結婚相手を選び直し、そして元彼の後悔が始まる

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結婚相手を選び直し、そして元彼の後悔が始まる

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結婚式を一ヶ月後に控えたある日――隼人は、自動車修理工場で偶然、心残りだった元カノと再会した。 心に押し込めていた感情は、一瞬であふれ...

Chương (1)

第1章

結婚式を一ヶ月後に控えたある日――隼人は、自動車修理工場で偶然、心残りだった元カノと再会した。 心に押し込めていた感情は、一瞬であふれ出した。 ふたりはそのまま彼の部屋に向かい、ソファからベランダ、そして寝室へと、情熱をぶつけ合った。 「これが結婚前に天から与えられた最後のご褒美なんだよ」と、隼人は仲間たちに語った。 「美優のことは忘れられない。でも、結衣の家柄の方が、俺にはふさわしい」 「彼女が俺と美優のことを知るはずないし、結婚は予定通りだ」 「結衣は俺を愛してる。それが彼女にとっても一番いい選択なんだよ」 その言葉には迷いがなく、確信に満ちていた。 でも、彼は一度も、私の「最良の選択」なんかじゃなかった。 高熱に倒れて目を覚ました私は、家族の勧めに従って、花婿を替えることにした。 第1話 「隼人……赤ちゃんが欲しいの。 私なんか、あなたには釣り合わないってわかってる。でも、他の人と適当に生きていくなんてできないの。だから……せめてこの子だけは、私と一緒にいてくれたら、それでいいの」 ぼんやりと意識が戻ったとき、私は隼人の書斎にいた。耳に入ってきたのは、女の甘えた声と、男のかすれた息。 半開きのドアの隙間から見えたのは、床に散らばるビールの空き缶、そしてソファで寄り添うふたり。 その片方は――私の婚約者、真壁隼人(まかべ はやと)だった。 あの光景はまるで時間が止まったかのようで。怒りなのか、衝撃なのか、自分でもわからなかったけど、足はぴくりとも動かなかった。 隼人は手にしていたパッケージを破くのをやめ、そのまま低くつぶやいた。 「結婚しても……お前には会いに行くよ」 「でも、今とは違う……それでも、いいの? これが……最後のお願いなんだ。叶えてくれる? たった一度でいい……思い出として、お互いの心に残しておきたい」 女は体を起こして、ぎこちなく唇を重ねる。その目尻からは、未練がましい涙が一筋こぼれていた。 その顔を見た瞬間、私はようやく気づいた。 ――彼女は、綾瀬美優(あやせ みゆ)。隼人の初恋の人だった。 頭の中で、何かが崩れ落ちる音が響いた。 隼人と大学で出会った頃から、私は知っていた。彼の心には、決して癒えない傷があることを。 それは、高校の頃に別れた初恋の彼女、綾瀬。 家柄や身分の違いから、卒業と同時に彼女は姿を消した。 隼人は深く落ち込み、何も手につかない日々を過ごした。私と出会ったのは、ちょうどそんなときだった。 ようやく立ち直りかけた彼の笑顔が、私は嬉しかった。 だけど、綾瀬の存在は――ずっと彼の中に残っていたんだ。 ……誰だって、触れられたくない過去がある。 それでも、今愛しているのが「私」なら、それでいいって、思ってたのに。 家柄は釣り合っていたし、恋愛も順調だった。 父が隼人を好まなかったから、婚約から結婚の準備まで、私は七年かけて歩いてきた。 その七年間、隼人は私を大切にしてくれて、「結婚までは」と一線を越えることもなかった。 ……なのに。結婚式まで残り一ヶ月というところで、私はこの目で、彼の裏切りを見た。 「隼人……私のこと、愛してた?」 綾瀬は涙声で隼人に抱きつきながら尋ねた。 