余命を告げられた日、夫は初恋相手のそばにいた

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余命を告げられた日、夫は初恋相手のそばにいた

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私の28歳の誕生日、夫の舟山秀樹(ふなやま ひでき)は出張で留守だった。 私は診断書を手に、電話口で小さな声で聞いた。 「話したいことがあ...

Chương (1)

第1章

私の28歳の誕生日、夫の舟山秀樹(ふなやま ひでき)は出張で留守だった。 私は診断書を手に、電話口で小さな声で聞いた。 「話したいことがあるから、今夜、戻ってきてくれない?」 彼の返事は冷たかった。 「僕は医者だ。命を救うより大事なことがあるのか?」 そして、電話は一方的に切られた。 その直後、私はインスタで彼の初恋の女性が投稿した動画を見つけた。 【ちょっと足を捻挫しただけなのに、彼ってば子供みたいに大騒ぎ!昔と違ってもう偉い医学教授なのにね~】 その瞬間、私は彼を問いただす気力を失った。 ――私はがんだった。しかも余命が残りわずか。 第1話 私の28歳の誕生日、夫の舟山秀樹(ふなやま ひでき)は出張で留守だった。 私は診断書を手に、電話口で小さな声で聞いた。 「話したいことがあるから、今夜、戻ってきてくれない?」 彼の返事は冷たかった。 「僕は医者だ。命を救うより大事なことがあるのか?」 そして、電話は一方的に切られた。 その直後、私はインスタで彼の初恋の女性が投稿した動画を見つけた。 【ちょっと足を捻挫しただけなのに、彼ってば子供みたいに大騒ぎ!昔と違ってもう偉い医学教授なのにね~】 その瞬間、私は彼を問いただす気力を失った。 ――私はがんだった。しかも余命が残りわずか。 彼が戻ってきたのは、それから一週間後だった。 私はその日もベッドで寝ていた。 眠れない夜が続き、痛みに耐えきれず睡眠薬に頼っていたから、時間の感覚もおかしくなり、気づけば午後になっていた。 秀樹は荷物を置き、ベッドに腰を下ろすと、私の頬に手を当てて眉をひそめた。 「……痩せた?」 「最近はちょっと食欲がなくて」 私は彼の手を避け、ベッドの縁に手をついて体を起こす。 彼は一瞬戸惑った表情を見せ、ポケットから有名ブランドのブレスレットを取り出した。 「遅くなったけど、お誕生日おめでとう。 あの日は忙しすぎて……君の誕生日だってことを忘れてしまったんだ、ごめん」 「大丈夫だよ」 私は小さく笑って、ブレスレットを受け取った。 彼は少し驚いたような顔で私を見つめる。「本当に……大丈夫?」 大丈夫だよ。ただ、誕生日を忘れられただけ。 誕生日にがんだと診断されることと比べたら、たいしたことじゃない。 彼が隣町へ出張していた間、私は何度も吐き、眠れない夜を繰り返していた。 28歳の誕生日のその日、特に症状はひどかった。 頑張って用意した夕飯を前に、突然込み上げてきた吐き気にトイレへ駆け込んだ。 吐き終わってから、気晴らしに友人へボイスメッセージを送ると、友人は興奮気味に電話をかけてきた。 「え、それって妊娠じゃない?」 その一言に私は一瞬固まったが、急に嬉しくなって、病院へ向かった。 途中、お腹を優しくなでながら、彼にどう伝えようかと想像していた。 秀樹は子どもを望んでいた。結婚して六年、薬も治療も試したけど、それでも授かれなかった。 もし今回、本当に妊娠していたら、彼はきっと喜んでくれるはずだ。 私は彼にメッセージを送った。【今日、何時に帰るの?】 返信はなかった。忙しいのだろうと思い、とりあえず検査を受けた。 結果が出た瞬間、頭の中が真っ白になり、スマホを持つ手も震えてしまった。 そのとき、通知音が鳴った。 ――秀樹からのメッセージだった。 【出張中って言ってたよね?】 そうか。彼は今日が私の誕生日だってことを、忘れてるんだ。 画面に涙が落ちた。