が死ななければならないことを。
どうせ廷悟にとって、自分は死んでも生き返られる存在だった。
ただ名前と身分を変えて、また彼の前に現れるだけ。
廷悟の攻略が終わるまでは、そのそばから離れることはできない。ずっと、彼に取り入って、言うことを聞き続けるしかない。
前は、月美のために譲歩を強いられた。
今度は、命を差し出せと言われた。
冷たい廊下の片隅で、節美は思った。
なら、望みどおりにしてやると。
少ししたら、部屋のドアが開いた。
廷悟はいつも通りの冷たい目つきで、威圧感のある声で聞いた。
「どこが悪かったか、もうわかったか?」
十二月の廊下は骨の髄まで冷える寒さだった。
節美は三時間も外に締め出され、手足は凍えきって動かず、唇も青ざめていた。
自分は何が悪かったのか、彼女にはわからなかった。
まさか、月美に心臓を提供することを拒んだこと?
廷悟の後ろには、小さな男の子がまっすぐ立っていた。父親にそっくりの、冷たい目をしていた。
「ママが月美おばさんに心臓をあげないから、もうおばさんと遊べないんだよ。
どうせママは死なないんでしょ?だったら、心臓くらいあげてもいいじゃん。
あげないなら、ママなんて要らない」
その冷たい声を聞いた瞬間、覚悟していたはずなのに、節美の胸はきゅっと締めつけられた。
深尾貴志(ふかお たかし)は七歳で、父親譲りの高いIQを持ち、好みまで同じだった。
同じく、自分の双子の妹、月美が好きだった。
そう思った瞬間、胸の奥にどうしようもない痛みが広がった。
廷悟には忘れられない「初恋」がいる。
十年前、システムの任務で彼に近づくことになったときから、その存在を知っていた。
どんなに努力しても、彼の心を動かすことはできなかった。
何度も失敗し、三度目にしてシステムが彼女を月美の双子の姉に設定した。
月美に似た顔で廷悟に嫁ぐことができ、八年間、そのそばにいた。
孤独な彼を支え、成功を遂げた彼を祝ってきた。
そしてついに、廷悟の好感度は99%にまで達した。
節美はようやく、愛されたのだと思った。
......けれど、月美が帰国し、心臓移植が必要になった。
そのとき、廷悟は言った。君の心臓が必要だと。
節美が拒否するたび、好感度は1%ずつ下がっていった。
そして最後に、彼はこう言った。
「拒否しても無駄だよ。任務が終わらない限り、君は俺のそばから離れられない。君がシステムから与えられた役割も、全部知ってる。だから俺には逆らえないよ。
大人しく捧げれば、俺も君をかわいそうだと思うし、好感度もまた上がるかも。どう見ても、心臓を捧げるのは損はないぞ」と。
損はない。
節美は笑った。涙を流しながら。
確かに、廷悟は賢い。IQ153の天才で、若くして心臓外科の第一の執刀医に上り詰めた男だ。
だからこそ、感情までも数値化している。
わずかな希望をちらつかせ、何度も彼女を屈服させてきた。
そのときから、もうわかっていた。
廷悟は彼女を「嫌っている」のではなく、「情がない」だけなのだと。
彼は、何をしても温度のない鉄の塊だった。
だから、もうこれ以上、時間を無駄にしたくないのだ。
「わかったわ、提供する」
節美は涙を浮かべながら、そう言った。
そして心の中で、システムに語りかけた。
「死んだら、次の攻略対象は、別の人にして」
心臓を渡せば、この身体は死ぬ。
それでいい。
もう、廷悟も、貴志も、いらない。
廷悟の顔に、珍しく驚きの色が浮かんだ。
節美はいつも強情で、簡単には折れることはなかった。だから今回も、長期戦になると思っていた。
それなのに、彼女はあっけなく頷いたとは。
「本当にいいんだな?」
節美は頷いた。
美しくはないけれど、どこか吹っ切れたような笑みを浮かべて言った。
「みんなが望んでるなら、心臓くらい、提供するわ」
廷悟は一瞬、言葉を失った。
彼女の様子がおかしいことに気づき、眉をひそめたが、深くは考えなかった。
「中に入って、休め」
部屋に入ると、貴志が何かを節美の足元に投げつけた。そして見下ろすような目で、言い放った。
「悪いママ、これ直してよ」
第2話
テーブルの上には、手作りのレースのヘアバンドが1つ置いてあった。
デザインからして、ヨーロッパ製のものらしく、きっと月美の娘のものだろう。
節美は思わず皮肉めいた笑みを浮かべた。
この親子、本当に情が深いね。娘にまで「愛屋及烏」ってやつか。
貴志はそんな彼女の表情が気に食わなかったのか、眉をひそめて不機嫌そうに怒鳴った。
「明日までに直ってないと困るんだよ!今すぐちゃんと直せ!」
節美は視線をそらして、冷たく言った。
「できないわ」
手作りのレースは元々繊細な上に、このヘアバンドはどこかで引っかけたのか、大きな穴が空いていた。
修理するにも、簡単にはいかない。
それに、彼女はついさっきまで外で三時間も立ちっぱなしで凍えていた。
手も足も冷えきって、まともに動けなかった。
それなのに、貴志は急に怒鳴った。
「なんでそんなに使えないの!?やろうと思えばできるくせに、やる気ないだけだろ!晴美ちゃんに明日渡すって約束したんだよ!今日中に絶対にやれ!」
節美は温かい湯の入ったカップで手を温めながら、冷たい声で返した。
「貴志。私はあなたの母親であって、家政婦じゃないの!」
彼女が貴志に強く出ることは、めったになかった。
貴志は父親譲りの高いIQを持ち、勉強に関しては彼女の出番などなかった。
そのため、節美は日々の暮らしを支える役割を一手に担ってきた。
食事、服、体調管理まで、すべて気を配ってきた。
なのに貴志は、いつも母のアラ探しをしては文句ばかり。
母親の献身に慣れきって、当然のように要求し、少しでも思い通りにならないと不満をぶつけていた。
絵本を読む声のトーンにすらクレームをつけた。
賢い子どもを育てるのは簡単じゃないと分かっていたから、ずっと我慢してきた。
でも......もう限界だった。
貴志は母の変化に驚いて、思わず廷悟の方を見た。
