常夜灯が倒れ、愛が燃え尽きる日まで

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常夜灯が倒れ、愛が燃え尽きる日まで

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お彼岸を間近に控えた夜、清水美穂は三年前、交通事故で亡くなった娘の夢を見た。 夢の中で、娘は泣きながら「パパがわたしを殺そうとしている...

Chương (1)

第1章

お彼岸を間近に控えた夜、清水美穂は三年前、交通事故で亡くなった娘の夢を見た。 夢の中で、娘は泣きながら「パパがわたしを殺そうとしているの」と訴えた。 はっと夢から覚めた美穂は、隣にいるはずの夫、高橋景佑を慌てて抱きしめようとしたが、その腕は空を切った。夫の姿がそこにはなかった。 その時、寝室の外から景佑と家政婦の話し声が聞こえてきた。 「……君の姉には申し訳ないことをした。まさか、彼女が自殺するとは思ってもみなかった。 だが安心してくれ。もう導師の指示通り、常夜灯を灯し、美穂をその常夜灯の前で三年間跪かせた。 美穂はまだ知らない。愛ちゃんは火葬されておらず、骨壷の中身が君の姉だということを……」 雷鳴が轟いた。その瞬間、美穂はすべてを悟った。 足に障害のある景佑が、常夜灯の前に頑なに座りお参りを続けていたのは、亡き娘の冥福を祈るためではなかった。 美穂の娘を車で轢き殺し、そして自ら命を絶ったあの女が、仏の許しを得られるようにするためだったのである。 止めどなく涙を流しながら、美穂はお彼岸の日に火事を起こすことを決意した。 あの忌まわしい常夜灯を倒して火事を…… そして、もう二度とあの男とは顔を合わせまい、と心に誓った。 第1話 「長谷川社長、新しい身分をご用意いただきたく存じます。 もう心は決まっております。お彼岸が明けましたら、社長とご一緒に海外へ渡り、そして、自分の本当のルーツに戻りたいと考えております。 ……それからもう一つ、お願いがあるのですが。あの事故の後、娘の遺体がどこの斎場へ運ばれたか、調べていただけませんか? はい、ありがとうございます。景祐のことは、私の方で何とかしますから、ご心配なく」 平静を装って長谷川聡也(はせがわ さとし)との電話を終えると、清水美穂(しみず みほ)は機械的に抗うつ薬を数錠飲み込んだ。 大きなベッドに倒れ込むと、彼女の頬はすでに涙で濡れていた。 今日もまた、雷雨だった。娘の高橋愛(たかはし あい)が事故で亡くなったあの日と同じ。 三年前のあの日、娘が、景祐がかつて心から愛した女の運転する車にはねられるのを目の当たりにして以来、彼女は重いうつ病とPTSDを患い、このような天気を極度に恐れるようになった。 雷鳴が、愛ちゃんの血まみれの幼い顔と、あの瞬間の絶望と無力感を思い出させるからだ。 しかし、今この瞬間、普段あれほど恐ろしい雷の音も、どこか取るに足りないものに感じられた。 それ以上に彼女を恐怖させたのは、ドア一枚隔てた向こうにいる、育ての親である義理の叔父にして長年連れ添った夫である高橋景祐(たかはし かげすけ)だった。 先ほど耳にした会話を思い出すと、美穂は全身が冷え切り、吐き気すら催した。 今日は、愛ちゃんの命日だった。 美穂はまた、事故の日の夢を見た。 いつもと違ったのは、今回、愛ちゃんが泣き叫びながら、「パパと遥おばさんが、一緒に私を殺そうとしている」と言ったことだった。 美穂ははっと目を覚まし、慌てて景祐を探そうとした。 真夜中だというのに、彼は隣におらず、リビングの明かりがついていた。 ドアを開けようとした瞬間、ドアの向こうから二人の話し声が聞こえてきた。 「義兄さん、義兄さんと呼んでもいいですか? 姉さんはあんなにむごい死に方をしたのに、本当に姉さんに対して少しの情もなかったのですか?」 話しているのは、景祐が新しく雇った家政婦、桜井沙耶(さくらい さや)だった。 当時、景祐が「あの子は可哀想だ」と言うので、彼女はそれ以上何も聞かず、沙耶が家に残ることを許した。 何しろ、景祐が美穂を溺愛していることは、町中の誰もが知るところだった。 あの事故の後、彼女は彼の真心をもはや疑うことはなかった。 しかし、その瞬間、沙耶の呼びかけに、彼女は一瞬にして凍り付いた。 美穂が反応する間もなく、景祐の声も続けて聞こえてきた。 「君の姉には申し訳ないことをした。まさか、彼女が自殺するとは思ってもみなかった。 だが安心してくれ。もう導師の指示通り、常夜灯を灯し、美穂をその常夜灯の前で三年間跪かせた。 美穂はまだ知らない。愛ちゃんは火葬されておらず、骨壷の中身が君の姉だということを…… だから、くれぐれも口外しないように。 お彼岸になったら、導師の言う通り、愛ちゃんと君の姉を一緒に埋葬し、彼女の罪を清め、極楽往生させてやる……」 雷が轟いた。 美穂は寝室のドアのこちら側に裸足で立ち、目の前の出来事が現実なのか悪夢なのか、区別がつかなかった。 姉、自殺、常夜灯。 これらの言葉は、すべて同じ人物を指していた。 