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気づけば、愛も遅すぎた
水村晴美(みずむら はるみ)は、自分の結婚式でひとりぼっちになるなんて、これまで考えたこともなかった。 柳本琴星(やなぎもと ことせ)に...
Chương (1)
第1章
水村晴美(みずむら はるみ)は、自分の結婚式でひとりぼっちになるなんて、これまで考えたこともなかった。
柳本琴星(やなぎもと ことせ)にはうつ病があり、時には自殺騒ぎを起こすことさえあった。
そのたびに晴美は、自分の結婚式であっても、彼女に譲らざるを得なかった。
彼女はもう我慢の限界だった。婚約者も両親も、全部いらない!
これからは、自分のためだけに生きていく。
第1話
「木村先生、研学の交流視察の件ですが、参加させてください」
水村晴美(みずむら はるみ)は頭の飾りやイヤリングを苦労して外しながら、電話の向こうの木村先生の安堵した吐息を耳にした。
「晴美、参加してくれて本当にうれしいよ。でも本当にいいの?今回行ったら、もう京市には簡単に戻れない。確かにこの枠は貴重だけど、君は新婚でしょ?大丈夫なの?」
「お気遣いありがとうございます、木村先生。ちゃんと考えて決めました。半月後なら、大丈夫です。手続きもきちんと引き継ぎますので、そのとき合流しましょう」
電話を切ると、彼女は鏡の中の自分を見つめ、少し動揺していた。
ついさっきの結婚式でのことを思い出した。
「恒志!琴星さんが自害した!」
晴美に指輪をはめようとしていた米村恒志(よねむら ひさし)は手を止め、すぐに背を向けてステージから駆け下りた。
新婦のことを全く気にせず、彼は介添人のスマホを手に取り、必死に画面を見ていた。
一緒に立ち上がったのは晴美の両親もだった。
彼らも焦って恒志の手元のスマホを覗き込み、柳本琴星(やなぎもと ことせ)の様子を確認しようとしていた。
バイオリンとピアノの演奏はぴたりと止まり、会場ではざわめきと噂話が飛び交った。
「琴星はどこにいる?」
恒志は介添人の腕を掴み、切羽詰まった声で問い詰めた。
介添人が小声で答えた。
それを聞くと、恒志はすぐに外に出ようとし、晴美が慌てて彼の腕を掴んだ。
「恒志、これで今月8回目よ?今日は私たちの結婚式なのに、それでも行くつもりなの?」
恒志は晴美の手を振り払った。
「たとえわずかでも危険があるなら、俺は行く。命が関わってるんだ。お前はどうしてそんなに冷たいんだ?」
両親も口を挟んだ。
「晴美、結婚式はまたできるけど、琴星に何かあったら、取り返しがつかないよ」
結婚式はまたできる?
晴美の心は少し崩れかけていた。一生に一度の結婚式だ。
「じゃあ私が結婚するたびに、あの子が騒げば、全部中止にするの?」
「もういい加減にしろ!」
恒志は怒りを露わにし、目は血走っていた。
晴美の目の光は次第に消えていった。
「恒志、もし今日あなたが行くなら、もう別れよう」
恒志は彼女の手を再び振りほどき、叫んだ。
「お前はどうしてこんなに思いやりがないんだ!本来なら、今日ここに立ってるのは、彼女のはずだったんだ。わかってるか?」
本来なら、彼女のはずだった?
晴美は苦笑しながら、手を引っ込め、絶望に満ちた目で恒志と両親が去っていく姿を見つめた。
ただ一人取り残された晴美は、四方八方から浴びせられる嘲笑の声の中に埋もれていった。
彼女はベールを外し、ゆっくりと床に落とした後、司会者のマイクを手に取った。
「本日はご多忙の中、私の結婚式にご出席いただきありがとうございます。皆様もご覧の通り、本日の結婚式は中止となりました。
ご祝儀はすべてお返しします。今日はただの宴会として、ごゆっくりお楽しみください」
見捨てられたこの瞬間でさえ、晴美は水村家の面子を守った。
今日という日は、彼女の人生で一番美しい日になるはずだった。
それなのに、婚約者も両親も、賓客の前で堂々と彼女を見捨てた。
もういい。琴星が欲しいなら、全部彼女にやればいい。
もう望まない。今回は、彼女が自ら去ることを選んだ。
一年前、晴美の両親は警察から電話を受け、当時の赤ん坊が取り違えられていたと告げられた。
彼らの本当の娘は、琴星だった。
そして、琴星の両親はある事故で亡くなった。
晴美は一夜にして孤児となり、実の両親は養父母となった。
結婚を控えていた婚約者までも、琴星の味方をするようになった。
琴星は一気に晴美のすべてを奪っていった。
恒志との幼なじみとしての絆も、身元が明らかになったその瞬間に、跡形もなく消え去ってしまった。
