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色褪せた愛よ、さようなら
千早名月(ちはや なつき)は、誰もが羨む完璧な結婚生活を送っていた。骨の髄まで愛してくれる完璧な夫とともに。 しかし妊娠が判明したその...
Chương (1)
第1章
千早名月(ちはや なつき)は、誰もが羨む完璧な結婚生活を送っていた。骨の髄まで愛してくれる完璧な夫とともに。
しかし妊娠が判明したその日、彼女は衝撃の真実を知った――最も信頼していた夫が、実は2年間も浮気を続けていたことを。
しかもその浮気相手は、大学時代に彼女を執拗にいじめていた吉塚青(よしづか あおい)であり、二人の間にはすでに双子の子どもまで生まれていた。
あの愛人は繰り返し挑発を仕掛け、夫もまた、愛人と密会するために幾度となく彼女を欺いてきた。
裏切られた約束に復讐するため、名月は躊躇なく中絶を選び、さらに自身の死を偽装する事故を企てた。
そして去る間際、流産したときの診断書と、愛人からの挑発の証拠を贈り物として夫に託し、「数日後に開けて」とだけ言い残した……
第1話
「プライベートジェットでの墜落事故を偽装してほしいの。笹原嘉行(ささばら よしゆき)と綺麗に別れたいから」
そう頼んできた千早名月(ちはや なつき)の言葉に、親友の柳橋園子(やなぎばし そのこ)は思わず顎が外れそうになった。幻聴かとさえ思った。
まるで、あの二人が結婚すると聞かされたときのように。
貧しい田舎から出てきた女の子と、Z市の名門・笹原家の御曹司。まるで住む世界が違うふたりが、誰もが予想しなかった形で結ばれたのだ。
世間は騒ぎ立てた。嘉行がただの遊びで付き合っているとか、叶わぬ恋の代わりに選ばれた「影武者」にすぎないとか、はたまた誰かと賭けをして結婚したのだとか。
だが、結婚して三年。嘉行はすべての疑念を行動で打ち消してきた。彼が結婚したのは、ただひとえに名月を愛していたから――それだけだった。
しかも、狂おしいほどに。
出会った瞬間、彼は名月に一目惚れし、激しくアプローチを開始した。
プレゼントを惜しみなく贈るだけではなく、「千早名月」の名義で数千億を慈善団体に寄付し、世界各地に「名月小学校」を設立した。
彼の願いはただ一つ。世界中の誰もが名月の名を知り、彼女が困ったときには必ず誰かが手を差し伸べてくれるように、と。
彼女と過ごす時間を少しでも増やすため、名月のアルバイトにも付き添った。飲食業、チラシ配り、宅配の仕分け作業……
生まれてこの嘉行、自分の服すら洗ったことのない御曹司が、歯を食いしばって二年もの間、彼女と一緒に汗を流した。
バイオリンを奏でていた繊細な指は、今では荒れてしまった。
その誠意がようやく名月の心を動かしたのだが、二人の家柄の差はあまりにも大きく、笹原家はふたりの交際を断固拒絶した。
彼は両親の同意を得るため、十六度も家族からの制裁を受け、鞭で打たれて血まみれになった。今でも背中には傷跡が残っている。
それでも彼は諦めなかった。ついにはすべての財産と跡継ぎの地位を放棄し、一から起業したのだ。誰にも口を出させないために。
周囲の友人たちは「狂った」と笑った。数十代かけても使いきれない財産を手放してまで、たった一人の女性に尽くすなんて。
家族も手を焼き、ついには二人の結婚を認めるしかなかった。
結婚後、彼は周囲のスタッフをすべて男性に入れ替えた。
名月が何も要求していないにもかかわらず、行動予定を細かく報告し、居場所を確認できるようGPSまで装備した。
ネット上では「神のような愛」と称賛され、純愛を信じる者たちの象徴として彼らのカップル人気は沸騰、数多の芸能人をも凌ぐ勢いだった。
だが――
名月以外、誰も知らなかった。
この完璧な男が、密かに別の女性と双子をもうけ、外で別の家庭を築いていたことを。
その事実を知った日、名月は血を吐いて気を失った。
この知らせを聞いた嘉行は、数百億の取引を即座にキャンセルし、すぐに帰国した。昼夜問わず彼女のそばに付き添った。
名月が目を覚ましたとき、彼はベッドの傍らで点滴チューブを握って温めながら、心配そうに彼女を見守っていた。
「目が覚めた?本当に……怖かったんだ」
彼は顔を彼女の手にすり寄せ、涙をこぼしそうだった。
過去、銃口を突きつけられても眉一つ動かさなかった男が、名月の吐血に膝を崩したという。
彼の目に宿る焦りと心配――それが演技でないことは、誰よりも名月自身が知っていた。
この人は、本当に自分を愛している。
けれど、同じその目で吉塚青のことも見つめたのだろうか?