景祐の初恋であり、愛ちゃんを車ではねた殺人犯、桜井遥(さくらい はるか)。 当時、遥が結婚から逃げ出したため、美穂は秘めた恋を成就させ、義理の叔父である景祐と結婚することができた。 しかし、三年前、遥が追い求めた真実の愛が散々な結果に終わると、再び景祐の元を訪れ、彼とよりを戻そうとした。 その頃、美穂と景祐は、すでに誰もが認める理想の夫婦だった。 景祐は美穂をこの上なく可愛がり、当然のことながらかつて心から愛した女をきっぱりと拒絶した。 まさか、遥が怒り狂い、雷雨の日に、愛ちゃんに向かって車を暴走させるとは思ってもみなかった。 美穂は身を挺して守ろうとしたが、結局、愛ちゃんを守り切ることはできなかった。 幼い娘が大量の血を吐き、輝いていた瞳が次第に光を失っていくのを、ただ見ていることしかできなかった。 その時の光景を思うと、美穂の涙はますます溢れ出た。 あの事故で、美穂は愛ちゃんを失い、自身も片足を失い、天才バレエダンサーとしてのキャリアはそこで終わった。 療養中、彼女は何度も死んでしまいたいと考えた。 景祐が毎日熱心に看病し、遥の責任を最後まで追及すると固く誓ってくれたからこそ、彼女はかろうじて生きる勇気を持つことができた。 最終的に、この件は遥の自殺によって幕を閉じた。 ニュースが出た後も、景祐の反応は冷淡で、まるで遥に対して、本当に憎しみしか残っていないかのようだった。 しかし……数日も経たないうちに、普段は神仏を信じない景祐が、わざわざ常夜灯を持ち帰ってきた。 当時、彼は、娘が来世で苦しまないように守るためだと言った。 彼女は不自由な足を引きずりながら、敬虔な気持ちで三年間跪き続けた。 しかし、まさか、常夜灯の後ろにある骨壷が、自分たちの娘のものではないとは。 三年間跪き続けた相手が、娘を殺した殺人犯だったと思うと、美穂は胸が悪くなった。 さらに美穂を驚愕させたのは、景祐が、愛ちゃんと殺人犯を一緒に埋葬しようとさえしていることだった。 罪を洗い清める、ですって? 雷鳴の中、美穂は涙を浮かべながら軽く笑い、愛ちゃんが残したお守りを強く握りしめた。 彼女は、遥を象徴するあの常夜灯をわざと倒し、火事を起こすつもりだった。 そして自分はその炎の中で死ぬ。 景祐の心に永遠に刻ませ、永遠に後悔させるために。 「美穂ちゃん?」 ドアのところで物音がした。景祐が雷の音を聞いて、慌てて寝室に戻ってきたのだ。 第2話 美穂は景佑に背を向け、手の中のお守りをじっと見つめたまま、一言も発しない。 景佑は息を詰めた。 彼はためらいがちに手を伸ばして美穂を抱き寄せた。美穂が抵抗しないのを見てようやく安堵のため息をつくと、痛ましげにその顔の涙を拭った。 「美穂ちゃん、君は……」 「あなた、私、また愛ちゃんの夢を見たの」 景佑が言い終わるのを待たず、美穂は言葉を遮り、向き直って彼を見つめた。 美穂は結局のところ、十年も景佑を深く愛してきたのだ。 だからこそ、彼女は彼に一度だけ、正直に話す機会を与えようと思った。 しかし、景佑はわずかに動きを止めただけで、すぐに彼女の髪にキスをし、嘘が自然と口をついて出た。 「心配いらない。愛ちゃんのために常夜灯を灯してあげただろう? 今頃は可愛い天使になって、またママのお腹に宿る日を待っているさ」 だが、その常夜灯は、美穂の不憫な娘のために灯されたものではなかった。 彼女の愛ちゃんは、もしかしたら今もどこかの斎場の冷凍室に放置され、安らかに眠ることさえできずにいるのかもしれないのだ。 美穂は黙って涙を流し、手の中のお守りをさらに強く握りしめた。 もし愛ちゃんが夢に出てきてくれなかったら、彼女は永遠に気づかなかったかもしれない。 深く愛したはずの枕元の夫が、この片足の自分のことを顧みもせず、あろうことか娘を殺した犯人の骨壷の前で、三年間も敬虔に祈るよう自分を騙していたとは。 そして、彼が自分たちの娘を、こともあろうに殺人犯と一緒に埋葬しようとしていたことなど、知る由もなかっただろう。 もし気づかなければ、その後何年もの間、美穂は言われるままに祈り、線香を供え続けていただろう。 それが、娘への母の愛情ではなく、娘を殺した犯人に向けられたものだとは露知らずに。 世間では、理想化された「初恋の人」の存在は、時に現在の幸せをも脅かすほどの力を持つと言う。特に亡くなった場合は、なおさらだと。 美穂は以前は全くそう思わなかった。 今日までは。 「泣かないでくれ、美穂ちゃん。君が体を壊したら、天国の愛ちゃんも心を痛めるだろう。 雨がすっかり止んだら、常夜灯に油を足しに行こう、な? 愛ちゃんはきっと、パパとママがどれだけ愛してくれているか、分かってくれるはずだ」 景佑の声が再び響き、美穂の心臓は激しく締め付けられ、涙が止まらなかった。 雷鳴が再び轟き、稲妻が走った。 涙でぼやける視界の中、長年深く愛してきたはずのその顔が、ふと、まるで鬼のような形相に歪み、牙をむき爪を立てて自分と娘の命を奪おうとしているように見えた。 美穂は全身を震わせ、景佑を突き飛ばすと、布団に潜り込み、耳を塞いで泣き崩れた。 