幼い頃から両家で決めていた婚約も、今や、琴星の登場で全てが変わってしまった。
スマホが再び鳴った。
電話の向こうでは、恒志が必死に叫んでいた。
「晴美!今すぐ来てくれ!北町の温泉ヴィラだ!琴星が言ったんだ。お前が来ないと降りてこないって!」
晴美は一瞬、スマホを持つ手を止めた。
どの面下げて、また琴星を助けるなんて言えたのか。
もし本当に死ぬつもりだったのなら、今ごろ何度生まれ変わっていたことだろう。
あの人たちだけが、いまだに信じている。
「行かないよ。どうせ、あの子、死ぬ勇気なんて持ってないから」
恒志は怒鳴った。
「お前が琴星の人生を20年以上も奪ったんだ!だから彼女はこうなった!お前が償え!今すぐ来い!」
晴美は鼻の奥がつんとして、ため息をついた。
彼女は恩恵を受けた立場だから、恩を返す義務があると責められる。
これが最後だ。これからは、もう彼らと一切関わらない。
平服に着替え、晴美は温泉ヴィラへと車を走らせた。
道中、スマホがひっきりなしに鳴り続けていた。
両親と恒志からの電話は、まるで催促のサインのように、彼女に早く運転するよう急かしていた。
晴美は心の中で冷笑した。
もう随分時間が経ったのに、本当に死にたいなら、とうに死んでいるはずだ。
どうせ、ただの見せかけに過ぎない。
彼女はむしろ、琴星が一体何を企んでいるのかを見てみたいと思っている。
道中、恒志からの電話が鳴りやまなかった。
彼女は電話に出た。
「お前、今どこにいるんだ!」
晴美が答える前に、大型トラックの警笛が耳をつんざき、車は巨大な影に覆われた。
激しい衝撃が彼女の意識を奪い、車は道路で何度も横転した。
窓ガラスが四散し、エアバッグがすべて展開された。
額と顔には鮮血が流れ、晴美はハンドルにもたれたまま、意識を失った。
第2話
彼女が再び目を開けたとき、頸には固定具が巻かれて動かせなかった。
顔に走る激しい痛みが彼女を次第に正気に戻し、全身の痛みはまるで骨がすべて折れたかのようだった。
ベッドのそばに立っていた恒志は、晴美が目を開けるのを見ると、安堵のため息をついた。
「生きててよかった。さあ、琴星に謝ってくれ。あの日、お前が来なかったせいで、彼女を屋上から引き戻すのにすごく苦労したんだ」
晴美は普段涙を嫌っていたが、今は鼻の奥がツンとしてたまらなかった。
彼を目にしたとき、一瞬だけ喜びが込み上げた。
だが、彼は痛くないかと一言も聞いてはくれず、開口一番、琴星への謝罪を求めてきた。
晴美は自分が何か間違いを犯したのか分からなかった。
ただ、琴星がうつ病で、自殺の可能性があるからといって、世界中が彼女を中心に動くべきなのか?
晴美は口を開こうとしても、声が出なかった。
「まあいい。考えがまとまったら、俺に言え。琴星は薬の時間だ。俺は行く」
晴美は今、自分の体が動かないことをただただ悔やんでいた。もし動けるなら、彼をぶん殴っていたかもしれない。
頬を伝う涙が一筋、流れ落ちた。
心の奥で、何かが確かに壊れた。
隣室の看護師たちが小声でひそひそ話していた。
「米村社長、柳本さんのためにフロアを丸ごと貸し切ったらしいよ。それに、注射が苦手だからって、うちの看護師長まで呼び出したって」
「本当に羨ましいわ」
「私もこんなふうな社長さんに大事にされてみたいなあ」
「聞いた話じゃ、米村社長は柳本さんにピッタリ付き添ってて、何かあったら大変だからずっと守ってるらしいよ。私も様子を見に行ったけど、ケガはもうとっくに治ってるみたいよ」
晴美は窓の外を見つめ、眩しい陽射しに目を開けられず、言葉を発する気になれなかった。
少し目を閉じて休もうとしたとき、晴美の両親が病室に入ってきた。
「晴美、なんてひどい怪我なの」
晴美は心の中で思った。やはり、両親は自分のことを大切に思ってくれている。
母である水村美代子(みずむら みよこ)は晴美の手を握って言った。
「晴美、あなたは強い子よ。小さい頃から、手がかからなかったの。今回のことだって、きっと乗り越えられるわ」
晴美の笑みは一瞬で冷めた。
「ねえ、琴星はただ、あなたに謝ってもらいたいなの。だって、ずっと私たちと一緒に豊かな生活をしてきたのはあなたでしょ?あの子は何もないの」
晴美は冷たく手を引き、顔を背けた。もう彼らの顔すら見たくなかった。
父である水村弘文(みずむら ひろふみ)はもう我慢できず、晴美の病床を指さして大声で怒鳴りつけた。
「お前が恒志と結婚しようと強要したから、琴星が傷ついたんだ!謝るだけで済むのに、それすら嫌がるとはどういうことだ!