廷悟はキッチンから出てきて、貴志に言った。
「今夜はお母さんに休んでもらおう。作るのは明日でいい」
その瞬間、廷悟はまた「理想の夫」のふりをした。
エプロンをつけ、優しい目で湯たんぽを差し出してから、彼女の頭を撫でた。
「子どもだから、そんなに怒らなくてもいいよ」
節美はわずかに頭を傾けて、その手を避けた。
そして落ち着いた声で言った。
「怒ってなんかないわ」
ただ、貴志に......これからはもう家政婦のようには動かないと伝えただけ。
廷悟の手は空中で止まり、そのままゆっくり引っ込められた。
沈黙のなかに、気まずさと、言いようのない虚しさが漂っている。
廷悟は眉をひそめた。
彼の予想では、節美は泣きわめき、責め立て、怒りをぶつけて、最後にはまた折れてくるはずだった。
でも、彼女はそのどれもしなかった。
すべてを飛ばして、ただ静かに......まるで何もかもに興味がないかのように、受け入れた。
「とにかく、まずはご飯を食べよう」
話題を切り替えるように、廷悟はキッチンから魚のスープを運んできた。
一杯目を節美に差し出した。
「温かいうちに飲んで。魚のスープ、好きだよね?」
乳白色のスープに、ふわふわの白身、出汁の香りが立ちのぼってきた。
これは、廷悟の得意料理だった。
......ただ。
節美の胸に広がったのは、苦味だった。
「魚のスープが好きなのは、月美よ」
廷悟の手が一瞬止まったが、すぐに何事もなかったように言った。
「姉妹だろ?好みが似ててもおかしくない」
節美は、自嘲するように笑った。
自分と月美の好みは、全然違っている。
でも、廷悟の記憶には月美しかいないんだ。
普段は実験データしか覚えられない男が、なぜかそれ以外彼女のことだけは忘れないだろう。
節美は目を伏せ、淡々と言った。
「私は魚のスープが大嫌い。魚の生臭さが鼻につくし、気持ち悪くなる。私にとってまるで生ごみのようだ」
廷悟はスープをよそう手を止めることなく、ただ冷静に言った。
「魚は心臓にいいから」
節美は、スプーンを握っている手に力を込めた......彼が気にしているのは、それだけなんだ。
もう何も言わず、彼女はそのスープを黙って飲み干し、部屋へ戻った。
結婚して八年間、二人はずっと別々の部屋で寝ていた。
廷悟が「自分は眠りが浅い」と言ったから、彼女は気を遣って客間に移ったのが始まりで、それから八年間も続いた。
本当は......ただ一緒にいたくなかっただけだろう。
でも、今となっては、節美にとってもうどうでもよかった。
......翌朝。
起きたばかりで、頭がぼんやりしている時、外から、ドンドンとドアを叩く音が響いた。
「ママ!悪いママ!なんでまだ起きてないの!ごはん作ってよ!」
重い体で、なんとか起き上がると、もう八時を過ぎていた。
貴志は七時半に学校へ行くはずだった。
それでいつもなら彼女は六時前に起きて、朝食や持ち物を準備していた。
ドアを開けた瞬間、貴志の足が彼女のすねに思い切り蹴った。
七歳だけだが、蹴りにも十分な力があった。
節美は顔をしかめて数歩後ずさり、ドア枠にしがみついてなんとか倒れそうな体を支えられた。
「お父さんは?」
リビングは空っぽで、部屋にも誰もいない。
貴志は当然のように言った。
「パパは仕事で忙しいんだよ。ママは家にいるくせに、何もしてくれないし、ごはんもサボってるなんて」
確かに、廷悟は忙しい。
江川市一の心臓外科医である彼は、睡眠時間も惜しんで働いていて、家族なんて完全に放ったらかしだ。
貴志が小さい頃、熱を出して病院に行ったときも、節美一人で子どもを抱えて、受付や検査を走り回っていた。貴志がようやく元気になった頃には、自分が倒れていた。
その話を聞いた廷悟は、こう言っただけだった。
「次からはベビーシッターを呼べばいいだろ」
その「ベビーシッター」という言葉は、あまりにも軽く、そして冷たかった。
廷悟は子育てをしてこなかった。だから、子どもが病気のとき、母親がどれだけ不安になるかなんて分からないのだ。
シッターは手伝いにはなるけど、子どものそばで寄り添うことを完全にやらせるわけにはいかない。
でも、それは彼には理解できなかった。
......そして今、貴志も同じだった。
「月美おばさんが言ってたよ。ママはただの怠け者で、全然いいママじゃないって」
子どもの言葉は、いつも人の心を刺すものだった。
節美は、十ヶ月もお腹の中で育てて産んだ自分の子を見つめた。
かつては自分の首に抱きついて「大きくなったらママを守るよ!」と笑ってくれた子が、今は、こんなふうになってしまった。
節美は乾いた笑みを浮かべた。
「貴志......ママが具合悪いの、見てわからないの?」
貴志はようやく、彼女の顔色に気づいた。
眉をひそめたが、その目に浮かぶのは廷悟と同じような冷たさだった。
心配ではなく、苛立ちだけが滲んでいる。
「バカだな。なんでこんなときに体調崩すの?健康管理もできないなんて、ママ失格だよ」
そう言い放って、貴志はランドセルを背負って出て行った。
節美はドアの前に立ったまま、目が回るような感覚に襲われ、ドア枠にもたれてしゃがみ込んだ。
バタンと、音を立てて玄関のドアが閉められた。
胸を押さえた節美は、広がる苦しみに静かに耐えた。
安心して、貴志.....もうすぐ、私はあなたのママじゃなくなるんだから。
第3話
風邪薬を二錠飲み、節美はマスクをつけて出かけた。
十二月の冬は、まさに骨まで凍るような寒さだった。
タクシーで会社のビルに到着すると、すでにチームのメンバーたちが待っていた。
「社長、ようやくいらっしゃいましたね。今期のメインデザインは、まだ決まってなくて、決裁をお願いしたいんです」
節美は助手から差し出されたデザイン案を受け取った。
彼女は美術系の出身で、卒業後はアパレル業界でデザイナーとして働き、数年後には自分のブランドを立ち上げた。