景佑は、胸が張り裂けるような思いの一方で、自分がタイミングよく戻ってきたことを幸運だと感じていた。 もし、美穂が彼らの会話を耳にしていたら……彼女はどれほど取り乱しただろうか。 そこまで考えると、景佑は唇を引き結び、まだもがいている美穂を抱き寄せ、優しく声をかけてなだめた。 かつて美穂が養護施設に送られたこと、そして遥のために用意したあの常夜灯のことも、全て彼が美穂に対して負い目を感じていることだった。 しかし、彼は決して彼女を失うわけにはいかなかった。 遥の埋葬が済めば、必ず美穂に償いをすると、残りの人生をかけてそう誓った。 景佑は心に誓い、腕の中の人が次第に落ち着くまで待ってから、彼女の額にキスをし、身を起こして部屋を出た。 しかし彼は気づかなかった。彼が去った後、ベッドに横たわる女が静かに目を開けたことを。 …… 屋敷には常夜灯を安置した一室があり、そこには導師の指示通り、その導師が用意した様々な呪符が掛けられていた。 景佑はもともと運命など信じない人間だった。 だが、あのお彼岸の日、彼は遥の無残な死に様と、主役が入れ替わることになったあの結婚式を思い返すうち、やはり罪悪感に苛まれ、彼女のために常夜灯を一つ用意したのだった。 導師は言った。被害者の最も近しい肉親が、三年間敬虔に跪いて祈りを捧げてこそ、遥の浮かばれぬ魂を鎮めることができる、と。 彼に他に方法はなく、美穂に対する嘘は、その時から始まった。 暗闇の中、常夜灯の灯影がかすかに揺らめいた。 彼は油を注ぎ足し、常夜灯の後ろにある骨壷を見つめ、深く息を吸い込むと、常夜灯の前に跪き、低い声で呟いた。 「すまない」 それは、彼の娘への、そして美穂への謝罪のつもりだった。 彼は生まれつき足が悪く、幼い頃は両親に好かれず、大人になってからは、結婚式の当日に初恋の人に捨てられた。 そんな彼に、美穂が進み出て、真剣な眼差しで「あなたが好きです。私と、結婚していただけませんか」と言ったのだ。 その瞬間、彼は過去の全てを自分勝手に清算し、一生美穂に尽くそうと心に誓った。 しかしその後…… 彼は目を閉じ、深く息を吸い込み、心の中で静かに誓うしかなかった。 これが最後だ。 遥と自分は、結局のところ互いの人生における、最も美しい初恋の相手だった。だから最後に、遥のためにこれだけはしてやりたい。 この後、彼は決して美穂を裏切らない。 そうしなければ、愛する人を永遠に失い、孤独な生涯を送ることになるに違いない。 雷雨はずっと止まなかった。 その頃、寝室では。 スマホの監視カメラの映像を見ながら、美穂は声もなく涙を流した。 景佑はなんと骨壷に向かって謝罪している。 まさか、娘を殺した犯人のために三年間も跪かせただけでは、景佑の「初恋の人」への罪悪感を償うには、まだ足りないというの? どうやら、彼はやはり遥を忘れられないようだ。 そして、彼女の長年の想いも、無惨に殺された娘も、あの人の目には、遥の万分の一の価値もないというわけね。 それならば…… 彼の思い通りにはさせない! スマホの画面が光り、聡也から例の斎場の住所が送られてきた。 美穂は涙を浮かべながら、声もなく笑った。 彼女は肌身離さず着けているお守りにキスをし、心の中で呟いた。 「怖がらないで、愛ちゃん。 今度こそ、ママが必ずあなたを助け出してあげる。そして、必ずあなたの仇を討つからね……」 第3話 美穂は一晩中眠れなかった。 美穂が腫れぼったい目で寝室から出てくると、沙耶が食卓に朝食を並べているところだった。 景佑も、例の小部屋から足を引きずるようにして出てきた。昨夜は夜通し跪いていたのだろう、足取りが重そうだ。 彼は生まれつき足に障害があったが、手術で矯正され、日常生活に大きな支障はなくなった。 それでも、長時間同じ体勢でいると、やはり耐え難いほどの痛みに襲われるのだった。 美穂の胸がチクリと痛んだ。 心が痛まないと言えば嘘になる。けれど、彼の嘘を思い出すと、美穂の心はすっかり冷え切ってしまう。 一瞬ためらい、彼女は無言で顔をそむけ、景佑を視界に入れないようにした。 景佑の胸が締め付けられた。彼が口を開こうとした、まさにその時、沙耶の声が割って入った。 「奥様、旦那様は本当に奥様のことを大切に思っていらっしゃるんですね。 一晩中お跪きになっていたんですよ。 ネットでよく言いますでしょう?母性愛は本能的なものだけれど、父性愛は多くの場合、父親がその子の母親を愛しているからこそ、子供にも愛情が及ぶものだって……」 その言葉は、夫婦仲の睦まじさを称賛しているようでいて、実のところ、美穂の心の最も痛い部分を抉り出す刃だった。 景佑は彼女を愛していない。だから当然、彼女の子供のことなど気にかけているはずがないのだ。 痛みをこらえて一晩中跪いていたのも、父親としての愛情からではなく、娘を殺したあの女への未練からに違いない。 美穂は手にしていたフォークを握りしめた。返事などしたくなかったが、ふと沙耶の腕に赤いものが見えた。 奇妙な形をした赤い痣だった。 沙耶はその痣を隠そうとしているらしく、コンシーラーを厚く塗り、長袖を着ていたが、それでもわずかに端が覗いている。 