事故ってまで謝りに行きたくないなんて、お前、なんであんなに冷たい子に育てたんだ!」
晴美はじっと窓の外を見つめたまま、何も言わず、関わろうとしなかった。
かつて彼女を大切にしてくれた両親は、もうどこにもいなかった。
ただ、彼女が彼らの実の娘でないがために、ここまで苦しまなければならないのだろうか。
そのとき、恒志が病室に飛び込んできた。
「おじさん、おばさん!早く琴星を見に来て」
三人は部屋を飛び出していき、晴美を一瞥もせずに去っていった。
晴美は、自分が琴星からすべてを奪ったのか、それとも奪われたのか分からなかった。
そのとき、スマホに通知が届いた。
それは、前に依頼したDNA鑑定機関からの結果だった。
晴美は以前から、琴星が提出した親子鑑定書に疑念を持っており、密かに両親の毛髪を採取して検査に出していた。
そこにはこう記されていた。
水村晴美と水村弘文が親子である可能性は、99.99%と判定された。
晴美の頬を、静かに一筋の涙が流れた。
やはり、皆が琴星の嘘に踊らされていたのだ。
第3話
三日後、医師から晴美は退院してよいと告げられた。
足を引きずりながら家に帰ると、食卓では四人でハッピーバースデーを歌っていた。
晴美自身も忘れていたが、今日は彼女の誕生日でもあった。
両親は琴星に料理を取り分け、楽しそうに笑っていた。その目には溺愛の色があふれていた。
琴星は想いを込めたまなざしで恒志を見つめながら、彼の口元についたクリームをそっと拭っていた。
使用人が晴美の手からバッグを受け取り、額の包帯がまだ外れていない彼女を見て声をかけた。
「お嬢様、お加減いかがですか?」
その一言が、その場の静けさを壊した。
全員が晴美を見た。
琴星は立ち上がると、足早に晴美の前に歩み寄り、ドサリと音を立てて跪きこんだ。
「姉さん、結婚式を台無しにして、ごめんなさい。叩いていいよ」
琴星が跪いたのを見ると、両親と恒志は慌てて駆け寄って彼女を支えた。
晴美は立ったままこの茶番を見つめ、もうDNA鑑定の結果を渡す気も失せた。
こんな家族がいるくらいなら、孤児の方がまだましだ。
「琴星が謝る必要なんてない。お前の人生を奪ったのは彼女だ」
恒志が彼女を抱き起こそうとしたが、琴星は立ち上がる気配をまったく見せなかった。
晴美は目の前の光景を淡々と見つめていた。
「欲しいものはもう全部手に入れたでしょう?まだ演技を続けるつもり?
私が行かなかったら飛び降りるって言ってたよね?じゃあ、なんで今もこうして元気に立ってるの?飛び降りなさいよ!
うちのヴィラはそんなに高くないけど、飛び降りれば、死ななくても一生寝たきりになるでしょうね……」
「バチン!」という音とともに、弘文の平手打ちが晴美の頬に強く響き、彼女はソファに倒れ込んだ。
これが、晴美の人生で初めて弘文に叩かれた瞬間だった。
だが、弘文には少しも心配や後悔の色はなかった。
「恩知らずな娘を育てた覚えはない!俺の教えを忘れたか?
水村家に居させてやって、恒志と結婚させてやるだけでもありがたいと思え!」
晴美は思わず笑った。
今となっては、この一家が自分に与えた傷に感謝しなければならないのだろうか?
誰にも見えないところで、琴星の口元がわずかにほころび、自分の勝利をひそかに誇示しているかのようだった。
琴星は晴美の手を取って言った。
「姉さん、今日は私の誕生日なの。父さんと母さん、あと恒志が、私の大好きなイチゴケーキを用意してくれたの。一緒にお祝いしよ?」
晴美はその手を振りほどいた。
「家族四人で祝えばいいでしょ。邪魔はしないよ」
晴美の力は強くなかったものの、琴星は勢いに任せて近くのテーブルにぶつかり、涙をぽろぽろとこぼした。
その泣き顔はとても切なくて、さらに周りの同情を引きつけていた。
「晴美、やりすぎだろ!」
晴美は頭が痛くなり、あの家族四人の幸せそうな様子に耐えられず、振り返らずに階段を上がりながら一言だけ残した。
「私、イチゴアレルギーよ」
部屋に戻ると、そこには琴星の荷物が山のようにあった。
すぐに美代子がついてきて、晴美の手を握った。
「晴美、お父さんを責めないで。
琴星が、あなたの部屋の陽当たりがよくて気に入ったと言ってたの。
刺激を与えたくなかったから、彼女の意向に従ったよ。
あなたの荷物は一階に移したわ。悪いけど、少しだけ我慢してね」
一人が悪役を、もう一人が善人を演じるなんて、本当に見事な連携プレーだ。
晴美は急いで一階に降りた。
彼女の荷物は小さな物置部屋に詰め込まれていた。
散らかった雑多な物の中で、晴美はずっと実験報告書を探していた。
それは研究室全体が半年間寝る間も惜しんで取り組んだ成果であり、彼女自身初めての特許でもあった。
リビングに戻った彼女は、報告書を持ち去ったのが琴星であることを確信していた。
「琴星、私の報告書、あなたが持ってったでしょ?」
琴星が口を開く前に、弘文が先に言った。
「俺たちがそれを琴星に渡したんだ。彼女は卒業にそれが必要だった。お前は優秀なんだから、もう一つ作ればいいだろう?」
晴美は拳を握りしめた。
「つまり、あなたたちは知ってたの?それって剽窃よ!」
弘文は一瞥もせずに言った。
「お前のすべては琴星のものだ。たかが報告書ひとつ、持っていったら何なんだ?」
晴美は怒りで全身を震わせた。
「それは私ひとりの成果じゃない、研究チーム全員の努力の結晶なのよ!琴星!返して!」
ウサギのように可憐な姿に戻った琴星は、美代子の胸に身を寄せ、さらに奥へと身をすくめた。
「晴美、あなたを二十年間育てたのよ?もう十分でしょう?今さら、琴星と張り合わないで」
晴美は言い負かされそうになり、仕方なく折れるしかなかった。
「補償したいなら、私の名義の財産も全て琴星にあげる。でも報告書だけは返して」
だが弘文は一歩も引かずに言った。
「財産は元から琴星のものだ。返すかどうかはお前が決めることじゃない」
目の前の弘文は、彼女が二十年間「父さん」と呼び、肩車をしてもらったあの父とは別人だった。
晴美の心は、完全に冷え切っていた。
彼女にはここにいる理由が何もなかった。
「わかった。ここに私の居場所がないのなら、出ていくわ。でも、私の報告書だけは絶対に渡さない」
晴美は怒りと悲しみに震えながらも、思わず笑ってしまった。
もし彼らが、自分たちの実の娘が本当は琴星ではないと知ったら、その時どうなってしまうのだろうか?