まだ大企業になっていないが、彼女にとっては全てを注いできた結晶であり、デザインの原稿には特にこだわっている。
しかし、今回提出された案の中には、目を疑うようなものも混じっていた。
節美は眉をひそめた。
「うちの会社、こんなレベルのインターン生を採ったの?」
助手は困った顔をして、口ごもりながら言った。
「それは......社長の妹さん、月美さんの作品です」
なるほど、と節美は納得した。
三ヶ月前、月美は娘を連れて離婚し、帰国してきた。
適職が見つからず、両親に妹のために会社にポジションを用意してくれと頼まれた。
しかもその役職は部長だった。
月美のレベルでは、部長どころか、素人同然だった。もちろん節美は断ったが、家族全員による説得と脅しに負け、会社でも騒動を起こされた。
最終的に、仕方なくデザイナーとして採用してあげたが......出来上がったものはこれか。
ダメな案を全て取り除き、節美は助手に指示を出した。
「今後、彼女が出した案は形式だけ整えて、もう私に見せないで」
見るだけで目が腐りそうだった。
そう言って、バッグから自分で修正したデザイン案を取り出した。
「これを持って、他のデザイナーと相談して。メイン商品になれるかどうか確認して」
助手はその案を見て、目を輝かせた。
「社長、本当に謙虚ですね。これは間違いなくいけますよ。皆さんも、社長のセンスが分かってますから」
お世辞だと思っている節美は頷くだけで、次の仕事に取りかかった。
自分が死んだ後、システムによって別の身体に転生される予定だった。
そうなれば、この会社も続けられなくなるだろう。
しかし、何年もかけて築き上げたものだからこそ、信頼できる親友に託すつもりだった。
でもその前に、春の新作だけはしっかり仕上げて、最後の仕事を終えたかった。
午後二時、腹が鳴り始めて、ようやく何も食べていなかったことに気づいた。
昼食を取ろうとしたその時、オフィスのドアが乱暴に開かれた。
へとへとに疲れ切った様子で、月美の父が現れた。
その鋭い目で彼女を見つめながら言った。
「やっぱりここにいたか」
そう言うなり、数歩で近づいて、短く言いつけた。
「病院に来い」
節美は動かなかった。
目の前の男は、彼女の実の父だったが、同時に彼女を西園寺家から追い出した張本人でもあった。
自分も月美も、どちらも西園寺家の娘だが、両親の眼中にあるのは、月美だけだった。
彼らにとって、月美は素直で賢い娘で、節美は陰湿でずる賢い悪い人だった。
だから、月美に濡れ衣を着せられたとき、どれだけ否定しても誰も信じてくれなかった。
月美が仕組んだ罠で評判がドン底に堕ち、会社にも被害が出ても、家族は月美を疑うことはなく、すべての責任を節美に押し付けた。
当時、父が西園寺家の当主とした記者会見で言い放った。
「我が西園寺家の娘は、西園寺月美一人だけです。西園寺節美は勘当しました。今後、西園寺家とは一切関係ありません」
世間は彼女を、家に見捨てられた哀れな女だと笑い者にした。
そして今、またその人は目の前に現れた。
「月美の病状が悪化したんだ。お前が献血しろ」
オフィスは、死んだように静まり返った。
七年ぶりに現れて、どうしてそんなに当然のようにこんなことを言えるのだろう。
「あいつが生きようが死のうが、私には関係ないわ」
父の顔が怒りで歪んだ。
「月美はお前の妹だぞ!」
節美は冷たく笑った。
「父さん、忘れたの?七年前に、私を家から追い出したのは誰だったかを。私には、もう家族なんていない。妹もいないのよ」
父の顔が固まった。
かつて自分で吐き出した言葉が、今になって自分の首を絞めた。
誇り高い男はついに頭を下げ、懇願した。
「先生が言ってたんだ。月美の心機能が非常に低下していて、貧血にもなってると。輸血でしか命をつなげないんだ。心臓のドナーもまだ見つかってないし。だから......頼む」
節美はその姿を見て、胸に鈍い痛みを覚えた。
父がそんなふうに頭を下げる姿を、彼女は今まで一度も見たことがなかった。
月美は、彼のすべてだった。
彼だけじゃない。廷悟も、貴志も、皆が月美を特別扱いしている。
そのことを思い出すと、節美の目に涙が滲んだ。
「いいわ。行ってあげる。でも、条件がある。私を西園寺家に戻しなさい。そして、月美が持っている西園寺家の株を、すべて私に譲って」
父の目が冷たくなった。
「節美、調子に乗るなよ」
「それが条件よ。嫌ならどうぞお帰りを」
しばらくして、父は折れた。
節美は車に無理やり押し込まれ、空腹と寒さで体がふらつき、シートに頭をぶつけた。
父はそれを無視して、猛スピードで病院に向かった。そして彼女を採血室の前まで引きずっていった。
看護師が節美の顔色を見て、優しく聞いた。
「もしかして低血糖ですか?少し休みますか?何か食べほうがいいですよ」
父は苛立って急かした。
「早くしろ!」
この私立病院は、父が出資したものだから、彼の言葉は絶対的な命令だった。
看護師は怯えて、すぐに採血の準備を始めた。
針が刺さった瞬間、節美は強いめまいを感じた。
高熱と空腹が重なって、採血の中途で、呼吸が苦しくなって、首も横に倒れていった。
看護師が慌てて泣き叫んだ。
「もう無理です!これ以上採ったら危険です!」
父の顔も険しくなった。
本当に死なれたら困るからだ。
節美が死んだら、月美が使える血がなくなる。
「......もういい、その分で使え」
節美は休憩室へ運ばれた。
意識はほとんどなかった故、どれくらい時間が経ったのかも分からなかった。
すると、突然ある女が駆け込んできて、彼女の顔に平手打ちをくらわせた。
「全部あんたのせいよ!なに弱いフリしてるのよ、その程度の血じゃ足りないじゃないの!」
節美はその痛みで目を覚ましたら、泣き腫らした顔をしている母だった。
母は節美の服を掴み、拳で叩きながら叫んでいだ。
「なんで私、あんたたち二人を産んだのよ......月美だけだったらよかったのに!