そして三年前、美穂はまったく同じ痣を目にしていた。それは…… 突拍子もない考えが脳裏をよぎる。美穂は唇の端をかすかに吊り上げて微笑むと、隣の景佑に向き直り、わざと甘えた声を出した。 「ええ、夫は本当に私を愛してくれているわ。彼の資産だって、ほとんどが私の名義になっているのよ。 笑われるかもしれないけれど、彼は本当に些細なことまで覚えていてくれるの。結婚してから今まで、生理用品ひとつ自分で買ったことがないくらい。 それに私の足の傷……あの酷い傷跡、自分でも見るのが怖いくらいなのに、夫がずっと薬を塗ってくれているの。 本当に幸運だったわ。こんなに素晴らしい夫に巡り会えたのだもの」 そう言って、美穂は微笑みながら沙耶に視線をやった。 沙耶の表情が、案の定、一瞬歪んだ。 まったく異なる容貌とは裏腹に、その瞳の奥に宿る憎しみと無念さは、三年前、「死んだ」はずの遥と瓜二つだった。 もし真相が本当に自分の推測通りだとしたら…… あの人は、それを知った時、一体どんな顔をするのだろうか。 しかし景佑は、沙耶には一瞥もくれなかった。 美穂の言葉を聞いて、景佑は心の緊張が少し和らぐのを感じた。 美穂が黙り込んでいたのは、やはり心が落ち着かないからだろうと彼には思え、かえって美穂が不憫でならなかった。 「目が腫れているじゃないか、美穂ちゃん。昨夜はよく眠れなかったのか?」 景佑の心底心配そうな眼差しに、美穂は一瞬言葉を詰まらせた。言葉にできない複雑な感情がこみ上げ、曖昧に答えるのが精一杯だった。 「……ええ。雨が、あまりにも長く降り続いたから」 その雨は、美穂の心に一生消えない湿り気を残すほど、長く降り続いたのだ。 それでも、景佑の視線とぶつかった瞬間、美穂の心にはやはりさざ波が立った。 彼の瞳に宿る心配や気遣いは、偽りのようには見えない。しかし、彼が自分を騙し、隠し事をしているのもまた事実なのだ。 自分はもう、うつ病のせいで正気を失ってしまったのではないか、と美穂は思った。 でなければ、どうして彼を憎みながらも同時に愛しているなどということがあり得るだろう。 それどころか、サイズの合わないウェディングドレスを着て、急遽彼の花嫁になったあの日が、今でも人生で一番幸せな日だったとさえ思っているのだ。 相反する二つの感情が頭の中で激しくせめぎ合い、美穂は吐き気を催すほど苦しかった。 景佑が何か言う前に、美穂はふらつきながら立ち上がり、洗面所のドアを閉めると、激しくえずいた。 景佑が慌ててドアを叩く音がしたが、美穂は適当な言い訳でごまかしつつ、さらに激しく嘔吐した。 ついに彼が飛び込んできて、汚れも気にせず、手慣れた様子でお湯を汲み、彼女の口元を拭った。 彼に抱きしめられた瞬間、美穂の心は、完全に絶望に覆い尽くされた。 駄目だ…… どうしても、彼を心の底から憎むことができない。 …… 美穂がようやく落ち着いたのを見届けてから、景佑はやっと安心して会社へ向かった。 ちょうどその時、聡也から連絡が入った。美穂が窓の外を見ると、彼の車が屋敷の前に停まっているのが見えた。 心を鎮め、美穂は金庫を開けて愛ちゃんの死亡診断書を探し出し、階下へ降りて聡也と共に葬儀場へ向かった。 書類を係員に手渡し、美穂はようやく、寝ても覚めても焦がれていた娘の姿を目にした。 十月十日お腹を痛めて産んだ娘。意識を失うその瞬間まで自分の涙を拭い、「ママ、痛くない?」と気遣ってくれた娘が、葬儀場の霊安室に冷蔵保存されたまま、丸三年間も置かれていたのだ。 三年、丸三年間も! どうりで、あの小さな姿がいつも夢に出てきては、寒い、周りに知らない人がいっぱいいて怖い、ママに会いたい、と訴えていたのだ。 もし自分が気づかなければ、景佑は娘を、あの「殺人犯」と一緒に合葬するつもりだったのだ。 そうなったら…… 美穂はそれ以上想像する勇気がなかった。 目の前が何度も暗転し、見る影もなくなった娘の小さな亡骸に震える手で触れた瞬間、美穂はついに崩れ落ちた。 第4話 美穂が震える手で愛ちゃんを抱きしめようとするのを、聡也が素早く制し、彼女を腕の中に引き寄せた。 「離して、離してよ!」 美穂はほとんど正気を失っていた。様々な感情が胸の中で絡み合い、やがては自分自身への憎しみへと変わっていった。 なぜ愛ちゃんを守れなかったのか。なぜ景佑を心の底から憎むことができないのか。なぜ完全に理性を失い、「沙耶」として舞い戻ってきた遥を殺すことができないのか。 自分は母親失格だ。 いっそ、すべてを終わらせて、可哀想な娘のそばへ逝きたい…… 「あんな人たちのために、君の一生を犠牲にする価値があるのか?」 聡也は美穂の心の内を見抜き、彼女を強く抱きとめ、核心を突く言葉を投げかけた。 「それとも、他の女に席を譲りたいとでも? 君が死ねば、高橋はすぐに別の女と結婚するだろう。 そうなれば、愛ちゃんのことなどおろか、君のことさえ、彼は二度と思い出さない」 美穂の抵抗がようやく止まった。彼女は茫然と顔を上げ、涙に濡れた瞳を聡也に向ける。 「私……どうすればいいですか?」 美穂が落ち着きを取り戻したのを見て、聡也は彼女を解放し、小さな亡骸に視線を落とした。 