第4話
晴美はぼんやりと水村家を出た。
空には稲妻が走り、雷鳴が轟き、大粒の雨が容赦なく降り注いだ。
まるで神様さえ、彼女の不幸が不十分だと言わんばかりだった。
黒いマイバッハが彼女のそばで止まり、水しぶきが彼女の全身を濡らした。
窓が開くと、中にいたのは恒志だった。
「晴美、なにもそこまで両親に反発しなくてもいい。琴星を受け入れれば、お前はまた水村家の娘に戻れるし、俺たちの婚約もまだ有効だ」
晴美は何も言わず、前を向いたまま歩き続けた。
恒志は傘を持って追いかけ、彼女の腕を掴んで目を合わせようとした。
「まだ結婚式のことで怒ってるのか?あれは命に関わることだった。放っておけなかったんだ」
彼は彼女の腕を握りながら、少しは弱気な口調になっていた。
「もう怒るなよ。あの時より盛大な式を用意するからさ。
たとえ琴星が水村家の娘でも、俺の妻になるのはお前だけだ」
晴美は立ち止まり、恒志を見つめ返した。
「琴星が帰ってきた日から、あなたたちはみんな彼女の味方ばかりして、私を罪人として扱ってたよ。
でも、赤ん坊のときに取り違えられたのは私のせいじゃない。なぜ私ばかりが責められるの?
もし、あなたも琴星を選びたいなら……」
「いや、婚約はお前のものだから、他のことは譲ってやれ」
そんな施しなんて、いらない。
「それなら、私は婚約を破棄する」
恒志は晴美が自分との結婚式を中止するとは思ってもいなかった。
彼女の態度に少し腹が立ったが、彼は説明する気にもなれず、車に乗り込んでそのまま走り去った。
晴美には行く場所がなかった。
大学に行って、実験室にデータのバックアップがないかを探そうと思った。
だが、到着した途端、彼女は仲間たちに囲まれた。
共に努力してきた先輩が突然、彼女の服の襟を掴み、彼女の体を持ち上げた。
周囲の人々は皆、異様な目つきで彼女を見ていた。
晴美には何が起こっているのか分からず、先輩の手を掴んだ。
「先輩、どうしたんですか?何でこんなに怒ってますか?」
あるクラスメートが先輩を引き離したが、先輩は晴美の鼻先を指さして怒鳴りつけた。
「お前、俺たちの実験データを使って発表しといて、今さら何を聞きに来たんだ!」
晴美は首を振ることしかできず、何一つ弁解の言葉が出なかった。
すると、もう一人の先輩がスマホを差し出し、ある論文を見せてきた。
そこに掲載されていたのは、彼らが半年間寝る間も惜しんで取り組んできた実験成果だった。
署名には、「柳本琴星」と書かれていた。
「先輩、ごめんなさい、これは完全に私のミスです。必ず、責任を取ります!」
周囲では様々な声が飛び交ったが、先輩に歩み寄って慰める者もいた。
「私は晴美の人柄を信じてるよ。こんなこと、きっと彼女の仕業じゃない」
晴美はハッと気づいた。
彼女のパソコンの起動パスワードを知っているのは、恒志だけだった。
米村家に着いた時はもう暗くなっていて、雨はまだ降り続いていた。
彼女はずぶ濡れで疲れ切った様子で、恒志の部屋に駆け込んだ。
彼はちょうどシャワーを浴び終えたところで、晴美を見ると冷たく嘲笑った。
「どれだけ持つと思ったか?結局、俺を頼るしかないってことだろ?」
晴美は必死に冷静さを保ち、深呼吸をした。
「私のパソコンのパスワード、あなたが琴星に教えたの?私の実験成果、彼女に先に発表されたのよ」
恒志は髪を拭きながら、無関心に言った。
「たかが実験一つだろ?お前、いくつもやってきたじゃないか。琴星には卒業が必要なんだ。譲ってやれよ」
晴美は怒りで恒志の腕を掴んだ。
「どうして簡単に譲れって言えるの?あれは私だけじゃなく、チーム全員の努力の結晶なのよ!譲るわけないでしょ!
彼女が授業をサボって単位を落とした責任を、なぜ私たちが負わなきゃいけないの?」
恒志は彼女を突き放し、ソファに座った。
「俺はお前の夫だ。処分する権利はあるだろ」
晴美は冷笑した。
「忘れたの?あんたは結婚式で私を置き去りにして、他の女の元へ行ったのよ。結婚式は失敗に終わったくせに、どの口が言うのよ」
恒志はタオルを首にかけ、晴美を抱き寄せようとした。
「ほら、まだ嫉妬してるんだろ?こんなことで関係を壊すのはもったいない。約束するよ、もっと盛大な結婚式を開くから」
こんなことだと?