隼人はほんの少しのためらいも見せず、しっかりと彼女を抱き返した。 「愛してたよ」 「じゃあ、婚約者の彼女と比べて……どっちを、より愛してるの?」 「……結衣はお前とは違う」 その会話が耳に突き刺さり、頭の中が真っ白になった。怒りと悲しみが心を埋め尽くしていく。 私は――きっと今すぐにでも飛び出して、ふたりを平手で叩き、そのままスカッと背中を向けて出て行くべきだった。 ……なのに、私はただ、書斎に隠しておいたサプライズを静かに片付けることしかできなかった。 どれだけ時間が経ったのかもわからない。ソファからベランダへ、そしてついには書斎の前のカーペットにまで場所を移し、扉の取っ手に誰かの手がかかった音がした。 そして、綾瀬は隼人に抱きかかえられて、寝室へと消えていった。 私はそっと書斎のドアを開けた。 散らばった服と酒の缶、破かれたコンドームのパッケージ……そのすべてを踏み越えて、私は隼人の家を後にした。 どうやって家に帰ったのか、記憶は曖昧。 覚えているのは、帰宅後に高熱を出して倒れたことだけだった。 家庭医と母が、ベッドの傍で三日間も付き添ってくれていた。 「結衣……ほんとに、隼人くんと結婚するつもりなの?うちにはもっといい相手がいるのよ。あの子はね、あんたのお父さんもあまり――」 「もう、隼人とは結婚したくない。 日取りはそのままでいい。お父さんの言う通りにして。 相手は誰でもいい。隼人じゃなければ、それでいいの」 第2話 結婚の解消と、両家の提携終了の知らせは同時に隼人の元へと届けられた。 でも彼は、それをただの「わがままな冗談」だと思い込んでいた。 私はというと、使用人に探してもらった幼少期のアルバムを手にしたまま、無意識に彼からの電話に出てしまった。 通話がつながると、耳に飛び込んできたのは風の音と、少女の楽しげな笑い声だった。 「結衣、お前がここ数日、体調も気分も悪かったのはわかってるよ。 でもさ、こんな冗談で俺を困らせないでくれよ。 叔父さんの会社の資金繰りが詰まったとき、うちの援助がなかったら、お前はもう『菊間家のお嬢様』じゃいられなかった。 こっちは俺たちの結婚式の準備で忙しいんだ。落ち着いたら会いに行くから」 隼人は勝手にそう言って、返事を待つかのように電話を切らずにいた。 けれどそのスピーカー越しに、またしても聞こえてきたのは――綾瀬の声。 「隼人〜!もう一周いこ!今度こそ勝つんだから!」 私に聞かれるのを恐れたのか、隼人は慌てて通話を切った。 ツー……ツー……と音だけが残る受話器を見つめながら、私は思わず笑ってしまった。 ――そんな嘘、三日前なら信じてたかもしれない。 でも、今となっては誰が信じるものか。 「結婚式の準備で忙しい」なんて言っておいて、実際は美優とバイクレースを楽しんでるくせに。 心の中でそんな隼人を笑い飛ばしていたところに、親友からメッセージが届いた。 【今夜、年に一度の同窓会があるけど、来る?】 隼人と顔を合わせるのが嫌で最初は迷ったけど……よく考えれば、私はなにも悪くない。 なんで私があのふたりのせいで逃げるようなことしなきゃいけないの?隼人が来るとも限らないし。 そう思って、私は出席を決めた。 会がちょうど中盤に差し掛かった頃だった。 突然、部屋のドアが勢いよく開いた。 隼人がバイクのヘルメットを片手に、堂々と入ってきた。隣には、あの綾瀬の姿。 「美優、一緒に盛り上がろうよ」 「みなさん初めまして。隼人の高校の同級生、綾瀬美優です〜。たまたまこの大学の同窓会があるって聞いたから、見学しに来ちゃいました〜。どうか気にしないでくださいね〜」 綾瀬は黒髪を高い位置でポニーテールにまとめていて、タイトなレザーパンツとショート丈のベストがその抜群のスタイルを際立たせていた。