美穂は彼の言わんとすることを悟り、一瞬黙り込んだ後、涙を浮かべながら頷いた。 彼女が斎場の職員を呼びに行こうとしたその時、突然携帯電話が鳴った。 沙耶がグループチャットに一枚の写真を投稿し、続けてメッセージを送ってきたのだ。 【旦那様、奥様、お部屋を整理しておりましたら、古いものが出てまいりました。 処分いたしましょうか?】 写真には、紛れもなく遥の物と思われる雑多な品々が詰まった箱が写っていた。 アクセサリー、指輪、そして陶器の人形まである。 その人形には見覚えがあった。景佑と遥が熱愛中だった頃、旅行先で二人で手作りしたものだ。 これほどの年月が経過した今も、景佑は「初恋の人」の「形見」を大切に保管していたのだ。 美穂は冷笑を浮かべながら涙をこぼし、きっぱりと返信した。 【故人のものですから、取っておいてください】 景佑が「初恋の人」への想いを断ち切れないというのなら、彼女は愛してやまないあの人の願いを、叶えてあげるつもりだった。 どうせ、自分ももう「死ぬ」のだから。 携帯電話をしまおうとした時、グループチャットに新たなメッセージが届いた。 景佑からだったが、その内容は美穂にとって意外なものだった。 【いや、すぐに捨ててくれ】 間髪入れず、景佑から電話がかかってきた。 美穂が何か言う前に、電話の向こうから、彼の慌てふためき、緊張した声が聞こえてきた。 「美穂ちゃん、説明させてくれないか? 俺も、どうしてあの箱がうちにあるのか分からないんだ。 すぐに全部捨てるから、気を悪くしないでくれ」 美穂は答えず、ただ涙が止めどなく流れるばかりだった。 変わり果てた娘の亡骸を見つめていると、ふと妊娠がわかった日のことを思い出した。 それは景佑と結婚して二年目、二人が深く愛し合っていた頃のことだった。 児童養護施設で酷いいじめを受け、長期間栄養失調だったため、医師からは妊娠の可能性は極めて低いと言われており、特に避妊はしていなかった。 妊娠が判明した時、彼女は仕事の絶頂期にあり、本当はこの子を望んでいなかった。 しかし、父親が景佑だったため、最終的にはキャリアを諦めることを選んだのだ。 愛ちゃんはお腹の中にいる時からとてもおとなしく、美穂は妊娠中も特に苦労はなく、産後もすぐに体型が戻り、仕事はかえってさらなる成功を収めた。 景佑は当時、愛ちゃんは天が授けてくれた最高の贈り物だ、必ず大切にすると言っていた。 それなのに、愛ちゃんの命がわずか三歳で突然奪われた時、彼は娘を殺した犯人に対し、むしろ罪悪感を抱いたのだ。 あの供養の灯に火を灯す時、彼は娘に対し、わずかでも申し訳ないという気持ちを抱くのだろうか。 「美穂ちゃん?」 景佑の声が電話の向こうから響き、美穂は回想から我に返った。顔はすでに涙でぐしょ濡れだった。 娘の血の気のない、変わり果てた顔を見つめ、彼女は深く息を吸い込み、ようやく口を開いたが、彼の言葉には答えなかった。 「あなた、あの常夜灯って、本当に愛ちゃんが来世で幸せになれるよう、守ってくれるのかしら?」 「もちろんだ……どうして急にそんなことを聞くんだ?」 景佑は途端に緊張した様子を見せ、さらに何か言おうとしたが、電話の向こうの美穂はすでに軽く笑っていた。 「別に。ただ、少し昔のことを思い出しただけ」 美穂の落ち着いた口調を聞いて、景佑はかえって不安を募らせた。 あれこれ考えた末、彼はその原因を遥の遺品の箱にあると思い至り、慌てて再び口を開いた。 「帰ったらすぐに調べさせて、彼女に関するものは全部捨てる。彼女は俺たちの愛ちゃんを殺したんだ、俺は……」 「いいのよ。もう亡くなった人なんだから、物は取っておけばいいわ」 美穂の心はすでに死んだように冷え切っていた。 彼女は景佑の言葉を遮り、聡也と共に、斎場の職員に続いて火葬炉の方へと歩き出した。 景佑は心中の不安をますます募らせ、美穂がまだ電話を切らないうちに、急いで言葉を続けた。 「捨てるよ……美穂ちゃん、外にいるのか?迎えに行こうか?」 「ええ、いいわよ」 美穂は景佑の申し出を断らなかった。愛ちゃんが火葬炉に送られていくのを見届け、涙を拭い、景佑に一つの住所を告げた。 「あなた、私、西郊の市営斎場にいるわ。来ていいよ」 第5話 西郊の市営斎場? 景佑は頭が真っ白になり、言葉がしどろもどろになった。 「斎場?うちの誰かが……いや、美穂ちゃん、お前がどうしてそんな場所に?」 美穂は鼻をすすりながらも、その声は妙に落ち着いていた。 「何でもないのよ。ただ、養護施設にいた頃の友達が亡くなったの。 昔、とてもお世話になった人だから」 それを聞いて、景佑は少し安堵し、ようやく疑念が晴れた。 美穂に何か感づかれるのを恐れ、彼は急いで車のキーを手に取り、斎場へと向かった。 一方。 美穂は電話を切ると、隣にいる聡也に視線を向け、ついに意を決したように言った。 「長谷川社長、お彼岸の日に、私の家まで迎えに来ていただけますか」 「わかった。その時はプライベートジェットを手配して、君と愛ちゃんも一緒に連れて行こう」 聡也は美穂の意図を察し、少し間を置いてから尋ねた。 