恐怖と、寂しさと、どうしようもない悲しみが胸を押しつぶす。 診断書を握りしめ、私は深呼吸をして、どうにか気持ちを落ち着かせてから彼に電話をかけた。 一度目はすぐ切られた。私は諦めきれず、もう一度かけることに。 普段なら、彼が出なければそれで諦めていた。 彼の仕事が忙しいのは分かっていたし、患者さんの命の方が大切だってことも理解していた。 でも今日だけは、わがままを通してみたかった。 しばらくして、電話がつながり、彼の低くて少し苛立った声が響く。 「何?」 私は震える声で言った。 「話したいことがあるから、今夜、戻ってきてくれない?」 彼は私の言葉をさえぎるように言った。 「僕は医者だ。命を救うより大事なことがあるのか?」 そう言われ、私の声が詰まった。 「私ももうすぐ死ぬ、私の命は大事じゃないの?」と言いたかった。 しかし電話はもう切られ、静寂の中に、ツーツーという音だけが虚しく鳴り響いていた。 電話を置いて、私は肩を落とす。消えかけた画面を見つめながら、涙が止めどなくこぼれた。 第2話 ぼんやりとしたまま家に帰り、ソファに座り込むと、無意識にスマホで動画をスクロールしていた。 これで心の中の恐怖が紛れると思っていたが、無駄だった。 むしろ不安はどんどん膨れ上がっていく。 どうしてまだ28歳なのに、こんな病気にかかってしまったの? どうして私の夫は、私の話を最後まで聞く時間すらくれないの? そんな疑問が頭をよぎったとき、偶然目に入ったのは、秀樹の初恋、森川安奈(もりかわ あんな)が投稿した動画だった。 すべてが繋がった気がした。 彼女の位置情報は、秀樹が出張で向かっている隣町だった。 1時間前に投稿された動画には、ソファに横たわる安奈の白く細い脚が、親しげに男性の膝の上に乗っていた。 男性の大きな手が、彼女の足首をやさしく撫でている。 キャプションにはこんな文章があった。 【ちょっと足を捻挫しただけなのに、彼ってば子供みたいに大騒ぎ!昔と違ってもう偉い医学教授なのにね~】 コメント欄は【まるでドラマみたい!】【エリート医者と心優しいダンサー、二人は初恋だなんてまさに運命なんだね】と盛り上がっていた。 もし、この動画に映っていた男性が私の夫じゃなければ、きっと私も「お似合い」なんてコメントしていたと思う。 爪が掌に食い込むほど強く握った拳が痛かった。 なるほど、「命を救う」彼は、捻挫の手当てをしていたのか。 彼女が足を捻挫したから、彼は私の電話を切った。 私ががんを宣告されたその日に、彼は私の誕生日を忘れ、初恋の彼女のそばにいた。 胸がむかむかして、私はスマホを乱暴に閉じ、洗面所に駆け込んで吐いた。目の前がかすみ、涙が止まらなかった。 その夜、私は秀樹とのウェディングフォトを一晩中見つめていた…… 「葵(あおい)、なに考えてる?」 我に返ったら、秀樹が目の前で手を振っていた。 何度も夢に出てきたあの顔を見つめる。 もう、私はこの人のことを愛していないかもしれない。 私と秀樹は、見合いで出会った。 それは22歳の時、私の人生はどん底だった。 義父が病気になり、治療費が必要だったのだ。 私は大学に通いながら三つのバイトを掛け持ちしていた。 朝は学食で配膳、昼は塾講師、夜は宅配物の仕分け。 一学期働き通して、やっと60万円を貯めた。 そのお金を母に渡したとき、彼女は私を引き止めてこう言った。 「葵、大学はもうやめなさい。 いい見合い相手を見つけたから、会ってみたら?」 私は思わず言葉を失った。 「え……どうして? お金を渡せば通っていいって言ってくれたじゃない」 「このくらいじゃ足りないのよ」 彼女は冷たく言い捨て、札束をバッグにしまった。 私の胸には熱いものが込み上げてきたが、涙は出なかった。 「じゃなんで安奈に頼まないの?彼女のお父さんでしょう?」 母の顔色が変わり、私を平手打ちした。 「安奈はあんたの妹なのよ!なにをバカなことを!」 「でも私だって彼女より3ヶ月早く生まれただけだよ?」 鼻血がにじみ、私は顔をそらして笑った。