あんたなんか産むんじゃなかった!お腹の中でも月美の栄養を奪って、心臓病にしたのもあんたでしょ!
今になっても血も出し渋って、演技なんかして、そんなに妹を殺したいの!?」
その言葉は、心を刺す針のように鋭かった。
普段は涙を見せない節美の目からも、冷たい雫が落ちた。
そのような言葉は、昔から何度も聞いてきた。
双子として生まれたことも。
妹の心臓が弱いことも。
すべての罪を節美に背負わされた。
家族に愛されず、夫にも子にも嫌われて、彼女の人生は、初めから「罪」とともにあった。
第4話
節美は母の手を振りほどこうとしたが、力が及ばず、結局、廷悟に抱き上げられたことで、ようやく父が母を止めた。
父は廷悟を見て、驚きの表情を浮かべた。
「廷悟、どうしてここに?」
廷悟は淡々と答えた。「月美は具合が悪いと聞いて、様子を見に来たんだ。心配しなくていい。心臓のドナーはもう見つけたから、月美はすぐに回復するよ」
泣いていた母は、突然黙り込んだ。
「本当に?どこでドナーを見つけたの?月美は本当に助かるの?」
廷悟は再び頷き、確信を持ちながら言った。
「俺にはいくつかのリソースがある。手術は俺が担当するから、月美は無事に回復するに違いない」
廷悟が「俺が手術を担当する」と言った瞬間、節美の体がわずかに震えた。
その後、また苦笑した。
母が去ったら、廷悟は節美を抱きかかえて、病室へ運んだ。
そして、毛布と温かい水を準備した。
病床に横たわる節美を見ながら、廷悟は体温計で熱を測り、41度を見て眉をひそめた。
「そんなに熱があるのに、どうして俺に連絡しなかったんだ?」
節美は縮こまっていて、皮肉を込めた口調で言った。
「深尾先生のような賢い名医は、気温が5度しかない廊下で、3時間も過ごしたら風邪を引くなんて考えもしなかったんじゃない?」
廷悟は彼女に心配していなかっただけだ。
心配しているのは、彼女の体の中にある心臓だけだった。
廷悟は一瞬手を止めた。少し罪悪感を覚えたのか、低い声で言った。
「ごめん」
節美はその言葉を幻聴だと思いながら、何も言わなかった。
廷悟はベッドの脇に座り、節美の熱い手を握りながら、小声で言った。
「ごめん。約束するよ。これからは一緒に幸せに過ごそうって。君が望む条件なら何でも叶えて、しっかり愛してあげるって」
節美は彼を見ず、無言で手を引いた。
一晩中点滴を受けた後、翌日にはやっと少し回復した。
廷悟は自分の病院には戻らず、ずっとこの病室にいて、薬も持ってきた。
薬は苦いから、節美は顔をしかめた。そこで、廷悟はオレンジジュースを差し出した。
「私の風邪はいつ治るの?」
廷悟は答えた。
「普通の風邪なら7日で治るけど、節美はかなり高熱だから、10日くらいかかるかも」
「じゃあ、月美に心臓を提供するのは遅くなるの?」
節美は平然と言った。まるでそれが些細なことのように。
廷悟は複雑な目で彼女を見つめて、突然、彼女のことが少しわからなくなった気がした。
すぐに答えは返ってこなかった。
節美は言い続けた。
「風邪が治ったとしても、心臓を取った後、私は生きられないわ。風邪なんて大事なの?」
その言葉は残酷だったが、節美は驚くほど冷静に言った。まるで冷徹な刃のようだった。
なぜか、廷悟は胸が痛んで、強気に言った。
「必ず健康な状態で手術を受けさせるよ」
健康な状態で手術を受けて、終わったらすぐに墓に運ばれるの?
節美は、彼の執着に何の意味があるのかわからなかった。
病室の外で、父が株式譲渡契約書を持って入ってきた。
封筒に入った書類が重々しく節美の顔に投げつけられ、父は冷たい声で言った。「お前が望んでた通り、月美の持ってた株は全部お前のものだ」
その中には、半分が自分のもので、半分が月美のものだった。
合わせて20%になり、取締役会でも高いほうだ。
節美は満足げに署名をして、全員が去った後、弁護士に電話をかけた。
「遺産の委託をしたいです」
弁護士は彼女の親友である暁玲子(あかつき れいこ)と一緒に来た。
顔色が真っ青で、骨と皮ばかりになってベッドに横たわっている節美を見て、玲子は涙をこぼした。
「クソ野郎どもが。あのクソ野郎どもがどうして節美にこんなことができるの!?私が仕返ししてやる、絶対に許さないわ!」
節美は彼女を止めた。
廷悟を攻略している間、良い人にはあまり出会わなかったが、この人生で出会った唯一の良い友達は玲子だった。
彼女はいつも節美の味方で、節美に何があっても、いつも一番先に助けてくれた。
もし玲子がいなければ、節美は今日まで生きていられなかっただろう。
玲子は廷悟以外に、節美がシステムを持っていることを知っている二人目だった。
今、節美は廷悟から離れて、新たなターゲットを攻略することを玲子に打ち明けた。
「つまり、ついに深尾のクズ男から解放されるのね?」
節美はうなずいた。
それを見た玲子は立ち上がり、喜んで言った。
「それは良かった。システムがやっと役に立ったわね。深尾なんか早く捨てて、痛みを感じさせるべきだったわ!」
節美はその言葉を聞いて、思わず笑い出し、弁護士を見た。
「私が持っている西園寺家のすべての株、会社、そして現金は、親友の暁玲子に譲りたいです。残りの現金は、貧しい子供たちに寄付して欲しいです」
弁護士は驚かなかったが、手続き通りに尋ねた。
「では、ご家族には?」
「一銭も残しません」
玲子はそれを聞いて、涙をこぼしながら言った。
「私は一時的に預かっとくけど、新しい身分で戻ってきたら、必ず全部返すから、必ず戻ってきてね」
節美は頷き、彼女の涙を拭いた。
その時、廷悟が部屋に入ってきた。
「戻ってきてってなんだ?」
彼の目には警戒心を含まれていた。
節美はどこまで聞かれたか分からないが、慌てて説明した。「玲子に言ったんだけど、病気が治ったら、ちょっと海外に行って休むつもりだって。玲子は寂しそうで、戻る時にお土産がほしいって頼まれたの」
廷悟はあまり表情を変えなかったが、少し疑わしげに見つめてから、いつも通りの顔に戻った。
「後で検査を受けることを忘れるなよ」
節美は安堵のため息をついた。
そして、廷悟に検査に連れて行かれた。
この検査は心臓が提供可能かどうかを確かめるものだと、節美は分かっていた。
検査室を出ると、月美にバッタリ会った。
彼女は車椅子に座っていて、薄い病衣の下から細くて華奢な体が見えた。長い髪が垂れ、病的な美しさが漂っていた。
ただ座っているだけで、人々の心に痛みを感じさせていた。
「姉さん、お義兄さんから聞いたんだけど、私に心臓のドナーが見つかったんだって」
月美が突然口を開いた。
「姉さんもきっと喜んでくれるよね?」
節美はその黒い瞳をじっと見つめた。あまりにも明るくて、純粋そうで......