「離婚の手続きも手伝おうか?」 美穂は首を横に振り、感謝の笑みを浮かべた。 「いいえ、大丈夫です。愛ちゃんのこと、見つけてくださってありがとうございました」 離婚なんて、どうでもいい。 今回、彼女は完全に姿を消すつもりだった。 景佑に自分を見つけられる隙など、決して与えるつもりはなかった。 「君が自分のルーツに戻ると決めた以上、私は君の叔父のようなものだ。遠慮はいらない」 聡也はそう答えながら、何気なく腕時計に目をやり、続けた。 「彼はもうすぐここに着くだろう。私はこれで失礼するよ」 美穂は頷き、聡也を見送ると、赤く腫れた目をこすった。胸に複雑な感情が込み上げてくる。 彼女は幼い頃から養護施設で育ち、十歳の時、十八歳の景佑に、父親の旧友の子供だという縁で引き取られた。 初恋の頃、彼女は景佑を想っていたが、何度も拒絶され、ようやく諦めた。 ところが、二十歳の年、遥が結婚式当日に逃げ出し、運命のいたずらで、彼女が景佑と結婚することになった。 同じ年、聡也が彼女を訪ねて海外からやって来た。 美穂と景佑の関係を知った彼は、顔を曇らせながらも多くを語らず、ただ、景佑は良い人間ではないから、自分と一緒に行こう、とだけ言った。 彼女はもちろん信じなかったが、それ以来、聡也は国内に留まり、何かにつけて景佑に敵対した。 そのため、美穂はかつて聡也をひどく嫌っていた。 まさか、巡り巡って、彼に助けられることになるとは夢にも思わなかった。 「お悔やみ申し上げます」 職員が愛ちゃんの骨壺を彼女の手に渡すと、美穂は我に返り、礼を言った後、骨壺に貼られた名前のシールを剥がした。 景佑もちょうど車を停めたところで、美穂が骨壺を抱え、辛そうに階段を降りているのを見て、急いで駆け寄り手伝おうとした。 しかし、その骨壺はあまりにも軽く、到底大人のものとは思えない重さだった。 美穂が愛ちゃんの行方を知るはずがないと確信していても、彼の心はなぜか言いようのない不安に駆られた。 美穂は彼の表情を窺っていたが、終始何も言わなかった。 家に着くと、彼女は骨壺を抱え、まっすぐ寝室に入り、それを枕元の棚に置いた。 景佑は胸がどきりとし、何か言いかけたが、美穂が彼に視線を向け、静かに尋ねるのが見えた。 「あの子は昔、私にとても良くしてくれたの。 でも、亡くなる時、遺骨を引き取る人もいなくて……あなた、気にならない?」 「構わないよ」 それを聞いて、景佑は少し安堵した。 美穂の目が赤いのに気づくと、彼はすぐに救急箱から冷湿布を取り出して彼女の目元に当て、優しく声をかけて寝かせた。 「昨夜もよく眠れなかったんだろう、美穂ちゃん。 今、少し眠るといい。夕食を作ってくるから、ね?」 美穂は頷き、景佑が出て行くのを見送ると、深呼吸をした。 彼が自分を救ってくれた恩…。彼のためにこの三年間、耐え忍んできたことで、その恩も帳消しだ。 お彼岸の日に起こす大きな火事。それで、彼との貸し借りはなくなる。 スマホが鳴った。聡也からの電話だった。 美穂は我に返り、電話に出た。 「……叔父様、何かご用ですか?」 その呼び名を聞いて、聡也は少し驚いたが、すぐに軽く笑って言った。 「ああ、ただ君を迎えに行く以外に、何か他に手伝えることはないかと思ってね」 それを聞いて、美穂は少し言葉をためらい、寝室のドアがしっかり閉まっているのを確認してから、声を潜めて尋ねた。 「叔父様……死亡証明書をできるだけ早く発行していただき、戸籍も抹消していただくことは……可能でしょうか。 私、完全に姿を消したいのです。そうすれば、あの人はもう二度と私を見つけられ……」 「美穂ちゃん、今日は照り焼きチキンがいいか、それともコーラで煮込んだチキンがいいか?」 美穂の言葉が終わらないうちに、景佑がドアを開けて入ってきた。 彼女はどきりとして、思わず電話を切った。 美穂の行動を見て、景佑は少し呆然とし、ドアを開ける前、かすかに耳にした言葉の断片を思い出した。 消える、見つからない…… まさか、美穂はもう何かを知っているのか?沙耶が彼女に話したのか? 景佑の頭の中は混乱し、何度か深呼吸をして、ようやく落ち着きを取り戻した。 彼は慌てて駆け寄り、美穂の手を握った。声が震えている。 「美穂ちゃん、さっき誰と電話していたんだ?」 第6話 「昔の同僚よ。あなた、どうかしたの?」 美穂は何も知らないふりをしたが、景佑は激しく首を横に振り、彼女を腕の中に強く抱きしめた。 「いや、聞こえたんだ。君が消えるとか、見つからないとか言っているのが……」 彼は彼女を必死に抱きしめ、その瞳の奥には心配と動揺がありありと浮かんでいた。 美穂の胸は微かに震えたが、ベッドサイドテーブルの骨壷に目をやると、思わず寂しげに微笑んだ。 なんという皮肉だろう。 彼女は、景佑が自分を少しも気にかけていないから、二人の娘のことも気にかけていないのだと思っていた。 今わかったことは……景佑は彼女を愛しているのだ。 ただ、景佑がこれほど彼女を愛していても、彼女は遥には敵わない。 たとえ遥が自分の娘の死を招き、自分の人生をめちゃくちゃにしたとしても、景佑の目には、それは大したことではないのかもしれない。 