晴美は一言一言はっきりと言った。
「いらないわ」
そう言い終わると、晴美は背を向けて、部屋を出た。今の恒志には、嫌悪感しかなかった。
彼は彼女を呼び止めた。
「琴星を告発するつもりか?米村家の力をわかってるだろう。お前が勝てるわけない!」
二人は幼馴染で、母親の妊娠中から婚約も決まっていた。
幼い頃から、恒志はずっと晴美のことを守っていた。
そして、どこへ行っても、こいつは俺の女だと言い張っていた。
あの頃、まだ幼稚園に通っていた頃の話だ。
晴美もずっと、自分が恒志の花嫁になると思っていた。
ただ、あの日の晴美が一生で最も暗い時を経験するとは思わなかった。
琴星が水村家に戻ったその瞬間、恒志の視線は彼女に向いた。
晴美には、琴星のように楚々として弱々しい姿はほとんど見られなかった。
晴美はずっと優等生で、常に一番だった。
人の心は変わるものだ。手に入らないものほど、一番魅力的に見える。
父と母だけでなく、恒志でさえ、次第に彼女の味方になっていった。
米村家を出た晴美は、ただひたすらに歩いた。
ちょうどその時、黒いスポーツカーが横を通り、水を彼女に浴びせた。
また?今日二度目だ!
この数日の出来事で、彼女の心はもう限界だった。
感情が崩れ落ちた彼女は、その場にしゃがみ込み、大声で泣き始めた。
車から若い男性が慌てて降りてきて、必死に謝りながら近づいてきた。
涙が雨と混じって流れ落ち、道ゆく人々は奇異な目でこちらを見ていた。
男性は立つこともできず、去ることもできず、しゃがみこんで彼女を慰めた。
「本当にごめん!気づかなかったんだ。どうか泣かないで、なんでも補償するから」
晴美は顔を上げて言った。
「あなたの家、部屋空いてる?」
第5話
晴美は、男性に連れられてホテルに向かった。
彼の後ろをついてロビーまで来たとき、晴美はふと違和感を覚えた。
まさか彼は、彼女のことを尻が軽い女だと勘違いしているのでは?
彼女は急いで彼の袖を掴み、必死に言い訳した。
「違うの、そんな意味じゃないの」
男性は振り返って微笑んだ。
「安心して。俺もそんなつもりじゃないよ」
そしてフロントで部屋を一つ取り、カードキーを晴美に手渡した。
「どうぞ。着替えて」
その時ようやく、晴美は彼の顔をちゃんと見た。
整った顔立ちに明るく優しい雰囲気で、恒志とはまったく異なるタイプだった。
「ありがとう」
男性は彼女に背を向け、軽く手を振ってそのまま去って行った。
晴美は部屋で頭からつま先までしっかりとシャワーを浴び、服を整えたものの、ベッドに横になっても眠れなかった。
明日には学校に戻って、まだ挽回のチャンスがあるか確かめようと思った。
翌日、彼女は大学に戻った。
だが待っていたのは、周囲の冷たい視線と完全な孤立だった。
指導教員の木村先生が彼女の肩にそっと手を置いた。
その瞬間、晴美の目に涙が溜まり、もう少しで泣き出しそうになった。
「大丈夫よ、晴美。事情は聞いたわ。まずはデータを復元できるかやってみましょう」
その後、木村先生は皆を集め、改めて対策を練るよう呼びかけた。
呼びかけを聞いた生徒たちは手を動かすスピードを上げ、ある先輩が温かく慰めに来てくれた。
「絶対なんとかなるよ。心配しないで、晴美。交流プロジェクトにも間に合うはず」
晴美の目には涙があふれ、ついにこらえきれずに、大粒の涙がぽたぽたと石の床に落ちた。
みんなが二日間奮闘し、ついに実験結果が出そうになったその時、一人の生徒がスマホを持って大声で叫んだ。
「先生!柳本琴星という人が先に発表して、しかも特許まで取りました!」
みんなが一斉に集まり、ざわめきが一瞬で消えた。
全員がスマホのライブインタビューに目を奪われ、じっと見つめていた。
レポーターが聞いた。
「この研究、確かA大学のラボがすでに行っていたと聞いています。どうして柳本さんが先に発表できたのですか?」
琴星は落ち着いた様子で微笑んだ。
「彼らの研究内容は知りません。ただ、実験中に私の姉が私たちの資料を見たことはあるかもしれません」
記者は驚いた。
「つまり、あなたの姉がデータを盗んだと?」
「姉さんが盗作したなんて、みんな信じないかもしれません。でも、姉さんは確かに私の部屋に入って、実験データを見たことがあります」
琴星は目を潤ませ、涙声で語った。
「姉さんは何度も、私に良い成績を取るなと警告しました。もし私の順位が彼女を超えたら、私に痛い目に遭わせると言いました。しかも、姉さんの彼氏は米村家の御曹司なので、姉さんを怒らせるとろくなことにならないとも言っていました」
その時、カメラはそばにいた恒志にも向けられ、彼も立ち上がった。
「琴星の言うことはすべて本当です。米村家が投資した研究所で、彼女は毎晩遅くまで頑張っていました」
会場は騒然となり、みんながざわつき始めた。
「水村晴美って、まさか盗作だったの?」
「意外だな。学年トップなのに」
「学年トップ?米村家に頼ってたんだろう」