あの甘い言葉を、彼女にも囁いたのだろうか?
吉塚青(よしづか あおい)。彼の浮気相手であり、幼なじみ。
嘉行が名月を追いかけ始めたと知った当時、青は名月に執拗な嫌がらせをした。バイト先で難癖をつけ、仕事を潰し、果てはチンピラをけしかけて辱めようとまでした。
だが、それを止めたのも嘉行だった。告白しに来た彼がその場に居合わせたのだ。
彼は吉塚家との縁など一切気にせず、そのまま吉塚家を破産に追い込み、母に止められなければ命さえ奪っていただろう。
だからこそ、あの醜い動画と親子鑑定書を目にするまでは、名月は彼の裏切りを信じることができなかった。
もう、子どもは一歳だというのに。
名月は目を閉じて顔をそらし、涙が頬をつたって枕を濡らした。
嘉行はその涙に気づかず、「さっき先生が言ってたよ。君、妊娠してる。二ヶ月目だって!」と嬉しそうに声を弾ませた。
「五日後は俺たちの結婚記念日だし、赤ちゃんもできた。まさにめでたいことが重なるんだよ!」
その瞬間、名月の目が見開かれた。
幼い頃、父親に氷河に突き落とされて凍傷を負い、医者には「妊娠は難しい」と何度も言われてきた。
それを知っている笹原家の両親は、彼女に冷たい態度を取った。
彼女は我慢してきた。夫の両親だから。
でも、嘉行は違った。
「名月は俺の大切な人だ。彼女が一緒にいてくれるだけで、俺はもう幸せなんだ。子どもができないってことで、彼女に冷たくするなら、俺は親子の縁を切る」
小さな命が宿る腹に手を当てながら、名月はこらえていた感情を押し止められず、嗚咽を漏らした。
嘉行は彼女を優しく抱きしめ、「誰が君を泣かせたの?俺が懲らしめてやるぞ」と囁いた。
けれど、その彼の体からは、知らない香水の匂いと、微かに乳製品の甘い匂いが混ざっていた。
名月は激しく彼を突き飛ばし、ベッドの端に倒れ込むようにして嘔吐した。
嘉行はそれを妊娠の悪阻だと思い、反射的に両手で彼女の口元を受け止めようとした。
潔癖症のはずなのに、彼は自分の服が汚れることなど一切気にしていなかった。
その姿に、名月は言葉を失った。
彼は本当に潔癖なのに、自分のためならここまでできる。
彼女の服も靴も、すべて彼が手洗いしていた――三年の間、彼はずっと名月に誠意を注ぎ続けた。名月もまた、本気で彼を愛していた。
もう彼なしでは生きられない。
そう思った矢先、嘉行はメッセージを受け取ると「会社に呼ばれた」と言って出て行った。
その三十分後、青から写真が届いた。
写真には、双子の赤ん坊を抱き、彼らの額に優しくキスをする嘉行の姿が写っていた。
その一枚が、彼女の最後の幻想をすべて打ち砕いた。
病院を出た名月は、園子の元を訪れた。
「飛行機事故を偽装して。あの人の手を振り切るためには、それしかない」と、園子に頼んだ。
彼の性格を、一番よく知っているのは彼女だった。
嘉行は、絶対に離婚には応じない。彼女を手放すくらいなら、狂ってしまうような男なのだから。
第2話
園子のもとから戻った後、名月はすぐに地方の病院へ行き、中絶手術の予約を取った。
笹原家の人間は誰もが手段を選ばない大物ばかりで、この市内で手術しようものなら、手術に入る前に嘉行へ情報が漏れてしまうだろう。
手術室に入る直前、青からまた動画が送られてきた。
全編2時間半。画面の中では、青がセクシーなランジェリー姿で、嘉行はピシッとしたスーツ姿。
テーブルにはいくつもの大人のおもちゃが並べられ、キッチン、書斎、玄関……部屋のあらゆる場所でふたりは愛を交わしていた。
動画の中の嘉行は、名月がこれまで一度も見たことのないほど狂ったような姿だった。
そのすべての場面が彼女の心を引き裂くほどに痛めつけたが、それでも彼女は自分を責めるように最後まで見届けた。
「千早さん、もうすぐ手術の時間ですが……今の状態で大丈夫ですか?」
医師が不安げに声をかけてきた。
名月はようやく、自分がすでに涙を流し、全身震えていることに気づいた。
ただ悲しみのせいではなく、彼女は気づいてしまったのだ――嘉行が浮気したと分かっていても、自分の心はまだ彼を愛しているのだと。
人は服のように簡単に捨てられるものではない。