理想化された「初恋の人」の存在は、やはりあまりにも大きく、時に人の心を深く掻き乱すものなのだ。 ましてや、その「初恋の人」は彼にとってかけがえのない人で、彼への愛が最も深かったであろう時に亡くなったのだから。 彼女はふと疑問に思った。 もし常夜灯が倒れたら、景佑はまず自分を助けるのか、それとも……まず「初恋の人」の遺骨を拾い上げるのだろうか? そこまで考えて、美穂は自分の考えにハッとし、すぐに自嘲の笑みを浮かべた。 やはり自分はどうかしている。 景佑に助けてほしいと願いながら、助けてほしくないとも願う。 彼女自身、自分が景佑を気にしているのか、もう気にしていないのか、よく分からなくなっていた。 「美穂ちゃん、何か言ってくれ、頼むから怖がらせないでくれ」 美穂が腕の中で身じろぎもしないので、景佑はますます狼狽し、事の真相を全て打ち明けて彼女の許しを請いたいとさえ思った。 彼女のこれまでの苦難は、ほとんど景佑に原因があった。 もし彼女が復讐を望むなら、彼は何の文句も言わない。 しかし、もし彼女の復讐の方法が自分のそばから去ることだとしたら、彼は絶対に許せない。 緊張した面持ちの景佑を見て、美穂は我に返り、自ら彼の額にキスをした。 「あなた、何を馬鹿なこと考えているの。 私が言ったのは、あの雑多な物が入った箱のことよ。 全部昔の思い出だし、このまま捨ててしまうのは、なんだか気が引けて……」 「だめだ!」 美穂が言い終わる前に、景佑は彼女の言葉を遮り、きっぱりと言った。 「家の中に、あの子が残した痕跡が少しでも残っているのは許さない」 痕跡を残すことは許さないのに、遺骨は置いておけるのだ。 実に馬鹿げている。 美穂はそれ以上何も言わず、ただ静かに景佑の肩にもたれかかった。 彼女はふと、ひどく疲れているのを感じた。 心の病が彼女を三年間苦しめ、常に安眠を妨げ続けていた。 抗うつ薬を大量に飲み続けても、必死に維持してきた体型が徐々に崩れていくだけで、ほとんど効果はなかった。 彼女の心身がボロボロになった時、最も愛する人が彼女のために必死で繕ってくれ、彼女はついに救われたのだと思った。 しかし、その救いは見せかけのもので、一つの常夜灯が、彼女の傷口もろとも、彼女自身を焼き尽くしてしまうのだ。 彼女という存在が、その痕跡さえ残さず灰になるまで。 …… それから数日、景佑は相変わらず毎日ひざまずいて拝んでいた。 美穂はそれを目にしても何も言わず、ただ頃合いを見て、愛ちゃんの遺骨を聡也に渡した。 たとえお彼岸の日に、景佑が突然良心が咎めて考えを変えようとも、彼女は彼が娘にもう一度会うことを許すつもりはなかった。 景佑はそれに全く気づいていなかった。 導師が言った日は今年のお彼岸だったが、日が近づくにつれて、彼はかえって不安になり、かすかな後悔さえ感じ始めていた。 お彼岸の前夜、またしても雷雨の夜だった。 景佑は胸いっぱいの不安を抱え、美穂を抱いて眠りについたが、ほどなくして、なんと愛ちゃんの夢を見た。 この三年間で、愛ちゃんが彼の夢に出てきたのは初めてだった。 美穂によく似た娘が、舌足らずな声で抱っこをせがみ、彼が笑顔でしゃがみ込むと、愛ちゃんは突然向きを変え、まっすぐ前へと走り去ってしまった。 彼は言いようのない不安に駆られ、急いで追いかけた。 しかし、その道はどこまでも続くかのように長く、彼は長い間追いかけたが、結局追いつけなかった。 「あなた」 ――景佑が途方に暮れていると、美穂が突然現れ、腕には愛ちゃんを抱いていた。 彼はほっと息をつき、母娘を抱きしめようと一歩踏み出そうとした瞬間、目の前で突然大きな火が燃え上がった。 炎が美穂を巻き込み、徐々に飲み込んでいく。 景佑は彼女を助けようとしたが、彼女は炎の中へと歩いていき、彼に一瞥もくれなかった。 「だめだ!」 景佑ははっと目を覚まし、美穂がまだ腕の中にいるのを見て、ようやく少し安心した。 空はすでに白み始めていた。彼は一瞬ためらったが、ついに起き上がり、愛ちゃんの死亡診断書を探し出すと、急いで出て行った。 彼が出て行った途中、美穂は目を開けた。 階上から彼の車が去っていくのを見送り、彼女は寂しげに微笑み、心は冷え切っていた。 やはり、彼は最終的に「自殺した」とされる初恋の人を選んだのだ。 それならば、彼女ももう彼に何の未練も抱く必要などない。 スマホが鳴った。聡也が準備を終えたという連絡だった。 彼からのメッセージを見て、美穂は深呼吸をし、クローゼットからウェディングドレスを取り出し、骨壷が置かれた小さな部屋へと向かった。 常夜灯がついに倒れた。 炎の中、美穂は薬指の指輪を外し、それが炎に飲み込まれるに任せた。 第7話 聡也の手引きで、美穂は音もなく屋敷を離れた。 火の勢いはますます強まり、沙耶も濃い煙に咳き込みながら目を覚ました。 半開きの主寝室のドアが目に入り、沙耶の瞳に昏い光が宿る。そして、外から主寝室のドアに鍵をかけた。 階下で荒い息をつきながら立つ彼女は、興奮のあまり、思わず声を上げて笑い出しそうになるのをこらえた。 