けれど、その笑顔は泣き顔よりもひどかった。 なぜそう言い返したか、自分でもよくわからなかった。 母にとって安奈は私より一万倍も大事だとわかっているのに。 私の方こそ、彼女の実の娘だというのに。 幼い頃に両親が離婚し、私は母の元で育った。最初の頃は「私のたった一人の支えよ」と優しかった。 けれど、母が再婚し、義父とその娘、安奈が家族になった瞬間、すべてが変わった。 初めて顔を合わせた日、母は私のお気に入りの人形を取り上げ、安奈に渡した。 あの日から、母は愛情をすべて安奈に注いだ。悪どい義母だと思われないために。 そして私は両親がいる「孤児」になった。 鼻血を拭いながら、母の目をまっすぐ見て言った。 「私は大学をやめない。今まで育ててもらった恩は、もう返し終わったと思ってる。 そんなに結納金が欲しいなら、彼の実の娘に頼んで」 そう言って私は家を出ようとしたが、母は激昂し、私を追いかけて殴りながら叫んだ。 「葵!この親不孝な娘!私と縁を切るつもりなの?親の恩は一生かけても返せないわよ! あんたを産むためにあんなに苦労して、しかも難産で死にかけたのよ?恩を返し終わったなんてよく言えたわね!」 こういった話に私はもう慣れていた。安奈のことで私が不平不満をこぼすと、母は決まって「産んだ恩」を盾にして、私の口を封じようとした。 黙って母の罵声を浴びていたら、彼女は涙を流し始めた。 「葵、母さんの気持ちはわかるでしょ?お父さんの手術費、600万もかかるのよ。安奈はあの人の実の娘、もし彼女を嫁に出せば、周りから何を言われるか…… 私はね、あんたのために再婚したのよ。父親のいない子にならないように、豊かな暮らしができるようにって……」 その言葉に、自分の目が死んでいくのがわかる。 母がかけてきたプレッシャーはまるで岩のように重たく、息すら苦しくなってしまう。 私は目を閉じ、これは運命だと諦め、首を縦に振った。 見合い当日。母が言っていた35歳の成功した実業家が目の前に現れたとき、私は少し驚いた。 見た目は若くて、端正な顔立ちだった。 彼も親のプレッシャーで来たらしく、最初だけ軽く名乗った――舟山秀樹だと。 それ以降、彼はまるで何かの業務を遂行しているかのようで、ずっと淡々とした表情をしていた。 私も開き直って、家庭の事情や母の要求をすべて正直に話した。 「異父姉妹がいる」と言った瞬間、気のせいなのか、彼の顔が固まった気がした。 安奈のことを知ってるのかと尋ねようとしたとき、彼が先に口を開いた。 「僕たち、相性がいいと思うけど、結婚しない?」 私は唖然し、言葉が少し詰まる。「ほ、本当に、そんなに高額な結納金を払ってくれるの?」 彼は真剣な顔でうなずいた。 こうして、私たちは恋愛をすっ飛ばして結婚した。 私は「愛のない婚姻生活」を覚悟していたが、秀樹はとても優しかった。 まるで本物の恋人のように花束を持って仕事場に迎えに来てくれたり、観覧車に付き合ってくれたり。「葵ちゃん」と呼んでくれて、甘い言葉もささやいてくれた。 私を泥沼から救い出し、愛すること、愛されることを教えてくれたのは、彼だった。 だから私は、このまま平穏に、幸せに生きていけると思っていた。 でも現実は残酷だった。後から知ったが、見合いの日、私はとある勘違いをした。 秀樹が私と結婚したのは、初恋の相手――安奈への当てつけにすぎなかったのだ。 第3話 「別になにも。ほんとに平気。あなたが忙しいってわかってるから」 私は彼を見て微笑んだ。何も問い詰めず、いつものように彼にとって都合のいい理由を与えてあげた。 秀樹はわずかに目をそらし、ふいに私を抱きしめた。その声には、少しだけ罪悪感が滲んでいる。 「お腹がすいただろ?何か食べたいものある?作ってあげるよ」 彼の服からは、安奈が好んで使っているライチの香水の匂いがした。甘ったるいその香りが、妙に気持ち悪くて吐き気を催す。 私は込み上げる吐き気を必死でこらえ、「なんでもいいよ」と答えた。 