でも、その奥に隠された深い悪意を感じ取った。
本当に何も知らないのだろうか?
「嬉しいよ」
節美は笑顔を浮かべ、少し本心を込めて答えた。
「すごく嬉しいよ」
予想外の反応を見て、月美の顔に少し不満が浮かんだ。わざと無関心そうに髪をかき上げながらこう言った。
「それはよかった。前から私に対して偏見があるみたいだから、姉さんは手術を受けさせたくないのかなって思ってたのよ」と。
その手の薬指には、はっきりと目立つ結婚指輪が光っていた。
廷悟がつけているのとお揃いのものだった。
節美はその指輪を見逃すことなく、じっと見つめていた。その視線に気づいた月美は、慌てて指輪を外した。
「ごめんなさい、これはお義兄さんが帰国の時にくれたお土産で、特に意味はないの。
元々は中指にはめてたんだけど、病気で手が腫れちゃって、薬指にはめるしかないの。
姉さん、怒らないでね」
第5話
言いながら、何と月美が泣き出したのだ。
廷悟が診察室から出ると、すぐにその光景が目に入った。
彼は急いで駆け寄って、月美を背後でかばいながら節美に向かって怒鳴った。
「月美に何をしたんだ?月美は患者だろう!どうしてそんなことをするんだ!」
節美は廷悟の感情の変化を見て、冷笑を浮かべた。
冷静で知的な人間でも、時には感情が制御できなくなるものだね。
ただ月美が泣いているのを見ただけで、状況も確かめず、考えもせずに自分を加害者だと思い込んでいた。
これが自分の夫で、かつて心から愛していた人だった。
節美は胸が締め付けられるように感じ、息が詰まった。
それに対して、月美は泣きながらこう言った。
「お義兄さん、怒らないで。姉さんは何もしてないよ。私のつけてる指輪にちょっと口を出しただけだから、絶対に姉さんを責めないでね」と。
廷悟の顔色はますます暗くなった。
「移植の日程はもう決まった。裏でいくら小細工しても無駄だ。月美の手術に邪魔させないからな」
彼は節美が心臓を提供したくないから、わざと月美を挑発していると思い込んでいた。
しかし、節美は何も説明しなかった。
どうせ説明しても、廷悟は耳を傾けないだろう。
ただ黙って病室に戻り、ドアを静かに閉めた。
今、彼女の唯一の仲間は、自分のデザイン原稿だけだった。
絵を描くことが好きだから、デザインも好きだった。これまでの夢は、自分のデザインした服が一度でもファッションショーに登場することだった。
幸運にも、来年のショーから招待を受けていた。しかし、不幸にも、彼女はおそらく来年には生きていけないだろう。
だから、手術の前に原稿を完成させ、少なくとも心残りをなくしたいと思っていた。
原稿を描きながら、薬の影響で少し眠くなり、彼女はベッドの脇に絵本を置いたまま深い眠りに落ちた。
再び目を覚ますと、耳元でカサカサと音がして、小さな女の子が鉛筆で原稿に落書きをしているのを見た。
元々出来かけたデザイン原稿は、今や完全に台無しになっていた。
節美はすぐに起き上がり、女の子の手をつかんで怒鳴った。
「何してるの!」
女の子はびっくりして顔を上げ、その顔は月美に七割ほど似ていた。
月美の娘、晴美だった。
「悪い女!ママを泣かせた!ママの代わりにお仕置きするの!」
晴美は泣きながら叫び、鋭い声がガラスを引っ搔くように響いた。
節美は原稿が無駄になったことに腹が立って、子どもだろうと構わず言った。
「私の原稿に触っていいとは言ってないわ!親に教えられなかったの、他人のものに触っちゃダメだって!」
晴美はますます大声で泣き叫んだ。
「助けて!悪い女に殴られる!」
「助けて!深尾おじちゃん、助けて!おじいちゃん、助けて!」
しばらくして、父と廷悟が一緒に飛び込んできて、節美を押しのけた。
二人の力が強く、節美は「ドン」とベッドの端にぶつかり、頭が激しく痛んだ。
貴志は泣き顔で手首が引っ張られて赤くなった晴美を見て、節美にパンチを二発浴びらせた。
「悪いママ、どうして晴美ちゃんを傷つけたんだ!」
晴美は泣きながら言った。
「晴美はおばちゃんが寝ているのを見て、布団をかけようと思っただけなのに。どこでおばちゃんを怒らせたのかわからないけど、おばちゃんは晴美を殴るところだったの。
晴美は怖かった。死ぬかと思った」
この言葉を聞いて、父は怒りが爆発した。
「節美、お前には分別がないのか!子どもに手を出すなんて!」
節美は黙っていた。
彼女は頭を下げ、髪の分け目に触ったら、そこには湿った血がついていた。
父は全く気づかず、怒りにまかせてその髪をつかんだ。
「子どもに手を出すことなど教えた覚えはないぞ!」
節美は痛みで顔が青ざめた。
彼女は仰向けにされながら、こう言った。
「父さん、もし私がやってないと言ったら、信じてくれる?