笑顔は明るくて、まるで全世界を味方にしてるような堂々たる態度。 隼人は、角の席で玲奈に話しかけられていた私の存在に気づくこともなく、綾瀬の手を取って自分の隣の席に座らせた。そのまま長い腕を伸ばして、綾瀬の体を囲い込むように引き寄せる。その動きには、隠しようのない独占欲が滲んでいた。 場にいた誰もが、なんとも言えない空気を感じていた。誰ひとりとして、笑顔ではいられなかった。 「隼人、結婚式の招待状で忙しいんじゃなかった?よく来れたね」 「そのへんは結衣がだいたい終わらせてくれたからさ。美優、こういう集まり初めてだって言うし、ちょっと見せてあげようと思って。みんなは気にせず続けてていいよ」 その言葉に、友人の一ノ瀬玲奈(いちのせ れいな)がぴくりと反応した。私がさりげなく袖を引いて止めようとしたのに、それを無視して、テーブルにあった酒瓶をバンッと叩きつけた。 「マジで最低だな、あんた!結衣が高熱で倒れてたのに、見舞いもしないで他の女とドライブ?冗談でしょ。 この子が元カノなの、みんな知ってるよ。結衣の気持ち知ってて、公然と浮気とか頭おかしいんじゃないの!?」 玲奈が立ち上がった瞬間、部屋の空気が張り詰めて、みんなの視線が彼女へ集まった。 その流れで、ようやく隼人と綾瀬も、私の存在に気がついた。 隼人は私と目が合った瞬間、わずかに表情を凍らせた。 「……まだ体調悪いんじゃなかったのか。なんでこんな場所に来てるんだよ。 一ノ瀬に送ってもらって、早く帰れよ」 私はクスッと笑った。 ただのバーに来ただけ。手も足もある。誰の許可がいるっていうの? あのふたりが堂々と来てる場所に、私が来ちゃいけない理由なんてないでしょ。 彼の「当然」という態度に、私はさらりと返した。 「……結婚式の準備で忙しいんじゃなかったっけ?ここって……なにか参考になるの?」 私の問いかけに、隼人は眉をひそめたまま、何も言わなかった。 第3話 綾瀬は、気まずい空気に気づいたのか、ぎこちなく笑いながら私に手を差し出してきた。 「こんにちは、あなたが結衣さんね?私、綾瀬美優って言うの。 誤解しないでほしいな。隼人が本当のことを言わなかったのは、結衣さんに心配かけたくなかっただけ。私たち、今はただの友達なの」 差し出されたその白い手を見た瞬間、私は込み上げる吐き気をどうにもできなかった。 あの夜の不快な匂いが、突然鼻腔を突き上げてくる。 その手で隼人の背中を撫でながら「赤ちゃんが欲しい」とせがんでいたあの姿が、フラッシュバックのように目の前に蘇った。 私が何も返さずにいると、綾瀬は今度はその手で私の腕を取ろうとした。 その瞬間――私は思わずその手を払った。 「触らないで」 手を振り払われた綾瀬はその場で固まり、涙を浮かべた瞳で隼人のほうを見つめた。 「結衣!いい加減にそのお嬢様気取りはやめろよ! さすがに、それはやりすぎだろ!」 隼人は私が怒り出した理由がわからないまま、怒鳴りながら私の腕を引いて綾瀬に謝らせようとした。 けれど私は、そばにあったバッグをそのまま手に取り、彼を振り払った。 「触らないで! 汚らわしい、気持ち悪い」 私はふたりの手元に目を落とし、吐き気を必死にこらえながら、感情のない声で言った。 もうこんな場所には一秒たりともいたくなかった。 そう思って踵を返し、そのまま出て行こうとしたそのとき―― 隼人の怒気混じりの声が背中に突き刺さった。 「結衣!そこまでやるか?美優に謝らないなら、うちが菊間家に出してる資金も、結婚式の話も、全部無期限で延期するからな!」 その脅すような口ぶりに、私は一瞬だけ足を止めた。 そんな私をよそに、綾瀬は隼人の胸元に手を当て、穏やかな声で言う。 「……隼人、もういいよ。私が修理工場で働いてるから、結衣さんに『汚い』って思われるのも仕方ないし。