コメント欄には、晴美を非難する言葉が溢れていた。
晴美は盗作の汚名を着せられた。
その生徒はライブ配信を切り、拳を強く握りしめた。
皆の晴美を見る目は恨みでいっぱいだった。
今や晴美だけでなく、誰かがこの実験を自分のものだと名乗り出れば、即座に盗作のレッテルを貼られる状況だ。
誰もが落胆した。
あの短気な先輩は手に持っていた試験管を勢いよく叩き割った。
「言っただろ!晴美なんて信じるなって!どうだ?みんなの半年間の努力が水の泡になったぞ!」
そばに立っている晴美は、どう言えばいいのか分からず、慎重にみんなに謝った。
「本当にごめんなさい。必ず責任を取ります」
晴美は実験棟を飛び出し、タクシーで米村家へ向かった。
恒志の部屋に飛び込むと、彼はデスクで書類に目を通していた。
彼女を見るなり、軽く笑った。
「やっぱり戻ってきたか。婚約破棄なんて冗談だと思ってたよ。結婚式は来月だ。前回より、もっと盛大にしてやる」
晴美は何も言わず、近づいて彼の頬を思い切り叩いた。
「晴美、何するんだ!」
「あの実験、私にとって、どれほど大事だったか知ってるはずでしょ?なんで琴星をかばうの?」
恒志は彼女の腕をつかんだ。
「琴星は鬱なんだ。自害でもしたら、どうする!」
「まさか、私が一生彼女の面倒を見なきゃならないの?」
「お前は琴星の人生を奪ったんだ。今は実験データくらいで騒ぐな」
晴美は彼と話が通じないと感じて、振り返らずに立ち去ろうとしたが、恒志に後ろからしっかり抱きしめられた。
「いい加減にしろ。お前には、俺と家族がいるだろ。でも、琴星は孤児だぞ。
米村家に嫁げば、こんな名誉なんか必要なくなるんだ」
晴美は彼の腕を必死に振りほどき、真剣な目で彼を見据えた。
「恒志、聞いて。婚約破棄は本気よ。私たちはもう終わり」
恒志の瞳は血走っていた。
彼は晴美がこんなにも怒り狂った姿を見たことがなかった。そして、晴美が本気であることを痛感していた。
彼は晴美を抱き上げ、地下のワインセラーに閉じ込めた。
晴美がどれだけドアを叩いても、彼は決して開けようとしなかった。
「晴美、ずっと俺と一緒にいるって約束しただろう。
お前が目を覚ますまで、絶対に出さない!」
晴美は必死にワインセラーのドアを叩いたが、応答はなかった。
彼女は初めて、恒志のこんなに恐ろしい姿を目の当たりにした。
体を左右に揺らしながら、彼女はスマホを手にワインセラーの隅々まで探し回り、逃げ出す方法を必死に考えたが、どれも無駄だった。誰も助けに来る者はいなかった。
やがて、彼女は諦めた。頭はぼんやりとし、この数日間の雨に濡れ続けたこと、そして感情の激しい波に押し流されたせいで、意識がふっと遠のいた。
もしも、あの時、琴星が現れなかったら、どれほど良かっただろう。
もしも、恒志が以前の恒志のままだったら、どれほど良かっただろう。
だが、彼らの関係は、もう決して元には戻らないのだ。
第6話
ワインセラーの温度は10度前後しかなく、窓もないため、昼夜の区別もつかない。
スマホの電池も残りわずかで、画面に表示された日付を見ると、木村先生が出発する日まであと三日しかなかった。
晴美は、自分がすでに体調を崩していると確信していた。
熱が出たり寒気がしたりを繰り返し、歯の根が合わずにガチガチと鳴り、鼻から出る息すら熱い。
意識は朦朧とし、彼女は身体を丸めて隅にうずくまった。
ワインセラーの中で鳴るぽたぽたというエアコンの音が、まるで彼女の心に雨が降っているかのようで、徐々にその希望と温もりを奪っていった。
残されたのはただ、ひとしずくの虚しさだけだった。
意志の力が彼女を支え続けた。
もうここに閉じ込められてはいられない。
彼女は必ず外へ出なければならなかった。
ワインセラーの外で、晴美の真剣な様子を見た恒志は、本当に彼女を失ってしまうことを恐れた。
彼は結婚の準備に取りかかり、できるだけ早く進めようと動き出した。
今度の式場は、五つ星ホテルの最上階にある。
前回より遥かに盛大な式になる予定だ。
すべての準備が整った後、恒志は結納金と祖母から伝わる翡翠の腕輪を携えて水村家へ向かった。
リビングでは、琴星が美代子と仲睦まじく寄り添って、ソファーに座っていた。
まるでこの家にもう一人の娘がいたことなど、すっかり忘れ去られているかのようだった。
「おじさん、おばさん、今日は結婚の件で相談に来た」
琴星の顔はすぐに赤くなった。彼女が好きな恒志がついに求婚に来るのだ。
「この件はこれ以上長引かせるべきではないと思う。時間を引き延ばせば引き延ばすほど、両家の関係を傷つけるだけだから」
弘文は満足そうに笑った。
「俺らはもう、恒志を家族の一員だと思っているよ。いずれはうちの娘婿になると決めていたからね」
「三日後に結婚式を挙げる。場所は我が家の新しいホテルだ」
「これは米村家の結納金。四十億入りのカードと、祖母から受け継いだ翡翠の腕輪を」
琴星はその腕輪に目を奪われ、自分の手にはめようとしたが、恒志に制止された。