嘉行を人生から切り離すことは、彼女にとって胸を裂き、自らの心臓を血まみれのまま引きずり出して粉々にするに等しかった。
涙をぬぐい、名月は最後にもう一度、嘉行にチャンスを与えようと決めた。
彼に電話をかけた。「今どこ?会いたくなった……戻ってきてくれる?」
嘉行の声はどこか押し殺されたような緊張を帯びていた。
「名月か?今、会社でどうしても外せない用事があって……うっ……!」
彼は低く唸り、急に早口になった。
「今日は帰れそうにない!」
そのまま電話を切られた。
名月は呆然と立ち尽くし、止まらない涙が溢れてきた。
彼が自分から電話を切ったのは、これが初めてだった。
数分後、彼女は目を閉じ、深呼吸した。
「大丈夫です。お願いします、手術を」
……
深夜、疲れ切った体で家に戻ると、園子からメッセージが届いていた。
【名月ちゃん、準備はすべて整った。あと二日で実行するわよ】
名月はベッドに倒れ込み、一晩中、眠っては泣いて目を覚まし、後半の夜は膝を抱えて闇の中に座り込み、夜明けを迎えた。
翌朝、嘉行が帰ってきた。
彼はコートを脱ぎ、体が温まるのを待ってから、名月のそばに来てそっと抱きしめた。
そしてタブレットを取り出し、ある島の画像を指さした。
「名月、見て。さっきこの島を買ったんだ。俺らの子どもに贈るよ。
それに全国の都市で遊園地の建設を始めた。
将来は全部、子どもの名前をつけるつもりだ。
生まれたら、百日祝いには盛大な宴を開いて、みんなに祝ってもらおう!」
彼は目を輝かせながら夢中で語っていたが、名月が何も言葉を発していないことに気づいたのは、ずっと後のことだった。
そのとき彼は、彼女のすすり泣く声を聞いた。
回り込んで顔を見ようとすると、名月の頬には涙がつたっていた。
「どうしたんだ……!」
嘉行は名月がここまで泣き崩れるのを見たことがなく、動揺で声も震えていた。
名月のわずかな不安は、嘉行にとって計り知れない痛みだった。
彼女の心の揺れは、彼自身の中で何倍にも膨れ上がるのだ。
「なんでもないわ。妊婦って、時々突然泣きたくなるものよ」
「本当に?」
ようやく安心した彼は、優しく言った。
「じゃあ、今日は一日中そばにいるよ。何か食べたいものがあったら、俺が作る」
「いいわ。お昼は同窓会があるし、夜は先生に挨拶に行く予定があるの。あなたは仕事をしてて」
名月は立ち上がった。
彼女は、今回国外に出たら、もう二度と戻ってこないつもりだった。
だから、去る前に彼らに会っておきたかった。別れの挨拶として。
嘉行は彼女を一人で出かけさせるのが不安で、結局付き添ってきた。
ふたりが同窓会の個室に入ると、すぐに笑い声が上がった。
「だから言ったじゃない? 名月が来るなら、嘉行も絶対ついてくるって。あの人、名月を手放すのが怖いんだもん」
嘉行は穏やかに微笑みながらからかいを受け入れ、用意していたプレゼントを一人一人に手渡していった。
「うそ、これシャンリ・シュエナの最新ジュエリーセットじゃない?結構高い値段だよ?
毎回こんな高価な物くれるなんて、ほんと名月のおかげだね!」
名月は大学時代、人望が厚く、今ここにいるのも全員彼女の親しい友人だった。
嘉行も彼女たちを喜ばせることに努力を惜しまなかった。
彼女たちが嬉しければ、名月もきっと嬉しいはずだから。
誰もが内心、愛の力のすごさを感じていた。
あの「高嶺の花」だった嘉行が、今や誰にでも微笑む「ひまわり」になっているのだから。
「名月、羨ましいよ。本当に愛されてるね!」
そんな声に、名月はいつものように幸せそうに笑うことなく、ただ礼儀正しく微笑んだだけだった。
賑やかな空気の中、突然、個室のドアが開いた。
青が、全身ジュエリーをまとって現れた。
「同窓会なのに、なんで私に知らせてくれなかったの?同じクラスだったでしょ?」
第3話
青の登場により、場の空気は一気に重苦しくなった。
だが彼女は皆が歓迎していない様子に気づかぬふりをして、勝手に名月の向かいに腰を下ろし、笑みを浮かべながら皆の手元にある贈り物を眺めた。
「シャンリ・シュエナか……有名なブランドよね。でも皆まだ知らないの?これ、私が立ち上げたブランドなのよ」
彼女のブランド?