あなたたち、信じてくれるの?」と。
第6話
廷悟の声は冷たかった。
「節美、いつまで嘘をつき続けるつもりだ?みんな見てるんだぞ」
この言葉は、言い訳をせず、今すぐ素直に謝るべきだと示唆しているようだった。
節美は低い笑い声を上げた。
そして、泣きながら自分をちらちら見ている子どもを見ていた。
「いいわ、殴ったことにするわ」
どうせ誰も信じないのだから。
父は怒りに駆られ、手を振り上げた。
しかし、すぐに廷悟に止められた。
節美は、彼が心配しているのは心臓に影響が出ることだと分かっていた。
手術の日程が決まった後、自分は一切の問題も避けなければならなかったから。
廷悟は暴れる父を部屋から押し出して、部屋には彼と貴志、そして節美だけが残った。
廷悟は冷たい顔で言った。
「たかが数枚の紙なのに、そんなに無分別になることか」
節美は体を震わせた。
たかが数枚の紙?
それは彼女の作品であり、彼女の努力の結晶そのものだった。
廷悟の口からその言葉が出るとは信じられなかった。
節美は突然笑いながら涙を流し出した。
自分がこの人たちの中でどれだけ無意味な存在だったのかが、今やはっきりとわかった。
彼女は胸を押さえて、これ以上にないほどの痛みを感じた。
心がチクチクと痛かった。
それを見た廷悟は顔色を変え、急いで彼女を支えた。
「どうしたんだ?落ち着いて、深呼吸しろ。大したことじゃないだろ。そんなに慌てるな」
「深呼吸だって?もういい加減にしなさい!」
節美は耐えられず、彼を激しく押しのけて叫んだ。
「出て行け!」
彼女は手元にあったものを全て投げた。
「出て行け!」
廷悟もこれ以上彼女を刺激することなく、部屋を出て行った。
ただし、顔色は非常に悪かった。
その夜、彼女が少し落ち着いたところで、廷悟は知らせてきた。
「手術の日程は10日後に決まった」
節美は何の反応もしなかった。
そして廷悟は言い続けた。
「本当は節美が回復するのを待ちたかったが、全然協力してくれないから、これ以上は不安定になっていくだけだ。10日後が一番いいと思う」
節美はただ静かにうなずいて、まるですべてを受け入れたかのように見えた。
廷悟は顔色を少し和らげた。しばらく沈黙した後にこう言った。
「手術は俺が担当する。痛みを感じさせないように麻酔をかけるから」と。
節美は彼の言葉に珍しく思いやりを感じた。
彼女は顔を上げて、虚弱で青白い顔をして、つぶやいた。
「で?あなたに感謝すべきなの?」
廷悟は何も言えなかった。
節美は今、すでに非常に痩せており、頬はこけて、唇は青白かった。
ベッドに横たわっている彼女だったが、その灰色の瞳から最後の少しの悔しさが見えた。
「廷悟、もし手術後本当に死んだら、どうする?」
廷悟は一瞬動揺した。
その場に固まって、初めて恐怖を感じた。
しかし、すぐに冷静さを取り戻し、理性的に言った。
「すでに証明されてることだ。任務が完了するまでは君は死なないと。だからそんなことを言っても騙せないぞ」
節美の瞳の中の悔しさは消え、ゆっくりと暗くなっていった。
これが彼女の最後の努力だった。
廷悟、この世に自分の真心を踏みにじられても、まだ一途にそれを捧げるような馬鹿な奴はいないわ。
少なくとも、自分はそんな馬鹿じゃない。
これから、節美という人は、あなたの人生から完全に消えていくのだろう。
病室の中は静寂に包まれていた。
廷悟は、彼女の目尻に浮かぶ涙をじっと見つめて、その痛みが胸の奥にじわじわと広がっていくのを感じた。
しかし、すぐにその痛みは理性によって抑えられた。彼はわかっているのだ。これは一時的なものに過ぎないと。
手術が終われば、すべては過ぎ去り、その時には節美にきちんと償いをしよう。
二人は以前のように戻るはずだ。
節美は蘇る。すべてにはまだチャンスがあると。
第7話
その後、節美の言葉は次第に少なくなった。
毎日、原稿を描いたり、ただ窓の外をぼんやりと眺めたりするだけだった。
残りの10日間、ただ日々を数えているように過ごして、彼女は目の前のすべてに対してもう何の未練も感じなくなっていた。
廷悟は仕事をすべて放っていて、節美をあちこちで検査を受けさせた。
採血したり、薬を飲んだり、散々注射したりして、節美は一切声を上げなかった。
その無言の沈黙が、彼の心をさらに不安にさせた。
月美の病室を通りかかる父は、複雑な顔で、問い詰めてきた。
「いったい何がしたいんだ?風邪ごときでそんなに検査が必要なのか?」
「まさか、わざとそんなことをして、みんなに見せつけて同情してほしいと思ってるのか?」
節美は何も答えなかった。
ここ数日、彼女の顔色はますます青白くなって、体もひどく痩せていた。それに目線も一度も彼に向けたことはなかった。
父の心の中に、怒りが湧き上がった。
「お前は子供のころから妹と違うんだ。思慮も深いし、腹黒いし。そんなことをしても、ますますお前のことを嫌いになるだけだ。分かっていれば、さっさと退院して、俺たちの前から姿を消してしまえ!」
言いながら、父は節美を強く押した。
元々細身の節美は足元がふらついて、転んでしまった。手に持っていた検査結果が床に散らばった。
父はびっくりした。
「何弱いふりをしてんだ?軽く押しただけで、自分の父の前でも、当たり屋になるつもりか?」
節美は説明もせず、痛みをこらえながら散らばった書類を拾い始めた。
その中には彼女のさまざまな検査結果が含まれていた。
父は一枚を拾い上げて、こうつぶやいた。