「これは晴美のものだ。琴星には、ふさわしくない」
琴星の顔色が青白く変わり、弘文が立ち上がった。
「まさか、まだ晴美と結婚するつもりか?」
恒志は驚いた。
「もちろん。結婚相手は、最初から晴美よ」
弘文と美代子は顔を見合わせた。
彼らは当然、恒志が娶るのは自分たちの実の娘である琴星だと思っていた。
何しろ、米村家は京市でも地位のある家柄で、嫁がせるなら血のつながった娘の方がふさわしいに決まっている。
そのとき、琴星は顔を手で覆い、テーブルの上にあった果物ナイフを左手首に押し当てた。
「恒志!私のこと、どうでもいいのか?」
弘文と美代子は、非難のこもった口調で話した
「恒志、琴星の気持ちがわからないの?病気もあるのよ。これ以上刺激しないで」
恒志は立ち上がり、琴星を見た。
「おじさんたちを困らせないため、琴星には十分譲歩してきた。でも、彼女の欲望には終わりがない。俺は、彼女と結婚しない。
毎回、自殺で周囲を振り回すなんて、おかしい。それに、もう彼女に合わせるつもりもない。
そして、これは晴美のために、特注したウェディングドレスだ。前回の不愉快を思い出させたくないんだ」
恒志は招待状をテーブルに置いた。
「晴美を娘として認めるなら、ぜひご出席ください」
つまり、もし米村家との姻族関係を望むなら、晴美を娘として認めるしかないということだ。
その時、背後から琴星が物を投げる音と、取り乱して泣き叫ぶ声が響いた。
恒志は一度も振り返らずにその場を離れた。
彼は、すでに全ての決意と気持ちを彼らに見せた。
今の彼はまだ、晴美の花嫁姿を夢見ていた。
今度こそ、彼は絶対にどんな障害も許さない。
琴星がどんなに泣き喚いても、晴美にもう一度でもつらい思いをさせることは絶対にしない。
恒志は少しばかり自信満々だった。
晴美の機嫌の直し方を、彼はよく知っているつもりだった。
だが、もう彼にはそのチャンスすら残されていないということを、まだ知らなかった。
晴美はワインセラーに二日間閉じ込められたままだった。
恒志が執事に彼女の様子を尋ねると、執事は丁寧にこう報告した。
「毎日食事をお届けしていますが、運んだものはそのまま手付かずで戻ってきます。晴美様は、まだ気持ちの整理がついていないようです」
「構わない。結婚式の日に、直接会場に連れてくればいい」
晴美の気の強さは少し抑える必要がある。
将来米村家に嫁いでから、家の切り盛りをするにはその方がいい。
執事は不安げな表情で言った。
「ですが、あのワインセラーはとても寒いのです。晴美様のお体が心配でして」
「じゃあ、室温に設定しなおせ」
「ですが、あの中の高級ワインが……」
「行け。たかが酒だ。晴美と比べものになるか」
その時、メイドが慌てて駆け込んできた。
「恒志様、大変です!晴美様が倒れました!」
第7話
晴美が目を覚ましたとき、すでに病院の豪華な病室にいた。
恒志は窓のそばに立っていて、彼女が目を覚ましたのを聞くと、急いでそばに来て手を握り、顔に当てた。
「晴美、やっと目を覚ましたね」
晴美は目の前のこの人を見て、とても見知らぬ人のように感じた。
彼は以前知っていた恒志ではなく、また琴星を贔屓にする恒志でもなかった。
「ごめん、晴美。お前を失うのが怖かったんだ。結婚式は三日後に決まっている。許してくれるか?」
晴美の目が一瞬揺れ、そしてうなずいた。
彼女が去るまで、あと三日だ。
もし同意しなければ、彼女はどうやって逃げることができたのだろうか?
恒志は彼女をぎゅっと抱きしめ、まるで砕けそうなほど強く抱き締めた。
おそらく人は何かを失う前にそれを感じ取るものだろう。
晴美の目の奥にある感情を恒志は読み取れなかった。だから、彼は焦るように、彼女を手の届くところに閉じ込めようとした。
晴美は慎重に彼の腕から抜け出して、言った。
「結婚するなら、一度水村家に行く必要がある」
恒志は晴美がまた琴星に会うのを恐れていた。
何せ、琴星は自殺未遂を起こしたばかりだったから。
「本当に行くのか?」
晴美は力強くうなずいた。
翌日は結婚式だった。恒志は車を運転して晴美を水村家に送った。
晴美が戻ってきたのを見ると、三人とも良い顔をしていなかった。
使用人の鈴木(すずき)が晴美の持っているバッグを受け取った。
「お嬢様、顔色が悪いです。大丈夫ですか?」
晴美は笑って鈴木に大丈夫だと答えた。
弘文がまず口を開いた。
「米村家に嫁いだからといって偉いと思うな。お前が水村家の娘でなければ、米村家に嫁ぐ資格なんてない」
琴星は美代子の胸に隠れて声をあげて泣いていた。
結局、どんな手を使っても、晴美が自分の最愛の男性と結ばれるのを、ただ見ているしかないのだ。
琴星が納得するはずもなかった。
部屋を片付ける時、晴美は以前の恒志との写真を全部ゴミ箱に捨てた。
琴星が彼女の部屋に来て言った。
「どうして私のもの全部奪うの?
あなたはもう父さんと母さんの二十年以上の愛を受けてるでしょう?