皆の心に疑念がよぎった。吉塚家は当時、嘉行によって破産に追い込まれ、国内ではどこにも立場がなくなったはず。そんな彼女がどうやってこんな高級ブランドを作れたのか。
「うちはあの時ちょっとした災難に遭ったけど、その後、今の夫に出会ってね。
二年前、彼が数千億投じてくれたの。それに人脈も総動員して、会社の設立を手伝ってくれたのよ。しかも、ひとつじゃないわ。全部で二十六社も設立してくれたの」
そう語る彼女の目線は、ちらりと嘉行をかすめ、そしてわざとらしく挑発的な笑みを浮かべて名月を見た。
その瞬間、名月の呼吸が止まりそうになった。
思い出したのは二年前、嘉行が異常に多忙だったあの時期。
あの時、彼は「海外市場を開拓してるから忙しい」と言っていた。だが、実際は青のために奔走していたのだ。
胸の奥から激しい痛みが走り、名月は思わず胸元を押さえた。
「どうしたんだ、名月?どこか痛いのか?」嘉行はすぐに立ち上がり、慌てた様子で言った。「今すぐ医者を呼んでくる!」
青は冷笑した。
「ねえ、千早さん。笹原社長にあれだけ大事にされてるのに、なんでそんな死人みたいな顔してんのよ?」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、嘉行の顔が一瞬で険しくなり、力強く彼女の頬を打った。
「まだ黙らないなら、二度と口をきけなくしてやる」
青は頬を押さえながら、悔しそうに鼻を鳴らし、個室をあとにした。
彼女が去ると、場の空気は再びにぎやかさを取り戻したが、名月の顔色は一向に良くならなかった。
嘉行は彼女の手を強く握った。「名月、どこが痛む?もうすぐ医者が来るからな」
名月は彼の手を振り払った。「大丈夫。ちょっとお手洗いに行ってくるから、ついて来ないで」
廊下に出た名月は、再び青に行く手を塞がれた。
「さっきのことで、自分が嘉行にとってどれほど大事かなんて思わないでよ。私は彼の子を二人も産んでるのよ。彼の心はもう私に傾いてる。私が『子どもが熱を出した』って言ったら、彼はすぐに駆けつけるわ。信じる?」
個室に戻ると、嘉行がやはり落ち着かない様子だった。
彼は名月の額にキスをして言った。「ごめん、急に会社で用事ができたんだ。マネージャーには伝えてあるから、今日はみんなで楽しんで。費用は全部俺が持つよ」
名月は彼の袖を強く掴んだ。「今日一日、私と一緒にいるって言ったでしょ?お願い、そばにいて」
その眼差しは、懇願と静けさが入り混じっていた。その時、嘉行の胸の奥にふと不安が湧き上がった。
今ここで彼女の手を振り払ってしまえば、大切なものを失うのではないか——そんな予感。
しかし、青が「子どもが病気」と言っていた。自分の子どもだ。見に行かないわけにはいかない。
結局、彼は名月の指を一本一本ほどきながら言った。「ごめん、夜には戻るから……な?」
名月は深く息を吸い込んだ。彼の心は本当に、すでに傾いていたのだ。
三十分後、青から動画が送られてきた。
中に何があるか分かっていた。それでも名月は震える指で動画を開いた。
動画では、青が涙をこぼしながら訴えていた。
「あなたの顔が見えないだけで、死にたくなるほどつらいの。だからあの同窓会にも行ったのよ。でも千早と一緒にいるあなたを見たら、嫉妬で気が狂いそうになって、あんな嫌味を言っちゃった……それなのに、あなた、私を叩くなんて……」
嘉行は微笑んだ。明らかに、満更でもない様子だった。
彼は蒸しタオルで彼女の腫れた頬を優しくなでていた。
「もう泣くなよ。そんな顔してたら、猫みたいになっちゃうじゃん。なんでも言ってごらん。償いになるなら、何でもしてやる」
「じゃあ……子どもたちの誕生日がもうすぐなの。あなたが買ったあの島、あれをプレゼントにしてほしいの」
嘉行の表情が曇った。「それは俺と名月の子どものために買った島だ。ダメだ」
「お願い、パパ……占い師に聞いたら、あの島はうちの子と相性が最高なんだって。すごく縁起がいいの。ねえ、お願い、ね?」
今度は、彼は承諾した。
青はカメラに向かって勝ち誇ったように笑い、さらに音声メッセージを送ってきた。
「ねえ見たでしょ?あんなに『あなたのため』って言ってたのに、私が欲しいって言えば、やっぱり私にくれるのよ。あなたの負けね」
名月はスマホを握りしめたまま、ぼんやりと座っていた。