「お前、心臓の検査をしてどうするんだ?」と。
そして他の書類も見ようとした。
その時、月美の声が背後から聞こえた。
「お父さん」
車椅子を押しながら、非常に悪い顔をした月美は、父の袖を引いて言った。
「お父さん、姉さんに怒らないで。姉さんもただお父さんにもっと気にかけてもらいたいだけだと思う。
お父さんが私のことばっかりだから、姉さんが嫉妬するのも仕方ない。お父さんは姉さんのそばにいてあげて、私は大丈夫だから」
そう言いながら、月美は胸を押さえて息を切らし始めた。
父はその様子を見て、すぐに手に持っていた検査結果を放り出した。
「まったく、自分がこんなに苦しんでるのに、節美のことを気にするな。どうせあいつは病気のふりして注目を集めようとしてるだけだ。
それに、もしあいつはがいなかったら、君もそんな病気にならずに済んだんじゃないか?」
父の慈愛と子の孝行、まさに理想的な家庭の姿だった。
節美の心はすでに無感覚だった。
その後ろで、廷悟が検査室から出てきた。この光景を目の当たりにした彼は、顔色を変えた。
そして早足で近づいて、散らばった報告書を拾い上げて、無言で節美を病室に引き戻した。
部屋に入ると、節美は床に強く投げ出された。
報告書の束も投げつけられた。
廷悟の声は冷たかった。
「わざとやったのか?」
節美は顔色を失い、さっき廷悟に押された時に腰の横がベッドの縁に激しくぶつかったから、痛みで一瞬冷汗が出て、言葉も出なかった。
廷悟は続けて言った。
「お前、わざと月美の前で検査結果を落としたんだろう?それを見せれば、月美は罪悪感を感じて手術を拒否すると思ったのか?
節美、お前、どれだけ腹黒いんだ!」
冷たい言葉が胸に重く響いた。
節美は腰を押さえながら、下を向いて悲しげに笑った。
「そう思うのなら、否定はしないよ」
どうせ、何を言っても無駄だ。
月美のことになると、廷悟は全ての理性を失ってしまう。
彼女の周りの家族、恋人、そして息子も、みんな月美を信じている。どんなに説明しても無駄だ。
黙ってベッドに戻ると、節美は尋ねた。
「他に何か用事でも?」
廷悟はしばらく黙っていた。
その後、視線がベッドのチェストに落ち、その上に置かれた、晴美に壊された絵本に止まった。
「月美は手術を受ける前に、どうしても叶えたい願いがある。それは、デザイナーとしてファッションショーに出ることなんだ。お前はちょうど来年のショーに出る予定だろう?その枠を月美に譲りな」
第8話
節美は驚いて顔を上げた。
「それが私の夢だって知ってるでしょ?どれだけ努力してきたと思う?今更、私のチャンスをあいつに譲れって?」
どうして......
「絶対に納得いかないわ」
廷悟の眉が再びひそめられた。
「たった1回のチャンスくらい大したことないだろ?月美はお前と違うんだ。手術が怖いから、手術台に乗る前にちょっとした願いをかなえたいだけなんだ。姉としてそれだけでも叶えてあげられないのか?」
節美の目が赤くなった。どうして彼はそんなに軽々しく言えるの?まるで自分がしてきたすべてが無駄なことだと言っているかのように。
月美が欲しいことは、すべてを譲らなければならないように。
「私はすでに心臓を月美にあげるって約束したのに、今度は私の努力まで奪うつもりなのか?」
節美は涙を滲ませて言った。
廷悟は動揺した。
外から、月美の嗚咽が聞こえた。
「もし譲ってくれなかったら、手術は受けない。
手術はそんなに危険だし、もし手術台に乗って、二度と戻ってこれなかったら......ただ小さな願いをかなえたかっただけなのに。叶えてくれなかったら、死んだ方がましだわ!」
父はすぐに首を振った。
「バカなことを言うな。
わかった、譲らせてあげる!」
そう言って、父は大きな足取りで節美の前に近づいて、命じた。
「今回のチャンスは月美に譲れ!」
その口調は、交渉ではなく命令のようだった。
節美は譲ろうとしなかった。
「主催者が招待したのは私よ、それは私の努力なんだから!」
父の顔色がすぐに変わった。
「月美はお前の妹だろう!どうしてそんなに自己中心的なんだ!妹を死なせたいのか?それで満足か?」
節美は目を赤くして、強情で譲歩する気は全くなかった。
「いいだろ、いいだろ!」
父は何度も「いいだろ」と言い、最後にスマホを取り出して、節美を前にして言った。
「言うことを聞かないのか?お前の会社なんて、潰してやる。
今すぐにでもその会社を買収させることができるんだぞ。
どっちが大事か考えろ、会社か、チャンスか」
節美は驚いて、信じられないような目で彼を見た。
これが自分の父親だ。
娘の弱点を使って、何度も傷つけ、妥協させようとしている父親だ。
節美は拳を固く握り締めた。父がそんなことを言った以上、実際にその通りにできることを、節美は知っていた。
廷悟もその場で彼女をなだめていた。
「チャンスは次回もあるだろう、今回は月美に譲って、ね」
節美は涙を流しながら、突然笑った。
目の前の人々、全員彼女の最も大切な人々だった。
夫、家族、子供、なのに全員月美に味方していた。
「いいよ、譲るわ」
節美はそう言って、みんなを見渡した。
「これで満足?」
みんなは安心したように息をつき、月美に目を向けた。
ただ一人、節美は頭を上げて目を閉じて、涙を止められずに落とし続けた。
その目に宿っていた光は次第に消えていって、最終的に完全に失われていった。
夜、廷悟はお粥を持ってきた。