彼は私の異変に気づくことなく、ほっとした顔でキッチンへ向かった。 洗面所で嘔吐し、口をゆすいで戻ると、キッチンで手際よく料理をする秀樹の背中が見えた。 ぼんやりとその光景を見つめながら、現実感が薄れていく。 結婚して6年。彼が台所に立つ姿なんて、ほとんど見たことがなかった。 彼は外科医。手は患者を救うためのものだと、家事も料理もすべて私がやっていた。 しかし、安奈のインスタを見たら、とある事実が突きつけられた。 体型維持のために食事制限をする彼女が栄養不良にならないよう、彼はせっせと彼女の家で手料理をふるまっていたのだ。 【稽古が終わって帰ってきたら、彼が料理して待っててくれるの。幸せすぎる】 そう綴られた動画の中、秀樹はキッチンからいくつもの料理を運び出していた。 そのシーンだけ切り出して編集した動画は3分もあり、秀樹の違う服装から察するに、彼は相当頻繁に通っていたのだろう。 気づけば私は苦笑いしていた。今まで私がやってきたことは、本当に滑稽だったと思った。 食事ができあがり、彼が食卓に料理を並べると、私に声をかけた。 「葵、ご飯にしよう」 私は席に着いた。目の前は甘酢のスペアリブ、安奈の一番好きな料理だ。 ……途端に、食欲が消えた。 彼がスペアリブを取り、私の茶碗にそっとよそってくれた。 私は無理に一口食べたが、胃の不快感はむしろ強くなった。 箸を置き、静かに口をひらく。「……ごめんね、あんまりお腹がすいてないの。秀樹は気にせず食べて」 その瞬間、秀樹は箸をガチャンと音を立てて置いた。さっきまでの罪悪感など、跡形もなかった。 「葵、いい加減にしてくれ。 誕生日を忘れたことに怒ってるなら、はっきりそう言ってくれればいい。埋め合わせするよ。こんなまわりくどい態度は必要ない。 それに、僕は物分かりのいい君が好きなんだ。ほかの女みたいに、ちょっとしたことで騒いだりしないから」 私は彼をじっと見つめ、思わず自嘲気味に口元をゆがめた。 ――なるほど。私と結婚した理由は、「物分かりのいい女」だから、か。 なにも言い返さず、私は部屋に戻った。 彼がどう思おうと、もうどうでもよかった。今までの私なら、彼が不機嫌になるたびに、自分が悪くなくても謝っていた。 でも――もう長くない命だ。どうでもいい人のために、自分をすり減らすのはやめようと思った。 私の態度に、彼はさらに苛立ったようだ。 追いかけてきて、私の腕をつかみ、眉をひそめて言う。「いったいどうしたんだよ、前はこんなんじゃなかっただろ……」 そう言いながら、彼の顔色が変わり、慌てて私の額に手を当てる。 「葵、熱があるんじゃないのか?」 私は穏やかに彼の手を避けた。検査結果が出てから、熱や風邪なんて日常茶飯事だし、慣れっこだった。 「薬、もう飲んだから」 私が体調を崩したから食欲がなかったと彼が思ったのか、さっきの自分の発言を後悔したように、複雑な表情を浮かべて立ち尽くしていた。 胃が痛くなり、私はもうそんな彼の気持ちを気にかける余裕もなく、ただ静かに彼のそばを通り抜け、ベッドに戻った。 かなり時間が経ってから、彼もベッドに入ってきた。 何か言いたそうにしながら、口に出せずにいる。 私たちの関係では、いつも彼が主導権を握っていた。 近づいてきて優しくして、私を惹き込んでおいて、気まぐれに距離を取り、また冷たい人に戻る。 どうして彼にこんな変化があったのか、最初は理由がわからなかった。 私が何かしたのかと悩み続け、眠れぬ夜をいくつも過ごした。 でも、安奈のインスタを遡って見たとき、やっとすべてがわかった。 彼が私を避け始めたあの時期――ちょうど、彼女が海外から帰ってきた時期だった。 あの日、彼女はこう投稿していた。 【再び結ばれる運命】 画像は、十指を絡め合った恋人の手。 その晩、私は彼の帰りをひと晩中待ち、電話も何度もかけた。 翌朝、急患が来て手術になったから病院で寝たと、たった一通のメッセージが来た。 あの時のことを考え込んでいると、隣の秀樹はそっと私を抱き寄せた。