思い出したのは、かつて彼女がバイト中にけがをしたとき、嘉行がしてくれたあの優しさ。
けれどその優しさは、他の女にも向けられるものだった。
その瞬間、全身が虚脱感に襲われた。
でも嘉行さえいなければ、すべてはうまくいく。
明日、ようやく彼の元を離れられるのだ。
第4話
午後、名月は大学の先生を訪ねた。
別れ際、先生は彼女の手を引いて近くの神社に立ち寄り、「ここは特に霊験あらたかだから、君のためにお守りをもらってやろう」と言った。
だが、そこにいた一度も会ったことのない宮司が、名月の名前を口にした。
「不思議に思われましたか?どうして千早様のお名前を知っているのかと」
宮司は微笑んで答えた。「一年前、笹原嘉行という方が十六億円を当宮に寄進されました。その際、高額を投じて千早様のためにお守りを願われました。ただし、そのお守りは持ち帰らず、当宮で大切に保管するようにと預けられました」
先生は満足そうに笑った。「笹原さんは君のことを本当に大切にしているのだな。夫婦仲睦まじくて何よりだよ、私も安心した」
名月は黙って視線を伏せた。過去の温もりと裏切られた痛みが心中で交錯し、ようやく静まっていた感情が再び波立った。
「せっかくのご縁ですし、千早様もいらしたのですから、そのお守りをお持ち帰りください」
そう言われてお守りを受け取って帰ろうとした時、宮司が再び呼び止めた。
「お待ちを、笹原様はあの時、お守りを三枚お求めになりました。それらもどうぞお持ちください」
名月は受け取ったが、そこに記された名前を見た瞬間、思わず笑い出しそうになった。
そこに記されたのは、吉塚青と双子の名前だった。
……
夜、嘉行が帰宅した時、名月はすでに眠りについていた。
これまで何年も、互いが帰ってくるのを待ち、一緒に抱き合ってからでないと眠れなかったのに――
彼女が先に寝ているのは、これが初めてだった。
嘉行の胸に、不安が静かに浮かび上がった。彼は彼女を抱きしめ、首筋に顔をうずめた。
「会いたかったよ、名月。ほんの数時間ぶりなのに、何世紀も会ってない気がした。もし君がいなくなったら……俺は生きていけない」
「そうなの?」名月は静かに囁いた。
「そうだ。一つ相談があるんだけど……あの島のこと、占い師に見てもらったら風水が良くないって言われて、新しく二つ買ったんだ。そっちのほうが良さそうだよ」
「好きにして」
名月は目を閉じた。
その冷淡でどこか倦んだ口調に、嘉行の不安は募っていった。
「名月……もしかして、俺が何か怒らせた?」
「別に。ただ、少し疲れただけ」
彼女は深く息を吸った。
「もうすぐ結婚記念日でしょう。明日の午後、プライベートジェットで海外に行きたいの。向こうでプレゼントを予約してあるから、取りに行きたいの」
「でも君は妊娠中だよ?長時間飛行機に乗るなんて……俺が代わりに行こうか?」
名月は甘えるように言った。「いいから。自分で行きたいの」
彼女のその声に、嘉行は胸が溶けるような思いになった。命を差し出せと言われても断る気などなかった。
「わかった。君の言う通りにしよう」
翌朝、嘉行は朝食を作ってから「会社に用がある」と出かけた。
彼が去ったあと、名月は荷造りを始めた。
クローゼットを開け、彼に贈るため手作りした服を取り出して、すべてハサミで切り刻み、ごみ箱に捨てた。
嘉行から贈られたすべての宝石やプレゼントは、家政婦たちに配ってしまった。
二人で三年かけて集め、「老後に一緒に見る」と約束した16冊のアルバムも、彼女は暖炉にくべて燃やした。
嘉行が忘れ物を取りに戻ってきた時、ちょうどその写真が炎に包まれているところだった。
轟音のように頭の中が鳴り響き、何も考えず、火の中へ手を伸ばして、最後の半冊だけを救い上げた。
「名月!」嘉行は震える声で名月を見つめた。「なぜこんなことを?」
名月は微笑んだ。
「別に、ただ写りが悪い。こんなブサイクな写真、残しておいてもしょうがないから」
彼女は歩み寄り、嘉行の火傷した手をそっと取り上げた。
「これからの人生はまだ長いわ。また一緒に撮ればいいじゃん。なんでわざわざ手を突っ込んだの?こんなに傷つけて……お医者さんを呼びなさい」
彼女の瞳に浮かぶ心配を見て、嘉行の心の中のざわめきはようやく落ち着いてきた。
そして甘えるように言った。「奥さんがふーって吹いてくれたら、痛くなくなるのに」