私のこと、責めないで」 私は鼻で笑った。その声音には、完全な軽蔑が込められていた。 「――願ったり叶ったり、よ。 誰と結婚しようが、勝手にすれば?」 隼人は知らなかった。 たとえ真壁家の援助なんてなくても、菊間家はびくともしないってことを。 資金繰りが厳しいって話も、実は私が父にお願いして、隼人に「恩を売るチャンス」を与えた作り話にすぎなかった。 だから、真壁家が支援しようがしまいが、私たちには何の影響もないの。 それに――彼が「無期限延期」だのと騒いでいるあの結婚式? そんなの、とっくの昔にキャンセル済み。 今、菊間家が準備しているのは私の結婚式。 ……でもその相手は、もう隼人じゃない。 「結衣……どうせすぐ、俺のところに戻ってくるだろ」 隼人の言葉を背中で受け流しながら、私は一歩ずつ、部屋をあとにした。 綾瀬は何か言いたげに口を開いたけど、隼人が彼女の手を取って自分の膝に座らせた。 玲奈は私のあとを追ってきて、家まで送ると言ってくれた。 別れ際、私はさっき渡しそびれていた封筒を玲奈の手にそっと押し渡した。 「中が騒がしかったから渡すタイミング逃しちゃって。はい、これ」 「一ノ瀬玲奈さん、あなたを――私の結婚式の、付き添い人にご招待します」 玲奈は怪訝そうな顔で封筒を受け取り、白目をむきかけながら口を開いた。 「……ほんっとあんた、どうかしてるよ。あんなクズ男の何がよくて、まだ結婚なんて――」 だけど、封筒を開いたその瞬間、玲奈の口はパクッと止まった。 新婦:菊間結衣。 新郎:朝霧悠真。 玲奈の口が、ぽかんと開いたまま止まった。まるで卵でも丸呑みしそうな勢いだった。 「新郎……朝霧?あの、政界の朝霧家!?隼人じゃ、ないの?」 私は静かにうなずき、皮肉っぽく笑った。 「七年かけて追いかけた夢は、もう終わり。 感情がないなら、いっそビジネスの結婚でいいの。朝霧家のほうが真壁家よりよっぽど安定してるし、何より……悠真とは幼い頃から同じ庭で木に登ってた仲だもの。お互いのこと、よく知ってる。 隼人よりも、何倍も信頼できる」 第4話 翌日――綾瀬から突然連絡が来た。どこで私の連絡先を知ったのかは分からない。 市内中心のカフェで会いたいと言ってきたので、たまたま近くにあるドレスショップへ行く予定だった私は、そのついでに立ち寄ることにした。 カフェに着き、席について彼女を待っていると、スマホに立て続けに通知が届く。 送ってきたのは玲奈。彼女の彼氏が撮ったという、昨日のバーでの第三者視点の動画だった。 背景を見るに、パーティーが終わった後も残っていた隼人の昔の友人たちが数人、酒を酌み交わしていたらしい。 その中で、ひとりが驚いたように声を上げた。 「……おまえ、美優と寝たのか?」 隼人は手にしたビール缶を弄びながら、小さな声で「うん」と答えた。 「でも結衣とは七年付き合って、もうすぐ結婚ってときに、それはないだろ?」 「忘れられなかっただけだよ。それに……酔ってたし、別に本気じゃない……目が覚めたときには『ただの友達』に戻るって。大丈夫、結衣にはバレない。仮に知ったとしても、俺が今の彼女にとってベストな選択肢だってことに変わりない。 結婚して家族になるのは結衣で、美優とは……まあ、これは結婚前のちょっとしたお遊び。遅れてきたご褒美みたいなもんさ」 「……マジで最低だなおまえ」 そのあまりの発言に、録画していた人間も耐えきれなかったのか、途中で席を立って映像は途切れた。 その後、玲奈からのメッセージも添えられていた。 【隼人なんかのために時間使ってるの、ほんと意味ないよ】 【考え直して正解だったって心から思う!こんな下半身で動く男に一生縛られたら、何が起きるかわかったもんじゃない】 私はその言葉を目で追っている最中だった。 