彼の息が耳元に触れる。 「ごめん、葵。さっきは悪かった」 彼がこうして私を抱いて眠るのは、本当に久しぶりだった。 私は黙ってそれを受け入れた。何も言わず、何も拒まず。 翌朝、まるで何事もなかったかのように、私たちはお互いに接していた。 ただ一つ違っていたのは、秀樹の態度。 彼は少しだけ、私に優しくなった。 朝ごはんを作っていると手伝いに来て、「最近おもしろそうな映画やってるけど、仕事帰りに観に行かない?」なんて言ったり。 家を出る前に抱きしめて、キスをして、「大人しく家で待っててね」なんて囁いたり。 私はただ静かにうなずき、背中越しに彼を見送ったのだった。 第4話 クリスマスイブはあっという間にやってきた。外はすっかり冷え込んで、吐く息も白い。 秀樹は珍しく早く仕事を切り上げて帰ってきた。ドアを開けるなり、彼はまっすぐリビングのクリスマスツリーの下へと向かい、なにかを必死に探し始めたが、見つからなかったようだ。 「何を探してるの?」 私が声をかけると、彼は立ち上がり、そのまま私をぎゅっと抱きしめた。 そして、少し拗ねたような声で言う。 「葵、僕のマフラーは?どうして今年は編んでくれなかった?」 私は少し笑ってしまいそうになった。 まさか、それを探していたなんて。 例年のクリスマスイブには、私は手編みのマフラーを用意して、ツリーの下にそっと置いておき、彼が山のようなプレゼントの中からそれを見つけ出すのが、二人の楽しみだった。 でも、彼はマフラーをあまり使わない人だった。 特に要らないのかなと思い、今年は編まなかったが、まさか欲しいと言われた。 私は少し彼を押しのけ、軽くため息をついた。「だって秀樹はあまりマフラーを使わないでしょ?」 すると彼は、まるで子供のように必死になって、私の肩を握り返した。 「違うよ。君が編んでくれたマフラーは大好きなんだ」 その必死さと目に宿る温もりが、本当に私に向けたものなのかと、私は戸惑った。 それでも私は、彼のお願いを聞き入れ、マフラーを編むことにした。 夜、体の痛みで眠れないときは、静かに起きてリビングで編み針を動かした。 そしてある朝、ようやく完成したマフラーを手渡すと―― 彼は子どものように嬉しそうに首に巻き、そのまま出勤していった。眼鏡をかけ忘れたままに。 テーブルに置き忘れられた眼鏡を見て、私は迷った末、彼の職場に届けることにした。 実は、彼の働く病院に行くのはこれが初めてだった。 結婚当初、彼はこう言っていた。「仕事中に私生活のことを話題にされるの、あんまり好きじゃないんだ」 その言葉の裏にある意味は、私にはちゃんと伝わっていた。だからずっと我慢して、病院には一度も行かなかった。 案の定、受付の若い女性は私のことを知らず、「診察に来た患者さん」だと思って、親切に秀樹の居場所を教えてくれた。 彼のオフィスのドアは開いていた。中に入ろうとしたとき、私の足が止まった――そこにいたのは、見間違えるはずもない人物だった。 安奈だ。 彼女の首には、私が編んだばかりのマフラーが巻かれていた。 秀樹は、彼女に薬を飲ませようと優しく言葉をかけていた。 「薬をちゃんと飲まないと点滴になってしまうよ」 安奈は唇を尖らせて、すねたように返す。 「わかったわよ、飲めばいいんでしょ。ほんと、脅かすのがうまいんだから」 そう言いながら、彼女は目をつむって薬を飲み込み、目を開けると、秀樹の手のひらには飴玉が乗っていた。 ……その光景を見た瞬間、私はまるで誰かに思いきり頬を叩かれたような衝撃を受けた。溜め込んでいた涙が、堰を切ったように頬を伝ってこぼれた。 私はふと思った。がんの治療で毎日苦い薬をたくさん飲まなきゃいけない自分にも、もし一粒でもあんな飴玉があったなら、どれだけ救われたか。 でも、その飴は私のものじゃなかった。 安奈は口を開けて、秀樹に「飴を食べさせて」とおねだりする。 彼は笑って、飴の包みを剥こうとした時、ようやく私の存在に気づいて立ち上がった。 「葵、どうして、ここに……?」