彼の部下たちがこの姿を見たら、きっと冷酷な上司が何かに取り憑かれたと思うだろう。
「もう大人なんだから、恥ずかしいわよ」
名月は歩いてゴミ箱に近づき、そこにある服の切れ端をそっと隠した。
嘉行は忘れ物の書類を手に取ると、彼女の額にキスを落として言った。
「じゃあ、会社行ってくる。お昼には戻るから」
彼が出て行ってしばらくして、青からまたメッセージが届いた。
【DSホテルよ。あなたの旦那様、今日はここにいるの。いいショーが見られるから】
名月は黙った。
――やはり彼が言う「会社に行く」は、毎回、青の元に向かうことだったのだ。
分かっていた、分かっていたはずなのに。
けれど彼女は、やはりその場に向かってしまった。
今日は、双子の誕生日だった。
嘉行は両親や友人たちと一緒に、双子のための誕生パーティーをホテルで開いていた。
出入りするスタッフは青を「笹原奥さん」と呼び、それに対して嘉行は否定せず、彼女と微笑み合っていた。
その眼差しには、優しさが溢れていた。
笹原家の両親も、名月が見たこともないような穏やかな笑顔を青に向けていた。
「青がいてくれるおかげで、私たちもやっと孫と団らんを楽しめるようになったよ。嘉行、青を絶対に大切にしなさい、わかった?」
嘉行は笑って頷いた。
「俺が青を粗末にしたことなんてある?名月にあげたものは、青にも全部用意してる。服も宝石も珍しい宝も、全部、二人分揃えてあるよ」
名月は、すべてを受け入れたつもりだった。
でもこの瞬間、何かが彼女の脳内で轟然と崩れた。
過去のすべての愛情が粉々に砕けて、逆に彼女の心に突き刺さり、血がにじみ出した。
結局、誰もが知っていた。
ずっと昔から、彼女が信じていた「唯一無二」など、すべて幻想だったのだ。
彼女に与えられたものは、青も持っていた。
彼女に与えられなかったものさえ、青は手に入れていた。
第5話
彼女は宴会場の外の柱の陰に身を潜めたが、嘉行とその従妹・笹原霧子(ささばら きりこ)の会話が聞こえてきた。
「ねえ、ほんとにこのままずっと二重生活を続けるつもりなの?」
霧子は眉をひそめた。
「いくら隠しても、真相は覆い隠せないでしょう。いつかお義姉さんにバレるわよ」
嘉行は笑って言った。「俺が愛してるのは名月だ。
でも青には子どもまで産んでもらった。だから彼女を捨てることなんてできないさ。
このまま二人とも守って生きていくのも、悪くないと思ってる」
「でももしバレたらどうするの?」霧子は不満げに言った。「それって結婚に対する裏切りじゃない。お義姉さんに失礼すぎるでしょ」
「そんな日は来ないさ。もう何年もこんなふうにやってきたんだから」嘉行は自信たっぷりに言った。「名月には申し訳ないと思ってる。だからその分、もっともっと大切にするつもりなんだ」
霧子は呆れて目を剥いた。「愛って、物で償えるものなの?忠告してあげるけど、叔父さんがもうすぐ帰国するんだからね。
あの人、頑固で、こういう不倫まがいのことが大嫌いなの。
浮気相手をちゃんと隠しておきなよ。叔父さんに見つかったら、絶対黙ってないから!」
柱の陰で、名月はそっと膝を折り、地面に崩れ落ちた。
心が痛みすぎて、もう何も感じなかった。ただ、吐き気だけが込み上げてきた。
ふらつく足取りでホテルを飛び出したが、連日の精神的ショックに体が耐えきれず、目の前が真っ暗になり、そのまま地面に倒れ込んだ。
目が覚めたら、彼女は見知らぬ部屋のベッドの上にいた。ソファにはスーツ姿の男が座っており、縁なしの眼鏡をかけ、分厚い資料に目を通していた。
無表情だった、その端正で整った顔立ちからは、どこか圧倒的な雰囲気が漂っていた。
名月はしばらく呆然とした後、その人物が誰かを思い出した。
嘉行の叔父、笹原五郎(ささばら ごろう)――彼は長年海外でビジネスをしており、名月も数回しか会ったことがなかった。
ただ、嘉行が三歳年上のこの叔父を少し苦手にしていることは知っていた。子どもの頃、親が甘やかして叱らなかった分、よく代わりに彼を叱っていたらしい。
嘉行は言っていた。「叔父さんは真面目で融通が利かない。何でもルール通りじゃないと気が済まない人だ」
「目が覚めたか」男は書類を閉じた。
「先生の話では、流産の後、情緒が不安定になって倒れたそうだ」
彼はゆっくりと彼女に近づいた。
「嘉行は君が流産したことを知らないんだろう?