どうして恒志を私にくれないの?」
晴美は立ち上がり、振り返って琴星を見た。
「じゃあ、琴星、その願いを叶えてあげようか?」
結婚式当日は、木村先生と約束して調査に出かける日でもあった。
恒志は舞台の中央に立ち、新婦を待っていた。
ドアがゆっくりと開き、弘文が新婦を花びらと優雅なピアノ曲の中でゆっくりと連れてきた。
これまではすれ違ってきたが、ついに彼は晴美と結ばれることになる。
結婚行進曲が流れ、二人がゆっくりと会場に入ってきたとき、恒志はやっと来た人を見えた。
ベールの下にいたのは晴美ではなく、琴星だった。
恒志は強く彼女のベールをはぎ取り、会場のざわめきを無視して大声で問い詰めた。
「晴美はどこだ?どうしてお前なんだ?」
琴星は髪を一束引き抜かれたが、それでも恒志の袖を掴み、哀れっぽく言った。
「水村家とあなたの縁談はずっと私よ!晴美はただの偽物!」
恒志は会場に座っている客を行ったり来たりしながら探していた。
側にいた執事が小声で耳打ちした。
「恒志様、前回の婚約破棄で取締役会もかなり批判的です。もし今回の結婚式も台無しにしたら、その結果は……」
恒志は執事を振り払った。今の彼には何も耳に入らなかった。
彼はついに彼の花嫁を手に入れると思っていた。
「俺は晴美だけを欲しい!」
第8話
そのとき、スクリーンにたくさんのデータと資料が映し出された。
晴美の先輩がマイクを奪い、みんなの注目を集めた。
「皆さんこんにちは、新婦の先輩として、晴美の依頼で面白い映像を皆さんに見せます。
これは私たちの研究室が半年かけて実験した成果ですが、一週間前にこの女性が先に発表しました!」
すべての記者が一斉に彼の周りに集まった。
マイクを先輩に渡した。
「先日受賞した実験プロジェクトは実はあなたたちの研究室の成果だと言うのですか?」
先輩はメガネを押し上げて言った。
「はい!柳本琴星は私たちの労働成果を盗用しました!しかも自分のものだと恥知らずに言っています!
ここにすべてのデータとケース分析があります!本当の盗用者は彼女だと証明できます!
この実験結果は私たちの研究室の成果です!そしてその特許は晴美のものです!」
琴星は緊張して震え、重たいウェディングドレスを引きずりながら先輩の発言を止めようと、恒志の手を掴んで言った。
「早く行って!彼ら嘘をついているよ!」
だが、恒志は琴星の腕を掴んで言った。
「晴美はどこだ!」
琴星は崩れ落ちるように叫びながら、舞台の先輩を指差して言った。
「知らないわよ!それより、彼がずっと私を侮辱してるのよ。それを見過ごすつもりなの?」
すべての記者が一斉に琴星の周りに集まった。
「柳本さん!彼らのチームに対する告発について、何か言いたいことはありますか?」
「なぜ盗用なんてことをしたのですか?」
「柳本さん!柳本さん!」
琴星は耐えきれず、宴会場から走り去った。
弘文と美代子は追いかけたが、恒志は足が動かなかった。
やがて執事から連絡が来た。
「柳本さんがホテルの上の階で飛び降りようとしています!」
恒志は無力感を感じながら、仕方なく最上階に向かった。
水村家の両親はずっと説得していたが、琴星は一言も耳を貸さなかった。
彼女が気にしているのは恒志だけだった。
「琴星、いい加減にしろ」
琴星はウェディングドレスを持って、屋上の端に座っていた。
下には記者と消防隊員が集まっていた。
弘文と美代子も無力感を感じていた。
まるで『狼が来た』という話のように、時間が経てばこういう脅しも効かなくなる。
「降りてきなさい。恥ずかしいぞ」
弘文は眉をひそめ、彼女が死を冗談のように扱う態度に、深く嫌悪感を覚えていた。
「父さん!母さん!あなたたちも味方をしてくれないの?」
美代子は琴星がすぐに死にたいと言う態度をずっと嫌っていた。
「まず、自分のことを自分で愛しなさい。命を脅しに使わないで!私たちはもう十分やってきたのよ!」
みんなが知っていた。
一方的に甘やかすことは彼女の傲慢さを助長し、度を超えた行動を何度も繰り返すだけだ。
琴星は目の前の両親と、嫌悪の表情を浮かべる恒志を見て、何か大きな決意をしたようだった。
彼女は下に敷かれたエアクッションを見て、目を閉じて深く息を吸った。
「もしあなたと結婚できないなら、生きる意味なんてない」
そして体を後ろに倒した。
大きなウェディングドレスが屋上から消えた。
その両親と恒志が屋上の縁に駆けつけたときには、琴星はもう飛び降りた。
三人は振り返って階段を駆け下りた。
一方、下の街角で、すべてを見届けた晴美は、あらかじめ手配してあったタクシーに乗り込んだ。
「お客様、どこに行きますか?」
「空港へ、ありがとう」
この結果に彼女は満足していた。
晴美は窓の外を見つめながら、これから彼らと関わることはもうないのだと思った。
期待がなければ、失望もない。
失望しなければ、もう傷つかない。
晴美は空港で木村先生と合流した。
木村先生は彼女を抱きしめた。
「晴美!ライブ配信を見ていたよ。自分の名誉を守れて本当に良かった。私の眼は間違っていなかったね」
木村先生の目には尽きない心配があふれていた。
この一見弱そうな少女がもうたくさんの苦しみを耐えてきた。
近くの同行者の中に、晴美は見覚えのある後ろ姿を見た。
しかし一瞬で消えた。
我に返った晴美は笑顔で、仲間たちと一緒に飛行機に乗り込んだ。
一度も振り返ることはなかった。