ふと、目の前の席がかすかに動いた。 顔を上げると、そこには……綾瀬が、にっこりと笑って座っていた。 「……結衣さん。お願いがあります。隼人のそばから、離れてください」 突然すぎる申し出に、私は思わず口にしていたコーヒーをむせてしまい、思考が一瞬止まった。 ……なんなのこれ、ドラマの台詞?嘘でしょ。まさか、自分の身にこんなベタな展開が降りかかるなんて思ってもみなかった。 「……今、なんて言った?」 綾瀬は少しの間黙り込んだあと、昨夜のあの明るく堂々とした態度とは打って変わって、どこか怯えたような、陰のある表情を見せた。 「本当は、あなたと隼人のこと……祝福するつもりだったの。でも、昨日の夜のことがあって……やっぱり私には無理だった。 昔、隼人のお母さんに出自のことで拒絶されたの。貧しい家の子なんてって、見下されて……だから私は、彼の未来に立ちふさがることが怖くて、逃げたの。 でもそれが……私が人生で犯した、一番大きな間違いだった。もしあのとき、もう少し勇気があれば、今頃隼人と――」 言葉はそこで途切れたけれど、その先に続く言葉は、言わなくてもわかった。 ――もしあのとき綾瀬が逃げずにいれば、今隼人のそばに立っているのは「私」じゃなくて「彼女」だったと。 「……で?」 私は冷たく問い返す。 「だから今度こそ、自分と……お腹の子のために、勇気を出すって決めたの。 お願いです、結衣さん。婚約を取り下げて、隼人のこと、手放してください」 私は彼女の視線から逸らして、テーブル越しに隠れていた綾瀬の腹部へと視線を落とす。 ……平らだった。 こらえきれずに、ふっと鼻で笑ってしまった。 「これが……『ただの友達』ってやつ? へえ、すごいわね。まだ検査でも出ない時期に、もう確信してるなんて。まるで予知能力者みたい」 私の言葉に、綾瀬の目が見開かれ、震えるように私を見つめ返してきた。 「……あなた、全部――」 綾瀬が震えた声でそう言いかけたとき、私はタイミングよく手を上げて、言葉を遮った。 婚約者が浮気したら、事実確認くらいするに決まってるでしょ? 実際に調べてみたら、驚くほどあっさり全貌が見えてきた。 ふたりが再会したのは十日前。たまたま修理工場で出会って、五日後には抑えきれず関係を持ったらしい。 ……私があの日、隼人の家でサプライズの準備をしていなければ気づかなかった。 疲れから書斎でうたた寝していなければ――おそらく私は、何も知らないまま、あの男と結婚していた。 そしていつか、妊娠した綾瀬が堂々と現れて、私に「身を引け」と迫ってきていたに違いない。 「――綾瀬さん。 その子が私のじゃないのは明白よね?だったら、責任を取るべき相手を間違えないで。 父親が誰なのかは、あなたが一番わかってるはず……私は妊娠させる力なんて持ってないから」 私は彼女の前に置かれたホットコーヒーを指差して、にっこりと微笑んだ。 「ちなみにだけど、妊娠初期ってカフェイン摂取は控えたほうがいいわよ。興奮作用があるから、安眠の妨げになるって」 綾瀬の顔が見る見るうちに青ざめていくのを見ながら、私はちらりと時計に目をやる。 ちょうどいい時間。 「ドレスデザイナーと打ち合わせがあるの。これで失礼するわね」 そう言って席を立ち、踵を返した――その瞬間、目の前に急いで現れた影にぶつかった。 ……隼人だった。 誰に呼ばれたか、聞くまでもない。 私は彼と綾瀬の間に視線を流し、無言で小さくため息をついた。 「結衣」 隼人が私の手首を掴んで、動きを止めた。 「もうウェディングドレスは決まってたはずだよな?いきなりメインドレスを変えたいなんて言って…… やっぱりお前って、押して引く『駆け引き』が本当にうまいよな。 結婚したくないなんて、どうせ嘘だろ?お前、ほんと駆け引きだけは上手いよな」