知ってたら、もう取り乱して大騒ぎしてるはずだ。
一人で道端に倒れさせたりなんて、あり得ない」
名月は長く黙り込んだ後、小さな声で言った。「今日のことは、ありがとうございました。でも、このことはどうか彼に言わないでください」
五郎が黙ったまま何も答えないのを見て、彼女は懇願するようにささやいた。「お願いします……」
五郎は一瞬驚いたような顔をした。夫婦の間に何かあるのは明らかで、本来ならこのことは嘉行に知らせるべきだった。
だがなぜか心が揺れてしまい、結局、彼女の頼みを受け入れた。
彼は人を遣って名月を自宅へ送り届けた。
間もなく、嘉行も帰ってきた。
「お昼、何が食べたい?俺が作るよ」――料理人の味が好みに合わないかもしれない、ちゃんと気持ちがこもってないかもしれないと、嘉行はこの数年間、どんなに忙しくても三食は自分で用意してきた。
さらに、ジュエリーの箱を差し出した。「オーダーメイドのアクセサリーが届いたんだ。気に入るといいな」
名月はちらりと箱を見た。それは今日、彼が青に贈ったものとまったく同じデザインだった。
彼女は思わず笑ってしまった。
今まで「特別」だと思っていたものは、実は「使い回しの安っぽい愛情」に過ぎなかったのだ。
「いいわ。木の家を見に行きたいの」
「木の家」は五年前、嘉行が彼女のために建てた別荘だった。そこには、かけがえのない思い出がたくさん残っていた。
嘉行が九十七回目の告白でようやくOKをもらったのもそこだった。
初めて手をつなぎ、初めてキスをした場所――そして、彼が彼女にプロポーズし、一生愛すると誓った場所でもあった。
ただし、郊外にあるため、結婚後はあまり訪れていなかった。
今は十二時。
午後三時には飛行機に乗って、この地を永遠に去るつもりだ。その前にもう一度だけ見ておこう。
最後のお別れとして。
嘉行は一瞬、表情をこわばらせた。実は、最近青が「行きたい」と騒いだので、あの家の鍵を渡してしまっていたのだ。今日も彼女は子どもを連れて遊びに行っていた。
「わかった。昼ご飯を食べてから行こう」彼はキッチンに向かいながら、こっそりと青にメッセージを送った――【早く出て行って!】
午後一時、二人は別荘に到着した。
入ってすぐ、名月は違和感に気づいた。
庭のバラはすべて百合に変わり、淡い緑のカーテンはピンクに、リビングには赤ん坊用のロッキングチェアまで置かれていた。
明らかに、誰かがここで暮らしていた痕跡があった。
だが彼女は何も気づかないふりをして、そのまま二階へ向かった。寝室には彼女と嘉行の写真集が置かれていた。彼女はそれを燃やすために持ち帰ろうと思っていた。
だが――ページを開いた瞬間、彼女は凍りついた。
そこに写っていたのは、嘉行と青、そして双子の子どもたち。彼らはラベンダー畑で、エッフェル塔の下で、熱気球の上で……かつて、彼女と嘉行が思い出を刻んだ、あのすべての場所に、他の女を連れて行っていたのだ。
名月の顔色が明らかに青ざめたのを見て、嘉行が近づいてきた。「どうしたの、名月?」
名月は写真集をパタンと閉じ、笑った。「なんでもないわ。帰りたいだけ」
階段に向かって踵を返す彼女の背後で、嘉行のスマホが鳴った。彼の表情が一変する。「ちょっとトイレに行ってくる。先に下で待ってて」
名月は頷いて部屋を出た。
だが数分後、彼女は再び階段を上がった。浴室の外に立つと、嘉行の焦った声が聞こえてきた。
「子ども連れて出て行けって言っただろ!なんでまだいるんだよ!」
「だって、ちょっとスリルがある方が燃えるでしょ?」青の艶めかしい声が響く。「前はあなたたちのベッドで、結婚写真の前でやったけど、今は奥さんが下にいるのよ?ねえ、もっと興奮するでしょ?」
嘉行の荒い呼吸音が重なり――「……この小悪魔め!」
いやらしい水音と、耳を塞ぎたくなるような声が続いた。
名月は扉の外に立ったまま、心に何の波も起きなかった。ただ、思ったのは――どうしてこの男が、ここまで腐ってしまったのか、ということだった。
まるで泥の中に咲いたケシの花のように、妖しく、だが腐臭を放つ存在。
それとも、彼は最初からこういう人間だったのか?自分が、それに気づかなかっただけ?