やはり、天も自分に味方したのだ。 あの時、美穂を車で轢き殺せなかったこと、みすみす3年も長生きさせてしまったこと、そして、あの足のせいで景佑の同情を買い、彼のそばにいさせてしまったことは、沙耶にとって最大の屈辱であり失敗だった。 美穂は3年間も自分の居場所を奪い続けた。今こそ、その報いを受ける時が来たのだ! 燃え盛る炎の光が、沙耶の表情をますます興奮に歪ませていく。屋敷からさほど離れていない場所に、見慣れない車が一台停まっていることには全く気づかなかった。 景佑もちょうどその時、車で引き返してきた。 朝、はっと目を覚ましてから、どうにも心が落ち着かなかった。死亡診断書を受け取った後も、どこか上の空で家を出た。 斎場に着く寸前、遥の骨壷を持ってくるのを忘れたことに気づき、慌てて家に戻ってきたのだ。 しかし、車を停めた途端、屋敷からもうもうと黒煙が立ち上っているのが見えた。 「なぜ火事が?」 景佑は愕然とし、足早に庭へ駆け込んだ。だが、美穂の姿は見当たらない。 「美穂ちゃんは?」 あの妙に生々しい夢が再び脳裏をよぎり、景佑は胸騒ぎを覚えた。すぐに、その場に茫然と立ち尽くす沙耶に視線を向けた。 「妻はどこだ?」 「あ、義兄さん。奥様のことですか」 沙耶ははっと我に返り、内心で歓喜の声を上げた。 しかし表面上は、まだ動揺が収まらないといった表情で言った。 「奥様は朝早く病院へ向かわれましたわ。本当に幸いでした。 でなければ、こんなに火の勢いが強くて……」 この火事なら、美穂はあの不自由な足では、骨も残さず焼け死ぬに違いない。 そうなれば、本来自分のものだったすべてを取り戻せるのだ。 そう思うと、沙耶の表情は一層凄みを帯びた。 景佑はそれに全く気づかず、ただ少し意外に思っただけだった。 確かに今日は治療の日だ。 しかし……いつもなら、自分が昼に会社から戻ってから、一緒に病院へ行くはずだった。 今日は、どうして一人で行ったのだろう? 「義兄さん、姉さんがまだ火の中に……」 沙耶の声が、景佑を思考の淵から引き戻した。 炎が屋敷全体を飲み込もうとしているのを見て、彼は一瞬ためらったが、すぐに意を決し、火の中へ飛び込んだ。 遥はあの時、無残な死を遂げた。彼女の遺骨まで失うわけにはいかない。 これが最後だ。 …… その頃、屋敷からそう遠くない場所に停められた車の中。 美穂は助手席に座り、車の窓越しに遠くで起こっている一部始終を見ていた。 あまりに遠すぎて、二人の会話までは聞こえない。ただ、景佑がためらうことなく火の中に飛び込んでいく姿だけが見えた。 一瞬、彼女は言いようのない不安に襲われ、思わず服の裾を強く握りしめた。 景佑は二階に上がって自分を探すだろうか? もし上がれば、自分がもういないことに気づくはずだ。 自分が去ったと知ったら、彼はどうするだろう? 世界中を探し回るのか、それとも…… 自分が火事で死んだものとして、他の誰かと結婚するのだろうか? 美穂の思考は千々に乱れていた。 聡也はそのすべてを目にしながらも、何も言わなかった。ただ静かに、彼女が決断を下すのを待っていた。 聡也はすべての真相を知っており、美穂の人生における苦難が、ことごとく景佑に起因することも知っていた。 彼の立場からすれば、美穂を再び苦しみの中へ戻したくはなかった。 しかし、美穂は結局のところ景佑と十年も共に暮らしてきたのだ。 世間知らずの子供から、恋を知り始めた少女へ、そして大きな不幸を経験するその時まで、ずっと景佑が彼女のそばにいた。 たとえ彼女が今この場で心変わりしたとしても、自分も彼女を責めることはないだろう。 彼はこれまでと同じように、彼女のそばに居続けるつもりだった。 一方、景佑は炎の中に飛び込むと、まっすぐ例の小部屋へ走り、骨壷を抱き上げた。 しかし、立ち去ろうとした時、ふと部屋の隅に見慣れたものがあるのに気づいた―― 美穂の義足だった。 「なぜここに?」 景佑の心に疑問が湧いた。しかし沙耶の言葉を思い出し、それ以上深く考えることなく、すぐに骨壷を抱えて火の中から飛び出した。 沙耶と手短に言葉を交わすと、彼は骨壷を抱えて車に乗り込み、急いで走り去った。 美穂は景佑が去っていく姿をただ見つめていた。自嘲の笑みが浮かんだが、涙が意思に反して頬を伝い落ちた。 炎の中に飛び込んでから出てくるまで、景佑は2分もかからなかった。 彼らの寝室は二階で、骨壷を納めた小部屋は一階。あの短い時間では、足の不自由な景佑が二階の寝室まで自分の様子を見に来る時間は到底なかったはずだ。 つまり……景佑は家に入ってから、まっすぐ骨壷のある小部屋へ向かい、寝室に自分を探しに来るようなことは全くしなかったのだ。 そこまで考えると、彼女はついに深く息を吸い込み、決意を固めた。 「叔父様、行きましょう」 彼への一途な想いは、ついにこの火事で灰燼に帰し、完全に消え去った。 これから先、二度と彼に会うことはないだろう。 聡也は頷き、車を発進させた。 交差点で赤信号を待っていると、彼の車は偶然にも景佑の車の隣に停車した。 不意に隣に並んだ車、その助手席に見慣れた横顔を認め、景佑は息をのんだ。