彼女の好きな海鮮粥で、香りが高かったが、節美には食欲はまったくなかった。ただ無表情でベッドに横たわっていた。
ゴミ箱には彼女自分で捨てた原稿が入っていた。
廷悟はお粥をスプーンで取って彼女の口元に持っていったが、節美は反応もせず、冷たく顔を背けた。
しばらく沈黙が続いた後、廷悟は粥を置いてこう言った。
「なら、自分で食べな」と。
病室は再び静かになった。
節美はテーブルの上のお粥を見つめて、手を上げてゴミ箱に投げ込んだ。
翌日、月美が廊下で自分を待っているのが目に映った。その顔には誇らしげな表情が浮かんでいた。
「姉さん、才能だけあって何の意味があるの?どうせ最後、チャンスは私のものだわ」
第9話
「どんなに努力しても無駄よ。私が欲しいものは、父さんや母さん、そして廷悟兄さんまで何でもに持ってくれるの。
そんなこと、姉さんは一度も経験したことないでしょ?」
月美はそう言いながら、突然、笑い出した。その笑顔には、恐ろしいほどの悪意がにじみ出ていた。
「私が手術を終えた後、姉さんは私がショーに上がるのを見ることすらできなくなるかもしれないわね」
その目は、すべてを見透かしているようだった。
彼女は、すべてを知っていた。
節美は冷ややかな目で彼女を見つめて、ただ一言だけ言った。
「ショーに上がったとしても、あなたのレベルでは笑い者にされるだけだわ」
月美の顔色が瞬時に暗くなった。
周りに誰もいないため、彼女は隠すことなく、冷笑を浮かべた。
「私のことを心配してる暇があるなら、その親友のことでも心配したらどう?今、あいつ、大変なことになってるみたいよ」
節美の顔色が一変した。
「どういうこと?」
月美は無邪気なフリをして言った。
「まだ知らないでしょう?その親友の暁玲子が、わざわざ私の前で悪口を言ってたの。それで父さんに『あいつが嫌いなの』って言ったら、父さんがあいつに仕返しする手配をしてるみたい。
ちょっと手続きが面倒だけど、父さんのやり方はわかるでしょう。何か税務犯罪とかでっち上げられて、10年か8年、刑務所に閉じ込められることになるよ」
節美はもはや我慢できず、手を上げてビンタ一発食らわせた。
「あんた!
何で私の友達を狙うの?正気か!」
月美は気にせず、にやりと笑い続けた。
「だって、あなたがあいつを気にしてるもん。今、あなたにはもう何も残ってないから、あいつを困らせるしかないじゃない。
文句があるなら、まず自分を責めなさい。自分で親友を巻き込んだんでしょうが。私には関係ないわ」
月美は何気なく笑いながらも、その裏には無慈悲で非道な意図が潜んでいた。
節美は手を上げようとしたが、その前に激しく押し返された。
廷悟が駆け寄り、怒りのこもった目で月美を守った。
「何をしてるんだ!」
彼は節美を睨みつけ、怒りの炎をその瞳に宿しながら言った。
「月美に何をされたんだ?また手を出すなんて」
その瞬間、月美は涙を浮かべ、すすり泣きながら言った。
「廷悟兄さん、姉さんが悪くないの。私が無意識に姉さんを怒らせちゃったの。
姉さんが私を叩いても構わないわ。痛くないから」
月美は突然、呼吸が苦しそうに振る舞って、まるで死にそうなほど苦しんでいる演技をした。
廷悟の顔色がさらに悪くなった。
「節美、お前は狂ってるのか?どうして月美に手を出すんだ?お前が彼女を刺激してどうするんだ!」
節美は反応する気力もなかった。
今、彼女にとって考えなければならないことがひとつだけ。それは急いで玲子に電話をかけ、注意することだった。
だが、彼女がスマホを取り出した瞬間、廷悟がそれを叩き落とした。
「お前、心持ってないのか?こんな時にスマホなんかいじって、月美の病気がどうするんだ!」
スマホは地面に落ち、画面は瞬く間に割れてしまった。
節美はそれを拾い上げ、確認すると、完全に壊れていて、もう電源が入らなかった。
廷悟は彼女の行動を無視し、ただその手を掴んで大声で言った。
「月美の病状が悪化してるんだ。すぐに手術を始めなければならない」
節美はそこで初めて、月美が胸を押さえて必死に呼吸しているのを見た。
彼女はとても苦しそうな顔をして廷悟の裾を掴んでいたが、その目は節美に挑発的に輝いていた。
どう見ても演技だ。
節美は彼を振りほどいて、看護師に電話を借りようとした。
だが、廷悟に強引に引き止められた。
「後悔するつもりか?もう待つ必要はない。すぐに手術だ!」
節美は手術室まで引きずられていた。
反抗する気力もない彼女は、廷悟に懇願するしかなかった。
「後悔してないわ。ただ電話だけかけさせて、急用があるの」
廷悟はまったく耳を貸さず、時間を引き延ばしているだけだと思った。
節美は手術台に押さえつけられ、何人かの看護師に縛りつけられた。
焦りながら涙がこぼれ落ちて、彼女は繰り返し懇願した。
「廷悟、お願い、電話をかけさせて。一度だけでいいの、お願い!」
廷悟は冷たく言った。
「麻酔を打て」
冷たい液体が体内に注入され、節美はもうどうにかすることもできないと悟った。
瞼がますます重くなり、視界がどんどん暗くなっていった。
意識が失われる最後の瞬間、節美は目の前の男を見つめて、目の端から涙がこぼれ落ちた。
「深尾廷悟、大嫌いだわ」
暗闇の中で。
彼女の頭の中に冷たいシステムの声が響いた。
「残念ですが、好感度不足のため、宿主の三回目の任務も失敗しました。
宿主の意向に従って、新たな攻略対象を選定しました。適切なタイミングで復活を行いますので、少々お待ちを......」