彼女はふと思い出した。昔、嘉行が初めて彼女を社交界に連れて行ったときのこと。
裕福な令息たちは、表面では祝福の言葉をかけながら、裏では彼を「バカだ」と笑っていた。こんな好条件なのに、女が一人だけなんて。
そのとき嘉行は言った。「俺はあいつらとは違う。俺が愛してるのは君だけだ」
でも、結局は皆同じ。腐りきった本質は変わらない。ただ、腐る順番が違っただけ。
名月は小さく笑い、足音を忍ばせて階段を下りた。
彼女は山奥の寒村の出身だった。母は人身売買で売られてきた女で、息子を産めなかったため、日々夫から暴力を受けていた。
十三歳のとき、名月は山を抜け出し、最初にしたのは父親を刑務所に送ることだった。
父は彼女を呪った。「地獄に堕ちろ」と。母は自由を得たが、娘に感謝しなかった。
名月は、母にとって「恥の象徴」だった。
そんな歪んだ家庭で育った彼女は、誰にも心を開かず、孤独の中で生きてきた。
だが十八歳のある日、嘉行が彼女の人生に現れた。
彼はまるで消えない炎のように、冷たく凍った彼女の心を溶かし、過去の傷を癒やしてくれた。
数え切れないほどの愛を与えてくれた。再び人を愛せるようにしてくれた。
そして、いちばん幸せな瞬間に、いちばん深く、いちばん痛い傷を与えたのも彼だった。
その傷は、きっともう二度と、癒えることはない。
第6話
数時間後、嘉行は別荘から姿を現した。
名月はしばし彼を見つめた後、ふと手を上げて手首の腕輪を見せた。
「これ、あなたが自分で作ってくれたもの。でも今日、気づいたの。色が落ちてた。嘉行……ねえ、あなたの愛も色褪せるのかしら?」
「そんなことない!」
嘉行は真剣な顔で彼女の手を握り、まるで誓いを捧げるようにキスを落とした。
「俺の愛は、日に日に深くなるだけだよ!」
名月は曖昧に微笑んだ。
「愛してる」と言いながら、あんな風に欺いて、弄んで。
本当は静かに去るつもりだった。でも今、考えを変えた。
嘉行の二心を、彼女を二年間も騙してきたことを、彼が破った誓いを――そして何よりも、愛を与えながら深い傷を刻んだことを、彼女は思い知らせてやりたかった。
彼女はそっと彼を抱きしめた。
「嘉行、私もあなたを愛してる。だから――待っててね。私と……私たちの赤ちゃんが帰ってくるのを。三度目の結婚記念日、あなたと一緒にお祝いするから」
そして、彼女は封筒を取り出して彼の手にそっと置いた。
「これはプレゼント。二日後に開けて」
中には、彼女が流産したときの診断書と、青が送りつけてきた動画のスクリーンショット。
今日の午後、飛行機事故の知らせが届いたとき、彼はこれを開くはずだ。そのときようやく彼は気づくだろう。
自分の裏切りが、彼女を絶望の淵に追い込み、望んでいた子供を失わせ、そして愛する妻の命さえも奪ったのだということを。
名月は、彼がこれから一生、悔やみ、苦しみ続けることを望んでいた。
「わかった、君の帰りを待ってるよ」
嘉行の目は輝き、希望に満ちていた。
「空港まで送っていくよ」
しかし、名月は首を振って拒んだ。
人生という旅路で、彼と共に歩んできた道はもう十分。最後の一歩くらい、自分一人で進みたかった。
「いいわよ、送らなくて。あなた忙しいでしょ?どうせまた誰かに呼ばれるんだから」
嘉行は一瞬言葉を失った。なぜか、その言葉の裏に含まれた皮肉に気づいた気がして、胸にざわついた不安がよぎった。
ちょうどそのとき、スマホが震えた。
青からのメッセージだった。
【パパ、さっきはちょっと物足りなかったわ。奥さんを見送ったら、また続きしましょ?】
そして、そこには名月の下着を身に着けた彼女の写真が添えられていた。
嘉行の呼吸が荒くなり、胸に渦巻いた不安は一気に欲望の火にかき消された。
そもそも彼が青と初めて関係を持ったのは、両親に無理やり酒を飲まされた夜のことだった。彼は自分を汚れた存在だと思い、死にたくなるほどに後悔した。
だが、青は彼の前にひざまずき、惨めにすがった。
「あなたのせいで私の家は潰れた。でもそれでもあなたを愛してる、嘉行。あなたがいなきゃ私、本当に死んじゃう。あなたのためなら、何でもするから!」
それからというもの、彼女は彼を喜ばせるために恥も外聞も捨て、あらゆるプレイに身を任せた。
最後には、名月の服を着て、言ったのだ。
「私を彼女だと思っていいよ。彼女にはできないこと、全部私にして」
その瞬間、嘉行の中の何かがはじけた。
彼は名月に対して、何度も下劣な妄想を抱いたことがあった。だが、彼女に触れようとするたびに、そうした妄想は罪悪感に変わり、最終的にはただ純粋な愛に昇華されていった。
だが、青に対しては、何の遠慮も必要なかった。すべての欲望が、彼女の上では解放できた。
「……じゃあ、送らなくていいよ。気をつけてな」
名月は彼の背中を見つめていた。
彼女の最後の言葉は、風に紛れるように小さかった。
「さようなら、嘉行……もう二度と会うことはないわ」
数時間後。
嘉行が「木の家」のベッドの上で青を抱いていたとき、電話が鳴った。
彼は苛立ちをあらわにしながら応じた。
「どうしても急ぎの用か?今忙しいんだ」
震える声が返ってきた。
「しゃ、社長……さっき連絡が入りました……奥様の乗った飛行機が、国内空域を離れた直後……海の上空で墜落したそうです……」
嘉行の瞳孔がぎゅっと縮まり、全身の血が凍りついた。
「今……なんて言った……?」